　石井さんが私のエンゲルス理解の「誤り」を正すべく批判の労をとって下さったのですが、残念ながら、私が明らかにしたカントの超越論的仮象論の革命的意義について理解されていないので、私がエンゲルスを批評した地平を踏まえないまま批判することになっています。そして、石井さんの結論は、科学的世界観や史的唯物論は今日でも正しいのだ、ということのようにしか読めません。
　でもせっかく批判を寄せて下さったので、石井さんの理解の外にあるいくつかの問題について、私の積極的な考えを述べることで、御返事に代えさせて下さい。

関心のあるところしか人は理解しない

　石井さんは、榎原は「関心のあるところだけを適当に取り出していた」「エンゲルスの文を読んでいない」と言って非難していますが、人間の知性というものは悲しいかな、関心のあることしか認識できないのです。エンゲルスの思想をトータルに知ろう、という関心があれば全文を読まねばならないでしょうが、私はエンゲルスのカントやヘーゲル批判に関心があり、（ついでにフォイエルバッハ批判には何の関心もありません）その部分に焦点を絞ったのでした。だから、批判するなら、私のエンゲルスの捉え方の誤りを指摘すればよいので、全知全能を求めるようなスタンスは困ります。

唯物論と観念論

　唯物論と観念論についてのエンゲルスの定義については明解だと思いますが、あまり買っていません。それよりも私は、ヘーゲルが『精神現象学』で、意識自体が観念論と唯物論の立場をそれぞれ取りながら、そこにとどまれずに移行していく、ということを述べているところに引かれます。暫定的な結論としては、唯物論も観念論もともに思考の一契機であり、具体的な思考過程を離れたところに何か原理的なものとしてあるというわけではないと考えています。だから観念論者と言われている人の哲学の中に、いくらでも唯物論的見解を発見できるし、逆に、唯物論者と自称している人の哲学の中にも観念的な見解は発見できます。（エンゲルスがフォイエルバッハに対して行ったように。）

科学的世界観とカント

　科学的世界観について、私は非常に狭い意味で捉えています。それは、物理学的世界観とでも言うべきものです。科学の方法も色々あるのですが、今日の科学は、社会科学も含め、物理学的世界観にコンプレックスをもっています。私はこれが間違いのもとと考えていて、物理学的世界観を科学的世界観の王座に据えているような科学思想の批判をずっと続けてきました。
　佐々木力が『科学革命の歴史構造』（講談社学術文庫）で述べているように、科学的世界観は、「自然という書物は数学の言語で書かれている」と述べたガリレオの考え方に端的に表明されています。だから、物理学で自然の解明が可能になる、ということなんですね。（因みに、フッサールもガリレオやデカルトの物理学的世界観を批判しようとしました。）佐々木は、デカルトと同時代人のヴィーコが、科学で言う真理は人間が作ったものに関して言えるだけで、自然に関しては言えない、と述べていることをもって、物理学的世界観を相対化しようとしました。
　でもこれだけでは弱いと考えていた私にとって、カントとの出会いは衝撃的でした。というのも、カントは、人間の理性が自然を認識する場合、理性の法則があたかも自然界にもあるかのようにその法則を適用することで因果関係を把握すると考えたのです。自然には法則も因果関係もないのですが、人間の理性には、法則と因果関係があり、これで自然を計っているにすぎないのですね。ところが、人間にとっては理性がつかみとった法則と因果関係とがあたかも自然それ自体にそなわっているように見える。これがカントの超越論的仮象論です。（『純粋理性批判』第2部参照）
　一般にカントは、近代科学の哲学的基礎を築いた哲学者と見なされ、おおむね科学の擁護者と見られていました。でも、この超越論的仮象論は、ガリレオの見解が単なる理性の己惚れに過ぎないことを明らかにしたのでした。つまり、科学の真理性についての根底的な批判が、ここにあったのです。

思惟と存在との同一性

　石井さんは、エンゲルスが思惟と存在との同一性を真理と考えていたと私が述べているかのように受けとっていますが、私はそんなことは述べていません。それはともかく、私が述べたかったのは、エンゲルスが自然の法則と思考の法則とを同一のもの、（つまり弁証法）と考えていた、ということであり、これは先に紹介したカントの超越論的仮象論からすれば、変な考えだ、ということになる、ということでした。エンゲルスも認めているように、哲学者のなかでは思惟と存在との同一性を支持する方が多数派で、これに異論をとなえたのは、ヒュームやカントといった小数者でした。でも人間の科学が下降局面に入った今、エンゲルス自身が認めているように、弁証法も歴史的なものであり、カントの仮象論を活かすことが必要だと私は考えています。
　ところで、その際、ヘーゲルが思惟と存在との同一性をどのように捉えたかを見ておくことが必要です。ヘーゲルの弁証法は、意識を自我と対象（他我や自我も含む）との関係と捉え、そして、意識にとり込まれた意識の契機としての自然と対象とを、対立物の統一（同一性）と捉えて、意識の弁証法的発展過程を叙述したのでした。エンゲルスにはこの三極構造が理解されていないので、例えば「弁証法、いわゆる客観的弁証法は、自然全体を支配するものであり、また、いわゆる主観的弁証法、弁証法的な思考は、自然のいたるところでその真価を現しているところの、諸々の対立における運動の反映にすぎない。」（『自然の弁証法』2、国民文庫、286頁）というように述べてしまうのです。思考vs存在というようにすれば、思考における矛盾は存在の矛盾の反映とされるだけで、人間の主体性を位置づける基点が与えられないのです。ヘーゲルは明らかに、自我vs思考内容vs存在（含む自我）という構成の下に、意識の契機としての自我と、同じく意識の契機となった存在とを、思考内容の素材として弁証法を展開したのであり、これを踏まえることで、カントの物自体－現象－理性という枠組みに含まれる革命的視点を活かせるのです。カントは物自体と現象とを区別しましたが、ヘーゲルが存在を意識の契機にしたとき、これはカントの現象に相当するわけですが、ヘーゲルは物自体を否定することで、存在の全てを意識の契機としてしまったのです。しかし、存在には意識に同等化されない他性があることは明らかで、カントの物自体論は、存在の意識に対する他性の指摘だったのです。

　今回はこのへんで止めておきます。コメント下さればありがたいです。

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Author: admin Published: 2006/1/5 Read 2811 times