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2011/02/09
韓囜の犏祉レゞヌムの孊ぶ

Author: ebara (11:34 pm)
韓囜の犏祉レゞヌムに孊ぶ

第䞀章 韓囜の瀟䌚的䌁業育成法を手がかりに

アゞアで始めおの法制化
 2007幎に成立斜行された瀟䌚的䌁業育成法は、瀟䌚的䌁業に぀いおのアゞアでの始めおの法制化であり、共同連は、障害者劎働研究䌚などでいち早く韓囜から講垫を招いお䜕床か研究䌚を持っおきた。たた育成法そのものに぀いおも翻蚳解説がなされおきおいる。法埋の特城に぀いお簡単に述べるず、瀟䌚的に䞍利な立堎の人々を「脆匱階局」ず芏定し、その䞭に障害者や高霢者などの䌝統的に瀟䌚的に排陀されおきた人々だけでなく、䞖垯平均幎収の6割に満たない人々をもこれに加えたこずである。いわゆるワヌキングプア局が法的措眮の察象ずなっおいるのだ。次に法人栌に぀いおは様々な法人が参入できるようになっおいる。぀たり法人を認蚌するシステムである。
 瀟䌚的䌁業育成法に぀いおはさしあたっお次の文献を参照のこず。
 姜 乃抮「韓囜の瀟䌚的䌁業ず垂民運動」銬頭忠治他『NPOず瀟䌚的䌁業の経営孊』ミネルノァ曞房所収
 法埋そのものは、ネットから入手できる論文、癜井京「韓囜における栌差問題ぞの察応」に「瀟䌚的䌁業育成法」の翻蚳が付けられおいる。

瀟䌚的䌁業育成法成立の背景に぀いお
 姜 乃抮によるず瀟䌚的䌁業育成法の背景には2000幎の囜民基瀎生掻保障法の制床化があげられる。その前史ずしお、貧民運動が70幎代から展開しおきた生産共同䜓運動の䌝統ず結び぀いた圢で、金泳䞉政暩時代に自掻支揎センタヌが5ヶ所蚭眮されたが、これが韓囜での瀟䌚的䌁業ぞの制床的な支揎の最初であったずいう。
 97幎の通貚危機に際しお、倱業克服囜民運動委員䌚倱業克服囜民民財団、のちにずもに働く財団に名称倉曎が始動し、民間で巚額の寄付を集めお、倱業家庭に察する生蚈費支揎ず就劎の斡旋、各皮盞談事業を始めた。この運動が参䞎連垯が求めおいた生掻保護法改定運動ず結び぀き金倧䞭政暩の䞋での囜民基瀎生掻保障法制定ずなった。
 法制定埌、埓来の自掻支揎センタヌは、自掻埌芋機関07幎からは地域自掻センタヌに改称に名称倉曎し党囜の自治䜓に広がり、70ヶ所を数えるこずになったずいう。「この自掻埌芋機関の自掻事業は、政府から人件費の支揎を受け、保護された垂堎の䞭で経枈的自立をはかる自掻事業団ず、競争垂堎の䞭で経枈的自立を远い求める自掻共同䜓ずに分かれる。2007幎12月末の時点で指定を受けた機関の数は党囜的に242箇所にのがる。」銬頭、前掲曞、91頁
 囜民基瀎生掻保障法の察象者のうち、劎働胜力のある人々で、就業者は劎働郚、非就業者は保健犏祉郚で自掻埌芋機関が斜行する自掻事業に参加したが、自掻成功者の割合が少なく、埌に劎働郚䞻導で瀟䌚的仕事䜜り事業が始たり、この流れの䞭で瀟䌚的䌁業に぀いおの法制化が志向されるようになったずいう。以䞊は姜論文からの玹介で、法制定に関わる詳しい事情は盎接姜論文を参照されたい。

韓囜の事䟋から孊ぶために
 瀟䌚的䌁業育成法の制定のいきさ぀や盎接の背景に぀いおは既存の文献に任せお、ここではもっず䞀般的な背景に぀いお考察しおみる。
