　ハイデッガー『存在と時間』（ちくま学芸文庫）の上巻へのコメントは、「哲学の旅」第2回（『ASSB』6巻4号）で取り上げたことがあった。今回は（下）の時間論を取り上げる。
　（下）の時間論に取りかかる前提として、（上）にもさっと目を通してみた。その際、気になる事柄がいくつかあったので、それについて述べることからはじめよう。
　まず、ハイデッガーの哲学は「解釈」であることを誇りにしている、という点だ。マルクスの「哲学者は世界をただ解釈してきたにすぎない。問題はこれを変えることなのに」という一句が染み付いている私にすれば、一寸と奇妙な気分になる。その解釈のうちに現れているハイデッガーの世界観を調べてみたくなる。
　もう一つは、「現存在（人間）の優位」という解釈をしていることだ。ハイデッガーは、いくつかの理由を上げたあと、「現存在は他のあらゆる存在者に対して、いくえにも優位をもっていることがわかる」（50頁）と述べている。その理由には、まず、人間が「自己を了解している」ことであり、これが単に存在しているだけの存在者とは異なる。次に、この自己了解が「現存在がいつもなんらかのありさまで関わりあっている存在そのもの」＝「実存」からの了解としてなされている。つまり人間は実存的了解を行っていて、他のあらゆる存在者の存在についての了解がそなわっている。三番目に、人間には、現存在たるを要しない存在者と交渉することで、「なんらかの世界の内に存在する」ということが属しており、こうして人間の了解には、「世界」の了解とその内部で接しうる存在者の存在についての了解を含むことになるが、これはつまり、「あらゆる存在論のための存在的＝存在論的な可能条件がそなわっている」ということだ、と解釈される。
　この人間優位説は、結局は、人間が意識をもった存在だ、いうことにつきているのだが、これを他の存在者との種差とみるのではなく、優位性とみるところに、意識＝論理第一主義の表明があり、そして次に、人間のなかに、優位者と劣位者とを持ち込む差別の原理が組み込まれていることがわかる。
　ところで、世界＝内＝存在という現存在（人間）の存在様式は、具体的には、用具的な存在者との関わりとしては配慮としてあり、共同存在（他者）に対しては待遇という関わり方をしているのだが、日常的には現存在は頽落しているとみなされている。

「現存在は頽落するものとして、事実的な世界＝内＝存在としてのおのれ自身からいつもすでに脱落している。しかし、それがどこへ頽落してきたのかというと、それは現存在の存在の進行中にたまたまどこかで行き当たったりすることのある存在者へ頽落したというのではなく、それ自身現存在の存在にそなわっている世界へ頽落したのである。」（374頁）

　この「頽落」という言葉について、ハイデッガーは、否定的な評価をしよう、ということではなく、また根源的状態からの堕落といった意味でもない、と述べている。しかし、「頽落する世界＝内＝存在は、誘惑的＝鎮静的であるとともに、疎外的なのである」（377頁）と述べられているように、自己の本来性と可能性とを閉鎖するものとみなされ、「現存在がおのれ自身に惑溺する道へ通ずる」（378頁）と解釈されている。そして、これが人間の不安の原因となっていて、自己の本来性へ向かわせるものが「関心」と見なされている。

「人間の完成――すなわち、人間がその投企において（ひとごとでない自己の可能性へ向かって開かれている彼の自由存在において）存在しうるものに或るということ――、これは『関心』の『仕事』なのである。」（418頁）

　ハイデッガーの時間論は、日常のなかで頽落している人間が、その本来的実存として自己の可能性を開いていく際の不可欠の契機として設定されている。まさしく、「正しく見とどけられ正しく解釈された時間の現象のなかに、あらゆる存在論の中心的な問題組織が根をおろしている」（61頁）ということなのだ。
　ハイデッガーは、人間を主体やものとして捉える見地を退け、それを自己や他者や他の存在者とのかかわりとして、つまりは作用遂行者として捉え、この関係内容を実存と名づけ、そして、この関係構成を世界＝内＝存在と解釈したのだが、この人間（現存在）が時間を正しく意識することで、本来的実存として自己の可能性を開いていける、という構想を立てたのだった。

2）時間論

　ハイデッガーの時間論を自身で簡潔に述べたものとして、1924年の講演記録がある。それによれば、ハイデッガーが、「現存在が時間なのです」（『存在と時間』岩波文庫版解説、310頁）というとき、この発想は、アインシュタインの相対的理論にヒントを得たものであることを自ら明かしている。

「アインシュタインの相対性理論の若干の命題、たとえば、空間はそれ自身無である。絶対的な空間は存在しない。空間はただ、空間のなかに含まれている物体およびエネルギーによって存在するにすぎない。古いアリストテレス的命題の云うところも同様に『時間もまた自体なしで、時間のうちに現れているさまざまな出来事によって成立し、絶対的な時間は存在しなく、絶対的な同時性も存在しない』のです。時間はそれゆえ、まず変易する存在そのもののうちで出会います。」（299頁）

