序にかえて
　1）旅の再開　2）二里塚　3）旅の今後
第1章　「世界＝内＝存在」について
　1）はじめに　2）『存在と時間』の構想　3）存在についての予断　　4）問うこととは何か　5）コーヒーブレイク　6）存在への問の意義　7）「世界＝内＝存在」　8）「世界＝内＝存在」とは何か
第2章　形而上学批判について
1）ハイデガーとナチズム　2）ハイデガーの転回　3）同一律　4）思考と存在の同一性　5）同一性の本質　6）ハイデガーの同一性論の問題点　7）ヘーゲルとの対比　8）退歩　9）存在－神－論的様態　10）中間コメント　11）差異について　12）差異の現象学　13）現象学を超えて　14）ハイデガーとデリダ

第二章　形而上学批判について

1）ハイデガーとナチズム

　1987年にファリスの『ハイデガーとナチズム』（名古屋大学出版会）が刊行され、ハイデガーとナチズムの関係について三度目の論争がフランスを中心に起こった。この論争の以前にラクー・ラバルトは『政治という虚構』（藤原書店）を書き、ハイデガーが戦後ナチスのアウシュヴィッツについて一切語らなかったことについて次のように告発している。
　ハイデガーの政治については、1933年のナチ党への参加時点での言説に求めるのではなく、むしろ、ナチ党との関係を断って以降の、つまり転回後の言説のなかに求めるべきだが、それは国家－唯美主義だった。
　その結果、戦争の災危についてはドイツのことだけを嘆いている。しかしアウシュヴィッツの問題点はイデオロギーに支配された組織的大量殲滅だった、というところにはない。大量殲滅は人間社会の成立とともにはじまり、戦争や市民どうしの対立の状況に結びつけられ、れっきとした政治的、経済的、軍事的対立があったが、アウシュビッツの場合にはこうしたものはまったくない、ということが問題なのだ。（71頁）従ってドイツのことだけで嘆いているハイデガーは許しがたい、と。
　他方でラバルトは補遺でファリスの本にふれ、この本の論調を批判し、ハイデガー＝ナチということで、いまさらハイデガーなど読めるか、という気分が支配してしまうことを心配している。実際、うがった見方としては、ソ連の強制収容所のバクロでマルクス主義の信頼が失われたように、ハイデガーを継承しているフランス現代思想への右からの攻勢ではないか、というものもあったという。（訳者あとがき384頁）

2）ハイデガーの転回

　外からの批判は別にして、ハイデガーにとってのナチ体験は彼の哲学に転回をもたらすことになった。この転回とは木田元によれば、現存在が存在を規定すると見る立場から、存在が現存在を規定すると見る立場への転回と考えられる（『ハイデガーの思想』岩波新書201頁）。木田はこのことの証明として、ハイデガーの戦後の作品、『ヒューマニズムとは何か』から次の引用を行っている。

「すべての先立ってまず〈ある〉のは、存在である。思考は、人間の本質へのこの存在の関わりを仕上げるのである。思考がこの関わりをつくり出したり惹き起こしたりするわけではない。思考はこの関わりを、存在からゆだねられたものとして、存在に捧げるだけのことである。この捧げるということの意味は、思考のうちで存在が言葉となって現われるということにほかならない。言葉こそ存在の住居である。言葉というこの宿りに住みつくのが人間なのである。
　思索する者たちと詩作する者たちは、この宿りの番人である。彼らがおこなう見張りとは、彼らが語ることによって存在の明るみを言葉にもたらし言葉のうちに保存するというふうにして、その明るみを仕上げることにほかならない。」（木田、202頁より重引）

　存在を現存在から切り離して認識しようとする従来の形而上学に対し、存在の意味を問うことでもって現存在が存在を規定する、ということを現存在の世界＝内＝存在という存在構成でもって示し、新たな形而上学を打ち立てようとしたものが『存在と時間』であった。いま転回によってこの試みが否定されたとき、再び旧い形而上学の立場にもどるのであろうか。そうではない、ということを示すために、ハイデガーは自らの立場を形而上学批判として展開している。

