ハーヴェイは1935年生まれでケンブリッジ大学で地理学を学び、34歳のときに『地理学における説明』(邦訳『地理学基礎論』、古今書院)を書き上げました。そのあと1970年にアメリカのジョン・ポプキンス大学に移り、そこでマルクス主義と出会って、71年から『資本論』、ついで『経済学批判要綱』の研究を始めています。30代後半から『資本論』を読み始めたのですね。

資本論研究の成果は『資本の限界』(1982年、邦訳『空間編成の経済理論』、大明堂)と『資本の都市化』(1985年、邦訳『都市の資本論』、青木書店)に纏められています。『新自由主義』で展開されている理論を念頭において、これらの著作を読み直してみると、その理論の萌芽は既にこの資本論研究の中に見ることが出来ます。

『ポストモダニティの条件』(1990年、邦訳、青木書店)ではレギュラシオン学派の理論を借用しつつ、フォーディズムからフレキシブルな蓄積へという観点で、1973年以降の資本主義の特徴づけを試みていますが、しかしレギュラシオン学派への批判も述べていて、それは後に『ニュー・インペリアリズム』(2003年、邦訳、青木書店)で「略奪による蓄積」という理論に纏め上げられます。この理論と、『資本の限界』で強調されている「減価」及び「時間による空間の絶滅」という二つの観点が『新自由主義』で全面的な現状分析に生かされているのです。

第一章　新自由主義についての概論

1)新自由主義とは何か

　ハーヴェイの著書の優れたところは、第一に、新自由主義のイデオロギーが人々に合意を取り付けたことを認め、その原因を探ろうとしていることです。第二はずっと後で出てきますが、新自由主義を、ブルジョアジーによる自身の権力の強化を図るという意志を持って導入されたもの、という観点から分析していることです。まず第一の問題から紹介していきましょう。

ハーヴェイは新自由主義について、1947年のハイエクによるモンペルラン協会の設立にまで遡っていますが、そのとき以来の主張が、人間の尊厳や個人的自由というものでしたが、このような概念装置を掲げたことに新自由主義の成功の原因を見ています。

「何らかの思考様式が支配的になるためには、われわれの住んでいるこの社会の中で実現可能性があると思わせるだけでなく、われわれの直観や本能、価値観や欲求に強く訴えるような概念装置が呈示されなければならない。それに成功すれば、この概念装置は常識の中に深く埋め込まれ、自明で疑いのないものになる。新自由主義思想の創始者たちは、人間の尊厳や個人的自由という政治理念を根本的なもの、『文明の中核的価値』であるとした。これは賢明な選択だった。というのもそれは実際に抗いがたい魅力を持った理念だからである。」(『新自由主義』、作品社、16頁)

ハーヴェイは、一方では「人間の尊厳や個人的自由の概念はそれ自体強力で人々に訴える力がある。」(16頁)と認めながらも、しかし、この理念と新自由主義の実態との間には矛盾があることを明らかにすることが本書の一つのモチーフです。もちろんハーヴェイのこの作業は非常に実証的なもので、大いに意義あるものですが、しかし、イデオロギーの支配についての分析をする場合に、そのイデオロギーがどのように生産されるかという問題もあります。この問題についての考察が欠けているように思われますが、しかしそれは今後の課題でしょう。私は以前に現代人の自己神格化について述べたことがありますが、このことと新自由主義のイデオロギーの生産とは大いに関係していると思います。

さて、ハーヴェイは新自由主義の実態について端的に、イラクの連合国暫定当局代表ポール・ブレマーの四つの命令を紹介しています。

「公共企業体の全面的民営化、イラク産業を外国企業が全面的に所有する権利、外国企業の利潤の本国送金を全面的に保護すること……、イラクの銀行を外国の管理下に置くこと、内国民待遇を外国企業に開放すること……、ほとんどすべての貿易障壁の撤廃」(17頁)

石油だけは例外とされ、他方労働市場は統制されて、ストライキの禁止、団結権の制限、がなされています。そして金持ちを優遇する逆進的な均等税。これでは人間の尊厳や個人的自由はかけらもないことになってしまいます。このイラク占領政策に典型的な新自由主義化を目ざした社会改革は、ハーヴェイによれば1970年代にまで遡れます。

新自由主義国家を形成しようとする最初の実験は、1973年のチリのピノチェトのクーデターの後でしたが、これは失敗しました。1982年のラテンアメリカ債務危機後にはチリの失敗を踏まえてよりプラグマチィックなものになり、これがサッチャーとレーガンの新自由主義への転換の有益な先例になったというように、ハーヴェイは歴史的経過の整理をしています。

さらにチリなどのラテンアメリカ諸国はアメリカが新自由主義化の推進役ですが、ハーヴェイは新自由主義化をそれに留めず、サッチャー(1979年)や障ﾅ小平の中国(1978年)やインド(1980年代)やスウェーデン(1990年代)をも新自由主義化の担い手と捉えていて、これらの諸国にアメリカが新自由主義を強制したとは考えられないと述べています。そして問題を次のように提起しています。

「世界レベルの新自由主義の地理的不均等発展は、明らかに多様な決定要因と少なからぬカオスと混乱をともなう非常に複雑なプロセスであった。ではなぜ新自由主義への転換は起こったのだろうか？そしてそれをグローバル資本主義の内部で支配的なものにした力は何だったのか？」(21頁)

中国やインドも含めて新自由主義への転換を説くという視点には正直驚きましたし、又少しこじつけもあるようですが、しかし問題提起としては非常に面白いと思います。そしてこのような観点からは戦後に形成された世界システムの総括が可能となるでしょう。

2)新自由主義への転換はなぜ起こったのか？

実際にハーヴェイは第二次大戦後の世界から論を起こしています。当時の国家体制や国際関係の再編で意図されていたのは、1929年の世界恐慌とそれ以降の資本主義の危機の再来を防ぐと共に、世界戦争の再発を防ぐことも企図され、労使間での階級妥協の構築がなされました。そのときに成立した国際関係についての概要をハーヴェイは次のように纏めています。

「国際的には、新しい世界秩序は、ブレトンウッズ協定を通じて構築され、国際連合、世界銀行、IMF、スイスのバーゼルにある国際決済銀行(BIS)といったさまざまな機関が、国際関係の安定に寄与するために樹立された。商品の自由貿易は、固定価格で米ドルと金とを兌換することによって維持された固定相場制のもとで推進された。固定相場制は自由な資本移動とは両立しない。それは本来、統制を必要とする。だがドルが国際準備通貨として機能するかぎりアメリカはドルが国境を越えて自由に移動することを容認した。このシステムはアメリカの軍事力の傘のもとにあった。ソヴィエト連邦と冷戦だけがこのシステムのグローバルな展開に限定を課した。」(22頁)

