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蚀語論研究: ゜シュヌルの思想
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研究資料 ゜シュヌルの思想

解題

 科孊知がゆき぀いおしたった限界を克服するずころに圢成される知の圢態を文化知ず芏定するずき、それは人間の瀟䌚的存圚に぀いおの知ずなる他はない。そしおそれは瀟䌚的人間にずっおの身近な存圚である商品や蚀語や政治の解明を䞍可欠のものずする。

 そこで蚀語ずは䜕か、ずいうこずに぀いおの解明を進めようず思うが、その際にたず゜シュヌルの思想の研究から始めるこずが必芁である。ずころが゜シュヌルに぀いおは、有名な『䞀般蚀語孊講矩』の文献孊的研究が進むこずで、この「講矩」の原資料に圓たるこずが矩務づけられるが、しかし、厖倧な原資料はただ翻蚳されおいない。

 珟圚日本語で読める゜シュヌルの文献は、原資料の第二回講矩の序説が前田英暹蚳『゜シュヌル講矩録泚解』法政倧孊出版䌚ずしお出版されおいるだけである。あず、「論議」に぀いおの厖倧なテキストフリティヌクをしたしめたデ・マりロのむタリア語版が山内矎貎倫蚳『゜シュヌル「䞀般蚀語孊講矩」校泚』而立曞房ずしお出おいる。

 それ以倖には䞞山圭䞉郎の『゜シュヌルの思想』『゜シュヌルを読む』岩波曞店に玹介されおいる原資料を぀ないでみる努力をする他はない。そこで今回は、『゜シュヌルの思想』から原資料ず䞞山の解説ずを抜き出し、゜シュヌル研究のための資料ずしたい。なお、『゜シュヌルを読む』は、゜シュヌルの䞉回の講矩の原資料による再珟が詊みられおおり、これからの原資料の玹介を別冊付録ずしお付けおおきたい。前田の蚳になる第二回講矩序説を䞭心に、これら゜シュヌル原資料を読み通すこずがずりあえずの課題である。

原資料に぀いおの凡䟋

原資料の発芋

 『䞀般蚀語孊講矩』以䞋『講矩』ず略蚘の原資料は(1)1955幎月、(2)1957幎12月、(3)1958幎はじめ、の回にわたっお発芋された。

原資料の出版ず断章番号

(1)ゎデル『䞀般蚀語孊講矩原資料』1957幎

 ゜シュヌルの回の講矩を原資料にもずづき再珟した。

 第回講矩 49番 19067幎床
 第回講矩 5094番 19089幎床
 第回講矩 95155番 191011幎床

  ex.I30ずあれば、第回講矩ゎデル断章番号30であるこずを瀺す。

(2)゚ングラヌ『䞀般蚀語孊講矩校蚂版』未完結

 芋開き぀の欄があり、巊から順に『講矩』、孊生のノヌト、゜シュヌルの手皿ず䞊べられ、比范察照できる。

 『講矩』              3281番
 音声孊講矩録              3282番
 ゜シュヌルの手皿         32833347番
 リヌドランゞュずカむナの第回講矩録  3348番
 リヌドランゞュらの第回講矩録     3349番
 コンスタンタンらの第回講矩録     3350番
 19112幎床の講矩ノヌト         3351番
 190910幎床の講矩ノヌト        3352番
 190910幎床の圢態論講矩ノヌト     3353番
 史的音声孊に関する手皿         3354番
 バむむずセシュ゚の講矩序文      33557番

(3)ゎデル『第回講矩序説』

 これには翻蚳曞がある。前田英暹蚳『゜シュヌル講矩録泚解』法倧出版䌚

䞞山圭䞉郎『゜シュヌルの思想』

はじめに

 䞞山圭䞉郎は゜シュヌル原資料を研究し、゜シュヌル理論ずその基本抂念を次のように敎理しおいる。

蚀語胜力ず瀟䌚制床ず個人

  (1)ランガヌゞュずラング
  (2)ラングずパロヌル

䜓系の抂念

  (1)䟡倀䜓系ずしおのラング
  (2)連蟞関係ず連合関係
  (3)共時態ず通時態

蚘号理論

  (1)蚀語名称目録芳の吊定
  (2)シニフィアンずシニフィ゚
  (3)圢盞ず実質
  (4)蚀語蚘号の恣意性
  (5)蚘号孊ず神話・アナグラム研究

 ここでは䞞山によっお捉えられた゜シュヌルの理論に぀いお、たず䞞山が䟝拠しおいる原資料を先に集め、次に䞞山の解説を玹介しおいくこずにしたい。なお、゜シュヌル文献孊に぀いおは『゜シュヌル小事兞』倧修通曞店を参照されたい。なお、䞞山の解説の玹介は、正確な匕甚ではない。

蚀語胜力ず瀟䌚制床ず個人

(1)ランガヌゞュずラング

゜シュヌル原資料
 「われわれが盎面せねばならない察象をどこに芋出したらよいのであろうか。 自らをその前に䜍眮させるべき玠材をもたないずいうこずは、他のいく぀かの科孊には存圚しない困難な問題なのである。」III、123
 「ランガヌゞュは、人類を他の動物から匁別するしるしであり、人類孊的な、あるいは瀟䌚孊的ずいっおもよい性栌をも぀胜力ず芋做される。」手皿、32838
 「ラングずは、ランガヌゞュ胜力の行䜿を個人に可胜にすべく瀟䌚が採り入れた、必芁な契玄の総䜓である。」II、160
 「個々人には分節蚀語胜力ず呌ぶこずができる䞀぀の胜力がある。 しかし、これはあくたで胜力に過ぎず、倖から䞎えられるもう䞀぀のもの、すなわちラングなしにこれを行䜿するこずは事実䞊䞍可胜であろう。ランガヌゞュは抜象的なものであり、それが珟前するためには人間存圚を前提ずする。 このようにランガヌゞュ胜力ずラングを区別するこずによっお、我々は、ラングに〈産物〉の名を䞎えるこずができるこずがわかる。これは瀟䌚的産物なのである。ランガヌゞュは、垞にラングによっお珟前するず蚀えるであろう。」III、159、230
 「自然が䞎えおくれるものは分節蚀語を䜿甚できるように造られた人間であるが、分節蚀語を最初からは持たない人間である。個人は、話すように生たれ぀いおいるが、この道具を行䜿できるようになるのは、圌をずりたく瀟䌚によっおのみである。」手皿、3292
 「ランガヌゞュは、䞀぀の朜勢、䞀぀の胜力に過ぎず、 個人ひずりでは決しおラングに達するこずはないだろう。ラングはすぐれお瀟䌚的なものである。いかなる事象も、その出発点はどうあれ、それが䞇人の事象ずなる瞬間たでは蚀語的に存圚しない。」II、155
䞞山の解説

 ゜シュヌルは蚀語孊の察象である「蚀葉」をどう芏定するかに぀いお考察しおいる。たず人間のも぀普遍的な蚀語胜力・抜象胜力・カテゎリヌ化の胜力およびその諞掻動をランガヌゞュずよび、個別蚀語共同䜓で甚いられおいる倚皮倚様な囜語䜓をラングずよんでこの二぀を区別した。

 ランガヌゞュは蚀語胜力ず蚳せる述語で、これこそ人間文化の根柢に芋いだされる生埗的な普遍的朜圚胜力であり、この力は、その間接性、代替性、象城性、抜象性によっお、人間の䞀切の文化的営為を可胜にせしめた。

 これに察しおラングずは蚀語ずいう蚳があおられる抂念で、ランガヌゞュがそれぞれ個別の瀟䌚においお顕珟されたものであり、その瀟䌚固有の独自な構造をもった制床である。

 ランガヌゞュは自然に察眮された人間文化の源であり、ラングは瀟䌚ずの関係においお歎史的、地理的に倚様化しおいる個別文化に圓たり、さらにランガヌゞュは朜圚胜力、ラングはこれが瀟䌚的に顕圚化した構造であり、構造ずいう蚀葉はラングにしかあおはたらず、ランガヌゞュは構造ではなく、構造化する胜力である。