3）同一律

　後期の作品である『同一性と差異性』とから、ハイデガーの形而上学批判をみてみよう。
　ハイデガーは同一性の命題A＝Aから論を起こしている。この形式は、相等性（二つのものの同一性）を表わしていて、Aを同じものとして表わしていない。だからこの形式は、各々のAが自ら同じものであることを蔽いかくしている。そこで、A＝AをAはAであると置く。しかしこの改善された形式でも同一性の内容は示されず、むしろその内容を前提とした抽象的同一性が示されるにすぎない。
　そこで〈ある〉に注目しよう。そうすると、この命題は、各々の存在するものが如何にあるかを、すなわちそれ自らがそれ自らと同じであることを表わしている。同一性の命題は存在するものの存在について語っている。各々の存在するものには同一性が、すなわちそれ自身との統一が属している。こうして同一性の統一が、存在するものの存在における根本的特徴をなす、という近代ヨーロッパの思考に到達する。
　ところが存在するものの存在が西洋的思考において最初に且つ明瞭に言葉に表わされるのはパルメニデスであるが、彼にあっては、相違なるものである思考と存在とが同じものであると考えられている。このパルメニデスの考えには、同一性が存在に属しているとみなす西洋形而上学とは反対に、存在が同一性の内に属する（つまりパルメニデスは「同じ物は即ち思考であるとともにまた存在である」と言っている）と言い表わしている。この場合の同一性とは何を意味するか。パルメニデスは如何なる答えも与えていない。

4）思考と存在の同一性

　パルメニデスの同一性についての思想は形而上学とは反対のものだから、形而上学によってはそれの解明はできない。しかし、パルメニデスの言表から明らかなことは、思考とは存在との自同性を両者の統合性として確定していることである。こうして思考は人間の特質であるから、人間と存在とが出合うところの結合を熟考することが問われる。
　人間とは何か。人間とはある存在するものであり、存在の内に組み入れられているが、しかし彼は思考し、存在に対して、その現前におかれ、存在に関与せしめられ、かくして存在に応答する。人間においては存在へ合することが支配しており、その合することが存在に委ねられているゆえに、存在に聞くのである。
　さて存在とは何か。存在は客体ではなく、現前存在と考える。この意味での存在はそれの語りかけによって人間に関わるゆえにのみ現成し且つ持続する。
　こうして人間と存在とは相互に委ねあっていることがわかる。ではこの人間と存在との結合の内へ侵入するにはどうすればよいか。それは形而上学も含めたわれわれの表象する思考から自らを離脱させることによってであり、飛び去ることによってである。飛び去ることによって人間と存在との結合が経験される。
　その思考の経験は生起である。生起は自らにおいて振動している領域であり、これを通して人間と存在とは相互にそれらの本質において到達しあい、それらの現成しつつあるものを獲得する。それは同時にかの形而上学が与えたかの諸規定を失うことによってである。

5）同一性の本質

　ここで生起と同一性との関係があらためて問われる。生起は同一性とは関係ないが、同一性の方は生起に対して多くの関係がある。それはどのような意味においてか。
　生起は人間と存在とをそれらの本質的結びつきの内へ適応させる。存在は思考とともに同一性に合する。同一性の本質は、生起と名づける結合化に由来する。
　最後に同一性の命題の検証の全体をふりかえってみよう。
　同一性の命題はまず存在するものの根拠における特質としての同一性を前提する。この命題から飛躍がなされ、存在するものの根拠としての存在から離脱し、底のないような深淵の内へ飛躍する。けれどもこの深淵は空虚な無ではなく生起なのである。生起の内で言葉として語られるものの本質が振動する。こうして同一性の命題は、今は同一性の本質が要求するところの飛躍を言い表わす。思考はいまや変せんし、人間の立場を超え出し、存在と人間との位置を、両者が相互に適合するところの生起から観取する。

