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ハヌノェむ著『新自由䞻矩』を読む䞊


ハヌノェむ著『新自由䞻矩』を読む(侊)

はじめに

ハヌノェむは1935幎生たれでケンブリッゞ倧孊で地理孊を孊び、34歳のずきに『地理孊における説明』(邊蚳『地理孊基瀎論』、叀今曞院)を曞き䞊げたした。そのあず1970幎にアメリカのゞョン・ポプキンス倧孊に移り、そこでマルクス䞻矩ず出䌚っお、71幎から『資本論』、぀いで『経枈孊批刀芁綱』の研究を始めおいたす。30代埌半から『資本論』を読み始めたのですね。

資本論研究の成果は『資本の限界』(1982幎、邊蚳『空間線成の経枈理論』、倧明堂)ず『資本の郜垂化』(1985幎、邊蚳『郜垂の資本論』、青朚曞店)に纏められおいたす。『新自由䞻矩』で展開されおいる理論を念頭においお、これらの著䜜を読み盎しおみるず、その理論の萌芜は既にこの資本論研究の䞭に芋るこずが出来たす。

『ポストモダニティの条件』(1990幎、邊蚳、青朚曞店)ではレギュラシオン孊掟の理論を借甚し぀぀、フォヌディズムからフレキシブルな蓄積ぞずいう芳点で、1973幎以降の資本䞻矩の特城づけを詊みおいたすが、しかしレギュラシオン孊掟ぞの批刀も述べおいお、それは埌に『ニュヌ・むンペリアリズム』(2003幎、邊蚳、青朚曞店)で「略奪による蓄積」ずいう理論に纏め䞊げられたす。この理論ず、『資本の限界』で匷調されおいる「枛䟡」及び「時間による空間の絶滅」ずいう二぀の芳点が『新自由䞻矩』で党面的な珟状分析に生かされおいるのです。

第䞀章 新自由䞻矩に぀いおの抂論

1)新自由䞻矩ずは䜕か

 ハヌノェむの著曞の優れたずころは、第䞀に、新自由䞻矩のむデオロギヌが人々に合意を取り付けたこずを認め、その原因を探ろうずしおいるこずです。第二はずっず埌で出おきたすが、新自由䞻矩を、ブルゞョアゞヌによる自身の暩力の匷化を図るずいう意志を持っお導入されたもの、ずいう芳点から分析しおいるこずです。たず第䞀の問題から玹介しおいきたしょう。

ハヌノェむは新自由䞻矩に぀いお、1947幎のハむ゚クによるモンペルラン協䌚の蚭立にたで遡っおいたすが、そのずき以来の䞻匵が、人間の尊厳や個人的自由ずいうものでしたが、このような抂念装眮を掲げたこずに新自由䞻矩の成功の原因を芋おいたす。

「䜕らかの思考様匏が支配的になるためには、われわれの䜏んでいるこの瀟䌚の䞭で実珟可胜性があるず思わせるだけでなく、われわれの盎芳や本胜、䟡倀芳や欲求に匷く蚎えるような抂念装眮が呈瀺されなければならない。それに成功すれば、この抂念装眮は垞識の䞭に深く埋め蟌たれ、自明で疑いのないものになる。新自由䞻矩思想の創始者たちは、人間の尊厳や個人的自由ずいう政治理念を根本的なもの、『文明の䞭栞的䟡倀』であるずした。これは賢明な遞択だった。ずいうのもそれは実際に抗いがたい魅力を持った理念だからである。」(『新自由䞻矩』、䜜品瀟、16頁)

ハヌノェむは、䞀方では「人間の尊厳や個人的自由の抂念はそれ自䜓匷力で人々に蚎える力がある。」(16頁)ず認めながらも、しかし、この理念ず新自由䞻矩の実態ずの間には矛盟があるこずを明らかにするこずが本曞の䞀぀のモチヌフです。もちろんハヌノェむのこの䜜業は非垞に実蚌的なもので、倧いに意矩あるものですが、しかし、むデオロギヌの支配に぀いおの分析をする堎合に、そのむデオロギヌがどのように生産されるかずいう問題もありたす。この問題に぀いおの考察が欠けおいるように思われたすが、しかしそれは今埌の課題でしょう。私は以前に珟代人の自己神栌化に぀いお述べたこずがありたすが、このこずず新自由䞻矩のむデオロギヌの生産ずは倧いに関係しおいるず思いたす。

さお、ハヌノェむは新自由䞻矩の実態に぀いお端的に、むラクの連合囜暫定圓局代衚ポヌル・ブレマヌの四぀の呜什を玹介しおいたす。

「公共䌁業䜓の党面的民営化、むラク産業を倖囜䌁業が党面的に所有する暩利、倖囜䌁業の利最の本囜送金を党面的に保護するこず  、むラクの銀行を倖囜の管理䞋に眮くこず、内囜民埅遇を倖囜䌁業に開攟するこず  、ほずんどすべおの貿易障壁の撀廃」(17頁)

石油だけは䟋倖ずされ、他方劎働垂堎は統制されお、ストラむキの犁止、団結暩の制限、がなされおいたす。そしお金持ちを優遇する逆進的な均等皎。これでは人間の尊厳や個人的自由はかけらもないこずになっおしたいたす。このむラク占領政策に兞型的な新自由䞻矩化を目ざした瀟䌚改革は、ハヌノェむによれば1970幎代にたで遡れたす。

新自由䞻矩囜家を圢成しようずする最初の実隓は、1973幎のチリのピノチェトのクヌデタヌの埌でしたが、これは倱敗したした。1982幎のラテンアメリカ債務危機埌にはチリの倱敗を螏たえおよりプラグマチィックなものになり、これがサッチャヌずレヌガンの新自由䞻矩ぞの転換の有益な先䟋になったずいうように、ハヌノェむは歎史的経過の敎理をしおいたす。

さらにチリなどのラテンアメリカ諞囜はアメリカが新自由䞻矩化の掚進圹ですが、ハヌノェむは新自由䞻矩化をそれに留めず、サッチャヌ(1979幎)や障小平の䞭囜(1978幎)やむンド(1980幎代)やスりェヌデン(1990幎代)をも新自由䞻矩化の担い手ず捉えおいお、これらの諞囜にアメリカが新自由䞻矩を匷制したずは考えられないず述べおいたす。そしお問題を次のように提起しおいたす。

「䞖界レベルの新自由䞻矩の地理的䞍均等発展は、明らかに倚様な決定芁因ず少なからぬカオスず混乱をずもなう非垞に耇雑なプロセスであった。ではなぜ新自由䞻矩ぞの転換は起こったのだろうかそしおそれをグロヌバル資本䞻矩の内郚で支配的なものにした力は䜕だったのか」(21頁)

䞭囜やむンドも含めお新自由䞻矩ぞの転換を説くずいう芖点には正盎驚きたしたし、又少しこじ぀けもあるようですが、しかし問題提起ずしおは非垞に面癜いず思いたす。そしおこのような芳点からは戊埌に圢成された䞖界システムの総括が可胜ずなるでしょう。

2)新自由䞻矩ぞの転換はなぜ起こったのか

実際にハヌノェむは第二次倧戊埌の䞖界から論を起こしおいたす。圓時の囜家䜓制や囜際関係の再線で意図されおいたのは、1929幎の䞖界恐慌ずそれ以降の資本䞻矩の危機の再来を防ぐず共に、䞖界戊争の再発を防ぐこずも䌁図され、劎䜿間での階玚劥協の構築がなされたした。そのずきに成立した囜際関係に぀いおの抂芁をハヌノェむは次のように纏めおいたす。

「囜際的には、新しい䞖界秩序は、ブレトンりッズ協定を通じお構築され、囜際連合、䞖界銀行、IMF、スむスのバヌれルにある囜際決枈銀行(BIS)ずいったさたざたな機関が、囜際関係の安定に寄䞎するために暹立された。商品の自由貿易は、固定䟡栌で米ドルず金ずを兌換するこずによっお維持された固定盞堎制のもずで掚進された。固定盞堎制は自由な資本移動ずは䞡立しない。それは本来、統制を必芁ずする。だがドルが囜際準備通貚ずしお機胜するかぎりアメリカはドルが囜境を越えお自由に移動するこずを容認した。このシステムはアメリカの軍事力の傘のもずにあった。゜ノィ゚ト連邊ず冷戊だけがこのシステムのグロヌバルな展開に限定を課した。」(22頁)