　アインシュタインの時空概念からすれば、現存在（人間）が空間であり、時間でもある、ということになり、こうして、ハイデッガーの現存在の存在様式を世界＝内＝存在と捉え、現存在が時間である、とする時間論が導かれてくる、というわけだ。
　ところで、ハイデッガーは、現存在が時間である、ということからすれば、通俗的な時間観念は、人間に過去をふりかえらせるだけであるが、しかし、大切なのは、可能性の方だ、と主張している。そのくだりを紹介しておこう。

「時間が何であるかを、測られた時間において読みとろうとすることが、時間をすでに現在として解釈します。過去はもはやないもの、未来はまだないものです。過去は再現できないし、将来は不確定です。時間内における生起とは、それが時間をもち、時間的であることをいうのでなく、それはただ還流するのです。このような現存時間は、時間を通じて不断に流転していく経過の系列として、顕れてきます。方向感覚は逆転し媒ないということが、順次継起について言われるのです。このような通常の時間解釈においては、今の時点の不可逆性と同質化とが特長的です。
　現存在自身が時間であり、そして将来的であることが根本現象であるとするならば、このような時間考察は、現在をば、将来であることから目をそむけ、そしてその考察は、過去のうちに流れている時間を追いかけているのだ、ということが今や告げられているにちがいないのです。」（307～8頁）

　過去はもはやないものであり、未来はまだないもので、過去は再現できず、将来は不確定だとすれば、たちまち過去へと転化していく今を生きる人間にとって、どうしても過去のうちに流れている時間を考察することにならざるを得ない。これに対しハイデッガーは、現存在の可能性を考察することで批判を行っている。

「現存在が時間なのです。――日常性における、また確実だが不確定な済みへの先駆における、このようなわたしの〈そのつどであること〉がです。現存在はつねに、その可能な時間的存在のひとつの仕方において在り、現存在は時間であり、すなわち時間はなんら同語反復ではありません。それゆえ本来的に現存在は、時間性であります。根本の原因は時間が時間的である、ということです。持続は、その済みであり、その可能性です。このもの（済み）への先駆において、わたしは本来的に時間で在り、『わたしは時間をもっている』のです。
　時間がわたしのものであるがゆえに、多くの時間性が存在します。特定の時間は、意味の喪失というものです。…………将来的であること（その済みへと先駆すること）において、現存在は自分自身となり、その唯一の運命の唯一の〈このたびということ〉として、その唯一の、一回限りの済みの或る可能性において、見られるのです。」（310～11頁）

　人間が時間としてあるのならば、人間が時間をもつことが出来るはずであり、それは人間の可能性として、将来的であろうとし、時間の持続の済みに先駆することができる、というように、ハイデッガーは、時間を主体的に捉えている。
　では、この時間論は、『存在と時間』（下）では、どのように展開されているのだろうか。

3）予備的考察

　『存在と時間』（下）の時間論をまとめるに当たり、第45節と第6章を中心的に検討しよう。まず第45節では、上巻で述べられた事柄の要約がなされている。現存在を可能性として捉えることが、講演「時間」からうかがい知れたが、
　この見解の展開としてなされているいくつかの部分を紹介しておこう。

「日常性とは、誕生と死の『間』にある存在にほかならない。そして実存が現存在の存在を規定していて、その実存の本質は存在可能を契機として含んでいるのだとすれば、現存在は、実在している間はいつまでも存在可能のありさまにとどまり、いつになってもまだにはかになっていないはずである。」（25頁）

　ここでハイデッガーが「実存」といっているのは、人間は存在者や主体としてあるのではなくて、「実存」という様式で存在している、ということで、これについては「実存というこの名称が形式的に表示しようとする事柄は、現存在はおのれの存在においてこの存在そのものに関わせられている了解的な存在可能性として存在している、ということである。この存在者は、このかたちで存在しながら、いつも私自身として存在しているのである。」（21頁）とまとめられている。この「実存」は、人間を主体性として捉えようとする試みである。誕生と死との間にある人間の日常は、実存としてあって、存在可能性を示し、いつになってもまだなにかにはなっていない。

「世界＝内＝存在の終末は、死である。この終末は、存在可能に――すなわち実存に――そなわっている終末であって、現存在にとってありうるなんらかの全体性は、この終末によって限定され、規定されることになる。現存在は死において終末に達し、このことによって全体として存在すると考えられる。」（26頁）

