序にかえて
　1）旅の再開　2）二里塚　3）旅の今後
第1章　「世界＝内＝存在」について
　1）はじめに　2）『存在と時間』の構想　3）存在についての予断　　4）問うこととは何か　5）コーヒーブレイク　6）存在への問の意義　7）「世界＝内＝存在」　8）「世界＝内＝存在」とは何か
第2章　形而上学批判について
1）ハイデガーとナチズム　2）ハイデガーの転回　3）同一律　4）思考と存在の同一性　5）同一性の本質　6）ハイデガーの同一性論の問題点　7）ヘーゲルとの対比　8）退歩　9）存在－神－論的様態　10）中間コメント　11）差異について　12）差異の現象学　13）現象学を超えて　14）ハイデガーとデリダ

序にかえて

1）旅の再開

　96年に始めた哲学の旅は、本誌4巻2号に西田哲学をとりあげることから出発した。その一里塚で、哲学の大前提を疑う問題意識を三点にわたって書き留めておいた。いま、ここでそれを再掲することから旅のつづきを始めよう。

「1）存在の論理と思考の論理の一致という従来の前提にその不一致を対置する。
　2）意志の自立という従来の前提に対してそれを疑う。
　3）主体と客体を媒介する媒介者は対象化された形態においてしか認めない。」

　西田哲学の旅は以降中断していて、この時点で何をとりあげようとしていたのか。もはや記憶はない。他方PC講座で関係の論理を定式化すべく努力し、その一環として現代哲学批判というテーマでデリダをとりあげてみた。
　デリダを読むにはデリダのテクストと共に、デリダが解読しようとしているテクストをも読まなければならない、と言われているように、初期デリダを読むうちに、ハイデガーの哲学にさそい込まれてしまった。
　というよりも、デリダを読むうちにハイデガーの問題意識が判明し、『存在と時間』の構想が透けて見えてしまった、といった方がよい。そして、そのあとハイデガーの『同一性と差異性』を読んでみると、デリダの問題意識（差延、痕跡、間＝化、など）は実は後期ハイデガーに含まれていたことが明らかとなった。実際デリダはハイデガーの手の掌の上で踊っていたのであり、フッサールを批判した『声と現象』は、ハイデガーの手法を用いたフッサール批判だったわけだ。デリダへの道はハイデガーに通じていた。
　デリダの哲学は、ハイデガーから借りてきている散種であり、いつかどこかに生えてくる種をまくことを目的としている。それもあってか、この種を生育させる土壌のないところでは不毛なままに終る。デリダを読んでもすこしもかしこくならないのだ。土壌はデリダが解読するテキストの方にある。というわけで、当初はデリダを旅する予定がハイデガーへの旅となってしまった。

2）二里塚

　ハイデガーの旅を終えて二里塚に何か書き印しておこう。ハイデガーのテクストで利用したものは『存在と時間』（ちくま学芸文庫）と『同一性と差異性』（理想社）だけである。『根拠律』や『ヒューマニズムとは何か』も参照したかったが、手近になく、今回は見切ることとした。二つのテクストの訳語は統一されていないが、原典にあたって統一する作業にも手をつけなかった。
　また、引用文を並べる形式を避けた。読みにくいことの他に、哲学の文献はおよそ引用して議論するには適していないのである。それでハイデガーの説を紹介する部分には、要約と文字通りの引用とがまざりあっているが、いちいち引用符はつけなかった。
　さて、今回の旅で記録しておきたいことはやはり三つある。
　第一に、ハイデガーの「世界＝内＝存在」という現存在（人間）についての存在構成が、思考の内部で形成されるものとされているのだが、これは実はソシュールが批判した言語名称目録観の別の様式での図式化としての意義をもつことだ。
　「世界＝内＝存在」とは当のハイデガーには思いもよらないことだが社会的類としての人間が形成している記号の世界のことであり、外的対象としての世界と人間との間に透明の意味作用の要素のちりばめられた袋としてあるもののことなのだ。そしてこの袋は人間を空間的に内に入れるといったイメージのものでなく、人間の意識の対象化された形態として、生きた思考による対象化された意識の生産様式として人間と関連しているのである。
　第二に、ハイデガーが問題にしている思考と存在との同一性とは、彼も認めているような双方の結合、生起にあるのではなくて、この同一性は双方が対象化された意識である、という点にあるということだ。ハイデガーは差異を論じるに際しては、差異を存在者と存在との転移と到来のうちに立てられる差－別がつくる〈間〉にもとづく定まりのうちに保存し、差異から存在を思考しているが、これは実はハイデガーが事実上、異なる二物の同一性という関係を念頭において思考していることを示している。ただ彼は、意識を対象化された形態で捉えないから、デリダも認めるように「活動中の差延作用についての学はありえず」、従ってハイデガーの思考は何ら学を形成しえなかったのである。
　第三に存在＝神論の批判についてであるが、ここに言われる神が信仰の対象としての神ではなく、無限者という哲学的意味での神のことなのだが、これは実は人間の社会的類性のことに他ならない。デリダは同一性を反復と捉え、人間が死に行く者であるが故に、この反復が無限となる、というようにからめ手から攻めているが、デリダにも人間の社会性は見えてはいない。