このような国際関係を前提にして成立した戦後の各国の国家の共通点については次のように述べられています。

「国家は完全雇用、経済成長、市民の福祉を重視しなければならないこと、国家権力はこれらの目的を達成するために、市場プロセスと歩調を合わせて自由に動員されなければならないということである。通常『ケインズ主義的』と呼ばれる財政金融政策が、景気循環を抑制し、一定の完全雇用を確保するために広く適用された。労使間の『階級妥協』は、国内の平和と平穏を保証する鍵になるものとして一般に支持された。国家は積極的に産業政策に関与し、さまざまな福祉制度(医療や教育など)を構築することによって社会的賃金の基準を設定した。」(22頁)

このような記述は恐らく西ヨーロッパをモデルとしたもので、アメリカや日本の場合は少し違ってはいますが、おおむね妥当でしょう。ハーヴェイはこれを「埋め込まれた自由主義」と特徴づけています。

この「埋め込まれた自由主義」は50年代から60年代の間に先進資本主義諸国における高い経済成長率を実現しましたが、これは実はアメリカによる資本の散布によるもので、やがて行き詰まって、過渡期としての1970年代が訪れます。1960年代末から1970年代いっぱいまで続いた「スタグフレーション」(経済が不況で低成長にも拘らずインフレが起こる)によって税収の落ち込みと社会的支出の増大が見られ、各国で財政危機が起きています。ケインズ政策の行き詰まりが起きてきました。

他方国際的には、1971年8月15日、ニクソン大統領がドルと金との交換の停止を発表し、ヨーロッパのすべての外国為替市場が閉鎖され、一週間後に再開されたときにはヨーロッパの主要通貨はいっせいにフロート制に移行しました。固定相場制を管理してきたIMF体制に混乱が起きたのです。1971年12月にスミソニアン体制が成立して、相場の変動幅を規制しようとしましたが、これも1年余りしかもたず、最終的には76年のキングストン合意で、現行の変動相場制への移行が確認されました(小松　聡『世界経済の構造』、世界書院、208頁)。つまりニクソンショックから数年の試行錯誤の後、変動相場制となり、外国為替市場が自由市場となったのです。

次にハーヴェイはこの箇所では触れていませんが、国際通貨体制の混乱期の1973年に、石油輸出国機構(OPEC)が原油の大幅値上げに踏み切ったことも世界経済に大きい影響を与えました。欧米の石油資本から剰余を取り戻したアラブ諸国は、のちにオイルマネーを国際金融市場に登場させます。その意味についてはハーヴェイは後で触れています。

こうした国際経済の混乱の中で、1975～6年に財政危機に直面したイギリスはIMFの救済を受けますが、ハーヴェイはこれを過渡期として捉えて、そこからの脱出の二つの道について考察しています。

「一つの回答は、コーポラティズム戦略を通じて経済の国家によるコントロールと規制を徹底させることだった。この対案を推進したのがヨーロッパの社会民主主義党と共産党であり……ポルトガル、フランス、スペイン、イギリスで政権獲得、スカンジナビア諸国で維持。」(24頁)

日本の場合は70年代初頭に革新自治体が誕生しましたが、しかしそれは中央政府にまでは波及せず、また、94年に成立した村山社会党党首首班の連立内閣も、中央官庁主導の伝統的政治を崩せなかったばかりか、かえって社会党を解体していく結果となりました。

「だが左翼は、伝統的な社会民主主義的・コーポラティズム的解決策を十分越えて先に進むことができなかった。そして1970年代半ばには、これらの解決策が資本蓄積の要求とあいいれないことが明らかになった。」(25頁)

このハーヴェイの問題提起は貴重なものですが、しかしハーヴェイ自身はなぜそのようになったのかについての考察がありません。ここではやはりソ連がなぜ崩壊したかについての総括が迫られており、しかし左翼はこれに答えられていないということを指摘しておく必要があるでしょう。

誰かが言っているように、戦後の冷戦体制では、ソ連の存在自身が、先進資本主義国の労働運動にとってはある種の支えとなっていて、ブルジョアジーのやりたい放題を規制して来た、という経過があります。ソ連が崩壊し、この支えがなくなったことで、やりたい放題が可能になった、ということですが、しかし新自由主義の登場は、冷戦体制末期のことでした。この時点で左翼はソ連モデルではない社会主義の展望を示すべきだったのでしょうが、そしてそれは社会的経済や、連帯経済といった形で追求されはしてきましたが、しかしこのような新しい社会運動も結局はソ連モデルの全面的否定の上に打ち出されたものではありませんでした。

ケインズ主義が行き詰まり、かといって社会民主主義も政策がない中で、ハーヴェイは「新自由主義が、いかにしてなぜ、この問題への唯一の回答として勝利したのか」(25頁)ということを問題の核心と捉え、その解明の必要性を訴えています。そして、80年代までは、新自由主義は余り明確な輪郭を持ったものではありませんでしたが、1990年代になってワシントンコンセンサスが新しい正当性を獲得し、これ以降は政権担当者自らが新自由主義者と名乗るようになります。

このように概略的に述べた後、ハーヴェイは、これまで展開してきたことについての総括を行っていますが、それは最初にあげた第二の点、ブルジョアジーの政治的経済的権力の強化という問題意識からのものです。

戦後の妥協的体制のなかで、1970年代には「支配エリートと支配階級の地位への経済的脅迫がいまや肌で感じられるようになりつつあった。」(26頁)とハーヴェイは述べています。その証拠に上げている表によれば、アメリカにおける人口上位1%が保有する資産の割合は、1970年代になると60年代の30％台から20％台へと10ポイントの落ち込みが見られるのです。

「このように新自由主義は、国際資本主義を再編するという理論的企図を実現するためのユートピア的プロジェクトとして解釈することもできるし、あるいは、資本蓄積のための条件を再構築し経済エリートの権力を回復するための政治的プロジェクトとして解釈することもできる。以下で私は、二番目の目標が現実面では優位を占めてきたことを論じていく。新自由主義化は、グローバルな資本蓄積を再活性化させる上ではあまり有効ではなかったが、経済エリートの権力を回復させたり、場合によっては(ロシアや中国)それを新たに創出したりする上では、目を見張るような成功を収めた。新自由主義的議論に見られる理論的ユートピアニズムは主として、この目標を達成するために必要なあらゆることを正当化し権威づける一大体系として機能してきたというのが私の結論である。」(32頁)