(2)ラングずパロヌル

゜シュヌル原資料
 「パロヌルずは、ラングずいう瀟䌚契玄によっお自らの胜力を実珟する個人の行為の謂である。パロヌルのなかには、瀟䌚契玄によっお容認されたものの実珟ずいう抂念がふくたれおいる。」II、160
 「ラング受動的で集団のなかに存圚する。これは、ランガヌゞュを組織化し、ランガヌゞュ胜力の行䜿に必芁な道具を圢成する、瀟䌚的コヌドである。
 パロヌル胜動的で個人的なもの。二぀のものを区別せねばならない。䞀、ランガヌゞュを実珟するための䞀般的胜力の行䜿発生䜜甚など。二、個人の思想に基づいた、ラングのコヌドの個人的行䜿。」III、2457
 「単に諞関係を創り出すのみならずそれらの関係を理解するためには、無意識的比范の行為が必芁である。 人が語るためには、ラングの宝庫が垞に必芁であるずいうのも事実であるが、それずは逆に、ラングに入るものはすべおたずパロヌルにおいお䜕回も詊みられ、その結果、持続可胜な刻印を生み出すたでくりかえされたものである。ラングずはパロヌルによっお喚起されたものの容認に過ぎない。」I、2522、2560
 「結論は次のようになる。二぀の察象、ラングずパロヌルが、お互いを前提ずし、その存圚は他の存圚なしにあり埗ないこずも真実なら、それずは反察に、䞡者の特質があたりにも䌌通っおいないので、それぞれ別の理論を必芁ずするずいうこずも事実である。この二぀を䞀緒にしたものに蚀語孊の名を冠するべきか、それずもラングの研究だけに蚀語孊の名をずっおおくべきか我々は、ラングの蚀語孊ずパロヌルの蚀語孊を二぀別々に考えるこずができるのである。こうは蚀っおも、ラングの蚀語孊をあ぀かう時、パロヌルの蚀語孊に少しでも立ち入っおはならないなどず結論しおはいけない。そうするこずは有甚であろう。ただ、その仕事は、隣接領域から理論を借甚するずいうこずなのだ。」III、342、367、370
 「第䞀のものはパロヌルの生理的そしお物理的偎面を衚しおいるのに察し、第二のものは同じ行為の心理的、粟神的偎面を代衚しおいる―。たた、最初の倉化は無意識䞋に起こるのに察し、第二の倉化は意識的である。もちろん、意識の芳念が、ずりわけ盞察的なものであるこずを垞に忘れおはならないが。」手皿、3284
 「蚀語孊者は、最初の諞蚀語の倚様性を研究する以倖にすべはない。圌はたず、諞蚀語を、それも可胜な限りの蚀語を研究し、出来る限り自らの地平を拡げねばならない。 こうした諞蚀語の研究ず芳察を通しお、蚀語孊者はそこから䞀般的な特城を抜出し、本質的か぀普遍的ず思われるすべおを残しお、偶然による個別的事象をわきによけおおくこずができるようになるだろう。そうした圌の前に残るものは、抜象の総䜓であり、これが蚀語ず呌ばれるものである。蚀語の䞭に、我々はさたざたな蚀語においお芳察される事象を芁玄しおいる。」III、429
 「䜕人かの高名な孊者が蚀った。『コトバは党く人間倖の存圚で、即自的に組織され、人類の衚面にひろがった寄生怍物の劂きものである』ず。他の人々は、『コトバは人間のものであるが、自然の機胜に埓っおいる』ず蚀った。ホむットニヌ曰く、『コトバは人間の制床である。』この考え方は、蚀語孊の軞を倉えた。
 それに続くものは蚀うだろう。『それは人間の制床であるが、その特性ぱクリチュヌルを別にしおあたりにも他の諞制床ず異なるので、このアナロゞヌを信甚するず、コトバの本質を芋誀っおしたう恐れがある。事実、他の諞制床は、皋床の差こそあれすべお自然の関係に基盀を眮いおおり、究極の原理ずしお事物の合目的性の䞊に䟝拠しおいる。たずえば、䞀囜の法埋ずか、政治制床にしおも、たた人の着る衣服の流行にしおも、我々の衣服を決めるあの移り気な流行すらが、䞀瞬たりずも人間の身䜓の倧きさずいう所䞎からのがれるこずはできない。
 しかし、コトバず゚クリチュヌルは、事物の自然な関係にその基盀を眮いおいないのである』ず。」手皿10、3297
䞞山の解説

 ラングを瀟䌚的な、超個人的な制床ず捉えるこずで、特定の話し手によっお発話される具䜓的音声の連続をパロヌルずしおラングず区別する必芁が出おくる。ラングずパロヌルずの関係では、ラングが朜圚的構造であるのに察し、パロヌルはこれを顕圚化し、具䜓化したものず蚀える。

 次に、ラングずパロヌルの䞡者は盞互䟝存の関係にある。䞀般のコヌドずメッセヌゞずの関係ず異なり、ラングずしおの玄束事ができるにはパロヌルが先行しなければならないが、しかし、ラングは個々のパロヌルを拘束しおいる。ここには䜜られ぀぀䜜るずいう盞互芏定がある。

 ずころで䞞山によれば、ラングずパロヌルの抂念に぀いおは゜シュヌル自身ゆらいでいたずいう。゜シュヌルは圓初二皮のパロヌルを考えおいた。䞀぀は物理的・生理的な面であり、もう䞀぀は粟神的・心理的な面である。しかしその埌この粟神的なものを党おラングに属せしめようずした時期や、これをパロヌルの抂念に含めた時期を通っお、第䞉回講矩にいたるず、パロヌルを生理的実行ず粟神的実行ずの二぀に分ける定矩におち぀いた、ずいうのである。

 䞞山は第䞀のパロヌルは党く物理的・偶然的な珟象で、蚀語孊の察象にはならないが、第二をパロヌルに含めたこずで、それが類掚的創造の源であるこずで、パロヌルを蚀語孊の察象ずしえるこずになったず芋おいる。

 他方、ラングの抂念も倚矩的である。自然蚀語をさす堎合や蚀語䞀般をさす堎合や、蚘号孊的原理をさす堎合もある。

 䞞山によれば、蚘号孊的原理ずしおのラングの抂念は、䞀぀の䟡倀䜓系であり、その䟡倀は䞀切の自然的・絶察的特性による芏定をのがれる玔粋な関係の網の察立から生じる、ずいうもので、この抂念は蚀語をはなれおも色々な文化事象に適甚できるず䞻匵しおいる。そしおこの考え方が科孊方法論䞊画期的な意味をもち、理論モデルを䜜る際にそれ自䜓を操䜜するこずで朜圚構造である非可芖的実䜓を明るみに出す方法をずらねばならないず述べおいる。

䜓系の抂念

(1)䟡倀䜓系のずしおのラング

゜シュヌル原資料
 「コトバは根底的に、察立に基盀を眮く䜓系ずいう特性をも぀。ちょうど、さたざたな駒に付䞎された力のさたざたな組み合わせから成り立぀チェスゲヌムのように。ラングはいく぀かの単䜍の察立のなかに存圚し、その他の基䜓を有さないのであるから、 それらの単䜍を知らずにすたせるこずはできない。それらがどのようなものであれ、われわれはその助けなしには䞀歩も前に進むこずができない。」II、1750
 「コトバの䞭に自然に䞎えられおいる事物を芋る幻想の根は深い」手皿、3295
 「人間が暹立する事物間の絆は、事物に先立っお存圚し、事物を決定する働きをなす。他の堎所においおは事物すなわち、䞎えられた察象が存圚し、぀いでそれをさたざたな芖点から芳察するこずができる。歀凊においおは、それが正しいにせよ誀っおいるにせよ、たず圚るものは芖点だけであっお、人間はこの芖点によっお二次的に事物を創造する。 いかなる事物も、いかなる察象も、䞀瞬たりずも即自的には䞎えられおいない。」手皿、3295
 「語や蟞項から出発しお䜓系を抜き出しおはならない。そうするこずは、諞蟞項が前以お絶察的䟡倀を持ち、䜓系を埗るためには、それらをただ組み立おさえすればよいずいう考えに立぀こずになっおしたうだろう。その反察に、出発すべきは䜓系からであり、互いに固く結ばれた党䜓からである。」III、1848
 「ある語の䟡倀は、共存する諞蟞項の力を借りおはじめお決定され、これらがその語を限定する。」III、1875
 「䟡倀は他の所䞎によっお䞎えられる。それは ラングの䞭の諞項ずの盞互的䜍眮によっお䞎えられる。境界画定を行うのは䟡倀自身であろう。単䜍ははじめから区切られおいるのではない。そこにラングの特殊性がある。」II、1862
 「すべおの䟡倀の倧きさは盞互に䟝存しおいる。たずえば、フランス語で《jugement刀断》ずは䜕かを決定しようず欲する堎合、その語を取り巻くものによっおしかこれを定矩できない。その語自身が䜕であるかを瀺したい堎合でも、たた䜕々ではないずいうこずを瀺したい堎合でも。この語を倖囜語に翻蚳したいず思う時も同じこずである。だからこそ、蚘号や語を䜓系党䜓の䞭で考察する必芁性が生ずるのである。同様に、同矩語《craindreおそれる、redouterこわがる》も、䞀方が他方の傍らにあっおはじめお成立する。craindreのも぀意味内容は、redouterがなくなればこの埌者のもっおいた内容をすべお吞収しお豊かになるであろう。もっず極端な䟋を挙げよう。《chien犬》ずいう語は、《loup狌》なる語が存圚しない限り、狌をも指すであろう。このように、語は䜓系に䟝存しおいる。孀立した蚘号ずいうものはないのである。」II、1881
 「䟡倀ずいう語をめぐっお我々が述べたこずは、次の原理を措定するこずによっおも蚀い換えるこずができる。すなわち、蚀語の䞭には぀たり䞀蚀語状態の䞭には差異しかない。差異ずいうず、我々は差異がその間に暹立される積極的な蟞項を想起しがちである。しかし、蚀語の䞭には積極的な蟞項をもたない差異しかない、ずいう逆説である。そこにこそ、逆説的真理があるのだ。」III、1939
 「蚀語孊においおは、珟象ず単䜍の間に違いは認められない。すべおの珟象は関係の間の関係である。或いは、差異に぀いお語ろう。すべおは、察立ずしお甚いられた差異に過ぎず、察立が䟡倀を生み出す。差異の䞭には、珟象ず呌ぶこずが出来る差異があるのである。」II、1968
䞞山の解説

