はじめに
第1章　岩井克人の循環貨幣論
　1）意識せずに労働価値説を前提　2）代理者の方が本者か？
第2章　吉沢英成の象徴貨幣論
　1）貨幣は経済社会の「原型」　2）自律的な実在としての関係形式　3）社会関係を観念に還元
第3章　アグリエッタの暴力貨幣論
　1）ルネ・ジラールの模倣衝動　2）価値形態論の新解釈　3）本質的暴力
第4章　三者の信用貨幣論
　1）岩井説　2）吉沢説　3）アグリエッタ説

はじめに

　70年代にソシュールの言語論が流行したとき、言語の価値は差異によって決定される、というソシュールの一面的な解釈をもとに、商品の価値も労働実体によって決まるのではなく、商品の使用価値の差異によって決まる、という言説が流行したことがあった。マルクスの労働価値説を信奉している人々からの反論がなされなかったこともあり、言論界では以降、マルクスの労働価値説は誤りだ、という世論が形成された。
　私自身、ソシュールの言語論に則し、言語を差異の体系と捉えるソシュール解釈について、前田英樹の業績にもとづき、ソシュールの同一性論に注目することでその一面性を明らかにし得たのはごく最近のことであった。（『ASSB』6巻2号参照）
　その後、言語とのアナロジーで商品を論じる論調は下火となったが、80年代に入ると、国際金融市場での外国為替の投機の増大にともない、ドル紙幣や日銀券には額面通りの価値がない、という当り前の事実から出発し、ここから貨幣に価値があることを否定し、ついで商品の価値が労働実体から成ることを否定する言説が登場するようになってきた。
　労働価値説を否定すれば今度は逆に、マルクスの貨幣生成論とは別に、貨幣の存在理由について明らかにしなければならない。そのいくつかの試みについて見てみよう。

第1章　岩井克人の循環貨幣論

1）意識せずに労働価値説を前提

　もと『現代思想』の編集者であった三浦雅士が編集している『大航海』4月号（講談社）で「金融とは何か」という特集が組まれている。「貨幣が貨幣であるのは、それがまさに貨幣であるからなのである」という名言をはいた岩井克人が、この特集で三浦雅士と対談している。この対談から二人の発言を拾ってみよう。

　岩井「貨幣そのものには何の実体的な価値もない。それは実体的なモノを買うためのたんなる手段でしかないのです。」（52頁）
　三浦「貨幣は富の代替物であり、富は労働の代替物であるという労働価値説がいかに面妖なものだったか、ということが歴然としてきた。」（52頁）
　岩井「じつは、金や銀もそれが貨幣として使われるようになったその瞬間から、モノとしての価値を上回る価値をもってしまったのです。貨幣とは、金や銀の形をもとうと、紙切れで作られていようと、それをすべての人が貨幣として使うから貨幣として使われるという自己循環論法によってこの価値が支えられているのです。」（55頁）

　岩井は1993年に出版した『貨幣論』（築摩書房）で、金貨が流通手段として使われている時に、摩滅しはじめるが、それでも流通しているという歴史的事実から、金の代理者でも流通手段たりうるとして、国家紙幣の流通根拠を明らかにしているマルクスの代理説を批判していた。岩井によれば、金が貨幣となったのは、マルクスの説いている意味での商品の価値形態からではなく、「貨幣形態Zの無限の『循環論法』」（『貨幣論』125頁）によるものだったから、貨幣は金という物質的裏付けなしに成立することになる。だから「それは『本物』の貨幣としての金の『代わり』として商品世界を流通しているのはなく、それ自体『本物』の貨幣として商品世界を流通しているのである。」（125頁）ということになり、「『本物』の貨幣としての金のたんなる『代わり』として導入された金貨が、その金になり代わってみずから『本物』の貨幣となってしまったのである。」（126頁）ということになる。
　つまり、岩井説の根本はもともと貨幣であった商品金が、金貨にされ、摩滅しても通用するのは、金の代理としてではなく、金貨の方が本物の貨幣となったからだ、と主張するところにある。したがって紙幣が登場してきたときも、紙幣は貨幣金の代理ではなくて、紙幣の方が本物の貨幣となっていると見なしているのだ。
　この岩井説をふまえて、さきに拾った岩井発言の意味を確認してみると、それは次の三つの命題となる。
　貨幣の素材そのものにはたいした価値はない。貨幣はモノとしての価値を上回る価値をもつ。この貨幣の価値はすべての人がそれを貨幣として使う、ということで支えられる。
　この三つの命題に出てくる価値とは一体何だろうか。素材の価値を上回る貨幣の価値とは、日銀券の額面額のことだから、これはそれで買える商品の価値だということになる。ところで岩井は、日銀券の素材の価値と額面の価値の大きさのちがいを何を根拠に計算するのだろうか。紙切れ自体は役に立たないというわけにもいくまい。商品にしても、その使用価値は不必要な人間にとっては無意味なものであるから。とすれば、岩井は実は労働価値説にのっとって自説を展開しているのではなかろうか。労働価値説を否定するならば、日銀券の価値を生産費で計ることはやめていただかねばならない。
　労働価値説を否定している当の人が、労働価値説にもとづく生産費で貨幣の価値を計っているというのはブラックユーモアだが、労働価値説が間違いだというのなら、生産費を考慮することなく価格づけをしている商品生産者を発見してもらう方が生産的だろう。
　ついでに三浦が述べているような、「富は労働の代替物」などという考えが労働価値説だというのなら話は別である。労働価値説は、商品の価値はそれで表示されている労働の量で決まる、ということで人は価値という言葉を無意識に労働価値説の立場で使っている。だから岩井は労働価値説を否定するなら、価値という言葉を使う前に、自らの価値概念を明らかにしておくべきだった。そして効用価値説に立つなら、貨幣の素材の価値などという考え方自体が否定されることになる。