ハーヴェイはここで明確に、新自由主義化が経済エリートの権力回復にすごく役立ったという観点に立っています。そして世界経済の成長や、世界市民の福祉といった観点からは、停滞か後退が見られることを後で実証していきます。その際にハーヴェイがよって立つ論拠は次のようなものです。

「新自由主義的思想の力と新自由主義化の現実の実践ーーそれは、この30年間にわたってグローバル資本主義のあり方を変革したーーとの間にある創造的な緊張関係に焦点を当てたいのだ。」(32頁)

新自由主義化の現実を誰もが受け入れてしまったというその思想の力と、しかしその現実の政策が引き起こしてしまった諸問題との間には緊張関係があるということと、この緊張関係に焦点を当てる、これが以降のハーヴェイの分析の視点です。そこで次には新自由主義の思想がいかにして支配的になっていったかについての歴史的回顧から始めています。

3)新自由主義理論の台頭

ハーヴェイは新自由主義の思想の発端を1947年のハイエクらによるモンペルラン協会の創設に求めています。この協会にはミーゼス、フリードマン、が常連で、ポパーも一時いたのです。マーシャル、ジェボンズ、ワルラスらの新古典派経済学の自由市場原理を信奉し、ケインズ主義に対立した論陣を張りました。

1970年代に入るとアメリカやイギリスでにわかに社会的注目を集めるようになります。豊かな財源を持つシンクタンク(ロンドンの経済問題研究所やワシントンのヘリテージ財団など)の活動や、フリードマンのシカゴ大学などが思想的論陣の核になったのです。

1974年ハイエクが、そして1976年にはフリードマンがノーベル賞を受賞しています。このノーベル経済賞というものは、他の賞とは違って、スェーデンの銀行関係の組織が与えるもので、政治的配慮が強いものです。

1979年のアメリカとイギリスでは「新自由主義が、先進資本主義世界の国家レベルの公的政策を規制する新しい経済的正当原理として根本的な確立を見る」(36頁)ことになり、1979年5月イギリスでサッチャーが首相になりました。サッチャーは、ケインズ政策の放棄、スタグフレーションに対するためのサプライサイド的解決を推し進め、福祉国家政策の解体、民営化を図って、これに抵抗する労働組合の力をそぎ、社会的連帯への攻撃を強めました。

他方アメリカでは、1979年10月カーター政権の下でボルカーが金融政策の劇的な変更を実行し、インフレの抑制を目ざす政策へ転換します。ただマネタリズムは労働組合の容認や福祉国家を目指す西ドイツでもなされていたので新自由主義の専売特許というわけではありません。

1980年レーガンが大統領になり、労働条件の悪化に抗議する全米航空管制組合のストライキを1981年に屈服させました。以降実質賃金は長期的に低落を始め、規制緩和、生産の海外移転と産業空洞化、法人税の減税、といった政策を打ち出します。「こうして、社会的不平等の拡大に向けた画期的な転換が始まり、上層階級の経済権力が回復しはじめた。」(40頁)のです。

73年の石油ショック、これは買い手にとってのショックで、売り手は剰余資金を得ました。これが産油国によってニューヨークの投資銀行に預けられ、投資銀行がこれを世界中に貸し出すことで、オイルマネーの還流と世界循環が始まります。アメリカの海外投資の中心が直接投資から間接投資へと移り、この頃からお金にお金を生ませるということが現実味を帯びてきたのでしょう。とはいえやはり試行錯誤の連続でした。

発展途上国への貸付がドル建てのために、アメリカの金利上昇で債務国は債務危機に陥りました。アメリカの投資銀行がリスクを負わねばなりません。しかしハーヴェイによれば新自由主義はこの金融危機を逆手に取ります。1982～4年のメキシコ債務危機の時には、返済繰り延べの見返りに新自由主義的改革の実施を要求しました。この頃には新自由主義の政策はIMFにも及んでいてIMFが新自由主義的改革を押しつける役割を果たすようになります。こうして新自由主義は、本来貸し手のリスクであり、その損失であるべき不良債権の回収方法を編み出しました。債務危機に対して、貸し手はリスクを負うことなく、借り手の国家の住民から搾り取る方法を可能とするようになったのです。これが問題のポイントであるように思います。ハーヴェイの鋭いところは、債務危機についてこのように総括したところにあるのです。アメリカの金融機関にとって、間接金融での貸し倒れはなくなったのです。

4)新自由主義化と階級権力

新自由主義化が、低落しつつあった支配階級の巻き返しであり、その経済権力を強めるためのものであったとしたら、「新自由主義化は階級の定義を不可避とした。」(45頁)ということになります。実際に「上層階級の経済権力の中心部に大きな変化が起こった。新自由主義化は階級権力を回復したかもしれないが、必ずしも同じ人々の経済権力の回復を意味したわけではなかった。」(46頁)のです。では支配階級の内部でどのようなことが起きたのか、ということについてハーヴェイは次のように述べています。

「第一に、資本主義企業における所有と経営という二つの特権ーー従来は分離されていたーーが、CEO(最高経営責任者)への支払いに自社株購入権(ストックオプション)があてられることで融合した。生産高よりも株価が経済活動の指標になった。そしてここから、のちにエンロンのような大企業の破綻で露呈した途方もない投機熱が生まれた。第二の傾向は、一方における、配当や利子を獲得しようとする貨幣資本と、他方における、利潤を獲得しようとする生産資本・製造業資本・商業資本ーーこの両者の間にあった歴史的距離が格段に縮まったことである。……大企業がますます金融取引に精を出すようになり、自動車産業のように、生産活動に従事していた場合でさえもそうなっていったからである。1980年あたりから、企業が生産で出した赤字を金融操作(貸付や保険業といった通常のものから、乱高下する通貨や先物市場への投機にいたるまでのあらゆる金融取引)で得られた収益で穴埋めすることも珍しくなくなった。異なった産業部門をまたぐ合併がなされ、生産、商取引き、不動産、金融を新しい形で結合し、さまざまな異なった産業部門を包括したコングロマリットがつくり出された。」(47頁)

ハーヴェイは現在の金融が支配する資本主義について、どちらかといえばヒルファーディングの銀行と産業との癒着による金融資本の成立という従来の視点から、今日の現状を見ているようです。たしかに所有と経営の融合や、ゼネラルモーターズのような生産企業が金融部門へも乗り出すといったことがありますが、しかしこのような個別事例を可能とするような全般的な金融の世界の変化が押さえられてはいないと思われます。やはり金融取引が膨大に増加し、それが一般商品の取引額をはるかに上回るような規模になったことで、商品生産としての資本主義が、金融取引という新たな商品取引に従属させられてしまっているという事態を解明していく必要があるように思います。私が一般商品と金融商品とを区別し、金融商品を信用商品と名づけてその特徴を明らかにするところから問題を解明しようとしています。そうすることで、今日の金融資本が、従来のそれとは異なる蓄積様式を持った信用資本主義と名づける他はないようなものへと段階的に発展しているということが明らかとなります。実際にハーヴェイもこのことが分かっていて、次のように述べています。