 䞞山によれば、゜シュヌルが考えおいた䜓系は、䞀般に通甚しおいる抂念ずは異なっおいる。䜓系の䞀般的定矩は「個々の芁玠が盞互にかかわりあっおいる総䜓、それぞれが密接な関係におかれた郚分からなる党䜓」ずいったものである。これに察し、゜シュヌルの䜓系は䜕よりもたず䟡倀の䜓系であり、そこでは自然的、絶察的特性によっお定矩される個々の芁玠が寄り集たっお党䜓を䜜るのではなく、党䜓ずの関連ず、他の芁玠ずの盞互関係の䞭ではじめお個の䟡倀が生じるずされおいる。さらに䞞山は、この䜓系においおは、単䜍ずいう客芳的な実䜓は存圚しないず䞻匵しおいる。

 ラングはそれが䜓系である限り、䞍連続な単䜍の存立を想定させる。しかしその単䜍は、ア・プリオリに自然の䞭に芋出される実䜓ではない。゜シュヌルの䜓系は、蚀語の本質に関わる恣意性、圢盞性、吊定性ず切り離しおは論じられない、ずいうのである。

 ラングを構成する諞芁玠は、その共存それ自䜓によっお盞互に䟡倀を決定しあっおいる。䟡倀は察立から生じ、関係の網の目に生たれる。個々の項の倧きさずか実䜓性ずいうものはもずもず存圚せず、あるのは隣接諞項ずの間に保぀関係だけだずいうわけである。

 ぀たり蚀語の䞭には差異しかなく、すべおは、これらの差異を察立化する語る䞻䜓の掻動ず意識から生たれ、この察立化珟象こそが真の単䜍であっお、゜シュヌルは珟象ず単䜍をほずんど同矩に解しおいるず䞞山は解釈しおいる。

(2)連蟞関係ず連合関係

゜シュヌル原資料
 「ある語が隣接し、配列され、近づけられ、他の語ず接觊する様匏は二぀あり、これを語の二぀の存圚の堎、もしくは語同士の間の関係の二぀の領域ず呌ぶこずができる」II、1982
 「連合系は時には意味ず圢態の二重の共通性、時にはそのいずれかのみの共通性から生ずる」III、2028
 「ある語がその呚囲に持っおいるものは、蚀語孊者によっお、ある時は連蟞領域においお、たたある時は連合領域においお議論されるであろう。その語の呚囲に連蟞的に圚るものずいうのは、その前埌に来るものであり、そのコンテクストである。それに察しお、その語の呚囲に連合的に存圚するものはいかなるコンテクストにも眮かれず、意識から生ずる意識の絆によっお結合されるものであっお、空間時間の芳念はない。 その結合は䞀方は《顕圚的》、他方は《朜圚的》であるず蚀えよう。」III、2000
 「顕圚しおいる語ず、その語に粟神が連合する語ずの諞関係の総和は、朜圚系列、蚘憶によっお圢成された系列、想起の系列であり、顕圚単䜍同士が䜜る連鎖、連蟞ずは察照的である。」III、2004、3
 「我々は、連蟞=連合ずいう二぀の領域を区別するために、ラング=パロヌルなる二぀の領域を混合しおいるのではあるたいか。」III、2010
 「䞀方に、蚘憶の仕切り箱にあたる内的宝庫がある。 第二の堎においお掻動し埗るすべおがそろえられおいるのはこの宝庫内である。そしお第二のものは、蚀述であり、パロヌルの連鎖である。語の存圚堎であるそのいずれかに身を眮くこずによっお我々は語矀ず関わりをも぀が、この二぀はたったく性質を異にした語矀なのだ。」II、1998
 「だが、この点においおパロヌルの事実ずラングの事実を分けるこずができるであろうか。語ずか文法的圢態を考えるならば、これらすべおはラングの䞭に䞎えられおおり、䞀定の状態に固定しおいる。しかし、そこには垞に各人の遞択に任された結合ずいう個人的芁玠もあるのであっお、個人が文の䞭に自らの思想を衚珟するこずも事実である。この結合はパロヌルに属する。䜕ずなればそれは実行なのだから。この郚分ラングなるコヌドの個人的行䜿の二番目の行為が問題を提起するのだ。ラングに䞎えられおいるものず、個人のむニシアティノに任されおいるものずの間に或る皮の流動性が芋られるのは統蟞においおでしかない。〔ラングずパロヌルの〕境界画定をなすのは困難である。」III、2022
 「たさにここにおいお、二぀の領域の境界線に埮劙な問題が生ずる。解決は容易ではない。いずれにしおも、ラングに属する事実の䞭にさえ、連蟞が存圚するこずは間違いない。」III、2013
 「我々が語るのは、連蟞によっおのみである。そのメカニスムは恐らく、我々が連蟞の型を頭脳の䞭に持っおいお、それらの型を甚いる時に連合語矀を介入させおいるのである。」II、2019
 「文においおは、すべおが䞻語ず述語に還元される。 しかし、この䞻語ず述語ずいうのは、他の原理に基づいお区別された《品詞》ずは䜕の関係もない。」手皿15、3306
䞞山の解説

 䞞山によれば、゜シュヌルは語同士の間の関係、ある語が他の語ず接觊する様匏を二぀に分けた。

 第䞀の関係は顕圚的な連蟞関係である。話された蚀葉は時間的に線状の性質をもっおおり、その発話内に珟れた個々の芁玠は、他の芁玠ずの察比関係におかれおはじめお差異化され意味をも぀。぀たりある蚀葉が倚矩的な堎合、その意味は䞀定の文脈のなかでしか決定されない。

 第二の関係は、各芁玠ず䜓系党䜓ずの関係で、その堎に珟れる資栌は持ちながらもたたたた話者が別の芁玠をすでに遞択しおしたったためその文脈からは排陀される芁玠矀ずの朜圚的な関係でこの関係にある䞀連の蚀葉が連合関係ず呌ばれた。

 連蟞が珟実に生たれるのは二぀の関係の盞互の働きによるものであり、䞻䜓が語る際には連合の堎においお孀立した諞単䜍を遞択し結合するのではない。蚘憶の倉庫の䞭に存圚する諞単䜍はただ単に連合関係の軞によっお共存し互いに䟡倀を限定しあっおいるのみでなく、連蟞を圢成する結合䟡を担っおいるのである。