このような囜際関係を前提にしお成立した戊埌の各囜の囜家の共通点に぀いおは次のように述べられおいたす。

「囜家は完党雇甚、経枈成長、垂民の犏祉を重芖しなければならないこず、囜家暩力はこれらの目的を達成するために、垂堎プロセスず歩調を合わせお自由に動員されなければならないずいうこずである。通垞『ケむンズ䞻矩的』ず呌ばれる財政金融政策が、景気埪環を抑制し、䞀定の完党雇甚を確保するために広く適甚された。劎䜿間の『階玚劥協』は、囜内の平和ず平穏を保蚌する鍵になるものずしお䞀般に支持された。囜家は積極的に産業政策に関䞎し、さたざたな犏祉制床(医療や教育など)を構築するこずによっお瀟䌚的賃金の基準を蚭定した。」(22頁)

このような蚘述は恐らく西ペヌロッパをモデルずしたもので、アメリカや日本の堎合は少し違っおはいたすが、おおむね劥圓でしょう。ハヌノェむはこれを「埋め蟌たれた自由䞻矩」ず特城づけおいたす。

この「埋め蟌たれた自由䞻矩」は50幎代から60幎代の間に先進資本䞻矩諞囜における高い経枈成長率を実珟したしたが、これは実はアメリカによる資本の散垃によるもので、やがお行き詰たっお、過枡期ずしおの1970幎代が蚪れたす。1960幎代末から1970幎代いっぱいたで続いた「スタグフレヌション」(経枈が䞍況で䜎成長にも拘らずむンフレが起こる)によっお皎収の萜ち蟌みず瀟䌚的支出の増倧が芋られ、各囜で財政危機が起きおいたす。ケむンズ政策の行き詰たりが起きおきたした。

他方囜際的には、1971幎8月15日、ニク゜ン倧統領がドルず金ずの亀換の停止を発衚し、ペヌロッパのすべおの倖囜為替垂堎が閉鎖され、䞀週間埌に再開されたずきにはペヌロッパの䞻芁通貚はいっせいにフロヌト制に移行したした。固定盞堎制を管理しおきたIMF䜓制に混乱が起きたのです。1971幎12月にスミ゜ニアン䜓制が成立しお、盞堎の倉動幅を芏制しようずしたしたが、これも1幎䜙りしかもたず、最終的には76幎のキングストン合意で、珟行の倉動盞堎制ぞの移行が確認されたした(小束 聡『䞖界経枈の構造』、䞖界曞院、208頁)。぀たりニク゜ンショックから数幎の詊行錯誀の埌、倉動盞堎制ずなり、倖囜為替垂堎が自由垂堎ずなったのです。

次にハヌノェむはこの箇所では觊れおいたせんが、囜際通貚䜓制の混乱期の1973幎に、石油茞出囜機構(OPEC)が原油の倧幅倀䞊げに螏み切ったこずも䞖界経枈に倧きい圱響を䞎えたした。欧米の石油資本から剰䜙を取り戻したアラブ諞囜は、のちにオむルマネヌを囜際金融垂堎に登堎させたす。その意味に぀いおはハヌノェむは埌で觊れおいたす。

こうした囜際経枈の混乱の䞭で、19756幎に財政危機に盎面したむギリスはIMFの救枈を受けたすが、ハヌノェむはこれを過枡期ずしお捉えお、そこからの脱出の二぀の道に぀いお考察しおいたす。

「䞀぀の回答は、コヌポラティズム戊略を通じお経枈の囜家によるコントロヌルず芏制を培底させるこずだった。この察案を掚進したのがペヌロッパの瀟䌚民䞻䞻矩党ず共産党であり  ポルトガル、フランス、スペむン、むギリスで政暩獲埗、スカンゞナビア諞囜で維持。」(24頁)

日本の堎合は70幎代初頭に革新自治䜓が誕生したしたが、しかしそれは䞭倮政府にたでは波及せず、たた、94幎に成立した村山瀟䌚党党銖銖班の連立内閣も、䞭倮官庁䞻導の䌝統的政治を厩せなかったばかりか、かえっお瀟䌚党を解䜓しおいく結果ずなりたした。

「だが巊翌は、䌝統的な瀟䌚民䞻䞻矩的・コヌポラティズム的解決策を十分越えお先に進むこずができなかった。そしお1970幎代半ばには、これらの解決策が資本蓄積の芁求ずあいいれないこずが明らかになった。」(25頁)

このハヌノェむの問題提起は貎重なものですが、しかしハヌノェむ自身はなぜそのようになったのかに぀いおの考察がありたせん。ここではやはり゜連がなぜ厩壊したかに぀いおの総括が迫られおおり、しかし巊翌はこれに答えられおいないずいうこずを指摘しおおく必芁があるでしょう。

誰かが蚀っおいるように、戊埌の冷戊䜓制では、゜連の存圚自身が、先進資本䞻矩囜の劎働運動にずっおはある皮の支えずなっおいお、ブルゞョアゞヌのやりたい攟題を芏制しお来た、ずいう経過がありたす。゜連が厩壊し、この支えがなくなったこずで、やりたい攟題が可胜になった、ずいうこずですが、しかし新自由䞻矩の登堎は、冷戊䜓制末期のこずでした。この時点で巊翌は゜連モデルではない瀟䌚䞻矩の展望を瀺すべきだったのでしょうが、そしおそれは瀟䌚的経枈や、連垯経枈ずいった圢で远求されはしおきたしたが、しかしこのような新しい瀟䌚運動も結局は゜連モデルの党面的吊定の䞊に打ち出されたものではありたせんでした。

ケむンズ䞻矩が行き詰たり、かずいっお瀟䌚民䞻䞻矩も政策がない䞭で、ハヌノェむは「新自由䞻矩が、いかにしおなぜ、この問題ぞの唯䞀の回答ずしお勝利したのか」(25頁)ずいうこずを問題の栞心ず捉え、その解明の必芁性を蚎えおいたす。そしお、80幎代たでは、新自由䞻矩は䜙り明確な茪郭を持ったものではありたせんでしたが、1990幎代になっおワシントンコンセンサスが新しい正圓性を獲埗し、これ以降は政暩担圓者自らが新自由䞻矩者ず名乗るようになりたす。

このように抂略的に述べた埌、ハヌノェむは、これたで展開しおきたこずに぀いおの総括を行っおいたすが、それは最初にあげた第二の点、ブルゞョアゞヌの政治的経枈的暩力の匷化ずいう問題意識からのものです。

戊埌の劥協的䜓制のなかで、1970幎代には「支配゚リヌトず支配階玚の地䜍ぞの経枈的脅迫がいたや肌で感じられるようになり぀぀あった。」(26頁)ずハヌノェむは述べおいたす。その蚌拠に䞊げおいる衚によれば、アメリカにおける人口䞊䜍1%が保有する資産の割合は、1970幎代になるず60幎代の30台から20台ぞず10ポむントの萜ち蟌みが芋られるのです。

「このように新自由䞻矩は、囜際資本䞻矩を再線するずいう理論的䌁図を実珟するためのナヌトピア的プロゞェクトずしお解釈するこずもできるし、あるいは、資本蓄積のための条件を再構築し経枈゚リヌトの暩力を回埩するための政治的プロゞェクトずしお解釈するこずもできる。以䞋で私は、二番目の目暙が珟実面では優䜍を占めおきたこずを論じおいく。新自由䞻矩化は、グロヌバルな資本蓄積を再掻性化させる䞊ではあたり有効ではなかったが、経枈゚リヌトの暩力を回埩させたり、堎合によっおは(ロシアや䞭囜)それを新たに創出したりする䞊では、目を芋匵るような成功を収めた。新自由䞻矩的議論に芋られる理論的ナヌトピアニズムは䞻ずしお、この目暙を達成するために必芁なあらゆるこずを正圓化し暩嚁づける䞀倧䜓系ずしお機胜しおきたずいうのが私の結論である。」(32頁)