「これらすべてが結びついて、金融世界の活動力や権力の爆発的発展をもたらした。これまで行動範囲が限られていた金融行動は、規制による束縛や障壁からますます自由になることでかってない繁栄を遂げ、ついにはあらゆるところに広がった。金融サービスにイノベーションの波が押し寄せ、はるかに洗練されたグローバルネットワークが広がっただけでなく、証券化、デリバティブ、あらゆる形態の先物取引にもとづいた新種の金融市場が形成された。要するに、新自由主義化が意味したのはあらゆるものの金融化だった。」(47～8頁)

製造業が、金融の部門にまで進出しなければならなかったのも、このような新自由主義化の下でのあらゆるものの金融化のなせる業でしょう。それは産業と金融との癒着といって済ませられるものではなく、むしろ金融が産業を支配する時代の到来です。ハーヴェイも次のように述べています。

「疑いもなく生産から金融の世界への権力移動が生じた。生産能力の増大はもはや必ずしも一人当たりの収入の上昇を意味することはなかったが、その一方で金融サービスへの資本の集中は収入を確実に上昇させた。」(48頁)

帝国主義段階と名づけられた時期もせいぜい50年でした。ハーヴェイが指標に挙げている1971年の金ドル交換停止からもう35年あまりの時がたっています。新自由主義が勝利した資本主義のある局面を金融が生産を支配した信用資本主義と段階規定し、そこにおける人間像を、自己神格化した個人と捉えることで、新自由主義の思想がなぜ大衆を捉えたかということの解明も進むと思われます。とまれこの信用資本主義はそんなに長期に続くものではないようです。これは明らかに何かへの過渡期でしょうが、レーニンが望んだような社会主義への過渡期ではないことは明らかです。ではこの新自由主義によって新たに作り出された階級とはどのようなものでしょうか。

「したがって、新自由主義のもとで台頭しつつある階級権力の実質的な中核部分の一部を構成しているのは、CEO、会社の重役、そして資本が活動するこの聖地をとりまく金融、法律、技術部門のリーダーたちである。」(48頁)

このような階級が果たして社会の担い手として公益を代表し得るでしょうか。そしてそのようなことが出来なければ、新たな階級の没落は不可避です。実際に彼らが作り出した社会はどんな社会でしょうか。ハーヴェイは国連報告から、1996年世界の金持ち上位358人が世界人口の貧困層下位45%(23億人)の総収入と同じであるとか、世界の金持ち上位200人の純資産は、1998年までの4年間で倍以上に膨れ上がり、1兆ドル以上となった、といったことを引用しています。また上位三名の資産は最貧国の6億人の国民総生産の合計額を上回ったのです。新しい階級に属する人間集団は階級として陰謀を企てているわけではないが、新自由主義化から生じる利点を認識しているとハーヴェイは述べています。その意見交換の場が例えばダボスの世界経済フォーラムです。この場では早くも新自由主義の行き過ぎが意識されているようです。

5)自由の展望

新自由主義への対抗軸についてハーヴェイはポランニーに依拠しています。ポランニーは自由について二種類に分けました。一つはよいものでもう一つは悪いものです。後者についてポランニーは「仲間を食い物にする自由、コミュニティにふさわしい貢献をしないで法外な利益を得る自由、技術的発明を公共の利益に供しない自由、私益のためにひそかに画策された公的な惨事から利益を得る自由」(52頁)を挙げ、前者については「こうした自由を繁栄させた市場経済は、われわれが大いに重んじる自由をもつくりだした。良心の自由、言論の自由、集会の自由、結社の自由、職業選択の自由がそうだ」(52頁)と述べています。そしてこの二つの側面は市場経済には避けられないものですから、ポランニーは市場経済消滅後の自由について考察し、対抗軸をここに見出しています。

ポランニーが問題提起をした頃は、市場経済の廃止については計画経済が念頭におかれていて,これに対してはハイエクらから、計画化は自由の否定だという論陣が張られていました。そしてポランニーは、ハイエクらに対しては、自由主義的ユートピアを実現するには、力の行使、暴力、権威主義に頼らなければならないと切り返していました。そしてハーヴェイは今日の新自由主義化がこのポランニーの見通しを実現してしまったと考えています。それにしても、アメリカには金持ちだけのゲットーが5万以上あり、約2千万人が暮らしているといわれています。この人たちは確かにユートピアを実現したのかもしれません。しかし、「残りのものたちはどうしてこのような状況にかくもやすやすと黙従してきたのか」(55頁)ということがハーヴェイの疑問で、これについて次に解き明かしていきます。

第二章　同意の形成

1)新自由主義の浸透過程

新自由主義への同意がいかにしてなされていったか、というテーマについてハーヴェイはまずイデオロギーの浸透過程について考察しています。

「新自由主義への転換を正当化しうるのに十分な民衆的合意はどのようにして生みだされたのだろうか？これにいたる回路は多様だった。企業やメディアを通じて、また市民社会を構成する無数の諸機関(大学、学校、教会、職業団体)を通じて、影響力ある強力なイデオロギーが流布された。」(61頁)

企業が応援する一部のシンクタンクから出発し、一部のメディアを獲得し、知識人の多くを新自由主義的な思考様式に転向させて、新自由主義を支持する世論の気運を作り出し、諸政党を捉え、遂には国家権力を獲得することによって、新自由主義は強固なものとなっていったのです。この試みの内実は、少数のエリートの経済的権力を回復させるというものでしたが、「個人的自由の大儀を前進させるための計画的な試みという装い」(61頁)をとることに成功し、大衆的基盤を獲得しえたのでした。そして一旦国家権力を握ることが出来れば、その権力を用いて、説得や取り込み、買収や脅迫を行い、一旦形成された同意を維持していくことが出来ます。サッチャーやレーガンがその役割を果たしました。

しかしハーヴェイが注目するのはそれだけではありません。「個人的自由を神聖視する政治運動はいずれも、新自由主義の囲いに取り込まれやすい」(62頁)ことにも触れています。

「個人の自由を根源的なものとして重視する新自由主義のレトリックは、国家権力の獲得による社会的公正を追求する社会勢力の隊列の中から、リバタリアニズム、アイデンティティ・ポリティクス、多文化主義、さらにはナルシスト的な消費主義を分裂させる力を持つ。」(63頁)