2）代理者の方が本物か?

　岩井の「貨幣形態Z」を措定した「循環論法」については1991年に岩井論文が『批評空間』に連載されている時点で批判した（『情況』1991年12月号）ので、ここでは代理者の方が本物になる、という見解をとりあげよう。
　代理者（ニセモノ）の方が本物になる、ということについての一般的な理論は丸山圭三郎が「文化のフェティシズム」というテーマで論じていた。

「一方にまず本物を立てておいて、片方にその偽物をおく、そして偽物の方が本物に代わって幅をきかすようになる、という現象こそ、また、そういう見方をすることこそ、人間文化すべて共通するフェティシズムではあるまいか、と思う人ですよ。」（『文化のフェティシズム』109～10頁）

　丸山にあっては「文化のフェティシズム」は、人間が言語を使うようになったことによってもたらされたものであり、病的なものと見なされ克服の対象であった。その根拠は「一般に記号とは、一見モノの形をとっていてもけっしてモノじゃないですね」（105頁）という記号観にあった。モノがモノじゃないものになる、と捉えるところから、ニセモノのホンモノ化というフェティシズムが導かれている。
　しかし、記号はモノではないと見なしてしまうと文化の現実的土台が見失われてしまう。というのも記号とはモノと文化の二重物であり、モノが人間の社会関係を担っているところにその特質があるわけだから、記号のモノとしての実質を捉えなければ文化は単なる観念にされてしまうからである。
　言語の場合のフェティシズムとは、丸山が考えているようにニセモノでもホンモノに見せる、といったところにあるのではなく、指示対象を対象化された意識の化身とし、対象の方に意識を概念化する力を与えてしまうところにある。
　岩井が貨幣を論じるとき、実はこの言語のフェティシズムにすっかりとり込まれている。本物の貨幣だった金が流通手段としては代理の銀行券を流通させているとき、岩井にとっては、この代理者が本物の貨幣にみえる。何故そうなるかといえば、彼が日銀券という個別の対象のなかに貨幣の概念を求めているからである。
　岩井にあっては貨幣とは日銀券そのもののことであり、それは決して人々の社会関係とは捉えられていない。そして日銀券そのもののうちにはいくら分析しても貨幣性は含まれていない。その貨幣性は流通手段として機能し、商品流通を成立させるこの関係の総体のうちに見い出されなければならない。にもかかわらず、岩井は日銀券そのもののうちに貨幣の概念を求めるので、結局はそれの流通根拠をすべての人がそれを貨幣として使うという人々の観念における共同性に求めざるをえない。とすればこの共同性がどうして形成されたかについて論じるべきだが、岩井はこれを所与のものとしてあつかっている。彼の問題意識はこの所与のものとしてある「貨幣共同体」が継続するかどうかという点におかれ、ハイパーインフレーションが貨幣への信頼を失わせるという理由で、「貨幣共同体」の危機として位置づけられている。
　結局代理の方が本物になる、という岩井の説は根拠が示されてはいない。それは単に流通手段として機能している日銀券そのもののうちに貨幣性を求めるという岩井の方法からもたらされた独断にすぎない。とすれば、岩井は人間の社会関係を解明していく際に必要な文化知の方法の代わりにあくまでも科学知の方法にこだわり、貨幣とは人々がそれを貨幣として認めるから通用しているのだという人々の日常的意識を述べるにとどまっている。