3）旅の今後

　一里塚で書き留めたことと、二里塚で書き印したことを現時点でなしうる限りで関連づけて旅の今後を考えよう。
　ハイデガーに端を発する現代哲学の泣き所は、デリダも認めているように、学にならない差延作用（これには西田哲学の無、働くこと、ハイデガーの定まりや生起が含まれる）について思考しているところにある。だからデリダは自らの哲学行為を散種として位置づけ、いつか到来する人類史の新段階での人びと、いまこの世にいない人々のためにひざまずくことになる。これでは哲学的言説は批判の武器にはなれない。
　抜け道は差延作用に注目するのではなく、差延作用がつくり出す差異に、そして諸差異がおかれている関係に注目することであり、意識を意識形態として、対象的活動として捉えるところに開かれている。
　この抜け道はもはや哲学の道ではない。商品や言語や意識といった人々が日常的に親しんでいるにもかかわらず、その意味が不明なこれらのものを解きあかす文化知の道である。
　ところでデリダはどこかで、形而上学を解体していくためには、形而上学のうちにある言語論を批判することが必要だといった意味のことを述べていた。だがデリダにこの意志はあったにしても批判のための武器を手にしていない。哲学の旅は、ハイデガーからさらにさかのぼって、フッサールの記号論をデリダの『声と現象』とつき合わせて検討し、またルソーの『言語起源論』をデリダの『グラマトロジーについて』とつき合せて議論するという方向へと向うのだろうか。序にかえて

第1章　「世界＝内＝存在」について

1）はじめに

　哲学を古代ギリシャに端に発し、近世ヨーロッパにおいて形成された社会的意識形態であると捉えるなら、20世紀における最後の哲学的テキストの生産者はハイデガーであろう。
　哲学を一つの歴史的で特殊な社会的意識形態と見るとき、その特徴は哲学が自らを諸学問に先駆し、かつそれらを統合する形而上学として位置づけているところにある。この位置づけは近代における自然科学と技術の急速な発展によって、哲学的思惟が個別科学の全体を射程に収めることが不可能となるに及んで、哲学復権の試みが幾度もなされはしたものの、フッサールによる現象学の提起とハイデガーによるその体系化の努力を最後にとだえてしまったと見てよいだろう。
　にもかかわらず哲学は死にたえて何か他のものにとって代わられたわけではない。むしろ伝統的な形而上学としての哲学を批判すると称する哲学的言説はさかんにもてはやされている。
　このような現状に際し、われわれがすえるべき目標は、今日の社会に成立している社会的意識諸形態の批判である。それは言語批判に始まり、宗教や哲学や科学の批判へと展開されるであろう。その時にわれわれが採るべき作戦は、伝統的な形而上学としての哲学に含まれる哲学的思惟を批判の武器とすることである。ハイデガーの思想に、そのような批判の武器を見い出すことができるだろうか。

2）『存在と時間』の構想

　ハイデガーは『存在と時間』の「序に代えて」で、自らの著書の基本的内容について簡潔に述べている。それをかみくだいて紹介してみよう。
　古代以来の哲学の根本的努力は、存在者の存在を理解し、これを概念的に表現することをめざしてきた。しかし存在というようなものがどこから理解できるようになるかという解明はなされてこなかった。それで、このあらゆる存在理解のための地平を解明することが自らの課題となる。
　このようにハイデガーが結論づけるとき、すでに一定の存在理解の地平が予定されている。それは人間（現存在）がもっている存在了解を通俗的な水準から脱却させていくことであり、このような地平は時間（歴史）に他ならないというのである。そして、『存在と時間』で展開していく存在論の方法について次のように述べている。