ここでハーヴェイが述べている、国家権力の獲得による社会的公正を追及する社会勢力とは、ソ連型の社会主義に止まらず、ヨーロッパの社会民主主義、アメリカのラジカル民主主義も含まれていますが、その勢力が新自由主義によって分断されていったということが実は問題なのです。これら左翼の運動は、個人的自由と社会的公正を侵害する共通の敵を見出すことが出来、ヴェトナム反戦運動のように、それとの闘いという共通の大儀を作り上げることで大衆的支持基盤を維持することが出来てきましたが、しかし左翼の運動がもっていた、変革の対象としての国家、資本主義的企業、市場システム、という対峙関係を、個人的自由の理想から国家の介入主義批判や規制緩和の主張によって、旧来の対峙関係とは別のそれを新たに作り直すことが新自由主義のイデオロギー的役割だったとハーヴェイは見ています。

「新自由主義化にとって政治的にも経済的にも必要だったのは、差異化された消費主義と個人的リバタリアニズムの新自由主義的ポピュリズム文化を市場ベースで構築することであった。このことはまさに、新自由主義が、長年舞台の袖に潜んでいて今日まさに文化の領域でも知の領域でも支配的潮流として全面開花している『ポストモダニズム』と呼ばれる文化的推進力と少なからぬ親和性があることをはっきりと示している。」(64頁)

ここでハーヴェイが述べている新自由主義的ポピュリズム文化とは私からすれば、市場システムが生活のあらゆる領域にまで浸透することによって形成される現代人の自己神格化を土台にしています。だからこの自己神格化からぬけ出す道筋を示すことが必要だと思います。しかしハーヴェイは、この問題をイデオロギー問題としてしか捉えていないようです。

「左翼運動は個人的自由を追求することと社会的公正を追求することとの間にある内在的な緊張関係を認識することも、それに取り組むことも、ましてやそれを克服することもできなかった。」(64頁)

左翼の欠陥は、ハーヴェイが主張する内在的な緊張関係の認識といった、イデオロギー上の問題というよりは、個人の自己神格化というこれまでなかった事態が一般化したこと、この現実を把握し得なかったことの方が問題でしょう。

2)アメリカにおける同意形成

新自由主義イデオロギーが大衆的な同意を形成してしまったことに対して、左翼が対応できなかったことについて概括した上でさらにハーヴェイはアメリカとイギリスにおける同意形成のケースを取り上げています。まずアメリカでは、1971年ルイス・パウエルが全米商工会議所に送った書簡から始めています。その内容は、自由企業体制への批判と敵対が強すぎるとし、これに対抗する必要性を説いたものでした。その後全米商工会議所が傘下団体を6万社(72年)から25万社(82年)へ拡大しましたが、その過程で、1972年からロビー活動と調査研究を行うための莫大なキャンペーン資金を集めています。また同年には、CEOたちの集まりである「ビジネス・ラウンドテーブル(BRT)」が設立され、その共同行動によって、企業の支援の下、ヘリテージ財団、フーバー研究所、米国ビジネス研究センター(CSAB)、アメリカン・エンタープライズ研究所(AEI)といったシンクタンクが設立されました。さらに全米経済研究所(NBER)の場合は新自由主義政策を支えるための本格的な技術的・実証的研究や政治哲学的な理論を作り上げるためのものでした。まさに「ビジネス界は一個の階級として金を使うことを学びつつあった」(66頁)のでした。

次いでハーヴェイが取り上げるのは、ニューヨーク市の財政危機です。脱工業化と急速な郊外化によってニューヨーク市の財政が破綻していく中で、連邦政府からの補助金の削減のなか、貸付をしていた投資銀行が1975年に債務繰り延べを拒否し、市を事実上の倒産の危機に追い込みました。その上で市の財政に介入し、市の税収に対する第一請求権を債権者に与えました。こうして自治体組織の要求が抑え込まれたのですが、ハーヴェイはこの事態を「民主的に選挙された自治体であるニューヨーク市に対する金融機関のクーデターに等しいものであった」(68頁)と評しています。それは先行していたチリにおける軍事クーデターと同じ効果を持ったのです。

経済的権力を強めていった新自由主義は、政治的道具を求めて共和党に接近し、その取り込みを図りました。ハーヴェイの述べるところによれば、1971年の選挙資金法は政治の金権腐敗を合法化し、1976年に始まる連邦最高裁の一連の判決は、企業が政党や政治活動に無制限に献金する権利を確立しました。以降「政治活動委員会」は多額の献金によって共和党と民主党という二大政党のどちらも支配することが出来るようになったのです。

また共和党は、キリスト教右派、白人労働者の文化ナショナリズムに、彼らの道徳的倫理観が傷つけられたという意識に訴え始めました。

「この政治的基盤は積極的には、宗教と文化ナショナリズムを通じて、また消極的には、間接的な、時にはあからさまな人種差別、同性愛嫌悪、反フェミニズムを通じて動員された。彼らにとって問題だったのは資本主義や文化の新自由主義化ではなく、黒人、女性、環境派等々の特殊集団に便宜を図るために過剰に国家権力を行使する『リベラル』たちであった。」(73頁)

こうして新自由主義は1990年以降、共和党からすべてのリベラル分子を根絶してそれを同質的な右翼政治勢力に転換させることに成功したのです。

「共和党は大規模な財源を確保するとともに、大衆を文化的・宗教的動機からその物質的利益に反する投票に動員することができた。他方、民主党は、資本家階級の利益を損なうことを恐れて、その伝統的基盤である大衆の物質的利益に配慮することができなかった。こうした両党の非対称性のおかげで、共和党の政治的ヘゲモニーはよりいっそう確固としたものになった。」(75頁)

共和党が右に純化して行ったのに対して、もともと大衆的基盤を持っていた民主党は、企業からの巨額の献金によって、中途半端な立場に追いやられて、共和党のヘゲモニーを強めることになったとハーヴェイは見ています。さらに共和党は、労働運動への攻撃を強めました。1930年代に職場の労使関係を規制するために設立された全国労働関係委員会は、レーガンに任命されたものたちによって「ビジネスの世界が規制緩和されているまさにそのときに労働者の権利を攻撃し規制する道具に変えられた」(75頁)のです。労働運動への攻撃は、ニューヨーク市が財政危機に見舞われた1975～7年に市の自治体労組が攻撃されたことに始まり、レーガンによって1981年航空管制官のストライキが叩きつぶされたことで全国的な力関係を変え、労働者と労働組合を新自由主義に従属させていきました。