第2章　吉沢英成の象徴貨幣論

1）貨幣は経済社会の「原型」

　岩井は『大航海』で「ぼくの不均衡動学の基本テーゼとは資本主義経済とは本来的に不安定的なシステムであり、それが曲がりなりにも何かの安定性をもっているのは、そのなかに市場原理にしたがわない制度や機関が存在しているからだということです」（66頁）と述べている。たしかに通貨の流通根拠を人々の観念のうちに求める岩井貨幣論からすれば、市場は不安定的なものとならざるを得ず、こうして人々の観念に働きかける制度や機関の存在を求めざるを得ないことになる。そして岩井の関心は制度や機関の方にあり、人々の観念の形成についてではない。
　これに対して、吉沢英成は1981年に出版された『貨幣と象徴』（日本経済新聞社）で人々の貨幣観念の形成の問題について論じていた。吉沢はこの本のはしがきで次のように述べている。

「第一に貨幣は、人々が貨幣だと思うから貨幣でありうる、集合表象だということである。つまり人々がそう思うということのほかに、人々に貨幣だと思わせるなにものかが貨幣の側にも蔵されている。そしてこの思い思わせる関係の根底には象徴の型式がある。集合表象としての貨幣とはこの型式のあらわれだということである。
　第二に、貨幣は経済の手段なのではなく、むしろ、経済の方が貨幣を前提にして、貨幣のもとでなされる物質代謝の営みなのである。それが象徴を操る動物である人間にとっての基本的なすがたである。経済にまとまりをもたせる方が効率的だから、あるいは有利だからということで、貨幣が発明されたのではない。むしろ貨幣を中心にまとまりがあり、そのもとで経済関係が営まれている。貨幣は経済社会の原型なのである。
　第三に、貨幣についてよく問われる問い、貨幣はどこから（あるいは、どうして）生まれ、将来どうなっていくのか、という疑問に明確に答えることができる。すなわち、貨幣は人間社会とともにあったし、またありつづける。貨幣はどこからも生まれなかったし、どこへも消えて無くなりはしない。人間は貨幣からは逃れられないのである。」（1～2頁）

　吉沢は岩井と同じ見解、つまり貨幣は人々が貨幣だと思うから貨幣でありうる、ということを出発点にしながらも、人々が貨幣を貨幣だと思う根拠の解明にむかっている。その際、貨幣の方にもそれが人々に貨幣だと思わせるなにものかが蔵されている、というように問題を立てる。そしてそのなにものかを象徴の型式に求めている。
　貨幣を象徴の型式だとみなすと、貨幣は経済の手段ではなく、経済社会の原型とされることになり、そして、貨幣は人間社会とともにあったし、またありつづけるという見解が導き出されることになる。

2）自律的な実在としての関係形式

　吉沢の考察で注目しておくべき点は社会といい象徴といい、交換といってもみな「関係的性格」をもつとみなし、この「関係的性格」についてモースとレヴィ＝ストロースに学んで関係そのものが「自律的実在」であることを指摘していることである。吉沢にとっては「社会は関係の体系であり、シンボルは人間と他者との関係」（49頁）であった。「シンボルというものは、個々の事物を独立にある記号によって代位・代表させるだけでなく、その性格として体系性を有していることを考えれば、シンボルもまたみずから関係の体系であって、こうしたことからすれば、社会とシンボルは同義である。というより、人間が互いに関係づけられる社会というのはシンボル作用そのものである。」（49－50頁）この見地からすれば、貨幣もまた関係の体系であり、人々の社会関係だ、ということになる。では吉沢はこの社会とシンボルとに共通な「関係的性格」についてどのように捉えているのだろうか。

「『関係』ということばは通常、関係づけられる両極と関係という三つの要素をもつとされ、さらに両極はしばしば互いに相い独立した項として、なんらかの選択の結果、特定の当該の関係が浮かびあがってくると考えられる。だがレヴィ＝ストロースにおける『関係的性格』というのは、独立した二項の合意の結果としての関係ではない。これとは逆に、『関係』があえて分解されたときに現われ、たんなる構成要素にすぎない二項を本来的に統合・融合させているなにものかでもある。これは、二項を含む全体の関係（＝統一性）は、部分おのおの（二項おのおの）よりも『実在的』である、というモースの言の含意するものであった。関係そのものが『自律的実在』なのである。言語に端的な例をみることができるが、レヴィ＝ストロースによれば、親族構造もこれにあたり、さらにモースが『贈与』のかたちで描きだそうとした交換もこれであるとされた。むしろこうした『自律的実在』としての関係形式こそが社会であり、社会科学はこうした関係形式を発見することに努めるべきだという方法的主張として読むことができよう。」（50頁）