「存在了解が現存在にそなわっているとすれば、存在了解の構造や条件やその可能性は、この現存在という存在者の分析をつうじて解明できるはずである。そこで、現存在の分析論は、いくつかの本質的な実存現象（良心、死、負い目）についての存在論的解釈をつうじて、現存在の根本的構成を明らかにしようと試みる。そして、現存在の実存的構成を可能にする存在論的条件として、現存在の分析論があらわにするものは、時間性である。この時間性のなかに、同時に歴史性も根ざしている。時間性を解きほごしていくと、通俗的時間概念や伝統的時間概念よりもいっそう根源的な時間概念に達する。前者は、実は、後者から必然的に発源した派生態にすぎないのである。
　現存在の存在が時間性にもとづくとすると、この存在者の本質的な構成契機である存在了解も、『時間』を根拠にしなければ成立しえないわけである。そこで、この『時間』がそのようにして存在了解の地平としての機能を発揮しているのかを示すことが必要になる。
　こうして、すべての存在論の根本問題、すなわち存在一般の意味への問いに答えが得られるならば、それにもとづいて、古代からヘーゲルにいたる学的哲学の動機や傾向も、いっそう根底的に理解できるはずである。それによって、哲学的伝統の積極的な内容が正当に評価されるとともに、それの限界やこれらの限界の必然性も理解されることになる。この意味における存在論的伝統の体得は、一方では古代以来、時間が存在論的問題設定の表立たぬ地平としてはたらいてきたということを立証し（たとえば、いわゆるアプリオリは一種の『時間的』概念である）、他方では、それにもかかわらず存在了解の地平としての時間がいままでなにゆえに蔽われたままでありえたのか、蔽われたままであらざるをえなかったのか、ということの根拠を開示しつつおこなわれる。」（『存在と時間』ちくま文庫版、20頁）

　このあとすこしハイデガーの言説を追ってみることにしよう。

3）存在についての予断

　ハイデガーは、多くの存在者のうち、人間だけを存在了解をもつ存在者とみなし、それを現存在と呼んでいる。存在、存在者、現存在、存在了解、これらの諸規定のうえに現存在（人間）という存在者の分析を通じて存在了解の構造、条件、可能性を解明していくのが彼の前期の哲学なのであるが、この解明にとりかかる前に、予備的考察を行っている。そのポイントは二つあり、まず、存在への問が提出されなかったことの要因として、存在についての予断があったことがあげられ、次に問う、ということについての考察がつづいている。
　ハイデガーによれば、存在へ向って問うことは不必要だと思わせる予断には三つあるとされる。
　第一、存在はもっとも普遍的な概念である。
　第二、存在という概念は定義不能である。
　第三、存在は自明の概念である。
　これら三つの予断を吟味することで、ハイデガーは存在への問の必要性を説く。まず存在は普遍的な概念だといっても、その概念が明確に規定される類的普遍性をふみこえる超越的なものである。だから、存在はもっとも普遍的な概念だというとき、それが明白で、もうそれ以上の究明を必要としないものだという意味ではなく、存在の概念はむしろ、もっと暗い概念であり、問うに値する。
　次に存在という概念が定義不能だ、ということはその通りで、存在は存在者のように類と種差によって定義づけることはできない。しかし、このことから存在にいかなる問題もそなわっていない、という結論は導くことができず、言えることは存在を存在者として把握することはできない、ということだけである。とすれば存在を定義することは不可能だということは、存在の意味への問を免除するものではない。
　最後に存在は自明の概念だ、といっても、それは存在（ある）という言葉が、「山がある」とか「川がある」というように使われて、わけもなく了解されていることを指しているにすぎない。しかし、誰もが了解しているこの「ある」のわかりやすさは実はわかりにくさを証拠だてている。われわれが、いつもある存在了解のなかで生きていて、しかも存在の意味が暗がりにつつみ込まれているということは、存在の意味への問を反復することの原理的な必然性を立証している。
　ハイデガーは、存在について理解し、それを概念的に表現しようとする立場から三つの類型をとり出し、それらの存在についての概念規定が必然的に存在の意味の問の必要性へと導くことを示している。そして存在への問いには答えが欠けているだけでなく、問そのものがきちんと立てられていないと述べている。