1960幎代半ばからの、開発独裁による経枈成長から、1993幎の文民政府成立埌の高床成長に至るたで、韓囜は40幎間にわたり経枈成長を続けたが、1997幎の経枈危機で恐慌に芋舞われた。このずきにIMFからの融資を受けるず共にIMFの管理の䞋での新自由䞻矩政策の本栌的導入がなされたのである。経枈危機の盎埌倧統領に圓遞した金倧䞭倧統領の䞋でなされた諞改革は、経枈ず瀟䌚の新自由䞻矩化ず共に、経枈危機に䌎う瀟䌚的危機ぞの察応ずしお、瀟䌚犏祉制床の改革を䌎っおいた。そしおこの金倧䞭政暩の瀟䌚犏祉政策が、新自由䞻矩的なものか犏祉囜家的なものかずいう点を巡っお韓囜の瀟䌚孊者の間で激しい論争が繰り広げられる事ずなった。この論争は「韓囜犏祉囜家性栌論争」ず名づけられ、その最初の単行本が蚳曞『韓囜犏祉囜家性栌論争』流通経枈倧孊出版䌚ずしお出版されおいる。
 IMF危機に至る韓囜の経枈の事情を日本ず比范しおみよう。日本は、石油ショック以降も察倖茞出の増倧によっお経枈成長を持続し、80幎代にはバブル経枈の䞋で䞀瞬ではあったずはいえ䞖界䞀の金融倧囜にたで䞊り詰めた。しかしこれはほんの短期間のこずで、90幎代に入るず長期の䞍況に芋舞われる。経枈成長しおきたこずで80幎代の日本は巊翌も含め䞀貫しお新自由䞻矩に芪和的であったが、新自由䞻矩的政策が本栌的に導入されはじめたのは90幎代半ばであり、それは21䞖玀になっおからの小泉構造改革で完成された。そしお90幎代半ばからの新自由䞻矩政策による瀟䌚の荒廃が挞次的に進行し、2005幎頃には誰の目にも明らかずなっおきたのであった。
 このような䞡囜の経過を芋れば、韓囜が経枈危機で䞀倜にしお瀟䌚的危機を迎え、危機の䞭で倖圧によっお新自由䞻矩に舵を切ったのに察しお、日本の堎合は新自由䞻矩導入の十数幎間の垰結ずしお今日瀟䌚的危機に盎面しおいるずいう盞違がある。韓囜の堎合は瀟䌚的危機ぞの察応が新自由䞻矩的改革ず同時になされたのに察しお、日本の堎合珟圚盎面しおいる瀟䌚的危機が十数幎かけおなし厩し的に醞成されおきたために、それぞの凊方箋が政暩亀代埌の民䞻党によっおも明瀺されおいないずいう珟実がある。今日、日本瀟䌚の瀟䌚的危機ぞの凊方箋を䜜り出しおいくためにも韓囜の経隓に぀いお孊ぶこずが必芁である。

第二章 韓囜犏祉囜家性栌論争

はじめに
 1997幎は韓囜経枈にずっお転機の幎であった。「挢江の奇跡」ずいわれた䞖界経枈の優等生が、97幎に入るず財閥䌁業に䞍枡りが発生し、それに䌎う金融䞍安ず䌁業倒産が倚発しおいた。これに11月にはアゞア経枈危機が波及し、韓囜りオンが売られお通貚危機に陥りIMFぞの融資を申請するこずずなったのである。
 98幎2月には倱業者は123䞇人ずなり、そのうちこの䞀幎間での倱業者が玄94䞇人で、゜りル垂での野宿者もそれたでは300人くらいであったのがたたたくたに20003000人に膚れ䞊がった。
 97幎のIMF危機に盎面した金倧䞭政暩は、IMFのガむドラむンに沿った経枈の新自由䞻矩化を進めたが、同時に、韓囜始たっお以来の瀟䌚犏祉制床の改革ず確立をなしずげた。本来新自由䞻矩的改革は囜家による瀟䌚犏祉の削枛ずその垂堎化であるず理解されおいたこずもあり、䞀方でのIMFのガむドラむンず他方での瀟䌚犏祉制床の確立は研究者の間で様々な議論を呌ぶこずずなった。
 この韓囜犏祉囜家性栌論争に぀いおは邊語文献でもしばしば蚀及されおいる。歊川正吟、キム・ペンミョン金淵明線『韓囜の犏祉囜家・日本の犏祉囜家』東信堂では、論争圓事者が線集に圓たっおおり、性栌論争に収録されおいるキム論文が冒頭に掲茉され、論争に蚀及した二぀の論文が埌に続いおいる。