(3)共時態ず通時態

゜シュヌル原資料
 「私は䜕幎も以前から、蚀語孊は二重の科孊であるずいう確信を抱いおいる。それはたこずに根底的に、決定的に二重であるので、実を蚀うず、あの蚀語孊の名のもずに、䜜り物の統䞀䜓を維持できる十分な理由があるのかどうか、疑わしいずさえ蚀えるほどである。この䜜り物の統䞀䜓こそ、たさしくすべおの誀謬、そこから抜け出るこずのできないすべおの眠の根源であっお、我々は毎日のようにこれず闘っおいるずはいえ、自らの党くの無力感を芚えずにはいられない。」手皿10、3297」
 「蚀語孊には二぀の異なった科孊がある。静態たたは共時蚀語孊ず、動態たたは通時蚀語孊がそれである。」II、1343
 「共時的蚀語の䞀定時期に属するずいう語は少々䞍確かな点もある。同時的なものはすべお同じ秩序を構成するように思わせかねない。特定共時的特定の䞀蚀語に察応する独自の秩序におけるず぀け加えるべきである。」II、1508
 「ボップに始たる蚀語孊が確立され実践される以前の蚀語理論家たちは、蚀語をチェスの駒の䜍眮のように芋做し続けた。 チェスには打ちがあるこずを発芋した歎史文法孊者たちは、圌らの先駆者たちを銬鹿にしお、今床は䞀連の打ちしか認めず、そこにこそゲヌムの完党な展望があるず䞻匵しお駒の䜍眮などは気にもかけないようである。 さお、この二぀の誀謬のうちいずれがその結果においおより危険床が倧きいかを蚀うのは難しいが、我々は、そのいずれにも、片時ずいえども組するものではない。我々は、蚀語ずチェスを比范できるずしたら、それは同時に䜍眮ず打ちから成立する、぀たり同時に倉化ず状態からなる完党な意味でのチェスゲヌムでしかないず確信しおいる。」手皿10、3297
 「ある䜓系がもう䞀぀の䜓系を生み出したのではない。䜓系の䞭の䞀぀の芁玠が倉えられ、その結果もう䞀぀の䜓系が生たれたのである。通時的展望の䞋では、䜓系ずは党く関係のない䞀連の事実に盎面するこずになろう。たずえそれらが䜓系を条件づけるこずがあろうずも。」III、1423
 「あらゆる瞬間に、コトバは同時に䜓系であり進化である。あらゆる瞬間に、それは䞀぀の制床であり過去の産物である。」II、143
 「コトバがその存圚のいかなる瞬間においおも䞀぀の歎史的産物であるずいうこずは、明癜である。」手皿10、3297
 「蚀語の研究を深めれば深めるほど、蚀語の䞭のすべおは歎史であるこず、 すなわち蚀語は事象から構成されおいお法則から成っおいるのではないこず、コトバにおいお有機的に芋えるものはすべお、実は偶然であり完党に偶発的であるずいう事実がわかっおくるのである。」手皿、3283
 「䞀぀の事象がどの皋床に存圚するかずいうこずを知るためには、それがどの皋床に語る䞻䜓の意識に圚るか、それがどの皋床に意味を有するかずいうこずを探究するべきであろう。したがっお、〔共時態における〕唯䞀の展望、唯䞀の方法は、語る䞻䜓によっお感じられおいるものを芳察するこずである。」II、1504
 「蚀語においお具䜓的なものは、語る䞻䜓の意識にあるものすべおのこずである。」III、2195
 「経枈孊は、いく぀かの瀟䌚的䟡倀の間の均衡を研究する。すなわち、劎働の䟡倀ず資本の䟡倀がそれである。しかしこの分野においおは前に挙げたすべおの科孊ずは違っお、経枈孊史時間の䞭の経枈孊ず経枈孊ずいう二぀の異なった講座がある。
 䞉番目の段階ずしお䟡倀䜓系恣意的䟡倀―蚘号孊のように恣意的に決定し埗る䟡倀―に至るず、この二぀の軞を区別する必芁性は最高床に達する。 少なくずもその䞀面においおこの䟡倀がその足堎を、その根を事物の䞭においおいる限り、―たずえばなる地所が五䞇フランするずした堎合―この䟡倀を時間の掚移の䞭で、その倉動ずずもに远うこずは、ただ比范的容易である。 しかし、これは䜕らかの觊知可胜な基盀を保っおいるのであり、そこには、物質性が残るであろう。これに反しお、蚘号を構成する結び぀きにおいおは、二぀の䟡倀〔シニフィ゚、シニフィアンの差異から生ずるもの〕以倖の䜕ものもない。これが蚘号の恣意性の原理である。 
 すべおの䟡倀は隣接する䟡倀もしくは察立する䟡倀に䟝存する。そしおたた、ある倉化、䞀぀の関係のずれが起きるのも自明の理であるずしたら、いく぀かの時代を混合しお䞀列に䞊んだ諞蟞項を前に、どの様な刀断を䞋したらよいのであろうか。䟡倀もしくは同時代性、これは同矩語である。」III、1310、1318、1311、1324、1326、1327、1328、1329、1357
 「蚘号は、すべおの䟡倀ず同様に、恣意的である。このため、事物にはその基盀をもっおいないので、蚘号を時間の掚移によっお远うこずはより䞀局困難ずなるのである。」III、3350
䞞山の解説

 ゜シュヌルは、ある䞀定時期の蚀語の蚘述を共時蚀語孊ず呌び、時代ずずもに倉化する蚀語の蚘述を通時蚀語孊ず呌んでいる。

 その際゜シュヌルは、共時態の倉遷ずしおの通時蚀語孊の存圚理由は認めたものの、個の通時的倉化は蚀語孊の察象ずしなかった。もし、蚀語のなかに、すこしでも自然的に䞎えられたものがあれば、䜓系ずは無関係な歎史的倉化の研究や倉化の法則性も蚀語孊の本質に関わる問題ずなったであろう。

 しかし゜シュヌルにずっおは蚀語は瀟䌚的産物であるず同時に歎史的産物以倖の䜕ものでもなく、換蚀すれば党くの人為であり、文化の産物であり、恣意的䟡倀䜓系なのである。そしお、この非自然ずいう意味での恣意的䟡倀の本質は、蚘号孊によっおしか解明されないのである。

蚘号理論

(1)蚀語名称目録芳の吊定

゜シュヌル原資料
 「コトバに぀いお哲孊者がもっおいる、あるいは少なくずも提䟛しおいる考え方の倧郚分は、我々の始祖アダムを思わせるようなものである。すなわち、アダムはさたざたな動物を傍らに呌んで、それぞれに名前を぀けたずいう。 コトバの根底は名前によっお構成されおはいない。 それにもかかわらず、〔哲孊者の考えには〕コトバが究極的にいかなるものかを芋る䞊で、我々が看過するこずも黙認するこずもできないある傟向の考え方が、暗黙のうちに存圚する。それは事物の名称目録ずいう考え方である。
 それによれば、たず事物があっお、それから蚘号ずいうこずになる。したがっお、これは我々が垞に吊定するこずであるが、蚘号に䞎えられる倖的な基盀があるこずになり、コトバは次のような関係によっお衚されるだろう。
         ――
     事物  ――    名称
         ――
 ずころが、真の図匏は、――なのであっお、これには事物に基づく―ずいったような実際の関係のすべおの認識の倖にあるのだ。」手皿12、3299」
 「蚘号を個別に即自的なものずしお捉える誀謬。―五癟の語から成る䞀぀の蚀語が、五癟の蚘号ず五癟の意味を衚しおいるず考えるこずは誀りである。―あるいはたた、語が他の語パラセヌムに取り囲たれおいるこずを忘れお、語ずその意味を語るこずができるず思っおいる間は、蚀語珟象に぀いお䜕らかのむメヌゞをもおるず考えたら間違いである。」手皿15、3313
 「蚀語事実を持぀以前に䞀般的芳念に぀いお語るこずは、牛の前に鋀を぀ける劂き転倒である。」II、1802
 「心理的に、蚀語を捚象しお我々が埗られる芳念ずは䜕であろうか。そんなものはたぶん存圚しない。あるいは存圚しおも、無定圢ず呌べる圢のもずにでしかない。我々は恐らく、蚀語の助けを借りずにはもちろん内的蚀語 langue interieure のこずであるが二぀の芳念を識別する手段をもたないだろう。したがっお、それ自䜓においお捉えられた、我々の芳念の玔粋に抂念的な魂は、぀たり蚀語から切り離された魂は、䞀皮の圢をもたない星雲のごずきものであり、そこでは圓初から䜕ものをも識別し埗ない。たた今床は蚀語の偎からみおも、さたざたな芳念は䞀切既存のものを衚象しおはいない。次のようなものは存圚しないのだ。
  (a)他の諞芳念に察しお、あらかじめ出来䞊がっおいお、党く別物であるような芳念。
  (b)このような芳念に察応する蚘号。
 そうではなくお、蚀語蚘号が登堎する以前の思考には、䜕䞀぀ずしお明瞭に識別されるものはない。これが重芁な点である。」III、18214
 「いく぀かの実䟋を挙げよう。仮に芳念なるものが蚀語の䟡倀ずなる以前から人間粟神内においおあらかじめ決定されおいるずしたら、必ずや起こるであろうこずの䞀぀ずしお、ある蚀語の蟞項ず他の蚀語の蟞項ずは、正確に䞀臎するはずである。たずえばフランス語の cher 芪愛なずドむツ語の lieb ずか theuer 愛する、芪しいはどうであろうか。正確な照応はない。
 juger,estimer 刀断・評䟡するず urteilen,erachten ほが同意を比べおみおも、ドむツ語の衚珟のなかには、フランス語の衚珟ず郚分的にしか䞀臎しない意味矀の総䜓が芋出される。蚀語以前に存圚するような、即自的な cher の芳念などないこずがわかるのである。」III、1887、8
 「語る䞻䜓は自らが発生するアポセヌム〔コトバの抜象的な衚珟面〕も意識しないし、他方玔粋芳念も意識しない。圌が意識しおいるのはセヌム〔䜓系内の蟞項であり、衚珟ず意味が䞀䜓化した蚘号〕だけである。」手皿15、3315
 「そこで、どんな堎合にも、我々が捉えお盎面するのは、あらかじめ䞎えられた芳念ではなく、䜓系に内圚する䟡倀である。その諞䟡倀がかくかくの抂念に察応するず述べるずきは、人は蚀倖に次のようなこずを蚀っおいる。すなわち、これらの諞抂念は、自らの内容によっお積極的に定矩されるのではなく、䜓系の他の諞事項ずの間に保぀関係によっお吊定的に定矩される、玔粋に瀺差的な存圚であるずいうこず、抂念のも぀正確な特性は、それが他のものではないずいうこずなのである。」III、18947
 「䞀方、この党く混沌ずした領域に察面する音の領域が、あらかじめ明瞭に識別できる芳念や単䜍を提䟛しおいるかどうか問うおみるこずも無意味なこずではあるたい。音の領域においおもたた、あらかじめ区切られた、はっきりず識別できる単䜍は存圚しないのである。
 䞀連の音が、それ自䜓においお䞀぀の鋳型であるずいうのは停りである。これもたた、それ自䜓においおは思考ず同じように混沌たる物質なのだ。」III、1825、6
 「本質的には混沌ずしおいる思考も、それが分解されるこずによっお吊応なしに正確なものずなり、コトバによっお単䜍ずしお分節化される。」II、1829
 「二぀の無定圢な魂の譬えずしお、氎ず空気を考えおみよう。気圧が倉われば、氎の衚面は䞀連の単䜍ぞず分解される。これが波である。これは空気ず氎の䞭間に介圚する連鎖であっお実質を圢成しはしない。この波動が二぀の結合を衚し、蚀っおみれば、思考ず、それ自䜓は無定圢な音の連鎖ずの合䜓を衚しおいる。二぀の組み合わせが、䞀぀の圢盞を生み出すのである。」II、1831
 「物質的な音に察眮し埗るもののうちに、芳念があるずいうこずは、根底から 吊定せねばならない。物質音に察眮可胜なものは、《音芳念》であっお、絶察に《芳念》ではない。」手皿、3295
䞞山の解説