4）問うこととは何か

　こうして存在の意味への問を、問として立てることが次の課題となる。ハイデガーによれば、すべて問うということは求めることである。そしてすべて、求めるということは、求められているものの側からあらかじめ受けとった指向性をそなえている。問うことは、存在するものを、それが現にあるという事実とそれがしかじかにあるという状態について認識しようと求めることであり、問われているもののほかに、問いかけられているものが属している。そこで存在の意味へむかって問をたてると次の四点にわたる問いそのものの構成的諸性格に直面する。
　第一、存在の意味は、なんらかの形で、すでにわれわれの手のとどかないところにあるはずである。
　第二に、存在は存在者を発見する様式とは本質的に区別されるような特別の挙示様式を必要とする。
　第三、問われているものが存在であり、存在とは存在者の存在であるとすれば、問いかけられているもの（回答者）は当然その存在者だ、ということになる。
　第四、存在への問を問いかけられている存在者は現存在である。
　ここでハイデガーが現存在（人間）が存在に対して何となくもっている存在了解をひとつの既成事実として承認する。しかしいきなりこの手のとどくところにある存在了解を解明するわけにはいかない。というのも存在の意味を把握するためには特別な概念組織が要求されるからである。そこで問われているものが存在者であることが判明すれば、存在の方を見やり、その意味を理解し、かつこれを概念的に表明することが要求され、このことはある存在者が自らをそれの存在において透明にすることであり、この問を問うという働きがある存在者の存在の様態であることになる。こうして存在の意味への問はある存在者（現存在）をそれの存在についてまず適切に解明しておくことを要求するが、これが特別な概念組織となるというわけである。

5）コーヒーブレイク

　ここまで読み進んで来てみると、『存在と時間』はそんなに難解ではないことが判明する。ヘーゲルの論理学や現象学に比べ、弁証法が使われていない分平易である。ところが私事になるが、これまで『存在と時間』の読破を何度か試みたが、常に挫折してきた。
　ひとつは人間を問題にしていながら、それを社会関係の総体としては捉えず、人間の社会性、ということに全く無自覚で、例えば商品に対しても、それを単なる使用価値としか見ていず、これを用具と捉える、といったおよそ見当はずれの展開がされている、ということでまともに読む気がしなくなる、ということがあった。もう一つは、序論で展開がされているハイデガーの問題意識について、どうしても共有できなかったのであった。
　ところがPC講座の現代哲学批判というテーマでデリダをとりあげることになり、かの難解な非－哲学を読んでいるうちに、ハイデガーの問題意識が了解できるようになっていった。
　デリダが何故哲学と形而上学の批判にこだわっているのか、ということについて考えてみると実は哲学という社会的意識形態は、われわれ日本人にとっては外来のものであり、われわれにとってはそれは未開の世界を開いてくれるものであった。ところが、子供の頃から、聖書を読まされ、またプラトンやアリストテレスに親しんできたヨーロッパのインテリゲンチャにとっては、それは自己意識の形態でもあったのだろう。ヨーロッパのインテリゲンチャの自己意識との格闘が現代思想と一括されている種々の哲学批判の言説だったとしたら、もっぱら哲学を自己意識とはしていないわれわれにとって、それは一体何なのか、という疑問がわいてくる。
　日本人の自己意識は、学的形態をとったことはなく、外来の思想はもっぱらこの自己意識への批判として作用してきたにちがいない。他方、資本主義の発展は西欧、アメリカ、日本で人格の物象化、物象の人格化を極限にまで進め、そうすることで、ある種共通の社会的意識形態をもった自己意識の形成を促進している。現代思想の試みは、この新しく形成されつつある社会的意識形態と哲学とのキレツに根をもっているのであろう。
　最もラジカルな意味で理解された哲学とは、意識が社会的意識形をとらざるを得ないことへの批判としてあるだろう。それはもはや哲学という形式に収まらず、実践の思想となるだろう。物象化が進展し、独特の社会的意識形態が手にとるように鮮明になってきた今日、これを批判する実践の思想には批判のための武器が必要である。そこで、われわれはデリダが行っている、自己意識との格闘としての哲学批判ではなく、哲学のなかに批判の武器を求める立場からの哲学批判を課題とすべきであろう。実際のところ、西欧の所産である哲学は、資本主義の物象化作用にもとづく新たな社会的意識諸形態によって解体されてきている。従って哲学批判は時代の要請でもあることになる。
　といったことを考えながら、『存在と時間』を読みなおしてみると、ハイデガーの思考の舞台裏が透けて見えてきてしまった。木田元『ハイデガーの思想』（岩波新書）によれば『存在と時間』は失敗作だ、ということだが、ハイデガー自身の思惑がどうであるか、ということを一切に問題にせず、一つのテクストとして『存在と時間』を読む限り（これはデリダの得意技だが）これはこれで美事に完結している。