　死によって終末をむかえる現存在にとっての死とは、「死へ臨む実存的な存在においてのみ存在する」（26頁）そのような死に向かって生きているのだが、ハイデッガーは、「この死へ臨む存在の実存論的構造こそ、実は、現存在の全体存在可能性の存在論的構成にほかならないのである」（26頁）と考え、現存在の「実存の本来性」について考察している。

「本来的実存というようなものは、存在的な立場から現存在に押しつけたり、存在論的な立場で発明されたりすることのできないものである。そうだとすれば、明らかに、現存在自身がおのれの存在において、自己の本来的実存の可能性と様相とを呈示するはずである。このような本来的な存在可能性の証しを立てるものは、良心である。死と同様に、良心という現存在の現象も、真正な実存論的観点から解釈されなくてはならない。この解釈によって、われわれは、現存在の本来的な可能性は、良心を持とうとする意志のなかにある、という知見に達する。しかるに、この実存的な可能性は、それに固有の存在意味からいって、死へ臨む存在によって実存的に規定されることをめざす指向をもっているのである。」（27頁）

　ハイデッガーは、このように、「現存在の本来的な全体存在可能」について述べているが、要するに、これは、人間の本来的な生き方といったレベルのもののように思われる。ハイデッガーは、これについて、現存在が時間である、という見地から、独自の時間論にもとづく人間論を展開している。ここでは人間論についてはふれず、第6章の時間論へと進むことにする。

4）本来的実存の契機としての時間

　第6章でハイデッガーは自らの時間論を展開した後に、アリストテレスとヘーゲルの時間論を批判的に検討している。
　ここでは、ハイデッガー独自の時間論の紹介にとどめておこう。まずハイデッガーは、日常生活において、人間が、ひまがあるとか、ひまがないと、というありさまで時間に関わっているが、「なぜ、現存在は自分に時間をかけたり、時間つぶしたりすることができるのであろうか。それはどこから時間を取寄せるのであろうか。そしてこの時間は、現存在の時間性とどう関係しているのであろうか」（363頁）といように問うている。「時間性が現存在の存在を構成している」（362頁）と考えているハイデッガーは、まず、現存在の存在について、要約的に述べることから解釈をはじめている。

「現存在は、おのれの存在においてこの存在そのものに関わらされている存在者として実存している。現存在は、本質上おのれ自身に先立っているので、あらためて自己を考察するというようなこと以前に、すでにおのれの存在可能へむかって自己を投企している。そしてこの投企のなかで、それは投げられたものとしてあらわになっている。投げられて《世界》に委ねられた現存在は、配慮的に世界へ頽落していく。関心として、すなわち頽落的＝被投的な投企という統一態において実存するものとして、この存在者はすでに現として開示されている。それは、ほかの人びとと共同存在しつつ、平均的な既成解釈のなかに身をおいている。この既成解釈は、話において分節され、言語において発言されている。世界＝内＝存在は、いつでもすでにおのれを語りあらわしている。そしてそれは、内的な世界に出会う存在者にたずさわっている存在であるから、それはいつも、配慮されているものごとを名ざし、そのものについて語るという仕方でおのれを語りあらわしているのである。この配視的な配慮は、時間性にもとづき、そして予期的＝把持的な現時という時間性の様態にもとづいている。」（366～7頁）

　現存在が実存し、自己を投企し、投げられているものとしての自己は配慮的に世界へ頽落していって、ほかの人々と共同存在し、平均的な既成解釈のなかに身をおき、この解釈が語られるときには、言葉になるかならぬかは別にして〈そのとき〉〈そのまえ〉〈いまこそ〉〈あのとき〉などと言っている。なぜこのようなことが可能なのか、ということについて、ハイデッガーは一体時間はどこからもち出せるのか、という最初の問にたちかえり、次のように述べている。

「いったい、われわれはこれらの≪…………するいま」を、どこから持ってくるのであろうか。われわれは、それらを内世界的な存在者、客体的存在者の間で見つけたのであろうか。そもそも、われわれはそういうものを探したりつきとめたりしようと思い立ったことがあるであろうか。そのようなものは、われわれがことさらどこから引き取ったということなしに、《いつでも》われわれの手もとにあり、そしてわれわれはいつでも、口にこそだすとはかぎらないが、それを利用しているのである。」（369～70頁）

　時間を客観的なものとみるか、主観的なものとみるかで、哲学者たちは論争してきており、カントのように、時間、空間を直観のアプリオリな形式として主観化したり、あるいは、客観的に存在する一種の存在であるかのように語られたりすることがあったが、ハイデッガーは、日常生活における現存在の配慮において予期され把持されるものとしての時間は、人間の手もとにある、というのだ。このことを独自の哲学用語で、次のように解釈している。