 ゜シュヌルはプラトンや聖曞以来の䌝統的蚀語芳である蚀語呜名論の吊定から出発する。われわれの生掻䞖界は、コトバを知る以前からきちんず区別され、分類されおいるのではない。それぞれの蚀語のも぀単語が、既成の抂念や事物の名づけをするのではなく、その正反察に、コトバがあっおはじめお抂念が生たれるのである。

 ゜シュヌル以前は、コトバは衚珟でしかなく、すでに蚀語以前からカテゎリヌ化されおいる事物や、蚀語以前から存圚する玔粋抂念を指し瀺す道具ず考えられおいたが、゜シュヌル以降の考え方では、コトバは衚珟であるず同時に意味であり、これが逆にそれ自䜓は混沌たるカオスの劂き連続䜓に反映しお珟実を非連続化し、抂念化するずいうこずになる。

 コトバは音のむメヌゞであるず同時に芳念であり、すべおの認識はそれが衚珟䜓ずいう圢をずらない限り認識ではない。そしおこの音芳念は自然のなかにあらかじめ䞎えられおいるものではないのだから、さたざたな芖点から考察できるような実䜓ではなく、逆に芖点が生みだす事象である。

(2)シニフィアンずシニフィ゚

゜シュヌル原資料
 「《シニフィアン》ず《シニフィ゚》なる甚語を甚いるこずによっお、この二぀の真理の圢に䞀぀の修正が加えられるであろう。甚語を倉曎した理由は次のようなものである。䞀぀の蚘号䜓系を内郚から考察するずきには、シニフィアンずシニフィ゚を措定する、もしくは察眮するこずの意味がある。こうするこずによっお二぀のものが察座させられるからであり、〔音の〕むメヌゞず抂念ずいう察立を傍にのけおおくこずになるからである。」III、1165
 「蚘号に代えおセヌムを甚いるこずの盞違もしくは利点。シヌニュもセヌムも音声的である必芁はない。しかし、シヌニュの方は、䜓系ず慣習の倖にある盎接的な身振りでもあり埗る。セヌムを、䞀぀の䜓系に属する、慣習的なシヌニュず定矩しよう。」手皿15、3310
 「このずいう図はおそらく存圚理由をもっおいるであろうが、これが䟡倀の二次的産物に過ぎないこずもわかる。シニフィ゚のみでは䜕物でもなく、それは圢のない魂の䞭に溶解しおしたうだろう。シニフィアンの方も同じこずなのだ。」III、1846
 「ずいう図匏はしたがっお蚀語においおは䞀次的なものではない。cher の䟡倀は二぀の面から決定される。芳念自䜓の茪郭、これこそ䞀蚀語が我々に䞎えおくれるずころの、諞芳念の語ぞの配分なのである。この茪郭が䞎えられおはじめお、ずいう図匏は考察の察象ずなり埗るだろう。」III、1899
 「未来の抂念は、ラングの蚘号によっお、未来ず他の抂念の間に圢成される差異次第で存圚し、その倧きさも差異次第ずいうこずになろう。こうしお我々は、芳念の差異に結び぀けられた音の差異ずしおのラングの党䜓系に盎面するこずが出来る。䞎えられた積極的な芳念は䞀぀もなく、たた芳念の倖にあっお決定される聎芚蚘号は䞀぀もない。」III、1941
 「蚀語の実䜓を、化孊合成物、たずえば氎に譬えるこずもできよう。氎は氎玠ず酞玠からなっおいる HO である。おそらく、科孊においおは、それらの元玠を分離しお、酞玠ず氎玠を別々にずり出しおも、化孊の次元にずどたっおいる。その反察に、もし蚀語の氎を氎玠ず酞玠に分けおしたったら、もはや蚀語孊の次元にはいないこずになる。すでに蚀語的実䜓は存圚しないのだから。」III、1699
 「シヌニュを捉え、空䞭に浮いおいる気球のように決しお逃がさずに远っおいくこずが出来るのは、その本質を完党に理解した暁でしかない。―その本質は二重であるが、だからずいっお気球をふくらたせない限りは、その気嚢から成るのでもなく、氎玠から成るのでもない。気䜓氎玠自䜓は、気嚢がなければ䜕の䟡倀ももたない。―気球が《セヌム》であり、気嚢が《゜ヌム》である。しかしこれは気嚢がシヌニュで氎玠がその意味であるなどずいう考え方ずはほど遠い考え方である。もしそんな考え方に立おば、気球の意味はどこにもなくなっおしたうからだ。気球隊員にずっおは気球がすべおであるのず同様に、蚀語孊者にずっおは、セヌムがすべおである。」手皿15、3320
䞞山の解説

 蚘号ずいう甚語には、意味に察する衚珟ずいう日垞的意味があり、たたそれが䜓系の抂念から離れた孀立したものず考えられる危険性があった。゜シュヌルはシニフィアン蚘号衚珟ずシニフィ゚蚘号内容ずいう盞互䟝存的なものの結合ずしお蚘号を捉えたのは、このような危険性に察応するものだった。

 第䞀にシニフィアン、シニフィ゚の盞互䟝存性に぀いお。蚀語の実䜓が生たれる時には、思想の物質化が行われるのでもなければ、音の粟神化がなされるのでもない。蚘号はあらかじめ別々に存圚する二぀の実䜓を結び合わせお合䜓させたものではなく、シニフィ゚ずシニフィアンは蚘号の画定ずずもに生たれ、お互いの存圚を前提ずしおのみ存圚する。

 第二に、シニフィアンずシニフィ゚は䞍可分である。蚀語孊の察象はあくたで蚘号であっお、分離されたシニフィ゚、シニフィアンではない。

 第䞉に、双方ずも心的存圚であり、ラング内の芁玠であっお、シニフィ゚を蚀語倖珟実ないし指向察象ずか、シニフィアンを物質音だなどず考えおはならない。

(3)圢盞ず実質

゜シュヌル原資料
 「すでに芋たように、蚀語蚘号は二぀のたこずに異なった事象の間に粟神が暹立する連合であるが、それらの事象は二぀ずも心的なものであり䞻䜓の䞭に存圚する。䞀぀の聎芚映像が䞀぀の抂念に連合されおいるのである。聎芚映像は物質音ではない。これは音の心的な刻印である。」III、1095、6
 「貚幣を䜜る材料がその䟡倀を決定するず考えたら倧倉な誀りをおかすこずになろう。同様にある語を構成しおいる根底は音声的実質ではない。」II、181820
 「厳密に蚀うず、シヌニュが圚るのではなくお、シヌニュ間の差異があるだけである。チェコ語の䟋をひこう。劻ずいう意味の zena の耇数属栌は zen である。この蚀語の䞭にあっお、 zena,zen の存圚䟡倀は、以前に存圚しおいた zena ずその耇数属栌 zenu ず党く同様である。どちらがより優れおいる察立ずも蚀えない。 シヌニュ間の差異だけが働いおいる。zenu の䟡倀は、それが zena ず異なるこずから生じ、zen の䟡倀もそれが zena ず異なるこずから生ずる。」III、1911
 「コトバの事実に関係するすべおの芏則、すべおの文、すべおの語が必然的に喚起するものは、察ずいう関係か、あるいは’ずいう関係であっお、これを切り離しお分析するず䜕も意味しなくなる恐れがある。これはたさに、ずかずいう蟞項は、そのたたでは意識の領域に達するこずができず、意識が知芚するものは垞にずの間の差異でしかないずいう理由からである。」手皿10
 「音が語における二次的なものであり盞察的なものであるずいう事実は逆説的に芋えるかも知れないが、このこずは語や単䜍に結び぀けられおいる芳念に぀いおも蚀えるのであっお、芳念のみでは䟡倀の䞀面しか衚さず、これは玔粋心理孊の察象物でしかない。」II、1916
 「 もし心理的珟実ず音声的珟実があるずしおも、別々に分けられた二぀の系列のいずれかが、いかなる瞬間においおも、蚀語事象をいささかたりずも生み出すこずはあり埗ない。蚀語事象が存圚するためには、特殊な皮類の結合が必芁である。」手皿13、3310
 「蚀語孊においお、第䞀の秩序である音ず、第二の秩序である意味を遞り分けるこずができるなどず考えるこずは、倧いなる幻想であるこずは別のずころで確認した。その理由は簡単である。根底的に蚀っお蚀語事象なるものは、これら二぀のもののいずれによっおも構成されるこずがあり埗ず、それが存圚するために芁請されるものは、䞀぀の察応関係、䞀぀の盞関関係であり、いかなる瞬間にも、䞀぀の実質もしくは二぀の実質ではないからなのだ。」手皿14、3303
 「蚀語は䞀぀の信号䜓系である。蚀語を構成しおいるものは、これらの信号間に粟神が暹立する関係であり、信号の玠材は、それ自䜓においおは非関䞎的なものず芋做されるこずが出来る。我々が、信号のために䞀぀の音的玠材を、そしお唯䞀の玠材を甚いざるを埗ないこずは確かだが、仮に音が倉化しおも、関係が倉わらない限り、蚀語孊はそのような音倉化には係わらない。」I、3348
 「察立ずしお甚いられた差異に過ぎず、この察立が䟡倀を生み出す。」II、1963
 「蚀語孊においおは珟象ず単䜍の間に根本的な違いはない。 すべおの珟象は、関係の間に暹立される関係である。」II、1964、8
 「コトバは、そのいかなる衚瀺においおも䞀぀の玠材〔この語は䞀床曞かれお抹消されおいる〕、実質を呈するこずはなく、ただそこにあるものは、生理的・物理的・粟神的な力によっお結合されたり匕き離されたりする掻動だけである。」手皿、3295
 「蚀語は音のむメヌゞず、心的察立の䞊に成り立぀䜓系である。綎織に譬えおみよう。重芁なこずは、䞀連の芖芚印象なのであり、色調の組み合わせが織物の意味を圢成するのであっお、糞がどのように染められたかずいうようなこずではない。」III、645、6
䞞山の解説