ハヌノェむはここで明確に、新自由䞻矩化が経枈゚リヌトの暩力回埩にすごく圹立ったずいう芳点に立っおいたす。そしお䞖界経枈の成長や、䞖界垂民の犏祉ずいった芳点からは、停滞か埌退が芋られるこずを埌で実蚌しおいきたす。その際にハヌノェむがよっお立぀論拠は次のようなものです。

「新自由䞻矩的思想の力ず新自由䞻矩化の珟実の実践ヌヌそれは、この30幎間にわたっおグロヌバル資本䞻矩のあり方を倉革したヌヌずの間にある創造的な緊匵関係に焊点を圓おたいのだ。」(32頁)

新自由䞻矩化の珟実を誰もが受け入れおしたったずいうその思想の力ず、しかしその珟実の政策が匕き起こしおしたった諞問題ずの間には緊匵関係があるずいうこずず、この緊匵関係に焊点を圓おる、これが以降のハヌノェむの分析の芖点です。そこで次には新自由䞻矩の思想がいかにしお支配的になっおいったかに぀いおの歎史的回顧から始めおいたす。

3)新自由䞻矩理論の台頭

ハヌノェむは新自由䞻矩の思想の発端を1947幎のハむ゚クらによるモンペルラン協䌚の創蚭に求めおいたす。この協䌚にはミヌれス、フリヌドマン、が垞連で、ポパヌも䞀時いたのです。マヌシャル、ゞェボンズ、ワルラスらの新叀兞掟経枈孊の自由垂堎原理を信奉し、ケむンズ䞻矩に察立した論陣を匵りたした。

1970幎代に入るずアメリカやむギリスでにわかに瀟䌚的泚目を集めるようになりたす。豊かな財源を持぀シンクタンク(ロンドンの経枈問題研究所やワシントンのヘリテヌゞ財団など)の掻動や、フリヌドマンのシカゎ倧孊などが思想的論陣の栞になったのです。

1974幎ハむ゚クが、そしお1976幎にはフリヌドマンがノヌベル賞を受賞しおいたす。このノヌベル経枈賞ずいうものは、他の賞ずは違っお、スェヌデンの銀行関係の組織が䞎えるもので、政治的配慮が匷いものです。

1979幎のアメリカずむギリスでは「新自由䞻矩が、先進資本䞻矩䞖界の囜家レベルの公的政策を芏制する新しい経枈的正圓原理ずしお根本的な確立を芋る」(36頁)こずになり、1979幎5月むギリスでサッチャヌが銖盞になりたした。サッチャヌは、ケむンズ政策の攟棄、スタグフレヌションに察するためのサプラむサむド的解決を掚し進め、犏祉囜家政策の解䜓、民営化を図っお、これに抵抗する劎働組合の力をそぎ、瀟䌚的連垯ぞの攻撃を匷めたした。

他方アメリカでは、1979幎10月カヌタヌ政暩の䞋でボルカヌが金融政策の劇的な倉曎を実行し、むンフレの抑制を目ざす政策ぞ転換したす。ただマネタリズムは劎働組合の容認や犏祉囜家を目指す西ドむツでもなされおいたので新自由䞻矩の専売特蚱ずいうわけではありたせん。

1980幎レヌガンが倧統領になり、劎働条件の悪化に抗議する党米航空管制組合のストラむキを1981幎に屈服させたした。以降実質賃金は長期的に䜎萜を始め、芏制緩和、生産の海倖移転ず産業空掞化、法人皎の枛皎、ずいった政策を打ち出したす。「こうしお、瀟䌚的䞍平等の拡倧に向けた画期的な転換が始たり、䞊局階玚の経枈暩力が回埩しはじめた。」(40頁)のです。

73幎の石油ショック、これは買い手にずっおのショックで、売り手は剰䜙資金を埗たした。これが産油囜によっおニュヌペヌクの投資銀行に預けられ、投資銀行がこれを䞖界䞭に貞し出すこずで、オむルマネヌの還流ず䞖界埪環が始たりたす。アメリカの海倖投資の䞭心が盎接投資から間接投資ぞず移り、この頃からお金にお金を生たせるずいうこずが珟実味を垯びおきたのでしょう。ずはいえやはり詊行錯誀の連続でした。

発展途䞊囜ぞの貞付がドル建おのために、アメリカの金利䞊昇で債務囜は債務危機に陥りたした。アメリカの投資銀行がリスクを負わねばなりたせん。しかしハヌノェむによれば新自由䞻矩はこの金融危機を逆手に取りたす。19824幎のメキシコ債務危機の時には、返枈繰り延べの芋返りに新自由䞻矩的改革の実斜を芁求したした。この頃には新自由䞻矩の政策はIMFにも及んでいおIMFが新自由䞻矩的改革を抌し぀ける圹割を果たすようになりたす。こうしお新自由䞻矩は、本来貞し手のリスクであり、その損倱であるべき䞍良債暩の回収方法を線み出したした。債務危機に察しお、貞し手はリスクを負うこずなく、借り手の囜家の䜏民から搟り取る方法を可胜ずするようになったのです。これが問題のポむントであるように思いたす。ハヌノェむの鋭いずころは、債務危機に぀いおこのように総括したずころにあるのです。アメリカの金融機関にずっお、間接金融での貞し倒れはなくなったのです。

4)新自由䞻矩化ず階玚暩力

新自由䞻矩化が、䜎萜し぀぀あった支配階玚の巻き返しであり、その経枈暩力を匷めるためのものであったずしたら、「新自由䞻矩化は階玚の定矩を䞍可避ずした。」(45頁)ずいうこずになりたす。実際に「䞊局階玚の経枈暩力の䞭心郚に倧きな倉化が起こった。新自由䞻矩化は階玚暩力を回埩したかもしれないが、必ずしも同じ人々の経枈暩力の回埩を意味したわけではなかった。」(46頁)のです。では支配階玚の内郚でどのようなこずが起きたのか、ずいうこずに぀いおハヌノェむは次のように述べおいたす。

「第䞀に、資本䞻矩䌁業における所有ず経営ずいう二぀の特暩ヌヌ埓来は分離されおいたヌヌが、CEO(最高経営責任者)ぞの支払いに自瀟株賌入暩(ストックオプション)があおられるこずで融合した。生産高よりも株䟡が経枈掻動の指暙になった。そしおここから、のちに゚ンロンのような倧䌁業の砎綻で露呈した途方もない投機熱が生たれた。第二の傟向は、䞀方における、配圓や利子を獲埗しようずする貚幣資本ず、他方における、利最を獲埗しようずする生産資本・補造業資本・商業資本ヌヌこの䞡者の間にあった歎史的距離が栌段に瞮たったこずである。  倧䌁業がたすたす金融取匕に粟を出すようになり、自動車産業のように、生産掻動に埓事しおいた堎合でさえもそうなっおいったからである。1980幎あたりから、䌁業が生産で出した赀字を金融操䜜(貞付や保険業ずいった通垞のものから、乱高䞋する通貚や先物垂堎ぞの投機にいたるたでのあらゆる金融取匕)で埗られた収益で穎埋めするこずも珍しくなくなった。異なった産業郚門をたたぐ合䜵がなされ、生産、商取匕き、䞍動産、金融を新しい圢で結合し、さたざたな異なった産業郚門を包括したコングロマリットが぀くり出された。」(47頁)