「予期的＝把持的現持は、おのれを解意する。そしてこのことが可能であるのも、この予期的＝把持的現持が――おのずから脱自的に開放されて――おのれ自身にむかっていつもすでに開示されていて、了解的に話す解意において分節可能のありさまにあるからにほかならないのである。時間性が現の照明態を脱自的＝地平的に構成しているがゆえに、それゆえに時間性は根源的に現においていつもすでに解意可能であり、したがってそれとして知られているのである。おのれを解意する現持を、すなわち≪いま」において語りだされて解意されるものを、われわれは[《時間》となづける。」（370～1頁）

　ここに注目する限り、ハイデッガーは、時間を言葉による人間の解意に求めているようだ。発声はもちろん時間性をおびてはいるが、この発声の時間性から、現存在の時間性を説くことは、転倒しているように思われる。とまれ、ハイデッガーの問題意識は、この自己の解釈をつきつめるところにはなくて、現存在の可能性、本来的実存を探求するところにあり、時間性は、そのための用具としてあった。だから、次のように述べるに到る。

「われわれはまえに、本来的実存と非本来的実存とを、それぞれをもとづける時間性の時勲様態という観点から性格づけておいた。それによると、非本来的実存の無覚悟性は、不予期的＝忘却的な現持の様態において時塾するものである。無覚悟な人は、かような現持のなかで出会ってこもごも到してくる手近な出来事や偶発事件をもとにしておのれを了解している。あわただしく仕事におのれを紛らわせながら、無覚悟の人はその仕事に自分の時間を奪われている。
　彼の特徴になっている《私は時間がなくて》という話し方は、そこから来るのである。非本来的に実存する人がたえず時を失っていて、いつになっても時間がないのに対して、本来的実存の時間性の特徴は、覚悟性において決して時間を失わず、《常にゆとりをもつ》ことにある。」（374～5頁）

　ハイデッガーはこのように、良心という関心をもつことで自己を本来的実存たらしめる覚悟を時間との関連で説明している。このあと時間の公開性と、それにもとづく世界時間の成立が確認され、最後に次のように述べて自らの時間論をしめくくっている。

「もしも≪客観的」ということが、世界の内部で出会う存在者の自体的な客体存在のことであるとすれば、客体的存在者が《そのなかで》運動したり静止したりしている時間は、《客観的》なものではない。しかしまた、もしも《主観的》ということが、ある《主観》のなかで客体的に存在したり出現したりすることであるとすれば、時間は《主観的》なものでもない。世界時間は、およそいかなる客観よりもなお《客観的》である。なぜなら、それは、内世界的存在者の可能性の条件として、世界の開示態とともに、いつもすでに脱自的＝地平的に《投企》されているからである。それゆえにまた世界時間には、――カントの見解に反してーー心的なものにおいても物的なものにおいても同様に直接的に接することができるのであって、心的なものの迂路を通らなくては物的なものみおいて時間に接することが出来ないということはない。むしろ《時》はまず空と同一視されることさえもあるのである。
　しかしその反面、世界時間はおよそいかなる主観よりもなお《主観的≫である。なぜなら、世界時間は、事実的に実存する自己の存在たる関心という、正しく理解された意味において、この自己の存在をはじめて可能にする契機のひとるだからである。《時間≫は主観のなかにあるものでも、《外部》にあるものでもなく、いかなる主観性や客観性よりも《先に存在する≫。なぜなら、それはこの《先に》にとってさえ、それの可能条件をなしているからである。」（390～1頁）

5）若干のコメント

　エンデは『モモ』（岩波書店）で、「時間とはいのちです」と述べている。このエンデの時間論とハイデッガーの「現存在が時間なのです」とを対比してみよう。
　ハイデッガーの人間論は「現存在の優位性」の主張であり、この優位性を結局は思考することに置いているから、いのちそのものには無関心である。というのも、いのちという点では、人間も、他の存在者としてある生物も共通で、ここに優位性を認めることが出来ないからだ。
　ところで、ハイデッガーが、現存在の本来的実存の契機として時間を捉え、この意味で「現存在が時間なのです」というとき、時間をいのちから切り離しているが故に、人間の発話における時間性にゆきつき、そうすることで、「現存在の優位性」を補完していくことになる。そして、この発想は、後期ハイデッガーの「性起」論へとひきつがれていく。「時間とはいのちです」というとき、時間は人間の特権的な持ちものではなくなり、生けとし生けるもののみならず、死んだものの変化も含めて多様な時間の存在という問題に直面していく。現在の人間の時間意識への批判を考えると、ハイデッガーのように、時間の余裕のある人とない人、といった区分よりも、時間の多様性の展開の方に意義を認めることができる。
　ハイデッガーが何故、生命＝いのちについて哲学しなかったのかよくわからないが、エンデの時間論は、ハイデッガー哲学におけるいのちの捨象をくっきりと浮かびあがらせる。

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Author: admin Published: 2006/1/5 Read 17263 times