「労働市場におけるより大きな自由や行動の自由は、資本家にとっても労働者にとっても利益になると大いに宣伝された。ここでもまた、新自由主義的価値観がほとんどの労働者の『常識』にたやすく組み込まれた。」(77頁)

労働運動は単に叩き潰されただけではなく、労働市場における自由という、新自由主義の思想を受け入れ、思想的にも従属させられました。このような帰結は、イデオロギー上の宣伝活動なしには考えられません。「1990年頃までには、有力な研究大学の経済学部のほとんどと経営学大学院は、新自由主義的な思考様式に支配された。」(79頁)つまり労働運動は既得権にしがみつく特権的なものとして、規制緩和の対象とされ、それを守るような思想的援護はない状態で、新自由主義思想のみが時代を謳歌することになったのでした。

3)イギリスにおける同意形成

イギリスにおける同意の形成はアメリカとは異なっていましたが、それはほぼ完成された福祉国家において起きた事柄だからです。

「イギリスは、アメリカでは夢想だにできないような行き届いた包括的な福祉国家システムを発達させた。炭鉱、鉄鋼、自動車という経済の管制高地は国有化されており、住宅供給の大部分が公共部門によってなされていた。1930年代以来、労働党は地方自治の領域に重要な権力基盤を築いてきた。」(80頁)

このようなイギリスの福祉国家に対して、ロンドンの国際金融センターとしてのシティは、一貫してケインズ政策よりはマネタリズム政策を選好して来ました。金融界はメディアを味方につけ、60年代には「個人主義と自由は、国家機構の窮屈な官僚主義的愚劣さや強圧的な労働組合勢力と対立するものとして描き出」(81頁)すことに成功しつつありました。

とはいえ1970年代の資本蓄積危機なしにはサッチャーは登場しなかったとハーヴェイは見ています。1971年に始まるIMF固定相場体制の変動相場制への移行、石油ショックなどの要因もからみ、スタグフレーションに陥ったイギリスは財政危機に陥り、1975～6年には労働党政権はIMFからの借入に踏み切ります。しかもそこで、IMFの財政抑制・緊縮命令を受け入れ、福祉国家的支出の削減が実行されました。これに不満な労働組合は1977年大規模なストライキで対抗し、このストライキはマスコミから攻撃を受け、世論の支持は失われ、ひいては労働党政権の崩壊へと向かいます。こうしてサッチャー登場となったのでした。

こうした経過を述べた上でハーヴェイはアメリカとの共通点として、労使関係とインフレ克服闘争の分野を挙げています。そしてこの二つはお互いに関連しているのです。緊縮予算と高金利は失業の増大をもたらします。失業者の増大は労働組合の交渉力を弱めます。さらに1984年にはサッチャーは炭鉱合理化と閉鎖を宣言し、炭鉱労働者のストライキを引き出してこれを敗北させます。ハーヴェイはこの時点でイギリス労働運動の背骨が打ち砕かれたと評価し、「イギリスは、わずか10年で相対的に低賃金で、他のヨーロッパ諸国に比べて労働者がおおむね従順な国に変わった。」(85頁)と述べています。

また新自由主義を貫徹するには多くの自治体との闘争が必要でしたが、1980年代半ばには決着がつけられ、公的所有の経済セクターの民営化が進みました。とはいえ税制改革で失脚したサッチャーが去った後、福祉国家は、教育、医療、社会サービス、大学、国家官僚、司法の分野に残っていました。

「新自由主義はイギリスのかつての階級構造を、その両極のどちらにおいても一変させた。加えてグローバル金融の中核に位置づけられたロンドンのシティはますますもってイギリス経済の心臓部となり、ロンドンやサウススィートは、持続的に増大する富と権力のダイナミックな中心地となった。」(87～8頁)

サッチャーの後に成立した労働党政権は新自由主義の下での福祉的国家をめざす「第三の道」をかかげました。もはや過去に戻ることは出来なくなったのです。グローバリゼーションに逆らうことはシティの繁栄を切り捨てることになるからでした。

「ひとたび新自由主義が英語圏の世界に根づくと、資本主義が全体として国際的に機能しているその仕方に新自由主義がかなり適合的であるという事実を否定することが難しくなった。」(89頁)

まさにハーヴェイがここで述べている事柄が十分解明されなければならないでしょう。銀行と産業との癒着による金融資本の動きとは異なる新しい資本蓄積様式がそこにはあるのです。

「チリとニューヨーク市からレーガンとサッチャーは糸口をつかんだ。彼らは階級権力の回復を決意していた階級運動の先頭に立った。」(89頁)

アメリカとイギリスにおける同意の形成について述べた最後に、ハーヴェイはこう締めくくっています。そして彼らが作り上げた遺産と伝統は、政権交代がなされても廃止できないようなものでした。クリントンやブレアは好むと好まざるとにかかわらず、新自由主義化をよりましな形で継続する以上のことは出来なかったというのです。こうして次にハーヴェイは、作り出された新自由主義国家体制についての検討に入っています。

第三章　新自由主義国家

1)理論における新自由主義国家

新自由主義理論における国家の役割はかなり容易に定義できますが、しかし、その実践の方は理論の呈示する枠組みからかなりかけ離れた形で進んできていると見るハーヴェイは、新自由主義国家を不安定で矛盾した政治形態であると考えています。そこでまずハーヴェイは理論における新自由主義国家の定義から始めます。

「新自由主義国家は理論的には、強固な私的所有権や法の支配、自由に機能する市場や自由貿易を重視している。これらは、個人の自由を保障するのに必要不可欠なものとみなされている社会的諸制度である。行動・表現・選択の自由という個人の権利や契約の不可侵性は保護されなければならない。したがって国家は、全力を上げてこれらの自由を守るために、それが独占している暴力装置を用いなければならない。ひいては、ビジネス集団や企業(法的には個人とみなされている)がこうした自由市場と自由貿易の制度的枠内で活動する自由も、根本的に善だとみなされている。民間企業や企業化のイニシアティブは、技術革新を引き起こし富を創出する上で決定的なものだとみなされている。技術革新を促進するために、例えば特許制度を通じて知的所有権が保護される。生産性が持続的に向上すれば、高い生活水準がすべての人にもたらされることになっている。新自由主義理論においては、『上げ潮は船をみな持ち上げる』とか、『したたり落ちる』と想定されており、一国内であろうと世界規模であろうと、自由市場と自由貿易を通じてこそ最も確実に貧困を根絶することができるのだと考えられている。」(94～5頁)