ハヌノェむは珟圚の金融が支配する資本䞻矩に぀いお、どちらかずいえばヒルファヌディングの銀行ず産業ずの癒着による金融資本の成立ずいう埓来の芖点から、今日の珟状を芋おいるようです。たしかに所有ず経営の融合や、れネラルモヌタヌズのような生産䌁業が金融郚門ぞも乗り出すずいったこずがありたすが、しかしこのような個別事䟋を可胜ずするような党般的な金融の䞖界の倉化が抌さえられおはいないず思われたす。やはり金融取匕が膚倧に増加し、それが䞀般商品の取匕額をはるかに䞊回るような芏暡になったこずで、商品生産ずしおの資本䞻矩が、金融取匕ずいう新たな商品取匕に埓属させられおしたっおいるずいう事態を解明しおいく必芁があるように思いたす。私が䞀般商品ず金融商品ずを区別し、金融商品を信甚商品ず名づけおその特城を明らかにするずころから問題を解明しようずしおいたす。そうするこずで、今日の金融資本が、埓来のそれずは異なる蓄積様匏を持った信甚資本䞻矩ず名づける他はないようなものぞず段階的に発展しおいるずいうこずが明らかずなりたす。実際にハヌノェむもこのこずが分かっおいお、次のように述べおいたす。

「これらすべおが結び぀いお、金融䞖界の掻動力や暩力の爆発的発展をもたらした。これたで行動範囲が限られおいた金融行動は、芏制による束瞛や障壁からたすたす自由になるこずでかっおない繁栄を遂げ、぀いにはあらゆるずころに広がった。金融サヌビスにむノベヌションの波が抌し寄せ、はるかに掗緎されたグロヌバルネットワヌクが広がっただけでなく、蚌刞化、デリバティブ、あらゆる圢態の先物取匕にもずづいた新皮の金融垂堎が圢成された。芁するに、新自由䞻矩化が意味したのはあらゆるものの金融化だった。」(478頁)

補造業が、金融の郚門にたで進出しなければならなかったのも、このような新自由䞻矩化の䞋でのあらゆるものの金融化のなせる業でしょう。それは産業ず金融ずの癒着ずいっお枈たせられるものではなく、むしろ金融が産業を支配する時代の到来です。ハヌノェむも次のように述べおいたす。

「疑いもなく生産から金融の䞖界ぞの暩力移動が生じた。生産胜力の増倧はもはや必ずしも䞀人圓たりの収入の䞊昇を意味するこずはなかったが、その䞀方で金融サヌビスぞの資本の集䞭は収入を確実に䞊昇させた。」(48頁)

垝囜䞻矩段階ず名づけられた時期もせいぜい50幎でした。ハヌノェむが指暙に挙げおいる1971幎の金ドル亀換停止からもう35幎あたりの時がたっおいたす。新自由䞻矩が勝利した資本䞻矩のある局面を金融が生産を支配した信甚資本䞻矩ず段階芏定し、そこにおける人間像を、自己神栌化した個人ず捉えるこずで、新自由䞻矩の思想がなぜ倧衆を捉えたかずいうこずの解明も進むず思われたす。ずたれこの信甚資本䞻矩はそんなに長期に続くものではないようです。これは明らかに䜕かぞの過枡期でしょうが、レヌニンが望んだような瀟䌚䞻矩ぞの過枡期ではないこずは明らかです。ではこの新自由䞻矩によっお新たに䜜り出された階玚ずはどのようなものでしょうか。

「したがっお、新自由䞻矩のもずで台頭し぀぀ある階玚暩力の実質的な䞭栞郚分の䞀郚を構成しおいるのは、CEO、䌚瀟の重圹、そしお資本が掻動するこの聖地をずりたく金融、法埋、技術郚門のリヌダヌたちである。」(48頁)

このような階玚が果たしお瀟䌚の担い手ずしお公益を代衚し埗るでしょうか。そしおそのようなこずが出来なければ、新たな階玚の没萜は䞍可避です。実際に圌らが䜜り出した瀟䌚はどんな瀟䌚でしょうか。ハヌノェむは囜連報告から、1996幎䞖界の金持ち䞊䜍358人が䞖界人口の貧困局䞋䜍45%(23億人)の総収入ず同じであるずか、䞖界の金持ち䞊䜍200人の玔資産は、1998幎たでの4幎間で倍以䞊に膚れ䞊がり、1兆ドル以䞊ずなった、ずいったこずを匕甚しおいたす。たた䞊䜍䞉名の資産は最貧囜の6億人の囜民総生産の合蚈額を䞊回ったのです。新しい階玚に属する人間集団は階玚ずしお陰謀を䌁おおいるわけではないが、新自由䞻矩化から生じる利点を認識しおいるずハヌノェむは述べおいたす。その意芋亀換の堎が䟋えばダボスの䞖界経枈フォヌラムです。この堎では早くも新自由䞻矩の行き過ぎが意識されおいるようです。

5)自由の展望

新自由䞻矩ぞの察抗軞に぀いおハヌノェむはポランニヌに䟝拠しおいたす。ポランニヌは自由に぀いお二皮類に分けたした。䞀぀はよいものでもう䞀぀は悪いものです。埌者に぀いおポランニヌは「仲間を食い物にする自由、コミュニティにふさわしい貢献をしないで法倖な利益を埗る自由、技術的発明を公共の利益に䟛しない自由、私益のためにひそかに画策された公的な惚事から利益を埗る自由」(52頁)を挙げ、前者に぀いおは「こうした自由を繁栄させた垂堎経枈は、われわれが倧いに重んじる自由をも぀くりだした。良心の自由、蚀論の自由、集䌚の自由、結瀟の自由、職業遞択の自由がそうだ」(52頁)ず述べおいたす。そしおこの二぀の偎面は垂堎経枈には避けられないものですから、ポランニヌは垂堎経枈消滅埌の自由に぀いお考察し、察抗軞をここに芋出しおいたす。

ポランニヌが問題提起をした頃は、垂堎経枈の廃止に぀いおは蚈画経枈が念頭におかれおいお,これに察しおはハむ゚クらから、蚈画化は自由の吊定だずいう論陣が匵られおいたした。そしおポランニヌは、ハむ゚クらに察しおは、自由䞻矩的ナヌトピアを実珟するには、力の行䜿、暎力、暩嚁䞻矩に頌らなければならないず切り返しおいたした。そしおハヌノェむは今日の新自由䞻矩化がこのポランニヌの芋通しを実珟しおしたったず考えおいたす。それにしおも、アメリカには金持ちだけのゲットヌが5䞇以䞊あり、玄2千䞇人が暮らしおいるずいわれおいたす。この人たちは確かにナヌトピアを実珟したのかもしれたせん。しかし、「残りのものたちはどうしおこのような状況にかくもやすやすず黙埓しおきたのか」(55頁)ずいうこずがハヌノェむの疑問で、これに぀いお次に解き明かしおいきたす。

第二章 同意の圢成

1)新自由䞻矩の浞透過皋

新自由䞻矩ぞの同意がいかにしおなされおいったか、ずいうテヌマに぀いおハヌノェむはたずむデオロギヌの浞透過皋に぀いお考察しおいたす。

「新自由䞻矩ぞの転換を正圓化しうるのに十分な民衆的合意はどのようにしお生みだされたのだろうかこれにいたる回路は倚様だった。䌁業やメディアを通じお、たた垂民瀟䌚を構成する無数の諞機関(倧孊、孊校、教䌚、職業団䜓)を通じお、圱響力ある匷力なむデオロギヌが流垃された。」(61頁)

䌁業が応揎する䞀郚のシンクタンクから出発し、䞀郚のメディアを獲埗し、知識人の倚くを新自由䞻矩的な思考様匏に転向させお、新自由䞻矩を支持する䞖論の気運を䜜り出し、諞政党を捉え、遂には囜家暩力を獲埗するこずによっお、新自由䞻矩は匷固なものずなっおいったのです。この詊みの内実は、少数の゚リヌトの経枈的暩力を回埩させるずいうものでしたが、「個人的自由の倧儀を前進させるための蚈画的な詊みずいう装い」(61頁)をずるこずに成功し、倧衆的基盀を獲埗しえたのでした。そしお䞀旊囜家暩力を握るこずが出来れば、その暩力を甚いお、説埗や取り蟌み、買収や脅迫を行い、䞀旊圢成された同意を維持しおいくこずが出来たす。サッチャヌやレヌガンがその圹割を果たしたした。

しかしハヌノェむが泚目するのはそれだけではありたせん。「個人的自由を神聖芖する政治運動はいずれも、新自由䞻矩の囲いに取り蟌たれやすい」(62頁)こずにも觊れおいたす。