6）存在への問の意義

　さて余談をはさんだところでテキストにもどろう。ハイデガーは問うことについて問いつめたあと、転じて、この存在への問の意義について述べている。ハイデガーは自問する。人にはこの問が何の役に立つのかと問うだろう。それは普遍的な普遍性についての宙に浮いた思弁の仕事にとどまってしまうのではないか。そうではない、この問はもっとも原理的であると同時にもっとも具体的な問いなのだ、と。
　というのもそれぞれの存在者に対応し、それぞれの学問分野がある。ところが存在者が存在するというこの存在の領域については、学問は素朴な態度でおおまかに遂行しているにすぎない。ところが学問の危機はつねにこの基礎概念の動揺をともなってきた。そこでこの基礎概念そのものの理解があらゆる実証的研究を先導することとなるから、この基礎概念の探求、つまり存在への問は実証的諸科学に先駆しなければならないし、また先駆することができる。
　このようにハイデガーが主張できたのも、彼が独自の存在論をイメージできたからであった。それは存在を理解することではなく、存在の意味を問うことであり、存在の存在構成を提示できる、という自信に裏づけられていた。それこそが「世界＝内＝存在」に他ならなかった。

7）「世界＝内＝存在」

　現存在（人間）の「世界＝内＝存在」という存在構成を導き出すハイデガーの手際に移ろう。
　まず単なる存在者と現存在とのちがいに注目する。現存在は他の存在者に比べ、おのれの存在においてこの存在そのものに関わらされている。これはまた現存在はおのれの存在においてなんらかの明確度において、自己を了解していることだ。従って存在了解はそれ自身現存在の存在規定である。
　次に現存在がしかじかのありさまでそれに関わり合いうる存在そのものを、実存と名づけている。現存在は自己自身をいつも自己の実存から了解している。
　ところで実存が問題となる限り、実存性が先行しなければならず、そして実存性とは、実存する存在者の存在構成であり、この存在構成にすでに存在の理念が含まれている。こうして現存在には本質上、なんらかの、世界の内に存在するということが属していて、それは世界＝内＝存在という存在構成が存在の意味を開示するものなのである。
　この世界＝内＝存在という存在構成のハイデガーによる導出はどうも説得力がない。むしろ、現存在の存在構成は世界＝内＝存在だ、という思いつきが先にあり、それを導く現実的な手がかりなしに叙述したという感が深い。というのも、ハイデガーは本論の方では次のように宣言しているからである。

「ところで、ここにあげた現存在の存在規定は、われわれが世界＝内＝存在と名づける存在構成をもとにしてアプリオリにみとどけられ、かつ了解されなくてはならない。現存在の分析論の正しい手がかりは、この存在構成を解釈することによってつかまれるのである。」（130～1頁）

　ではこの存在構成を了解した上でハイデガーの言うところを聞こう。
　まず内＝存在とは、空間の中にある、という意味ではない。というのも、世界自体、客体的自然のことではなく、現存在をとりまく環境世界のことであり、意識の内にとり込まれた世界であって、それは自然的な空間の中にある、というイメージではない。
　次に世界＝内＝存在が、個人の世界だ、ということになると困るので、個人としての現存在が、共通の世界の中にとけ込んでいると考える。
　このような内＝存在の様式としてハイデガーは、「何かに関わりをもつ」、「なにかを製作する」、「なにかを整頓し、手入れする」、「なにかを使用する」、「なにかを棄てたり、なくしたりする」、「企てる」、「やり通す」、「探す」、「問いかける」、「考察する」、「論ずる」、「規定する」、「配慮」、をあげている。

8）「世界＝内＝存在」とは何か

　ハイデガーが現存在の根本的構成として提出した世界＝内＝存在とは一体何だろうか。
　これを人間を社会関係の総体と見るマルクスの見地と対比してみよう。ハイデガーの世界はあくまでも意識化された限りでの世界だから、意識の外にある外的世界は切り捨てられている。従って外的対象と人間とがとり結ぶ関係はハイデガーの視野には入ってこない。ハイデガーが製作というときも、労働手段が資本として、労働者に対立してあらわれる、といった、労働の社会的規定については一切無自覚である。というのも、人間の意識の中では、貨幣や資本は単なる外的自然としてしか意識されないからであり、世界を意識化された世界と捉えるハイデガーの構成からは、それらはこぼれ落ちざるを得ないのである。
　この点はハイデガーの構成の否定面であるが、次に世界を意識の内での世界とすることであらわれる世界＝内＝存在ということの本当のところを追求しよう。
　実はこれはソシュールが批判した言語名称目録観をなぞっているのではないか、というのがここでの回答である。
　ハイデガーは存在という言葉の意味を問いうことを通し、存在という言葉がつくられ、了解されている人間の意識の構成にたどりつき、それを表現したものが世界＝内＝存在という存在構成だったのではなかろうか。そして、それがソシュールによって批判されていた言語名称目録観と同型であるところに、ハイデガーが最後の哲学者として哲学のテクストを書きあげ得た根拠がある。

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