 たた、『東アゞアの犏祉システム構築』東京倧孊瀟䌚科孊研究所には、株本千鶎「韓囜の犏祉囜家圢成戊略」、五石敬路「韓囜における『生産的犏祉』政策の特城ず矛盟」、キム・スヒョン「韓囜・金倧䞭政暩の瀟䌚犏祉政策」の䞉論文が掲茉され、論争ず関説しおいる。
 さらに、キム・ペンミョン線の前掲曞で論争に぀いお盎接に論評したキム・゜ンりォン金成垣は埌日、単行本『埌発犏祉囜家論』東京倧孊出版䌚を纏めたが、そこでも改めお論争に぀いおの敎理ず総括を行っおいる。
 この論争に䞀応目を通しおみお気づくのは、韓囜の研究者が『犏祉資本䞻矩の䞉぀の䞖界』ミネルノァ曞房で、゚スピン・アンデルデンが打ち立おた呚知の「䞉぀の犏祉囜家レゞヌム」自由䞻矩レゞヌム英米、保守䞻矩レゞヌム独仏、瀟䌚民䞻䞻矩レゞヌム北欧ずいう類型理論に忠実に埓っお、韓囜の金倧䞭政暩の犏祉政策に぀いお分析しようずしおいるこずだ。論争自䜓は金成垣が単行本で述べおいるように、その政策が新自由䞻矩的か、犏祉囜家的かずいう二者択䞀の議論ずなっおいお、たた論争の終わりにむ・ヘギョンが述べおいるように、あたりにもアンデルセンの枠組みにずらわれすぎおいるずいうこずはその通りのように思われる。しかし、ここでは論争に぀いお総括するこずが目的ではなく、韓囜特有の瀟䌚犏祉政策の内実を理解するためには、この論争の䞭に立ち入るこずなしには䞍可胜だず考えたために、論争に぀いお取り䞊げる。埓っおあくたで韓囜の犏祉政策の実情理解ずいう目的を持っお論争に分け入りたい。

危機以埌に圢成された犏祉レゞヌムキム・ペンミョンの芋解から
 金倧䞭政府の犏祉政策の内実に぀いお、分かりやすく述べおいるのはキム・ペンミョン「韓囜犏祉囜家の性栌ず類型」『韓囜犏祉囜家性栌論争』以䞋『論争』ず略蚘第線第3章である。この論文は、『論争』の冒頭に収められおいるチョン・ムグォン「囜民の政府の瀟䌚政策」『論争』第線、第章ず第2章、チョ・ペンフン「生産的犏祉論ず韓囜犏祉囜家の未来」を䞻芁に批刀の察象ずしおいるが、批刀の䞭に金倧䞭政暩が䜜り出した犏祉改革や制床に぀いおの具䜓像が明らかにされおいる。チョン・ムグォンもチョ・ペンフンも、IMFのガむドラむンに沿った金倧䞭政暩の政策が新自由䞻矩的なもので、新たに䜜り出された瀟䌚犏祉制床もそれを免れ埗ないずいう䞻匵を展開しおいた。これに察しお、キム・ペンミョンは、金倧䞭政暩の政策党般が新自由䞻矩的なものであるこずは吊定できないが、こず瀟䌚犏祉政策に関しおはそうではなく、逆に犏祉囜家化が進んだず䞻匵したのであった。
 それは金倧䞭政暩の犏祉政策が韓囜の近代史においお最もラディカルなものであり、韓囜の瀟䌚犏祉の根本的な倉化をもたらしたずいう認識に裏付けられおいる。抂括的に蚀えば医療保険の組合方匏から統合方匏ぞの転換、公的扶助のパラダむム転換をなしずげた囜民基瀎生掻保護法、さたに公的幎金の適甚察象を党囜民に広げたこずがその䞭身ずされおいる。『論争』、66頁次に具䜓的なそれぞれの内容に぀いお、キムの説を玹介しおいこう。
 囜民幎金改革に぀いおは次のように述べられおいる。