6）ハイデガーの同一性論の問題点

　以上にまとめたハイデガーの同一性論を検討しよう。ハイデガーは存在するものの同一性ではなく、思考と存在との同一性に注目する。そしてこの同一性は人間と存在との結合にあるが、この結合は存在が人間に言葉をもたらすような振動としてある生起にあることを、形而上学の命題から飛躍して把握することによって規定できるとしている。
　ハイデガーは同一性が、A＝Aや、AはAである、といった形式だけでなく、A＝Bという形式をとることを考慮していない。異なるものの間にある同一性の関係、ハイデガーは思考と存在という関係を想定してはいるが、そこからさらに進むことができていない。
　というのも、ハイデガーにとって存在は意識のうちに現前する限りでのものであり、従って思考と存在との関係といっても、現実には生きている思考と対象化された意識としてある存在との関係でしかなかった。したがって、そこで形成される同一性とは、両者の結合であり、そして、この結合とは生きている思考に言葉がもたらされるある種の働きとしての生起であった。
　形而上学は必ずしも存在をハイデガーのように意識のうちにとり込まれた存在とはみなしていない。それは意識の外にある対象であり、言語記号と指示対象との関係が想定されているのである。それに対し、ハイデガーは、ソシュールのシニフィエを存在の根拠としている。だから「言葉こそ存在の住居である」ということになる。
　結局ハイデガーは言語記号の二重性のうちに同一性を求めたのである。その結果、個々人による言葉の生成が、シニフィアンとシニフィエを結びつける精神的作用が、生起として神秘化され、これが同一性の根拠とされたのである。この生起をハイデガーは今日の技術世界の形而上学的思考を超える新たな思考とみなすのだが、しかし、流動状態にある思考は決して思考ではない。それは対象化されることではじめて思考となる。ではハイデガーは思考をどう捉えているか。進んで「形而上学の存在－神－論的様態」を検討しよう。

7）ヘーゲルとの対比

　ハイデガーは『同一性と差異性』に収められた第二論文、「形而上学の存在－神－論的様態」でヘーゲルとの対話を行なっている。ハイデガーはヘーゲルの思考と自らのそれを三つの観点から比較している。
　第一、思考の事態のちがいについて。
　ヘーゲルの場合、思考の事態は絶対的思考において、存在するものが思考されてあることに着目して存在であり、また絶対的思考として存在である。これに対し、ハイデガーは、思考の事態は同一なもの、存在であるが、しかしそれは存在するものと思考との差異に着目した存在であるとしている。ヘーゲルにとって思考の事態は、絶対的概念としての思想であるが、ハイデガーにとっては差異としての差異なのである。
　第二、思考と歴史との対話の規準について。
　ヘーゲルにとっては哲学史との対話にとっての規準は、先立つ思想家によって思考されたことの力と範囲の中への潜入を意味する。そして思想家の随時の力を思想家によって思考されたことのなかに見い出す。ハイデガーは潜入することにおいては同じだが、しかし、力を既に思考されたことの中に求めず、かえって思考されていないもののうちに、即ちそれから、思考されたことが自らの本質領域を受けとるものの内に求める。
　第三、対話の性格のちがいについて。
　ヘーゲルにとって哲学史との対話は止揚の性格、即ち絶対的根拠づけの意味における媒介的把握の性格をもつ。ハイデガーにとっては思考の歴史との対話の性格は止揚ではなく退歩である。退歩は、これまでは閉却されていた領域への方向を示し、この領域にもとづいてはじめて真理の本質が思考されるべき重要性をもつようになる。

8）退歩

　ではハイデガーが実行しようとする退歩とは何か。退歩は思考を、哲学において従来思考されていきたことから一定の仕方で脱け出させる。思考はそれ自らの事態、即ち存在の前に置き、そして思考されたことを或る向かい合いの内にもたらす。その向かい合いの内において、われわれはこの思考の歴史の全体を観取するが、それは、この全思考の源泉が、その思考の滞在する区域を思考一般のために準備することによって、まさにその源泉となるところのものに関してなされる。退歩は思考されていないもの、存在と存在するものとの差異そのものから思考さるべきことに達する。このことは差異の忘却ということであり、思考されねばならないものはこの忘却なのである。
　西欧形而上学はこの忘却の上に成り立っている。従って存在するものと存在との差異が形而上学の本質をなしており、退歩はこの本質へと動きゆくのである。
　ハイデガーはこの退歩の演習をヘーゲルの論理学との対話として実施している。そこでとりあげられるのは学の始元は何か、という始元論である。ヘーゲルが存在の空虚さを始元とし、それから出発した思考の弁証法的運動が存在に豊かな充実をもたらし、絶対的理念へと自己を完成したときに、そこからはね返るものとしての存在の空虚への自らの外化、という円運動、自らにおいて円運動する存在として、自らを思考する思考、この始元論の正当性をハイデガーは認めた上で、しかし、この始元はヘーゲルにおいては神でもあるとされている点に注目している。
　ハイデガーによればこの形而上学の存在論の始元に導入され、かつ学を神学へと転化せしめている要因は、信仰の対象としての神が問題とされているのではなく、存在と存在するものとの差異という形而上学の本質にありながらなお思考されていないこの差異が、統一として自らを示すところにある。従って形而上学はそれが存在論であるから神学である、という主張は軽率であり、むしろ神が哲学の内に入ってくるのである。