このような考え方に基づいて、「新自由主義者がとりわけ熱心に追求しているのは、さまざまな資産を私有化することである。……規制は緩和されねばならない。……所有権があいまいな場合には、国家はその権力を行使し、市場システムを押しつけるか、このシステムそのものを作り出す……」(95頁)。これは日本でもおなじみの官業の民営化と規制緩和です。ところでこの自由化には別の側面があります。

「市場での人格的・個人的自由が保障される一方で、各人には自分自身の行為と福利に対する責任があるとみなされている。この原則は、福祉・教育・医療・年金といった分野にまで拡張される。各人の成功や失敗は、何らかの社会システム上の問題のせいであるよりも、むしろ企業家的美徳の欠如とか個人的失敗という観点から解釈される。」(95頁)

ハーヴェイが紹介しているこのような考え方は、個人を企業にたとえていると見ていいでしょう。ハーヴェイの考えをもう一歩進めれば、このような考え方は、あたかも生身の個人を、企業のような法人格と見なしていることになります。法人は単に経済的行為をするだけで、社会生活を営むわけではありません。個人的自由と言いつつ、個人を法人格に擬制するということは、生活面の切捨てをもたらします。ひいては人間の人間性を切り捨てることになります。つまりこのような考え方は、人間の自由を保障する基本的人権ではなく、資本の運動を保護する「基本的資本権」の確立ということになるのではないでしょうか。資本は人間の道具ではなく、いまや目的となるのです。

こうして新自由主義者にとっては、資本の自由な運動を妨げるあらゆる障壁の除去が求められ、人間にとって社会生活を律する原理である民主主義に対する根深い不信が生まれます。基本的人権に対して基本的資本権の優位が構想されているのです。それゆえ専門家やエリートによる統治を支持し、民主主義や議会による意思決定よりも、行政命令や司法判断による統治のほうがずっと望ましいと考えるようになります。

2)緊張と矛盾

次にハーヴェイは、新自由主義国家論に見られるあいまいな論点や対立点について述べています。

「第一に、独占権力をどのように解釈するかという問題がある。競争はしばしば独占ないし寡占をもたらす。……第二の大きな争点は『市場の失敗』に関する問題である。」(97～8頁)

新自由主義に一貫した理論的展開を期待するのは無理なような気がしますが、律儀にもハーヴェイは、それを求めることで、理論的矛盾や対立を説こうとしています。競争は独占をもたらすことで、結局は自由競争という原理を無効にしているのではないのか、とハーヴェイは問うのですが、新自由主義者は効率の最大化などといって応えます。これも実に怪しいものですが。

さらにハーヴェイが問題にしている市場の失敗とは、環境汚染に典型的なものですが、新自由主義の見地からすれば、市場の外部には責任はないということになり、費用的に処理が困難な問題はすべて外部にはじき出せばいいということになります。

そのうえ、「通常、市場の活動主体はみな同一の情報にアクセスできると想定されている。」(98頁)がこんなことはありえません。そして、「新自由主義理論は技術革新を、新しい製品、新しい組織形態の追及に駆り立てる競争の強制力にゆだねる。……どんな問題にも技術的解決策があるというわけだ。」(99頁)ということも非現実的です。

「最後に、新自由主義の内部には、検討を要する基本的な政治問題がいくつかある。一方における魅力的だが疎外をもたらす所有的個人主義と、他方における有意義な集団生活を求める欲求との間には矛盾が存在している。」(100頁)

これは私が基本的人権に対抗する基本的資本権と述べたこととかかわりがあります。そして、そこでの問題は、一旦基本的人権を覆すような形で基本的資本権が実現されてしまった後では、果たして基本的人権の保障の要求で運動が実現されるかどうかということです。この問題はいかにして基本的資本権が確立して行ったのか、そしてその過程でこれに同意した人々の側の意識はどのようなものであったのだろうか、ということと関係しています。私の考えでは、基本的資本権が確立していくときの大衆的な思想的基盤に、人々の自己神格化があったのではないのかということです。自己神格化された個人には恐らく基本的人権よりは広い権利保障が意識されているでしょう。この広い権利保障は実は現実には叶わないものなのですが。そうであれば、基本的人権に立ち返るというよりは、自己神格化した個人に意識されているより広い権利保障を、個々人のどのような連合を創ることで実現していけるのかということが問題になっているように思います。基本的人権は個人単位の権利保障です。そのようなものが一旦個人の自己神格化によってある意味では乗り越えられてしまった後では、集団単位での権利保障が構想されなければならないのでしょう。これは従来の共同体や自治体や国家というイメージではなく、自己雇用者の連合というものから発想することが必要なのではないでしょうか。

「自由主義のユートピア計画は、結局は権威主義に頼らなければ維持されえない。少数者の自由のために、大衆の自由は制限されるだろう。」(101頁)

これはポランニーに依拠したハーヴェイの新自由主義批判の中心的考え方です。確かにそうなのですが、しかしオルタナティブという点ではハーヴェイは明確ではありません。私のような考え方でうまく行くのか、このことについてはハーヴェイの著書の第7章のところで検討してみることにします。

3)実践における新自由主義国家

ハーヴェイによれば、新自由主義化が進行している国家においては、それらの国家が新自由主義理論の公式教義から系統的に逸脱しています。また、時間と場所による多様性があります。新自由主義化はきわめて強力に進められていますが、そこにはさまざまな矛盾があります。

まず新自由主義化には、階級的に中立な条件も多々ありますが、多くの偏向もあってとりわけ「労働や環境を単なる商品として扱うことからくるこうした偏向」(101頁)は多くの矛盾を含んでいます。また、福祉の市場化への反対意見として「その権利が支払能力によって制限されてはならない」(103頁)という考えがありますが、これを変えてしまうことで、新自由主義化はそれに敵対する人々を増大させることになるでしょう。

さらに従来は投資家が負うべきリスクを、債務者につけることで(105頁)新自由主義はもっと別の種類のリスクを負うことになります。それは社会の不安定化というリスクです。にも拘らず新自由主義化が進むのは次のような金融の支配力にあります。

「金融機関が世界のあらゆるところから剰余を吸い込んでくれるのだから、アメリカのような中心国はこれらの機関を保護し、その味方をしようとするだろう。こうした傾向は、経済の金融化を通じて中心諸国での上層階級の権力をますます強化するし、またその権力強化の表れでもある。」(106頁)

恐らく金融にとっては国民経済という単位は自己増殖にとっては関わりのないものであり、国民経済がどうなろうと人々が飢えようと金融的な方法での利殖は可能ですから、事態は無慈悲に進みます。製造業などの産業資本であれば労働者の労働を不可欠としますから、労働力の再生産を保証するための国民経済の保全という問題意識が上るでしょうが、金融が支配的となって、労賃の国際平準化が起きてくる中で、このような産業資本に本来的な社会保障の整備の問題も切り捨てられていったのです。