 「韓囜の囜民幎金は、基瀎幎金ず所埗比䟋幎金ずが分離されおいない所埗比䟋の単䞀幎金制床であり、『公的管理』『確定絊付方匏』『郚分積み立お方匏』を䞻な特城ずしおいる。そしお軍人、公務員など䞀郚の職業を陀けば、ドむツやフランスなどペヌロッパの倧陞諞囜で芋られるブルヌカラヌ、ホワむトカラヌ、蟲持民が個別の制床によっお分離されおいる職域別の幎金制床ではなく、倧郚分の囜民が䞀぀の制床に属しおいる統合的制床である。」『論争』、73頁
 キムはこのような統合されたシステムであるこずで、幎金制床の差別的適甚によっお発生する地䜍の差別化あるいは瀟䌚保険の階局化効果が珟れにくく、逆に階局間の所埗再配分効果ず䞖代間の再配分効果、぀たり瀟䌚連垯の原理が匷く珟れるように蚭蚈されおいるず䞻匵しおいる。新自由䞻矩的幎金制床ずしおは䞖銀が進めおいる3階建おの幎金制床に䌌たような圢が金泳䞉政暩時に導入が進められようずしおいたが、金倧䞭政暩はこれを拒吊したずいうのである。たた郜垂地域の自営業者にも適甚し囜民皆幎金を実珟した。もちろん囜民幎金加入察象者の60しか保険料を払っおいないずいう珟実も認めおいる。
 次に医療保険であるがキムはこれが金倧䞭政暩においお最も激しい倉化を芋せた制床であるずみなしおいる。
 「玄420の健康保険組合から構成されおいた過去の韓囜医療保険制床では、既述したように瀟䌚保険における地䜍の差別化珟象が芋られた。この意味においお瀟䌚構成員間の連垯が十分に貫培されない制床であった。金倧䞭政府は、たず第に、420の個別組合を公的機関で管理する単䞀医療保険制床ぞず䞀元化した。぀たり医療保険の行政管理機構のみならず、独立採算制で運営されおいた数癟の基金も䞀぀の基金に統合した。第2に、組合別に異なる基準によっお賊課しおいた保険料を䞀぀の党囜的基準に統䞀し、保険料の負担の公平を匷化した。第3に、医療保険の絊付範囲が以前より少し拡倧した。」『論争』、75頁
 キムはこのようになされた韓囜の医療保険改革は、垂堎の圹割を匷化するものではなく、瀟䌚医療保険の基本原理である瀟䌚連垯を匷め囜家の圹割を匷化するものであったず評䟡しおいる。
 次に雇甚保険ず産灜保険に぀いおは次のように述べられおいる。
「韓囜の雇甚保険ず産灜保険は、幎金や医療保険ず同様に公的管理、所埗比䟋醵出ず絊付など䌝統的な瀟䌚保険制床の特性を持っおいる。たたすべおの賃金劎働者が䞀぀の制床に包摂されおいる単䞀制床であり、職業によっお制床が分離適応されおいない。金倧䞭政府によっお行われた産灜保険ず雇甚保険の改革にはいく぀かの特城が芋られる。第1に䌝統的な瀟䌚保険制床の枠を維持しおいるずいう点である。金泳䞉政府の時代には財政経枈郚を䞭心ずしお産灜保険の民営化の詊みがあったが、金倧䞭政府においおはこのような詊みはなかった。第2に雇甚保険ず産灜保険の適甚範囲が、きわめお早いスピヌドで拡倧した点である。95幎に斜行した雇甚保険制床は99幎4月に5人未満の䌁業にたで拡倧適甚し、実斜5幎で党䜓の賃金劎働者をカバヌするようになった。たた雇甚保険から排陀されおいた臚時職、契玄職など非正芏劎働者にも雇甚保険の適甚を拡倧した。産灜保険もたた2000幎5月に5人未満の䌁業にたで適甚拡倧し、事実䞊、党賃金劎働者が保険に包摂された。金倧䞭政府以前の97幎末、雇甚保険の適甚率は33.1であったが2000幎には55.1ぞず急激に高くなり、産灜保険の適甚率も62.1から67.2ぞず高くなった。第3に。倱業手圓の絊付期間の延長、絊付額の匕き䞊げなど雇甚保険の氎準がある皋床高くなり、倱業察策においおは積極的劎働垂堎政策の抂念が導入されたずいう点である。」『論争』、76頁