「個人の自由を根源的なものずしお重芖する新自由䞻矩のレトリックは、囜家暩力の獲埗による瀟䌚的公正を远求する瀟䌚勢力の隊列の䞭から、リバタリアニズム、アむデンティティ・ポリティクス、倚文化䞻矩、さらにはナルシスト的な消費䞻矩を分裂させる力を持぀。」(63頁)

ここでハヌノェむが述べおいる、囜家暩力の獲埗による瀟䌚的公正を远及する瀟䌚勢力ずは、゜連型の瀟䌚䞻矩に止たらず、ペヌロッパの瀟䌚民䞻䞻矩、アメリカのラゞカル民䞻䞻矩も含たれおいたすが、その勢力が新自由䞻矩によっお分断されおいったずいうこずが実は問題なのです。これら巊翌の運動は、個人的自由ず瀟䌚的公正を䟵害する共通の敵を芋出すこずが出来、ノェトナム反戊運動のように、それずの闘いずいう共通の倧儀を䜜り䞊げるこずで倧衆的支持基盀を維持するこずが出来おきたしたが、しかし巊翌の運動がもっおいた、倉革の察象ずしおの囜家、資本䞻矩的䌁業、垂堎システム、ずいう察峙関係を、個人的自由の理想から囜家の介入䞻矩批刀や芏制緩和の䞻匵によっお、旧来の察峙関係ずは別のそれを新たに䜜り盎すこずが新自由䞻矩のむデオロギヌ的圹割だったずハヌノェむは芋おいたす。

「新自由䞻矩化にずっお政治的にも経枈的にも必芁だったのは、差異化された消費䞻矩ず個人的リバタリアニズムの新自由䞻矩的ポピュリズム文化を垂堎ベヌスで構築するこずであった。このこずはたさに、新自由䞻矩が、長幎舞台の袖に朜んでいお今日たさに文化の領域でも知の領域でも支配的朮流ずしお党面開花しおいる『ポストモダニズム』ず呌ばれる文化的掚進力ず少なからぬ芪和性があるこずをはっきりず瀺しおいる。」(64頁)

ここでハヌノェむが述べおいる新自由䞻矩的ポピュリズム文化ずは私からすれば、垂堎システムが生掻のあらゆる領域にたで浞透するこずによっお圢成される珟代人の自己神栌化を土台にしおいたす。だからこの自己神栌化からぬけ出す道筋を瀺すこずが必芁だず思いたす。しかしハヌノェむは、この問題をむデオロギヌ問題ずしおしか捉えおいないようです。

「巊翌運動は個人的自由を远求するこずず瀟䌚的公正を远求するこずずの間にある内圚的な緊匵関係を認識するこずも、それに取り組むこずも、たしおやそれを克服するこずもできなかった。」(64頁)

巊翌の欠陥は、ハヌノェむが䞻匵する内圚的な緊匵関係の認識ずいった、むデオロギヌ䞊の問題ずいうよりは、個人の自己神栌化ずいうこれたでなかった事態が䞀般化したこず、この珟実を把握し埗なかったこずの方が問題でしょう。

2)アメリカにおける同意圢成

新自由䞻矩むデオロギヌが倧衆的な同意を圢成しおしたったこずに察しお、巊翌が察応できなかったこずに぀いお抂括した䞊でさらにハヌノェむはアメリカずむギリスにおける同意圢成のケヌスを取り䞊げおいたす。たずアメリカでは、1971幎ルむス・パり゚ルが党米商工䌚議所に送った曞簡から始めおいたす。その内容は、自由䌁業䜓制ぞの批刀ず敵察が匷すぎるずし、これに察抗する必芁性を説いたものでした。その埌党米商工䌚議所が傘䞋団䜓を6䞇瀟(72幎)から25䞇瀟(82幎)ぞ拡倧したしたが、その過皋で、1972幎からロビヌ掻動ず調査研究を行うための莫倧なキャンペヌン資金を集めおいたす。たた同幎には、CEOたちの集たりである「ビゞネス・ラりンドテヌブル(BRT)」が蚭立され、その共同行動によっお、䌁業の支揎の䞋、ヘリテヌゞ財団、フヌバヌ研究所、米囜ビゞネス研究センタヌ(CSAB)、アメリカン・゚ンタヌプラむズ研究所(AEI)ずいったシンクタンクが蚭立されたした。さらに党米経枈研究所(NBER)の堎合は新自由䞻矩政策を支えるための本栌的な技術的・実蚌的研究や政治哲孊的な理論を䜜り䞊げるためのものでした。たさに「ビゞネス界は䞀個の階玚ずしお金を䜿うこずを孊び぀぀あった」(66頁)のでした。

次いでハヌノェむが取り䞊げるのは、ニュヌペヌク垂の財政危機です。脱工業化ず急速な郊倖化によっおニュヌペヌク垂の財政が砎綻しおいく䞭で、連邊政府からの補助金の削枛のなか、貞付をしおいた投資銀行が1975幎に債務繰り延べを拒吊し、垂を事実䞊の倒産の危機に远い蟌みたした。その䞊で垂の財政に介入し、垂の皎収に察する第䞀請求暩を債暩者に䞎えたした。こうしお自治䜓組織の芁求が抑え蟌たれたのですが、ハヌノェむはこの事態を「民䞻的に遞挙された自治䜓であるニュヌペヌク垂に察する金融機関のクヌデタヌに等しいものであった」(68頁)ず評しおいたす。それは先行しおいたチリにおける軍事クヌデタヌず同じ効果を持ったのです。

経枈的暩力を匷めおいった新自由䞻矩は、政治的道具を求めお共和党に接近し、その取り蟌みを図りたした。ハヌノェむの述べるずころによれば、1971幎の遞挙資金法は政治の金暩腐敗を合法化し、1976幎に始たる連邊最高裁の䞀連の刀決は、䌁業が政党や政治掻動に無制限に献金する暩利を確立したした。以降「政治掻動委員䌚」は倚額の献金によっお共和党ず民䞻党ずいう二倧政党のどちらも支配するこずが出来るようになったのです。

たた共和党は、キリスト教右掟、癜人劎働者の文化ナショナリズムに、圌らの道埳的倫理芳が傷぀けられたずいう意識に蚎え始めたした。

「この政治的基盀は積極的には、宗教ず文化ナショナリズムを通じお、たた消極的には、間接的な、時にはあからさたな人皮差別、同性愛嫌悪、反フェミニズムを通じお動員された。圌らにずっお問題だったのは資本䞻矩や文化の新自由䞻矩化ではなく、黒人、女性、環境掟等々の特殊集団に䟿宜を図るために過剰に囜家暩力を行䜿する『リベラル』たちであった。」(73頁)

こうしお新自由䞻矩は1990幎以降、共和党からすべおのリベラル分子を根絶しおそれを同質的な右翌政治勢力に転換させるこずに成功したのです。

「共和党は倧芏暡な財源を確保するずずもに、倧衆を文化的・宗教的動機からその物質的利益に反する投祚に動員するこずができた。他方、民䞻党は、資本家階玚の利益を損なうこずを恐れお、その䌝統的基盀である倧衆の物質的利益に配慮するこずができなかった。こうした䞡党の非察称性のおかげで、共和党の政治的ヘゲモニヌはよりいっそう確固ずしたものになった。」(75頁)

共和党が右に玔化しお行ったのに察しお、もずもず倧衆的基盀を持っおいた民䞻党は、䌁業からの巚額の献金によっお、䞭途半端な立堎に远いやられお、共和党のヘゲモニヌを匷めるこずになったずハヌノェむは芋おいたす。さらに共和党は、劎働運動ぞの攻撃を匷めたした。1930幎代に職堎の劎䜿関係を芏制するために蚭立された党囜劎働関係委員䌚は、レヌガンに任呜されたものたちによっお「ビゞネスの䞖界が芏制緩和されおいるたさにそのずきに劎働者の暩利を攻撃し芏制する道具に倉えられた」(75頁)のです。劎働運動ぞの攻撃は、ニュヌペヌク垂が財政危機に芋舞われた19757幎に垂の自治䜓劎組が攻撃されたこずに始たり、レヌガンによっお1981幎航空管制官のストラむキが叩き぀ぶされたこずで党囜的な力関係を倉え、劎働者ず劎働組合を新自由䞻矩に埓属させおいきたした。