フレキシビリティ、というのが流行しましたが、「それによってもたらされるのは一般に賃金の引き下げと雇用の不安定化であり、多くの場合さらに付加給付と雇用保障をも失う羽目になる。」(108頁)のですが、しかし困難はこれを従来型の労働運動では対応できないというところにあります。また福祉についても、「新自由主義にもとづいて福祉に対するあらゆる責任が個々人に再転化されたことは、二重の打撃になった。……総じて個人の不幸はその人の怠慢のせいにされ、ほとんどの場合、被害者の側が責められた。」(108～9頁)のですが、これも伝統的な福祉国家を要求することではどうにもならないのです。

「新自由主義のもとで集団的行動のイニシアティブをとっているのが、(かつての労働組合や左翼政党ではなく)さまざまな権利擁護団体ーー選挙で選ばれたわけではなく、しかもエリートに主導されていることが多いーーであるのも驚くべきことではない。たしかに、消費者保護や公民権、障害者の権利の場合には、こうした方法で実質的な成果が勝ちとられてきた。草の根の非政府組織ーーNGOやGROーーも、新自由主義の下で大きく成長・拡大し、それにつれた、国家機構の外部にあり、かつ『市民社会』と呼ばれる別の社会的単位の内部に存在する対抗勢力を動員することこそが、対抗政治と社会変革の力の源泉だという信念が生じた。新自由主義国家がヘゲモニーを獲得していった時代は、国家権力と対立する社会単位として位置づけられた『市民社会』という概念が対抗政治を形成する中心となっていった時代でもあった。政治社会と市民社会の統一物としての国家というグラムシ的な国家観は、市民社会こそが国家のオルタナティブであるという考え方、あるいは少なくとも国家に対抗する中心だという考え方に道を譲った。」(110～1頁)

このようにハーヴェイは新自由主義化の過程でこれに対抗する運動が、従来の左翼の運動とは異なる形で登場していることを認めています。そしてその特徴が市民社会を国家の下部構造として捉えるのではなくて、むしろそれを国家に対抗する別の社会的単位として位置づけていることに注目しています。これはまさに自己神格化した諸個人の連合という私が構想するモデルの現実性の表現かもしれません。さて、新自由主義化とそれが作り出した国家の実践を点検することでハーヴェイはそれを過渡的で不安定な国家と特徴づけています。「だが新自由主義国家で万事うまくいくわけではない。まさにそれゆえ、この国家は過渡的ないし不安定な政治形態なのである。問題の核心は、新自由主義が掲げている公の目標ーー万人の福利ーーとその実際の結果ーー階級権力の回復ーーとの間の深遠が急速に広がっていることである。しかしその点以外にも、一連のより特殊な諸矛盾が存在していることは強調しておくべきであろう。」(111頁)と述べた後、ハーヴェイは、5点に渡る問題点を摘出しています。その概略は次のようです。

「1.……市民の忠誠心をいかに確保するのかという問題が起こってくる。……
2.市場の論理を貫徹するための権威主義は、個人的自由という理念とは簡単にはあいいれない。……
3.……金融システムを動かしている者たちの儲け本位の無責任な個人主義のせいで、投機による株価や通貨の乱高下、さまざまな金融スキャンダル、慢性的な不安定などが生み出される。……
4.競争こそもっとも立派な美徳であるとされているにもかかわらず、現実には、少数の集権的な多国籍企業の寡占的ないし独占的でトランスナショナルな権力がますます強化されていっている。……
5.一般市民のレベルでは市場の自由に対する信仰がとあらゆるものの商品化が実にやすやすと席巻し、社会のまとまりが崩されていっている。社会的連帯のあらゆる形態が破壊され、さらにはサッチャーが主張したように、社会という考え方そのものさえ解体され、社会秩序にぽっかり大きな穴が開いたまま放置される。……」(112～4頁)

ハーヴェイはこのような新自由主義国家の問題点を支配階級側が点検し総括したものとして、新保守主義の台頭を位置づけています。

4)新保守主義の台頭

ハイエクやフリードマンらの新自由主義に対して、90年代から登場してきたネオコン(新保守主義)についてハーヴェイは次のように特徴づけています。

「新保守主義は、純粋な新自由主義の諸原則からは逸脱しており、二つの根本的な点で新自由主義の行動様式に変更を加えた。まず第一に、個人的利益のカオスに対する回答として秩序を重視していること、第二に、内外の危険性に直面した場合に国家を安全に保つ上で必要な社会的紐帯として、道徳を重視したことである。」(116頁)

このようなハーヴェイの分析は、「新保守主義は、個人的利益のカオスに対する対抗物として軍事化の必要性を強調する。」(116頁)という現実に即しています。そしてその道徳的価値については次のように述べています。

「新保守主義者にとって今や中心的なものとなっている道徳的価値観は、1970年代に形成された独特の連合の産物としてみると最もよく理解できるだろう。すなわち一方では階級権力の回復を企図しているエリート階級とビジネス界、他方では新保守主義派の選挙基盤である不満を抱いた白人労働者階級という『道徳的多数派』、この両者の連合である。その道徳的価値観の中心となっているのは、文化的ナショナリズム、道徳的正しさ、キリスト教の信仰(ただし福音派のそれ)、家族の価値、胎児の生命権などであり、さらには新しい社会運動ーーフェミニズム、同性愛者の権利、積極的差別是正措置、環境主義ーーへの反感である。」(118～9頁)

これはアメリカの現状についての分析ですが、ブッシュの戦争への批判が高まっている今は少し変化が見えています。とはいえ、「新自由主義国家が存続するには、ある種のナショナリズムが必要なのである。」(119～20頁)と見るハーヴェイは、「新自由主義がある種のナショナリズムと戯れる危険性はあるのだが、獰猛な新保守主義がナショナルな道徳的目標を抱き込むことの方がはるかに危険である。」(121頁)と述べています。そして、新保守主義に対して次のように述べています。

「壊滅的な結果を避けるためには、新自由主義の諸矛盾に対する新保守主義的回答を拒否しなければならない。しかしながら、そのためには、何らかのオルタナティブが存在していなければならない。」(121頁)

このオルタナティブについてはこの本の後半で解明されています。

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Author: ebara Published: 2007/12/26 Read 6982 times

ハーヴェイ著『新自由主義』を読む(上)

はじめに

第一章 新自由主義についての概論