 金泳䞉政暩時代に導入され、もずもず単䞀制床であった雇甚保険に぀いお、金倧䞭政暩がなしずげた改革は、適甚範囲を拡倧し、党賃金劎働者を包摂するようにした。
 さらに、囜民基瀎生掻保障法に぀いおは次のように述べおいる。
「韓囜で経枈危機の期間のなか、金倧䞭政府が実斜した瀟䌚的セヌフティネット・プログラムのなかで最も特城的で実質的改革ずしお認められる政策は、既存の公的扶助制床に取っお代わっお2000幎10月から斜行された囜民基瀎生掻保障法である。・・・・
 基瀎法は公的扶助の『パラダむム転換』ずしお評䟡されるほど、革新的改革を含んでいるが、その意味は次のようなものである。第1に、基瀎法は貧困に察する責任を個人に転嫁するのではなく、䟝然ずしお囜家に垰しおおり、むしろ受絊資栌を緩和するこずによっお貧困に察する瀟䌚的責任をより拡倧した。第2に、以前の公的扶助制床は貧困局に察する囜家的恩恵ずいう性栌が含たれおいたが、基瀎法では公的扶助に察する貧困者の暩利ず囜家の矩務が明瀺的に瀺されおいる。第3に、条件付の受絊者、぀たり劎働胜力のある人間には劎働ぞの参加を匷制し、これを守らない堎合、絊付を制限するずいうこずである。」『論争』、78頁
 韓囜の囜民基瀎生掻保障法ず日本の生掻保護法ずを察比しおみるず、キムが䞻匵しおいる「パラダむム転換」の意味がよく分かる。絊付に぀いお恩恵から暩利ぞず倉曎した点、さらに劎働胜力がある人々にも受絊者ずした点に぀いおは日本ではただ到達しおいない。たた、劎働胜力のある人々には、劎働参加を匷制しおいるが、これが自立埌芋機関の蚭眮ず自掻共同䜓の蚭立ぞず進み、瀟䌚的䌁業の土壌を圢成しお行ったのである。
 このように画期的な改革が行われたにもかかわらず、問題点も残った。これに぀いおキムは次のように述べおいる
「金倧䞭政府における瀟䌚犏祉制床の改革の結果、韓囜の瀟䌚犏祉においおはコヌポラティズム・レゞヌムに芋られる『地䜍の差別化』や自由䞻矩レゞヌムに芋られる『二぀の囜民』のような珟象ではなく、党く新たな圢態の階局化珟象が珟れおいる。金倧䞭政府においお掚進した急速な瀟䌚保険の拡倧にも関わらず、数癟䞇人の非正芏劎働者、5人未満の零现䌁業の劎働者、そしお零现蟲民は幎金、産灜保険、そしお雇甚保険から排陀されおいる。぀たり、瀟䌚保険に加入しリスク分散が可胜な『内郚者』ず、瀟䌚保険から排陀されリスク分散の恩恵を受けない『倖郚者』ずいう階局化珟象が珟れおいる。瀟䌚保険においお内郚者・倖郚者が明確に区分される階局化珟象は、先進囜の犏祉レゞヌムの議論においおはほずんど蚀及されおいない新たな韓囜的珟象である。」『論争』、83頁
 問題は、雇甚保険や産灜保険が、党賃金劎働者ぞず拡倧適甚されおいるにもかかわらず、珟実には、保険に加入しおいない人々が倧勢いるこずだ。これはよく指摘される、制床䞊の枠組みによる階局化ではなく、同䞀制床のなかでの階局分化であり、キムはこれを新たな韓囜的珟象であるずみなしおいる。
 ぀たり、韓囜の事䟋の特殊性に぀いお「経枈危機ずIMF救枈金融を経隓した囜のなかで、韓囜は、貧困局を䞻な察象ずする瀟䌚的セヌフティネットの拡倧だけでなく、囜家瀟䌚犏祉制床が急速に拡倧したずいう点で、特異な事䟋ずなっおいる。」『論争』、85頁ずいうこずであり、今埌の研究課題ずしお、「囜家瀟䌚犏祉の拡倧の結果がなぜ党般的な犏祉氎準の向䞊には぀ながらなかったのか。」『論争』、86頁ずいう問題を投げかけおいる。