 ゜シュヌルが甚いる圢盞フォルムの抂念は、内容に察応する圢匏ずいう意味ではない。それは実質実䜓ず察応するもので、゜シュヌルによれば衚珟ず内容のいずれにも圢盞ず実質ずいう二぀のレベルで芋ようずしおいる。

 ゜シュヌルは䞀床たりずもシニフィアンに察するシニフィ゚の優䜍を語ったこずはなく、実質に察する圢盞の優䜍性であり、蚀語の本質は実質ではなく圢盞であるこずを匷調しただけである。そしお実質ずいうものも、必ずしも物理的・物質的材料のこずではない。確かに、シニフィアンを珟前せしめる実質は、自然蚀語の堎合に限っお蚀えば物質音ずいうこずになろうが、シニフィ゚の網を投圱させお区切られる意味の実質が、物理的・生理的なものでないこずは蚀うたでもない。シニフィアン、シニフィ゚ずもに圢盞であるずいうこずは、そのいずれもが、アプリオリに存圚し、絶察的特性によっお定矩されるものではなく、䟡倀䜓系内の関係の網の目であるずいう事実の指摘であり、゜シュヌルが説いたのは、そのような即自的実䜓に察する関係の優䜍性であった。

 圢盞の䞖界を、芖点によっお察象が創られる文化の䞖界ず呌び、実質の䞖界を自然界ず呌ぶこずができる。

 蚀語の䞭には差異しかない。それでは意味はどこに求めたらよいのであろうか。゜シュヌルによれば、コトバの意味は綎織ず同じように差異ず差異のモザむクから生たれるのである。

(4)蚀語蚘号の恣意性

゜シュヌル原資料
 「蚀語蚘号は恣意的である。䞎えられた聎芚映像ず特定の抂念を結ぶ絆は、そしおこれに蚘号の䟡倀を付䞎する絆は、根底的に恣意的な絆である。 蚘号は恣意的である。぀たり、たずえば soeur 姉効ずいう抂念は、いかなる性栌、いかなる内的関係によっおも、これに察応する聎芚映像を圢成する䞀連の sor ずいう音ずは結ばれおいない。」III、1123、1124
 「蚀語事実がその間に起きるこれら二぀の領域が無定圢であるばかりか、二぀を結ぶ絆の遞択、䟡倀を生み出す二぀の領域の合䜓は、完党に恣意的である。」III、1839
 「䟡倀の芳念は、抂念の〔ア・プリオリな〕䞍確定性から挔繹されたものだった。シニフィ゚をシニフィアンに結ぶ図匏は、原初的な図匏ではない。」III、1894
 「ずいう図匏はしたがっお蚀語においおは䞀次的なものではない。cher の䟡倀は二぀の面から決定される。芳念自䜓の茪郭、これこそ䞀蚀語が我々に䞎えおくれるずころの、諞芳念の語ぞの配分なのである。この茪郭が䞎えられおはじめお、  ずいう図匏は考察の察象ずなり埗るだろう。」III、1899
 「シニフィアンずシニフィ゚の絆は、人が混沌たる塊に働きかけお切り取るこずの出来るかくかくの聎芚蚘号ずかくかくの芳念の切片の結合から生じた特定の䟡倀のおかげで、結ばれる。この関係が即自的に䞎えられおいたず蚀えるためには、䜕が必芁であろうか。たず䜕よりも、芳念があらかじめ決定されおいる必芁があるだろう。しかし実際には決定されおはいない。たず䜕よりもシニフィ゚があらかじめ決定されおいる事物であった必芁があろう。しかし実際にはそうではないのである。」III、1899
 「ドむツ語もしくはラテン語の耇数がも぀䟡倀は、サンスクリットの耇数がも぀䟡倀ではないが、その意矩は同じである。その理由は、サンスクリットには双数があるこずによる。」III、1896
 「それを甚いるべく運呜づけられおいる人間瀟䌚ずの関連においおは、蚘号はいささかも自由なものではなく、課せられたものである。 個人がフランス語のある単語ずかある法を倉えようず望んでも、それは䞍可胜であろうし、倧衆ずいえどもそうするこずは出来たい。倧衆は、あるがたたのラングに瞛り぀けられおいるのである。」III、1177、1181
 「そこには差異しかない。積極的な蟞項は䞀切存圚しない。 シニフィアンの働きは差異に基づいおいる。同様に、シニフィ゚を考えおみおも、そこには聎芚的次元の差異によっお条件づけられるであろう差異しかない。 こうしお我々は、芳念の差異に結び぀けられた音の差異ずしおのラングの党䜓系に盎面するこずが出来る。䞎えられた積極的な芳念は䞀぀もなく、たた芳念の倖にあっお決定される聎芚蚘号は䞀぀もない。しかし、盞互に条件づけあう差異のおかげで、぀たり、かくかくの〔聎芚〕蚘号の差異ずかくかくの芳念の差異が結ばれたために、我々は䜕か積極的な実䜓に䌌たものを盞手にするこずになる。この結合の積極的な芁玠があるために、そこにはもはや差異しかないずは蚀えず、我々は察立に぀いお語るこずができるだろう。」III、1941、1945、1948
 「シヌニュは、すべおの䟡倀ず同様に、恣意的であるずいうこの基本原理を忘れおはならない。このため、事物にはその基盀を眮いおいないので、シヌニュを時間の掚移によっお远うこずがより䞀局困難ずなるのである。」III、3350
 「シヌニュに䞀぀の機胜、䞀぀の䟡倀を䞎えるこずができるのは、シヌニュ間の差異だけである。もしシヌニュが恣意的でなかったら、ラングの䞭に差異しかないずは蚀えないであろう。」III、1908
 「この領域においおは、人が事物間に暹立する絆が事物自䜓に先立っお存圚し、これらの事物を決定する働きをなす。 ここにはたず芖点があり、 それによっお人は二次的に事物を創造する。 いかなる事物も、いかなる察象も、䞀瞬たりずも即自的には䞎えられおいない。」手皿、3295
䞞山の解説

 蚘号のも぀恣意性に぀いお、䟋えば、事物ず蚀葉の間には䜕ら必然的な結び぀きがない、ずいう意味にずっおはならない。゜シュヌルが述べた恣意性には次の二぀の意味がある。

 第䞀の恣意性は蚘号内郚のシニフィアンずシニフィ゚の関係においお芋出される。぀たり蚘号の担っおいる抂念ずそれを衚珟する聎芚映像ずの間には、いささかも自然的か぀論理的絆がない、ずいう事実である。

 これに察しお第二の恣意性は、䞀蚀語䜓系内の蚘号同士の暪の関係に芋出されるもので、個々の矀項のも぀䟡倀が、その䜓系内に共存する他の矀項ずの察立関係からのみ決定されるずいうこずである。

 ゜シュヌルにずっおの蚀語蚘号ずは、思考の無定型な塊から恣意的に切り取られた抂念ず、音の連続䜓から同じように恣意的に切り取られた物質音の結合が蚀語䞻䜓の心の䞭に残すむメヌゞずしおの刻印であるのだから、我々の珟実もしくは事物のカテゎリヌ化は、ラングの事象であり、我々が倖界を芋るのは蚀語を通しおであり、その連続䜓に区切りを入れるのは我々の蚀語の意味䜓系なのであっお、その垃眮構造が蚀語次第でさたざたに異なるのは圓然であろう。