9）存在－神－論的様態

　形而上学の存在－神－論的様態とは、まさに神が哲学のうちにはいってくるから、形而上学が神学となる、ということである。ではいかにして神は哲学の内に入ってくるか。この問は退歩を実行することで問として成立する。
　ハイデガーは退歩することで存在一般が自らを思想として表わすように成りうる様態を明らかにする。存在が根拠として前もって特徴づけられ、しかも思考が――それが存在に結合しているゆえに――根拠としての存在に、根拠を求め且つ根拠を与える仕方で自らを集中すること、これがその様態である。存在は思想として自らを表明する。このことは存在するものの存在が、自体そのものに根拠を求め且つそれに根拠を与える根拠として、事態を顕わすことを意味する。
　次に論とは何か。それはあらゆる場合に全体としての存在するものそのものを、根拠としての存在から、それに根拠を求め且つ根拠を与えるところのその思考に対する名称である。では存在論の内にどのようにして神に入り来るのか。それは思考の事態、すなわち根拠としての存在は根拠が第一根拠、即ち第一原理として表象される場合にのみ、根本的に思考されるからである。これは究極根拠に帰っていって根拠を与えることであり、これは実は神の概念に他ならない。

10）中間コメント

　このハイデガーの存在－神－論的様態という把握は成功していない。というものハイデガーが神として観念しているものは人間の社会性であり、社会的類の形式だからだ。ハイデガーは人間の思考を単に個人的思考としてしか捉えていない。世界＝内＝存在という人間（現存在）の規定も、思考の個人性を前提にしており、共同性は思考にではなく、人間のかかわりという日常世界の実体的な関係に求めているだけである。
　またハイデガーが言葉を存在の住居とみなす場合も、「われわれは絶えずこの住居を通りぬけることによって存在者にゆきつく」（木田204頁からの重引）といった捉え方にみられるように、言語の社会性をそれとして解明しようという意志はみられない。
　真の哲学批判は、言語を人間の実践と捉え、それを思考の対象化された形態と捉えることから開始されよう。とまれ、ハイデガーにもどり、彼の差異論をみてみよう。そこには源デリダの顔が見える。

11）差異について

　存在と存在するものとの差異において思考し、且つ存在するものを存在との差異において思考すること、これが退歩の実行による形而上学の本質への問から導き出されてきた。ところが差異について考えようとすると、われわれが存在と存在するものとに附加した比較関係としての差異の理解という方向へ誘導されてしまう。こうなると差異はわれわれの知性の作為となってしまう。
　この立場から考えると、附加物としての差異はどこに附加されるか、ということが問題となる。人は存在するものへ附加すると答えるであろうが、しかし存在するものとは何を意味するのか。ここで知性の作為としての差異の附加が転倒して、この差異を存在に属するものとしてしまう。ここで注意すべきは、存在はそれ自ら存在するものである存在を告げている。実は表面上の附加物として差異を知性が表象したその場所で、われわれはその差異における存在と存在するものとに、常に前もって出会っているのである。
　このような光景について、思考というものはそれが自らの頭脳を超え出ていて、しかもこの頭脳から由来しているという仕方で、存在するものと存在との間に差異を、あらゆる場合に前もってもちきたす、というように一応は考えられよう。しかし、そのとき差異が差し込まれるべきところの、その〈問〉はどこから生じるのか、ということが問題となる。
　存在と存在するものとがそれぞれ独自の仕方で差異から現われるとすると、この差異についてどう考えるか。その際、われわれはまず差異に向かって、事態に即する向かい合いに直面する。この向かい合いは退歩を実行するとき、開かれるものである。