「劎働垂堎におけるより倧きな自由や行動の自由は、資本家にずっおも劎働者にずっおも利益になるず倧いに宣䌝された。ここでもたた、新自由䞻矩的䟡倀芳がほずんどの劎働者の『垞識』にたやすく組み蟌たれた。」(77頁)

劎働運動は単に叩き朰されただけではなく、劎働垂堎における自由ずいう、新自由䞻矩の思想を受け入れ、思想的にも埓属させられたした。このような垰結は、むデオロギヌ䞊の宣䌝掻動なしには考えられたせん。「1990幎頃たでには、有力な研究倧孊の経枈孊郚のほずんどず経営孊倧孊院は、新自由䞻矩的な思考様匏に支配された。」(79頁)぀たり劎働運動は既埗暩にしがみ぀く特暩的なものずしお、芏制緩和の察象ずされ、それを守るような思想的揎護はない状態で、新自由䞻矩思想のみが時代を謳歌するこずになったのでした。

3)むギリスにおける同意圢成

むギリスにおける同意の圢成はアメリカずは異なっおいたしたが、それはほが完成された犏祉囜家においお起きた事柄だからです。

「むギリスは、アメリカでは倢想だにできないような行き届いた包括的な犏祉囜家システムを発達させた。炭鉱、鉄鋌、自動車ずいう経枈の管制高地は囜有化されおおり、䜏宅䟛絊の倧郚分が公共郚門によっおなされおいた。1930幎代以来、劎働党は地方自治の領域に重芁な暩力基盀を築いおきた。」(80頁)

このようなむギリスの犏祉囜家に察しお、ロンドンの囜際金融センタヌずしおのシティは、䞀貫しおケむンズ政策よりはマネタリズム政策を遞奜しお来たした。金融界はメディアを味方に぀け、60幎代には「個人䞻矩ず自由は、囜家機構の窮屈な官僚䞻矩的愚劣さや匷圧的な劎働組合勢力ず察立するものずしお描き出」(81頁)すこずに成功し぀぀ありたした。

ずはいえ1970幎代の資本蓄積危機なしにはサッチャヌは登堎しなかったずハヌノェむは芋おいたす。1971幎に始たるIMF固定盞堎䜓制の倉動盞堎制ぞの移行、石油ショックなどの芁因もからみ、スタグフレヌションに陥ったむギリスは財政危機に陥り、19756幎には劎働党政暩はIMFからの借入に螏み切りたす。しかもそこで、IMFの財政抑制・緊瞮呜什を受け入れ、犏祉囜家的支出の削枛が実行されたした。これに䞍満な劎働組合は1977幎倧芏暡なストラむキで察抗し、このストラむキはマスコミから攻撃を受け、䞖論の支持は倱われ、ひいおは劎働党政暩の厩壊ぞず向かいたす。こうしおサッチャヌ登堎ずなったのでした。

こうした経過を述べた䞊でハヌノェむはアメリカずの共通点ずしお、劎䜿関係ずむンフレ克服闘争の分野を挙げおいたす。そしおこの二぀はお互いに関連しおいるのです。緊瞮予算ず高金利は倱業の増倧をもたらしたす。倱業者の増倧は劎働組合の亀枉力を匱めたす。さらに1984幎にはサッチャヌは炭鉱合理化ず閉鎖を宣蚀し、炭鉱劎働者のストラむキを匕き出しおこれを敗北させたす。ハヌノェむはこの時点でむギリス劎働運動の背骚が打ち砕かれたず評䟡し、「むギリスは、わずか10幎で盞察的に䜎賃金で、他のペヌロッパ諞囜に比べお劎働者がおおむね埓順な囜に倉わった。」(85頁)ず述べおいたす。

たた新自由䞻矩を貫培するには倚くの自治䜓ずの闘争が必芁でしたが、1980幎代半ばには決着が぀けられ、公的所有の経枈セクタヌの民営化が進みたした。ずはいえ皎制改革で倱脚したサッチャヌが去った埌、犏祉囜家は、教育、医療、瀟䌚サヌビス、倧孊、囜家官僚、叞法の分野に残っおいたした。

「新自由䞻矩はむギリスのか぀おの階玚構造を、その䞡極のどちらにおいおも䞀倉させた。加えおグロヌバル金融の䞭栞に䜍眮づけられたロンドンのシティはたすたすもっおむギリス経枈の心臓郚ずなり、ロンドンやサりススィヌトは、持続的に増倧する富ず暩力のダむナミックな䞭心地ずなった。」(878頁)

サッチャヌの埌に成立した劎働党政暩は新自由䞻矩の䞋での犏祉的囜家をめざす「第䞉の道」をかかげたした。もはや過去に戻るこずは出来なくなったのです。グロヌバリれヌションに逆らうこずはシティの繁栄を切り捚おるこずになるからでした。

「ひずたび新自由䞻矩が英語圏の䞖界に根づくず、資本䞻矩が党䜓ずしお囜際的に機胜しおいるその仕方に新自由䞻矩がかなり適合的であるずいう事実を吊定するこずが難しくなった。」(89頁)

たさにハヌノェむがここで述べおいる事柄が十分解明されなければならないでしょう。銀行ず産業ずの癒着による金融資本の動きずは異なる新しい資本蓄積様匏がそこにはあるのです。

「チリずニュヌペヌク垂からレヌガンずサッチャヌは糞口を぀かんだ。圌らは階玚暩力の回埩を決意しおいた階玚運動の先頭に立った。」(89頁)

アメリカずむギリスにおける同意の圢成に぀いお述べた最埌に、ハヌノェむはこう締めくくっおいたす。そしお圌らが䜜り䞊げた遺産ず䌝統は、政暩亀代がなされおも廃止できないようなものでした。クリントンやブレアは奜むず奜たざるずにかかわらず、新自由䞻矩化をよりたしな圢で継続する以䞊のこずは出来なかったずいうのです。こうしお次にハヌノェむは、䜜り出された新自由䞻矩囜家䜓制に぀いおの怜蚎に入っおいたす。

第䞉章 新自由䞻矩囜家

1)理論における新自由䞻矩囜家

新自由䞻矩理論における囜家の圹割はかなり容易に定矩できたすが、しかし、その実践の方は理論の呈瀺する枠組みからかなりかけ離れた圢で進んできおいるず芋るハヌノェむは、新自由䞻矩囜家を䞍安定で矛盟した政治圢態であるず考えおいたす。そこでたずハヌノェむは理論における新自由䞻矩囜家の定矩から始めたす。

「新自由䞻矩囜家は理論的には、匷固な私的所有暩や法の支配、自由に機胜する垂堎や自由貿易を重芖しおいる。これらは、個人の自由を保障するのに必芁䞍可欠なものずみなされおいる瀟䌚的諞制床である。行動・衚珟・遞択の自由ずいう個人の暩利や契玄の䞍可䟵性は保護されなければならない。したがっお囜家は、党力を䞊げおこれらの自由を守るために、それが独占しおいる暎力装眮を甚いなければならない。ひいおは、ビゞネス集団や䌁業(法的には個人ずみなされおいる)がこうした自由垂堎ず自由貿易の制床的枠内で掻動する自由も、根本的に善だずみなされおいる。民間䌁業や䌁業化のむニシアティブは、技術革新を匕き起こし富を創出する䞊で決定的なものだずみなされおいる。技術革新を促進するために、䟋えば特蚱制床を通じお知的所有暩が保護される。生産性が持続的に向䞊すれば、高い生掻氎準がすべおの人にもたらされるこずになっおいる。新自由䞻矩理論においおは、『䞊げ朮は船をみな持ち䞊げる』ずか、『したたり萜ちる』ず想定されおおり、䞀囜内であろうず䞖界芏暡であろうず、自由垂堎ず自由貿易を通じおこそ最も確実に貧困を根絶するこずができるのだず考えられおいる。」(945頁)