 恣意性を非自然性ず正しく解するこずにより、蚀語がはじめから即自的に定矩され限定される単䜍を有さないこずも、その単䜍ずいうものが蟞項そのものではなく、蟞項ず蟞項ずの間の差異の察立化ずいう珟象であるこずも、その察立珟象を暹立するのは蚀語䞻䜓の意識であるこずも明確に理解できるのである。

(5)蚘号孊ず神話・アナグラム研究

゜シュヌル原資料
 「蚀語は䞀぀の信号䜓系である。蚀語を構成しおいるものは、これらの信号間に粟神が暹立する関係であり、信号の玠材は、それ自䜓においおは非関䞎的なものず芋做されるこずが出来る。我々が、信号のために䞀぀の音的玠材を、そしお唯䞀の玠材を䜿甚せざるを埗ないこずは確かだが、かりに音が倉化しおも、関係が倉わらない限り、蚀語孊はそのような音倉化には係わらない。䟋えば海䞊信号を考えおみよう。信号板の色が耪せようず、䜓系にずっおの倉化は䞀切ないのである。」I、3348
 「䞀般的なすべおの蚘号䜓系ず同様に、ラングの特城ずは、䞀぀の事物を匁別するものず、それを構成するものが同じであるずいうずころにある。」手皿19、3328
 「蚀語事象にずっおは、《芁玠》ず《性質》は氞遠に同䞀物である。すべおの蚘号孊的䜓系ず同様に、䞀぀の事物を区別するものず、その事物を構成するものの間に違いが認められないずいうのが、ラングの特性である。䜕故なら、ここで蚀う《事物》ずは蚘号であっお、これら蚘号の圹割、本質は、他の蚘号ず別物であるこず以倖にないからだ。」手皿24、3342
 「すべおの蚘号は、玔粋に、吊定的な盞互䜍眮関係に拠っおいる。」手皿12、3299
 「この自ら意味を生産し埗る蚀語蚘号さえも、法埋よりはるか以䞊に人が抌し぀けるものであっお、創るものではない。」II、1183
 「ラングはディスクヌルを目的にしお䜜られたものに過ぎないが、ディスクヌルずラングを分か぀ものは䜕であろうか。あるいは、或る時に、ラングがディスクヌルずしお掻動化されるず蚀わしめるものは䜕であろうか。
 たずえば boeuf牛、 lac湖、ciel空、rouge赀い、triste悲しい、cinq五、fendre裂く、voir芋るずいったさたざたな抂念は、ラングの䞭にい぀でも出動可胜な状態で぀たり蚀語圢態をたずっお、そこにある。いったいいかなる瞬間に、あるいはいかなる操䜜のおかげで、それら諞抂念の間に暹立されるいかなる働きによっお、いかなる条件のもずに、これらの抂念はディスクヌルを圢成するのであろうか。
 これらの語をただ䞊べただけでは、それが喚起する曞芳念がいかに豊かであろうずも、ある䞀人の人間個人に察しお他の人間個人がそれを口にしお、圌に䜕事かを意味しようずするこずを決しお瀺しはしないだろう。ラングの䞭にあっお自由に䜿甚し埗る蟞項を甚いお人が䜕かを意味しようずしおいるこずがわかるためには、䜕が必芁なのか。それは、ディスクヌルずは䜕かを知るのず同じ問であり、䞀芋したずころ答は簡単である。すなわちディスクヌルずは、たずえそれが原初的なやり方であれ、たた我々が知らない手段によるものであれ、蚀語圢態をたずっお存圚しおいる二぀の抂念の間に䞀぀の絆を確立するこずであり、これに察しおラングの方は、あらかじめ孀立した諞抂念を実珟するだけである。これらの抂念は、思考の意味を珟前せしめるためにお互いの間で関係づけられるのを埅ち受けおいるのである。」手皿 Ms.fr.3961
 「創造的掻動は結合掻動にほかならず、新たなる結合の創出である。しかし、この結合はいかなる玠材から構成されるのか。それらの玠材は倖郚から䞎えられるのではない。ラングがラング自身の䞭から汲みあげねばならないのだ。」I、2573
 「ラングは、自らの垃地を甚いお䜜った぀ぎはぎ现工から成るドレスである。」I、2616
 「この分野〔神話〕においおも蚀語孊に関連する分野ず同様に、非存圚物であるずころの語ずか神話䞊の人物ずかアルファベットの文字を問題にするずきの同䞀性ずは䜕かずいうこず、぀たり同䞀性の性栌に関しおの考察が䞍十分であるために、すべおの誀った考え方が生ずる。これらの語や神話䞊の人物や文字は、哲孊的な意味で《蚘号》のさたざたな圢に過ぎないのだから。」手皿 Ms.fr.3958
 「―䌝説は䞀連のシンボルで構成されおいる。
 ―これらのシンボルは、 蚀語の語がそれにあたるシンボルのような、すべおの他の䞀連のシンボルず同じ倉遷ず同じ法則のもずにおかれおいる。
 ―それらはすべお蚘号孊に属しおいる。
 ―シンボルが固定しおいるはずだずか、それが無限に倉化するはずだなどずいったこずを仮定する方法は䞀぀もない。それはたぶん、ある制限内で倉化するに違いない。
 ―シンボルの同䞀性は、それがシンボルずなった瞬間から、すなわち刻々ずその䟡倀を定める瀟䌚倧衆の䞭に流垃された瞬間から、決しお固定したものではなくなる。」手皿 Ms.fr.3958
䞞山の解説

 空の色ずか煙ずかの自然的指暙は、それが告知する事象ずの間に法則的に結び぀けられおおり、蚘号孊の察象ずはならない。それは人間が発芋する構造である。これに察し、蚘号孊の察象ずなる人工的指暙が属する構造は、人間が創り出す文化的・瀟䌚的恣意的構造なのである。

 次に、人工的指暙に属する信号ず蚀語ずは、前者の䜓系の基本単䜍が蚘号ではなく、䞀぀の既成の蚀衚メッセヌゞであるのに察し、埌者は蚘号の䜓系であっお、この蚘号の蚀衚化はデむスクヌル掻動ずしお、個々人の自由に任されおいる、ずいう根本的盞違がある。

 他方、アナグラムずは「䞀語あるいは䞀文䞭の数語の文字の配眮を倉えお、その文字が党く違う意味をもった他の䞀語たたは数語を構成するようにするこず」で、詩的蚀語に芋られる。゜シュヌルはこの詩的蚀語に含たれるアナグラムが詩人の意識的な営為かどうかに関心をもった。

 デむスクヌル掻動は単に既成の語を新たな関係のもずに眮くのみならず、蚘号化したコトバが閉じ蟌めおいる線的䞖界から空間ぞ、そしお空間から時間ぞず次元を広げるこずによっお蚀語を砎壊し、蚀語化以前の欲動の䞖界自然ず構成された構造文化ずの間をたえず䞊向・䞋向運動を繰り返しながら、クリステヌノァの蚀うル・セミオティヌクの再掻性化によっお、ル・サンボリヌクな䜓系の再垃眮化を可胜にさせるものずなる。゜シュヌルの考えたコトバの本質は、たさにこの意味圢成の運動過皋にほかならない。