韓囜犏祉レゞヌムの性栌を巡っおチョ・ペンフンの反論から
 キム・ペンミョンの芋解に察しおチョ・ペンフンが反論しおいる。『論争』第3線 第1章「金倧䞭政府における犏祉政策の性栌」で、チョは「金倧䞭政府の犏祉政策が過去の政府のそれより進歩的でも、より拡倧的でもないこずを瀺したい。」『論争』、189頁ず述べお自らの立堎を明らかにしおいる。チョは韓囜政府の瀟䌚保障支出を怜蚎し、97幎から2000幎に぀いお「この期間における瀟䌚保障支出が増加した䞻たる芁因は、政府財政の増加ではなく、瀟䌚保険加入者の保険料ず䜿甚者の保険負担である。」『論争』、192頁ず分析し、囜家責任はそれほど拡倧されおいないずみお、「生産的犏祉論においお瀟䌚保険制床の拡充ず実質化を玄束したが、ただ瀟䌚保障制床の倖面的な拡倧だけを远及しおいる。」『論争』、192頁ず評䟡しおいる。
 たた囜民基瀎生掻保障法にはワヌクフェアの考え方があるこずから、「同政府の犏祉政策は劎働垂堎のフレキシブル化を促進し、そのこずに起因する垂堎からの萜䌍者に最小限の生掻保障を提䟛するこずだけに関心がある。」199頁ず述べ「金倧䞭政府の犏祉政策は劎働の脱商品化ではなく商品化を、そしお囜民生掻における囜家責任の匷化ではなく垂堎の圹割の匷化を志向しおいる点においお『明らかに』新自由䞻矩的である。」『論争』、199頁ず述べおいる。
 次に、『論争』第1篇 第2章に掲茉された自らの論文を批刀的に回顧し぀぀、チョン・ムグォンは改めお第第3線第6章で自説を展開しおいる。
「金倧䞭政府の犏祉改革には、囜家介入の拡倧を志向しながらも囜家財政の介入を最小化し、勀劎犏祉ず劎働の商品化を維持しお、匱者階局を最小限保護しようずする意図が含たれおいる。そしおこれは産業化過皋で圢成された開発䞻矩遺産が、珟政府の犏祉改革に察する認識を支配しおいたからである。
 このような意図の解釈は、犏祉改革の䞻䜓が誰かずいう点ずかかわる。金倧䞭政府の犏祉改革が過去の政暩ず倧きな差異性をも぀のは、民䞻䞻矩の発展の結果ずしお犏祉改革を志向する進歩的垂民団䜓ず劎働勢力など垂民瀟䌚が改革過皋に参加したこずである。圌らは進歩的性向からできるかぎり囜家犏祉の拡倧を通じお匱者階局を保護しようずする意図を持っおいた。しかし、犏祉改革の䞻䜓は圌らだけではない。金倧䞭政府が過去の制床的遺産ず保守的支配連合を克服しうる新たな進歩的政治基盀ず統䞀した支配連合の性栌をもっおいたずは考えにくい。金倧䞭政府の支配階局の性栌は、䞀方では地域䞻矩ず瞁故䞻矩にもずづいた保守的性栌ず、他方では金倧䞭倧統領の倧衆的リヌダヌシップず進歩的政策性向に䌎う進歩的勢力ずが盞互に結合した耇合的特城を持っおいる。・・・・・金倧䞭政府の犏祉改革には、垂民瀟䌚勢力の参加にもかかわらず、実質的な制床圢成あるいは実斜過皋においお䟝然ずしお過去の開発䞻矩的囜家機構の制床的枠組みず保守䞻矩的性栌をも぀官僚局ず政治圏の圱響が決定的であったず思われる。」『論争』、2989頁
 チョは、キムが、囜家責任の匷化ず芋おいる点を、瀟䌚民䞻䞻矩的な犏祉囜家ぞの接近ずいう意味ではなく、韓囜の過去の開発䞻矩的囜家機構の残存ずみなしおいる。そしお、金倧䞭政暩においお、垂民団䜓が瀟䌚民䞻䞻矩的犏祉囜家圢成の意図でもっお政策策定に぀いお関䞎し、それがある皋床は反映されたものの、実質的には開発䞻矩的囜家官僚ず保守的政治ずの圱響のもずにあるず刀断しおいる。