　吉沢の主張する象徴の型式とは、社会やシンボルとして存在している様式のうちにある自律的実在としての関係形式に他ならないのだが、では吉沢はこれをどのようにして発見するのだろうか。

3）社会関係を観念に還元

　吉沢の発見の様式を知る適切な材料はマルクスの価値形態論を批判するところに存在している。吉沢はマルクスの価値形態論は第二の形態から第三の形態である一般的価値形態に進むときに論理的困難がともなっているとし、マルクスが第二形態を転倒して第三形態を得ているが、「これは含意不明の形式的操作にすぎない」（89頁）と述べている。つまりマルクスの価値形態論からは一般的価値形態を論理的に導くことはできない、というのである。吉沢にしてみれば、個を出発点にしながら一般に到達することはできず、逆に一般的なものは個をしてそれを一般的なものと承認せしめる集合的思考のカテゴリーなのである。
　一般的なものを、このようなものとして捉えれば、それは全体を体現する中心としてあることになる。そして「中心のない型式から中心のある型式を生起させることはできない」（114頁）のであり、「全体と部分は、精神作用にとってのアプリオリな二契機であって、精神作用が全体・部分という契機をつくりあげたというより、全体と部分からなるこの型式は精神作用の発現する枠組みとなっている」（114頁）というのである。
　ここで明らかとなったのは、吉沢の念頭にある一般的価値形態とは、価値の社会的妥当な形式、つまりは労働生産物の社会的形態ではなく、人がそれを一般的なものとみなす、という観念の側から捉えられていることだ。そうだとすれば、それは決して個々の商品からは生み出されることはない。
　しかし、このように捉えるところからは、せっかく社会の「関係的性格」に注目し、関係そのものの「自律的実在」を主張したことの意義が半減してしまうことになりはしないだろうか。
　吉沢にあっては精神作用とは、ある原型を枠組みとして発現されるものではあっても、それが対象化されて物質化されるものとはみなされてはいない。しかし、例えば労働のような精神的作用も対象化され、物質化されることで関係そのものの「自律的実在」を成立させていけるのではなかろうか。
　そして、関係そのものを「自律的実在」と捉えるとすれば、マルクスが第二形態を転倒させて第三形態を導き出すことには何の理論的困難もないことになる。この転倒は思考の論理からすれば、論理矛盾であるが、第三形態そのものは第二形態が成立すれば、その逆の関連がおのずから「自律的実在」として自己を主張するであろう。

4）「原型」への還元と文化知

　最後に吉沢が発見したものを検討しよう。

「経済が基本的に物資代謝にかかわっているとはいえ、それが人間の物質代謝である以上、精神作用の型をとうしてしかなされない。……
　財の領域でも個々の財を財とするのは全体のなかでの意味づけに拠っており、中心項との関係で部分とされ、財とされる。つまりこうしたことは原型の財次元でのあらわれである。この次元での中心項が貨幣である。貨幣はこの次元の一項、財である。……
　貨幣が原型の中で規定されることになれば、もはや貨幣は生成するものでもないし、発明されるものでもない。貨幣を中心項とする原型のなかで、われわれは物質代謝を遂行しているのだ。……貨幣が財を素材とする象徴体系をつくるのであり、貨幣の存在によって財の相関関係をつくるのである。貨幣が財としてこの体系内に物をとりこむのであり、価値を与えるのだ。……
　貨幣のすがたであらわれるこの原型こそ、人間に、すなわち人の内部と人々の間にある、自律的実在としての関係であり、言語にも、さらには他の象徴体系にもみいだされる」（116－8頁）