 䞞山圭䞉郎『゜シュヌルを読む』
―別冊付録の解説にかえお―

はじめに

 別冊付録は、䞞山『゜シュヌルを読む』岩波曞店で蚳出されおいる゜シュヌルの回の講矩のうち、蚳本のない第、及び第回講矩の郚分を集めたものである。

 研究方法ずしおは、たず蚳本のある第回講矩序説前田蚳『゜シュヌル講矩録泚解』を読んだあず、付録ぞず進むべきであろう。

 なお、『゜シュヌルを読む』から䞞山の解釈に぀いお簡単に玹介しおおくが、䞻ずしお思想的な事柄に重点をおき、蚀語孊の個別専門的な内容に぀いおはふれおいない。

第回講矩の内容

(1)講矩Iの構成ず芖点

 コトバの問題に取り組む際に二぀の方法がある。理論的方法綜合ず実際的方法分析がそれであるが、埌者の方法を甚いおいる。

 その内容は、コトバを実䜓論的にあ぀かい、自然科孊の方法をモデルずしお蚀語珟象を芋る実蚌䞻矩的態床ぞの異議申し立お。

(2)実䜓論批刀

 蚀語倉化を転蚛ず芋、完党だった蚀語が時代ずずもに頜廃したり、地理的な蟺境においおは蚛っおしたうず考えるこずは誀り。

 文字衚蚘ず音声に関し、前者に特暩的なものを芋る考えぞの批刀。

 実䜓的同䞀性ず関係的同䞀性ずの混同ぞの批刀。

 関係的存圚は「ではない」ずいう吊定的な芁玠によっおしか定矩できず「である」ずいう実定的な芁玠によっおは芏定できない。

 文字衚蚘も音声も、ずもにラング蚀語の本質をおおいかくしおいる。

 実䜓抂念から関係抂念ぞの転回

(3)蚀語の非自然性

 蚀語を生きた有機䜓ずするシュラむヒャヌ説の批刀。

 コトバずいう生埗胜力ず、他の䞀切の本胜ずの区別の必芁性。

 蚀語は本質的に恣意的、非自然的であるずずもに、蚀語ずいう制床の無意識的䜿甚からくる惰性化珟象の匷さ。

 関係の䞖界においおは個は存圚しない、私たちの意識に達するのは個ず個の、少なくずも二぀以䞊の項の察立でしかない。

(4)類掚珟象ずラング・パロヌルの盞互䟝存性

 類掚による倉化は、音声倉化ずちがっお、関係そのものにむンパクトを䞎える関係的倉化である。

 ラングずパロヌルの盞互䟝存性が、これら二぀をずもに瀟䌚的事実ずしお構成し、構成される状態ず個人の次元の双方から芳察しおいる。

(5)「客芳的分析」批刀

 コトバの芁玠は、ア・プリオリに分節されおいる実䜓ではなく、語る䞻䜓の意識が連続䜓を分節し、意味䞖界ずいう䞍連続なゲシュタルトを構成したずきにはじめお存圚する。

 ゜シュヌルが批刀の察象ずしたものは、倚様な質でしかないものを、量的な差異、数量に還元しおしたう、近代科孊䞀般がもっおいる避けがたい傟向である。

第回講矩の内容※これに぀いおは蚳曞がある

(1)講矩IIの構成ず芖点

 二぀の序説から成るが、前半の方が重芁で、蚘号孊ずは䜕かずいうこずをテヌマずしおいる。

(2)コトバの䞡矩性ずランガヌゞュ、ラング、パロヌル

 日垞的珟象から出発。人が勝手に遞んだように芋える単語ずその意味も決しお倉えるこずができないずいう面ず、珟に時代ずずもに倉化する、ずいう盞反する面があるこず、等々。

 ここから゜シュヌルが蚀おうずしたこずは、䞀぀には恣意性ず固定性、偶然性ず必然性、ずいうパラドックス、二぀には蚀語の圢盞性、぀たり関係ずしおの本質は、いかなる感芚䞎件を支えにしおも顕圚化しうるずいう原理。

 ランガヌゞュ、ラング、パロヌルの抂念。

 ランガヌゞュは人間特有のシンボル化胜力、ラングはランガヌゞュが特定の瀟䌚の䞭で制床化した構造であり、パロヌルはその条件䞋で個人が行う発話行為。

(3)蚘号孊の誕生

 蚘号の本質、文化歎史、瀟䌚珟象を非自然的、関係的な䞖界ず芋る芖点。蚀語孊はより倧きい蚘号孊ずいう孊問に包摂される。

 蚘号孊ずは蚀語を含めた䞀切の蚘号の科孊、契玄ないしは慣習ずいう手段を甚いお、人が自らの思考を衚珟するずきに生み出される諞事象の研究。

(4)単䜍、同䞀性、䟡倀

 単䜍の非実圚性。実䜓ずしおの単䜍はどこにも䞎えられおおらず、圚るものは単䜍を存圚せしめる関係だけであり、関係を暹立する人間の芖点だけ。

 そもそも同䞀性には二皮ある。䞀぀は個的・実䜓的同䞀性、もう䞀぀は構造的・関係的同䞀性。埌者の方は人間の぀くり出した文化の䞭にだけ芋出されるもので、これはネガティブな関係が生み出した、䞀切実䜓的裏付けのない同䞀性で、圢盞フォルムの䞖界ずは、この第二の構造的・関係的同䞀性ず差異に操䜜される䞖界に他ならない。文化の䞖界に実質的なものが皆無である、ずいうこずではなくお、文化の本質は圢盞であり、実質はその支えにすぎない、ずいうこず。

 ゜シュヌルにずっおの語の䟡倀ずは、䜓系内の他の蟞項ずの盞互的䜍眮ず察立関係から生たれる差異にすぎず䞀皮の朜勢である。これに察しお、語の意矩の方は、文の䞭におかれおはじめお生たれるもので、これは実珟可胜態ずしおの䟡倀の䜕分の䞀かにあたる実珟されたものにすぎない。

 ゜シュヌルは明瀺しおいないが、䞞山は、䟡倀も意矩もラングのレベルに属し、パロヌルに属するものは意味であるず考えおいる。

(5)構造ず歎史

 ゜シュヌルは共時蚀語孊ず通時蚀語孊ずいう二぀の孊の存圚理由を明らかにしたのち、方法論的には共時態の解明が先行すべきずみた。すべおの個別珟象をたずある時点の䜓系の䞭においお共時的に捉えたのち、もう䞀぀の䜓系ぞの移行を通時的にずりあげなければならない。

 ゜シュヌルにずっおは、蚀語は瀟䌚的産物であるず同時に歎史的産物以倖の䜕ものでもなく、党くの人為であり、共同幻想ずしおの恣意的䟡倀䜓系なのである。

(6)連蟞関係ず連合関係

 埓来の理論は圢態論、統蟞論、語圙論から成り、圢態論は個々の語の構造を分析し、それがどのような䞋䜍単䜍から成るかを芋るものであり、統蟞論は語同士がどのように結合しお句や文を぀くるか、ずいう芏則を蚘述するものであり、語圙論は語の意味を分析したり、その意味堎を明らかにしたりするものずされおきた。この䌝統的区分は明らかに実䜓論的発想にたっおいる。

 ゜シュヌルはこの区分に代わるものずしお、連蟞関係ず連合関係を提起した。

 䜕故既存の語を組み合わせお、かっお䞀床も存圚しなかったメッセヌゞを圢成するこずが可胜なのか、ずいえば、それは䞀぀䞀぀の蚘号が、それだけでは䜕も意味しない差異にすぎないからで、意味は差異が織りなすモザむクから生じ、意味ずは実䜓ではなく、差異の網目の間の空間だから。

第回講矩の内容

(1)講矩IIIの構成ず芖点

 講矩IIIの方法は講矩IIず同じ。それは講矩IIの序説で提起された党おの問題を拡げ、深めたもの。その内容の䞭心はラングずは䜕か、ずいうこず。

(2)恣意性の原理

 恣意性の原理は誀解されおいる。シニフィアンがシニフィ゚ず䞍可分な音響むメヌゞだずいう点が捉えられず、それが盎ちに蚘号ず捉えられ、この蚘号ずそれが指し瀺すシニフィ゚ずの間に恣意性があるかどうか、ずいう問題に矮小化された。

 ゜シュヌルの提起は、事物や抂念の分節は蚀語の網をかける以前には存圚しなかったのであっお、その分節の基盀は、蚀語倖珟実のなかではなく、蚀語䜓系自䜓のうちにあるたこずに䞍自然な尺床である、ずいうこずだった。

(3)線状性の原理ず蚀語の本質䜓

 蚀語蚘号の本質は、非実䜓ずしおの関係にのみ基づく非自然的䟡倀であり、連続䜓である倚次元の珟実であるモノを非連続的䞀次元の䞖界に眮き換えお、これをコト化しおいる、ずいう点に芋出される。

 䞞山の文化のフェティシズム論。文化のなかにも自然的芁玠が混圚しおいるんだ、などずいう考えから抜け出さない限り、文化のフェティシズムの正䜓は芋えおこない。぀たり文化珟象䞀般が、蚀語ず同じように人為によっお生み出されたこずずいう関係に過ぎず、モノ自䜓はすでにもう生の圢では存圚しないずいうこず、そしおコトの本質は非自然であり、人間が動物ず同じようにコトバ以前の感芚運動的なものを保有しながらも、これが砎綻しおしたっお、二重、䞉重に自然から匕き離されおしたっおいるこずを冷培な目で芋極めねばならない。

(4)䟡倀の恣意性ず瀺差性

 差異は吊定的なモノで実䜓は実定的なものである。ずころでコトバにおいおは、差異ず差異ずが結ばれ、䜕か実定的なもの、実䜓に䌌たものを぀くりだす。これを実䜓ず芋誀る恐れが生じ、関係にすぎない存圚が物神化される恐れもでおくる。私たちの意識に差異が吊定的なたたで達しおおれば蚘号がコトであるこずは非垞に芋分けやすいが、蚘号が党䜓ずしおは、実定的であるため、物ずコトずが混同されやすい。぀たり関係が実䜓ずしお、非自然が自然ずしお、恣意的䟡倀が即自的䟡倀ずしお、䞀蚀でいえばコトが物ずしお、私たちには意識される。

 ラングがはじめから即自的に定矩され限定される単䜍をもっおいないこずも、その単䜍ずいうものが実は蟞項そのものではなく、蟞項ず蟞項ずの間の差異の察立化ずいう珟象であるこずも、そしおその察立珟象を暹立するのは語る䞻䜓の意識であるこずも、はっきり理解されよう。



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Author: admin Published: 1998/4/27 Read 29174 times   Printer Friendly Page Tell a Friend