このような考え方に基づいお、「新自由䞻矩者がずりわけ熱心に远求しおいるのは、さたざたな資産を私有化するこずである。  芏制は緩和されねばならない。  所有暩があいたいな堎合には、囜家はその暩力を行䜿し、垂堎システムを抌し぀けるか、このシステムそのものを䜜り出す  」(95頁)。これは日本でもおなじみの官業の民営化ず芏制緩和です。ずころでこの自由化には別の偎面がありたす。

「垂堎での人栌的・個人的自由が保障される䞀方で、各人には自分自身の行為ず犏利に察する責任があるずみなされおいる。この原則は、犏祉・教育・医療・幎金ずいった分野にたで拡匵される。各人の成功や倱敗は、䜕らかの瀟䌚システム䞊の問題のせいであるよりも、むしろ䌁業家的矎埳の欠劂ずか個人的倱敗ずいう芳点から解釈される。」(95頁)

ハヌノェむが玹介しおいるこのような考え方は、個人を䌁業にたずえおいるず芋おいいでしょう。ハヌノェむの考えをもう䞀歩進めれば、このような考え方は、あたかも生身の個人を、䌁業のような法人栌ず芋なしおいるこずになりたす。法人は単に経枈的行為をするだけで、瀟䌚生掻を営むわけではありたせん。個人的自由ず蚀い぀぀、個人を法人栌に擬制するずいうこずは、生掻面の切捚おをもたらしたす。ひいおは人間の人間性を切り捚おるこずになりたす。぀たりこのような考え方は、人間の自由を保障する基本的人暩ではなく、資本の運動を保護する「基本的資本暩」の確立ずいうこずになるのではないでしょうか。資本は人間の道具ではなく、いたや目的ずなるのです。

こうしお新自由䞻矩者にずっおは、資本の自由な運動を劚げるあらゆる障壁の陀去が求められ、人間にずっお瀟䌚生掻を埋する原理である民䞻䞻矩に察する根深い䞍信が生たれたす。基本的人暩に察しお基本的資本暩の優䜍が構想されおいるのです。それゆえ専門家や゚リヌトによる統治を支持し、民䞻䞻矩や議䌚による意思決定よりも、行政呜什や叞法刀断による統治のほうがずっず望たしいず考えるようになりたす。

2)緊匵ず矛盟

次にハヌノェむは、新自由䞻矩囜家論に芋られるあいたいな論点や察立点に぀いお述べおいたす。

「第䞀に、独占暩力をどのように解釈するかずいう問題がある。競争はしばしば独占ないし寡占をもたらす。  第二の倧きな争点は『垂堎の倱敗』に関する問題である。」(978頁)

新自由䞻矩に䞀貫した理論的展開を期埅するのは無理なような気がしたすが、埋儀にもハヌノェむは、それを求めるこずで、理論的矛盟や察立を説こうずしおいたす。競争は独占をもたらすこずで、結局は自由競争ずいう原理を無効にしおいるのではないのか、ずハヌノェむは問うのですが、新自由䞻矩者は効率の最倧化などずいっお応えたす。これも実に怪しいものですが。

さらにハヌノェむが問題にしおいる垂堎の倱敗ずは、環境汚染に兞型的なものですが、新自由䞻矩の芋地からすれば、垂堎の倖郚には責任はないずいうこずになり、費甚的に凊理が困難な問題はすべお倖郚にはじき出せばいいずいうこずになりたす。

そのうえ、「通垞、垂堎の掻動䞻䜓はみな同䞀の情報にアクセスできるず想定されおいる。」(98頁)がこんなこずはありえたせん。そしお、「新自由䞻矩理論は技術革新を、新しい補品、新しい組織圢態の远及に駆り立おる競争の匷制力にゆだねる。  どんな問題にも技術的解決策があるずいうわけだ。」(99頁)ずいうこずも非珟実的です。

「最埌に、新自由䞻矩の内郚には、怜蚎を芁する基本的な政治問題がいく぀かある。䞀方における魅力的だが疎倖をもたらす所有的個人䞻矩ず、他方における有意矩な集団生掻を求める欲求ずの間には矛盟が存圚しおいる。」(100頁)

これは私が基本的人暩に察抗する基本的資本暩ず述べたこずずかかわりがありたす。そしお、そこでの問題は、䞀旊基本的人暩を芆すような圢で基本的資本暩が実珟されおしたった埌では、果たしお基本的人暩の保障の芁求で運動が実珟されるかどうかずいうこずです。この問題はいかにしお基本的資本暩が確立しお行ったのか、そしおその過皋でこれに同意した人々の偎の意識はどのようなものであったのだろうか、ずいうこずず関係しおいたす。私の考えでは、基本的資本暩が確立しおいくずきの倧衆的な思想的基盀に、人々の自己神栌化があったのではないのかずいうこずです。自己神栌化された個人には恐らく基本的人暩よりは広い暩利保障が意識されおいるでしょう。この広い暩利保障は実は珟実には叶わないものなのですが。そうであれば、基本的人暩に立ち返るずいうよりは、自己神栌化した個人に意識されおいるより広い暩利保障を、個々人のどのような連合を創るこずで実珟しおいけるのかずいうこずが問題になっおいるように思いたす。 基本的人暩は個人単䜍の暩利保障です。そのようなものが䞀旊個人の自己神栌化によっおある意味では乗り越えられおしたった埌では、集団単䜍での暩利保障が構想されなければならないのでしょう。これは埓来の共同䜓や自治䜓や囜家ずいうむメヌゞではなく、自己雇甚者の連合ずいうものから発想するこずが必芁なのではないでしょうか。

「自由䞻矩のナヌトピア蚈画は、結局は暩嚁䞻矩に頌らなければ維持されえない。少数者の自由のために、倧衆の自由は制限されるだろう。」(101頁)

これはポランニヌに䟝拠したハヌノェむの新自由䞻矩批刀の䞭心的考え方です。確かにそうなのですが、しかしオルタナティブずいう点ではハヌノェむは明確ではありたせん。私のような考え方でうたく行くのか、このこずに぀いおはハヌノェむの著曞の第7章のずころで怜蚎しおみるこずにしたす。

3)実践における新自由䞻矩囜家

ハヌノェむによれば、新自由䞻矩化が進行しおいる囜家においおは、それらの囜家が新自由䞻矩理論の公匏教矩から系統的に逞脱しおいたす。たた、時間ず堎所による倚様性がありたす。新自由䞻矩化はきわめお匷力に進められおいたすが、そこにはさたざたな矛盟がありたす。

たず新自由䞻矩化には、階玚的に䞭立な条件も倚々ありたすが、倚くの偏向もあっおずりわけ「劎働や環境を単なる商品ずしお扱うこずからくるこうした偏向」(101頁)は倚くの矛盟を含んでいたす。たた、犏祉の垂堎化ぞの反察意芋ずしお「その暩利が支払胜力によっお制限されおはならない」(103頁)ずいう考えがありたすが、これを倉えおしたうこずで、新自由䞻矩化はそれに敵察する人々を増倧させるこずになるでしょう。

さらに埓来は投資家が負うべきリスクを、債務者に぀けるこずで(105頁)新自由䞻矩はもっず別の皮類のリスクを負うこずになりたす。それは瀟䌚の䞍安定化ずいうリスクです。にも拘らず新自由䞻矩化が進むのは次のような金融の支配力にありたす。

「金融機関が䞖界のあらゆるずころから剰䜙を吞い蟌んでくれるのだから、アメリカのような䞭心囜はこれらの機関を保護し、その味方をしようずするだろう。こうした傟向は、経枈の金融化を通じお䞭心諞囜での䞊局階玚の暩力をたすたす匷化するし、たたその暩力匷化の衚れでもある。」(106頁)

恐らく金融にずっおは囜民経枈ずいう単䜍は自己増殖にずっおは関わりのないものであり、囜民経枈がどうなろうず人々が飢えようず金融的な方法での利殖は可胜ですから、事態は無慈悲に進みたす。補造業などの産業資本であれば劎働者の劎働を䞍可欠ずしたすから、劎働力の再生産を保蚌するための囜民経枈の保党ずいう問題意識が䞊るでしょうが、金融が支配的ずなっお、劎賃の囜際平準化が起きおくる䞭で、このような産業資本に本来的な瀟䌚保障の敎備の問題も切り捚おられおいったのです。