12）差異の現象学

　ここでハイデガーは、差異を関係として捉えようとしている。それはどのようにしてなされているだろうか。
　まず差異をたえず直視しつつ、しかも差異を既に退歩によって思考すべきものの内へ解き放ちつつ、存在するものの存在は、存在するもので在るところの存在であると言うことができる。存在はここでは、存在するものへの推移の仕方で現成する。しかも存在は自らの場を放棄しつつ存在するものへ移行するのではない。
　存在は隠蔽を取り除きつつ、次のものに転移する。そのものとはかかる転移によってそれ自体隠蔽されていないものとして初めて到来するところのものである。存在は顕わしつつある転移として自らを示す。存在するものそのものは、非隠蔽性に自らを隠したもちつつ到来する仕方で現象する。存在は顕わしつつある転移の意味において、同一なるものにもとづいて、即ち差－別にもとづいて、かく差別されたものとして現成する。かかる差－別は、転移と到来とが互いに相即し、且つ不即不離の関係におかれているところの〈問〉を始めて生じせしめ且つ分離するのである。
　存在と存在するものとの差異は、転移と到来と差－別として、両者の顕わしつつ隠したもつ定まりである。定まりには自らを包み隠しつつ秘めているところの明るさが支配する。この支配が転移と到来との分離と融合とを生ぜしめるのである。こうして差異を消滅させず、それの本質的由来へと追求し、差異から存在が思考される。

13）現象学を超えて

　ハイデガーはここで意識のうちに現前している存在と存在するものとの関係を想定している。彼が差－別と見ているものはこの関係における両極であり、この両極ははもちろん差異に他ならない。
　ところがハイデガーにとって、思考は対象化されたものとしては捉えられず、もっぱら働きである。そうすると、この関係は関係としては捉えられず、転移と到来という運動とみなされる。だから彼はこの運動を定まりとみなし、そして、ここに〈問〉を見ている。思考を対象化された形態において捉えることをせず、それを生きたものとして取り扱う限り、関係は運動に解消され、合理的思考は神秘主義的思考へと転移されていく。
　ここで定まりを対象化された意識形態として捉え返してみよう。そうすると存在者と存在との関係における同一性は対象化された意識にあり、そして、特定の存在するものと、存在という差異がこの同一性の関係における両極をなしていることが知れる。この関係において〈在る〉という概念は、形態規定され、対象化された意識の化身とされる。そして、存在者の方は、そうすることで自らを対象化された意識として表現することができるのである。このことによって意識は社会的形態を獲得し、個人の思考を超えた存在、ハイデガーの言う〈神〉へと転化する。
　ハイデガーはこの現実に存在している社会的意識の形態の謎を個人の生きた思考の見地から解こうと試みているが、しかし、それはしょせん不可能な試みである。
　実際にハイデガーは、言葉への問にぶつかってしまった。しかし、意識の社会性についての理解がなされていないハイデガーには言葉への問すら立てられない。だから、「困難なことは言葉にある」と語って、ただ当惑するだけである。そして、晩年には詩や芸術に期待をかけることになる。

14）ハイデガーとデリダ

　ハイデガーの哲学をかけ足で見てきたいま、ハイデガーとデリダの関連について簡単にまとめてみよう。
　『声と現象』『グラマトロジーについて』『エクリチュールと差異』の三冊を68年に同時発売した頃のデリダを前期デリダとしておこう。この時期のデリダの方法論的キーワードには次のものがあった。
　差延。これは差異をつくりだす運動とされる。
　痕跡。これは根源の根源、根源を構成するもの。
　間＝化。これは時空の分節、時間の空間化、空間の時間化を意味する。
　差延はハイデガーの転移と到来との差－別に由来している。差異と差延がパロールとしては区別できない、といったグラマトロジー上の理屈は別にして、その本来の概念はハイデガーから受けつがれている。
　痕跡はハイデガーの退歩の実行の帰結である。文字を痕跡にまで退歩することでハイデガーの生起の根源を示している。ハイデガーにあっては飛躍によって思い出されたのは音の振動であった。声を批判するデリダは、これに習って、文字に痕跡を見い出したのだ。
　間＝化はハイデガーの差異が差し込まれる〈間〉から来ている。
　その他形而上学を存在－神－論と見る点でもデリダはハイデガーに従っているし、また同一性を反復として捉える同一性論も共通している。こうしてデリダがハイデガーが思考を終えた地平から出発していることは明らかである。
　とはいえ、デリダのデリダらしさはもちろん確認しておくべきであろう。まずソシュールの影響を受けて、言語論についてはハイデガーを超えた地平に到達している。次にハイデガーには欠落している自＝他関係については、それが還元不可能だという認識（つまり他者論）がある。さらに構造主義との対話によって、人間の社会性についての理解と意志の自立への批判が芽生えている。
　デリダ論が書ければ面白いとは思うが、いまはこのコメントで終えておく。

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