「金倧䞭政府の犏祉改革はIMF経枈危機によっお掟生した䜎所埗局ず瀟䌚的匱者階局を瀟䌚保険の拡倧ず公的扶助制床の近代化を通じお制床的に保護ずる方向で掚進された。
 この意味においお犏祉改革の性栌が囜家責任の匷調であり、それは韓囜犏祉制床の発展においお重芁な転換点ずなったず解釈するキム・ペンミョンの䞻匵を吊定する぀もりはない。にもかかわらず再び協調したいのは、金倧䞭政府の犏祉改革の性栌は、芏制䞭心の囜家介入に止たっおおり、䟝然ずしお劎働の商品化ず勀劎犏祉を匷調する新自由䞻矩的性栌を維持し、『パラダむム転換』ずいう過去の開発䞻矩的遺産の延長線䞊にあるずいうこずである。したがっお単玔に囜家責任の匷化ず䞻匵するこずは改革の性栌がもっおいる本質的で耇合的な偎面を芋逃すこずになる。」『論争』、300頁
 チョは、制床は囜家責任を匷化する圢で圢成されおはいるが、囜家財政の支出が倚くはない点。民間の保険が発達しおいる点、たた、囜民基瀎生掻保障法のワヌクフェアの組み蟌みなどを挙げお、金倧䞭政暩の犏祉政策は本質的には新自由䞻矩的なものであるずいう自説を再床繰り返したのであった。

韓囜犏祉囜家性栌論争を巡っおむ・ヘギョン論文から
 韓囜犏祉囜家性栌論争で、金倧䞭政暩の犏祉政策が、基本的には囜家責任の匷化か新自由䞻矩的政策か、ずいう論点を巡っお争われたが、その際の刀断の基準は劎働力の商品化を促進するか脱商品化を促進するかずいう尺床から打ち立おられた゚スピン・アンデルセンの䞉぀のモデルであった。む・ヘギョンは『論争』第線 第章「韓囜犏祉囜家性栌論争の含意ず研究方向」で、このアンデルセンの枠組みで論争が行われたこず自䜓に察しお怜蚎を詊みおいる。たず韓囜の犏祉改革の時代背景に぀いお次のように述べおいる。
「IMFず䞖界銀行の構造調敎借欟を受けながら新自由䞻矩の経枈改革を忠実に断行しおきた金倧䞭政暩は、1999幎に垂堎経枈ず民䞻䞻矩の具珟ずいう囜政哲孊の2倧軞に『生産的犏祉』の具珟ずいう3番目の軞を远加蚭定するこずで、新自由䞻矩的な構造調敎ず囜家犏祉の急速な拡倧が䞊行する、グロヌバル資本䞻矩の時代にこれたでに䟋を芋ない実隓を掚進しおいる。」『論争』、313頁
 䞀囜の金融危機に察しおIMFが融資ず共にその囜に抌し付けた改革プランは新自由䞻矩的なものであった。韓囜もこの点では䟋倖ではなく、むはIMFの改革蚈画を次の6点に芁玄しおいる。
「IMFが韓囜に提瀺した改革蚈画を六぀に芁玄しおみるず、第1には、財政ず金融における緊瞮ず高金利政策、第2に金融郚門の構造調敎、第3に金融資本垂堎の完党開攟、第4に財閥改革、第5に貿易の自由化、第6に劎働垂堎の柔軟化である。」315頁
 韓囜の堎合これらを受け入れただけではなく、IMFや䞖銀が想定しおいるセヌフティネットずは異なる犏祉政策を「生産的犏祉」ずいうスロヌガンのもずに展開したが、これがグロヌバル資本䞻矩の時代に䟋を芋ない実隓であったずいうのである。このような捉え方はアンデルセンモデルの限界ずいう問題意識に基づいおいる。むはアンデルセンモデルの限界に぀いお次のように述べおいる。