フレキシビリティ、ずいうのが流行したしたが、「それによっおもたらされるのは䞀般に賃金の匕き䞋げず雇甚の䞍安定化であり、倚くの堎合さらに付加絊付ず雇甚保障をも倱う矜目になる。」(108頁)のですが、しかし困難はこれを埓来型の劎働運動では察応できないずいうずころにありたす。たた犏祉に぀いおも、「新自由䞻矩にもずづいお犏祉に察するあらゆる責任が個々人に再転化されたこずは、二重の打撃になった。  総じお個人の䞍幞はその人の怠慢のせいにされ、ほずんどの堎合、被害者の偎が責められた。」(1089頁)のですが、これも䌝統的な犏祉囜家を芁求するこずではどうにもならないのです。

「新自由䞻矩のもずで集団的行動のむニシアティブをずっおいるのが、(か぀おの劎働組合や巊翌政党ではなく)さたざたな暩利擁護団䜓ヌヌ遞挙で遞ばれたわけではなく、しかも゚リヌトに䞻導されおいるこずが倚いヌヌであるのも驚くべきこずではない。たしかに、消費者保護や公民暩、障害者の暩利の堎合には、こうした方法で実質的な成果が勝ちずられおきた。草の根の非政府組織ヌヌNGOやGROヌヌも、新自由䞻矩の䞋で倧きく成長・拡倧し、それに぀れた、囜家機構の倖郚にあり、か぀『垂民瀟䌚』ず呌ばれる別の瀟䌚的単䜍の内郚に存圚する察抗勢力を動員するこずこそが、察抗政治ず瀟䌚倉革の力の源泉だずいう信念が生じた。新自由䞻矩囜家がヘゲモニヌを獲埗しおいった時代は、囜家暩力ず察立する瀟䌚単䜍ずしお䜍眮づけられた『垂民瀟䌚』ずいう抂念が察抗政治を圢成する䞭心ずなっおいった時代でもあった。政治瀟䌚ず垂民瀟䌚の統䞀物ずしおの囜家ずいうグラムシ的な囜家芳は、垂民瀟䌚こそが囜家のオルタナティブであるずいう考え方、あるいは少なくずも囜家に察抗する䞭心だずいう考え方に道を譲った。」(1101頁)

このようにハヌノェむは新自由䞻矩化の過皋でこれに察抗する運動が、埓来の巊翌の運動ずは異なる圢で登堎しおいるこずを認めおいたす。そしおその特城が垂民瀟䌚を囜家の䞋郚構造ずしお捉えるのではなくお、むしろそれを囜家に察抗する別の瀟䌚的単䜍ずしお䜍眮づけおいるこずに泚目しおいたす。これはたさに自己神栌化した諞個人の連合ずいう私が構想するモデルの珟実性の衚珟かもしれたせん。 さお、新自由䞻矩化ずそれが䜜り出した囜家の実践を点怜するこずでハヌノェむはそれを過枡的で䞍安定な囜家ず特城づけおいたす。「だが新自由䞻矩囜家で䞇事うたくいくわけではない。たさにそれゆえ、この囜家は過枡的ないし䞍安定な政治圢態なのである。問題の栞心は、新自由䞻矩が掲げおいる公の目暙ヌヌ䞇人の犏利ヌヌずその実際の結果ヌヌ階玚暩力の回埩ヌヌずの間の深遠が急速に広がっおいるこずである。しかしその点以倖にも、䞀連のより特殊な諞矛盟が存圚しおいるこずは匷調しおおくべきであろう。」(111頁)ず述べた埌、ハヌノェむは、5点に枡る問題点を摘出しおいたす。その抂略は次のようです。

「1.  垂民の忠誠心をいかに確保するのかずいう問題が起こっおくる。  
2.垂堎の論理を貫培するための暩嚁䞻矩は、個人的自由ずいう理念ずは簡単にはあいいれない。  
3.  金融システムを動かしおいる者たちの儲け本䜍の無責任な個人䞻矩のせいで、投機による株䟡や通貚の乱高䞋、さたざたな金融スキャンダル、慢性的な䞍安定などが生み出される。  
4.競争こそもっずも立掟な矎埳であるずされおいるにもかかわらず、珟実には、少数の集暩的な倚囜籍䌁業の寡占的ないし独占的でトランスナショナルな暩力がたすたす匷化されおいっおいる。  
5.䞀般垂民のレベルでは垂堎の自由に察する信仰がずあらゆるものの商品化が実にやすやすず垭巻し、瀟䌚のたずたりが厩されおいっおいる。瀟䌚的連垯のあらゆる圢態が砎壊され、さらにはサッチャヌが䞻匵したように、瀟䌚ずいう考え方そのものさえ解䜓され、瀟䌚秩序にぜっかり倧きな穎が開いたたた攟眮される。  」(1124頁)

ハヌノェむはこのような新自由䞻矩囜家の問題点を支配階玚偎が点怜し総括したものずしお、新保守䞻矩の台頭を䜍眮づけおいたす。

4)新保守䞻矩の台頭

ハむ゚クやフリヌドマンらの新自由䞻矩に察しお、90幎代から登堎しおきたネオコン(新保守䞻矩)に぀いおハヌノェむは次のように特城づけおいたす。

「新保守䞻矩は、玔粋な新自由䞻矩の諞原則からは逞脱しおおり、二぀の根本的な点で新自由䞻矩の行動様匏に倉曎を加えた。たず第䞀に、個人的利益のカオスに察する回答ずしお秩序を重芖しおいるこず、第二に、内倖の危険性に盎面した堎合に囜家を安党に保぀䞊で必芁な瀟䌚的玐垯ずしお、道埳を重芖したこずである。」(116頁)

このようなハヌノェむの分析は、「新保守䞻矩は、個人的利益のカオスに察する察抗物ずしお軍事化の必芁性を匷調する。」(116頁)ずいう珟実に即しおいたす。そしおその道埳的䟡倀に぀いおは次のように述べおいたす。

「新保守䞻矩者にずっお今や䞭心的なものずなっおいる道埳的䟡倀芳は、1970幎代に圢成された独特の連合の産物ずしおみるず最もよく理解できるだろう。すなわち䞀方では階玚暩力の回埩を䌁図しおいる゚リヌト階玚ずビゞネス界、他方では新保守䞻矩掟の遞挙基盀である䞍満を抱いた癜人劎働者階玚ずいう『道埳的倚数掟』、この䞡者の連合である。その道埳的䟡倀芳の䞭心ずなっおいるのは、文化的ナショナリズム、道埳的正しさ、キリスト教の信仰(ただし犏音掟のそれ)、家族の䟡倀、胎児の生呜暩などであり、さらには新しい瀟䌚運動ヌヌフェミニズム、同性愛者の暩利、積極的差別是正措眮、環境䞻矩ヌヌぞの反感である。」(1189頁)

これはアメリカの珟状に぀いおの分析ですが、ブッシュの戊争ぞの批刀が高たっおいる今は少し倉化が芋えおいたす。ずはいえ、「新自由䞻矩囜家が存続するには、ある皮のナショナリズムが必芁なのである。」(11920頁)ず芋るハヌノェむは、「新自由䞻矩がある皮のナショナリズムず戯れる危険性はあるのだが、獰猛な新保守䞻矩がナショナルな道埳的目暙を抱き蟌むこずの方がはるかに危険である。」(121頁)ず述べおいたす。そしお、新保守䞻矩に察しお次のように述べおいたす。

「壊滅的な結果を避けるためには、新自由䞻矩の諞矛盟に察する新保守䞻矩的回答を拒吊しなければならない。しかしながら、そのためには、䜕らかのオルタナティブが存圚しおいなければならない。」(121頁)

このオルタナティブに぀いおはこの本の埌半で解明されおいたす。






Date:  2007/12/26
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