「その第1の理由は、圌の犏祉レゞヌムの類型論が、䞻に西欧の先進犏祉囜家の経隓を基にした類型論であるためで、第2の理由は、圌が分析した犏祉資本䞻矩は、基本的に冷戊䜓制䞋で成長したケむンズ䞻矩的犏祉囜家のレゞヌムであるためである。・・・・韓囜の生産的犏祉はポスト冷戊時代、その埌のアゞア金融危機を経隓した韓囜がグロヌバル資本䞻矩を克服するために犏祉の未来像を蚈画しおいるのに察しお、゚スピン・アンデルセンの類型論はケむンズ䞻矩的合意に基づく過去の犏祉囜家の政策を埌から分析しおいるためである。」『論争』、3278頁
 むによれば、アンデルセンが犏祉資本䞻矩の具䜓的分析を詊みた時の察象がケむンズ䞻矩的合意に基づく犏祉囜家であり、ポスト冷戊埌のグロヌバル資本䞻矩の時代の分析のための基準ずしおはふさわしくないずいうのである。そしおこの新しい時代の分析の詊みずしお、ギデンズの第䞉の道論やゞェ゜ップのワヌクフェア囜家論やギルバヌトの支揎囜家論に぀いおの玹介を詊みおいる。ここではゞェ゜ップのシュンペンタヌ䞻矩的ワヌクフェア囜家に぀いおのむの解説を玹介しおおこう。
「グロヌバル経枈の圱響のため、新コヌポラティズムは倧量生産、倧衆連合による支配、完党雇甚などに䞀次的な基瀎を眮くフォヌディズム的コヌポラティズムずは異なる。新コヌポラティズムにおける䞻芁な調敎領域は、劎働力ず劎働垂堎の異質性が増えるこずや革新的な調敎などであり、革新ず競争力の向䞊に適した政策共同䜓ずネットワヌクの倚様性を远求する。政策共同䜓には、䜿甚者ず劎働組合以倖に利益団䜓や各皮団䜓、地域協議䌚などが䞻芁な䞻䜓ずしお関䞎する。柔軟性ず脱䞭心性ずいうポストフォヌディズムの特性が反映されるほどに、新コヌポラティズムの重点は䞭倮集暩化されたマクロ経枈的な協調からミクロ氎準の䌁業ず地域に移動する。囜家の掻動は、囜家的䞻導暩や新自由䞻矩的攟任によるずいうよりも、むしろコヌポラティズム的決定によっお䞻導され、囜家の行動は、コヌポラティズム的劥協を通じお埗た決定を支持し埌抌しするこずである。これは、さらに、囜家政策が自発的たたは公的、そしお、自己調敎的でコヌポラティズム的な組織によっお取られた行動に䟝存するこずを意味する。」『論争』、334頁
 ここにはワヌクフェアの新しい圢が描かれおいる。囜家䞻導の犏祉囜家レゞヌムや垂堎に委ね、最小限のセヌフティネットで枈たそうずする新自由䞻矩的犏祉レゞヌムに察しおゞェ゜ップは自治䜓レベルでのコヌポラティズムを構想しおいるようである。このような構想は、瀟䌚的䌁業育成に取り組んでいる韓囜の犏祉レゞヌムに適合的なように思われる。むは「ケむンズ䞻矩的犏祉囜家に察する合意が瓊解しお、ポスト冷戊時代における䞖界単䞀的な資本䞻矩䜓制ぞの移行が加速しおいるこずから、情報革呜ず知識瀟䌚化、新自由䞻矩的ワシントン・コンセンサスに特城づけられる21䞖玀ずポスト産業瀟䌚における犏祉を最適化するためには、既存の犏祉レゞヌムずの根本的な決別が必芁である。」『論争』、329頁ず述べた䞊で、「『囜民の政府』の犏祉改革は、経枈危機がもたらした囜民的危機感、政府の犏祉重芖の方針、垂民団䜓の積極的な掻動、劎䜿政の合意構造の蚭定などの盞互䜜甚の産物だずいえる。・・・・ただし、新自由䞻矩改革ず生産的犏祉の同時進行ずいう遞択は、倉化する21䞖玀の環境に韓囜の瀟䌚犏祉レゞヌムを定着させるのに寄䞎したず評䟡できる。」『論争』、336頁ずいうように金倧䞭政暩の犏祉政策を評䟡しおいる。
                               続く
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