　以上で述べられているように、吉沢が発見したものは、貨幣や言語やその他の象徴体系に共通な、精神作用の型としての「原型」であり、この「原型」に規定されることで、価値の体系や言語の体系がつくられている、ということだ。
　しかしながら、人間の社会性について、そのおおもとに、このような「原型」を想定することは、せっかく「集合的表象」を問題とし、社会関係の「自律的実在」性を説いていることと矛盾しないだろうか。というのも、吉沢は「原型」を精神作用の型と捉えることで、それを個人の力能に還元しているからだ。もしそうしない、ということであれば、他者ばかりでなく、人間をとりまく物資的諸関係をも精神作用の型として位置づけねばならず、そうすると、この型に「原型」を求めることが出来なくなってくるはずである。
　集合的表象を問題とし、人間の精神作用の型を人間の社会性の内実として捉えようとすれば、その型は人間の社会的諸関係の総体のうちに求めなければならないだろう。その型は、太古から「原型」なるものがあって、それによって規定されているのではなく、現実の諸関係の変化のなかで刻々と変化していくパターンとしてしか存在し得ないであろう。
　そして、吉沢が追求しようとしている課題、つまり社会やシンボルとして存在している様式のうちにある自律的実在としての関係形式は、何らかの「原型」を想定し、それに諸関係を還元していくのではなく、まさに現在の諸関係のうちに発見されるべきであろう。文化知の方法こそが採用されねばならない。

第3章　アグリエッタの暴力貨幣論

1）ルネ・ジラールの模倣衝動

　代理者の方が本物になる、という岩井循環貨幣論と貨幣を経済社会の「原型」とみる吉沢象徴貨幣論を見たうえにたって、アグリエッタの暴力貨幣論に移ろう。
　アグリエッタは貨幣を「主権の原理」（『貨幣の暴力』法大出版会、序文）と位置づける。彼は「貨幣を主権の原理として定義づけ、価値論を放棄する」ことをめざし、そのためルネ・ジラールの模倣衝動説を借りて貨幣の両義性を論じている。アグリエッタの問題意識は次のように表明されている。

「問われるべきは、まさしく商品諸関係が形成される際の貨幣の位置であり、練り上げられるべきは、貨幣を後ろ盾とした経済過程の組織化についての理論である。要するに、貨幣が商品社会における基本的な社会的きずなであるという視点から出発して、貨幣性格をそなえたものの資質を発見し、そこから貨幣制度を分析するための一般的な方法を引き出さねばならない。」（8頁）

　この問題意識は、従来の貨幣をめぐる経済学上の論争が価値論という名の下に貨幣を消去してしまったモデルづくりか、他方での貨幣の数量的な分析か、という不毛な対立になっているという認識にもとづいている。また、構造主義の場合は制度を与件とすることによって、この制度が規定する諸種のシステムが不変の状態で再生産される様を描くことに専念することとなり、システムが固定化されていて、貨幣の両義性（集権化と分権化）が捉えられない。結局価値を前提されたものとみなし、貨幣を消してしまうか、それとも前提されているのは貨幣それ自身なのか、というジレンマにつき当るが、これから抜け出す道が、ルネ・ジラールに従って「商品社会の出発点に暴力を置く」（11頁）ことだというのである。「商品関係を定義するのは、取得的暴力、つまり物へと迂回させられた暴力である。われわれはこれを占有と呼ぶことにしよう」（11頁）と言われると、「財産とは盗みである」と言ったプルードンを思い出してしまうが、とりあえずアグリエッタの展開につきあってみよう。

2）価値形態論の新解釈

　アグリエッタはマルクスの価値形態論が一般の経済学者ばかりか、マルクス主義者によっても無視されてきたことを問題とし、「商品社会の出発点に暴力を置く」こと、具体的にはルネ・ジラールの模倣衝動をおくことで価値形態論の新しい解釈を行う。

「マルクスは交換そのものを理解するのに科学的に正当な唯一の視点に、すなわち交換者の視点に、身を置く。今度は二つの視点が存在する。この二つの視点に同時に立つことはできる。ある個別的交換者の視点に身を置くと、他の個別的交換者は異なったものとして現われ、交換は非対称的なものとなる。だが後者の交換者の眼鏡をかけると、前者の交換者の視点はわからなくなる。後者の『もう一人の交換者』は、出発点でとった立場ではないからである。順次考察してきたこの非対称的関係を、手品師のようにただ一つの対称的関係へと還元してしまうわけにはいかない。その反対に、二つの対称的関係は、暴力的な対立関係のなかで互いに排除しあうのである。これがあらゆる社会化の基本的過程たる交換の模倣衝動なのである。というのも、交換者の暴力的な敵対関係を排除しうるのは、当初の二人の手段とはまったく別の媒介者を第三項として生み出す場合だけだからである。」（33頁）

　マルクスの価値形態論を暴力による社会形成論として読もうとしている人は日本では今村仁司がいるが、アグリエッタも同じ方法を用いている。だが論述自体は今村よりも雑である。そこで細部の論点にはこだわらずに結論部分を引用しよう。

「価値形態の弁証法はまた暴力の弁証法と呼ぶこともできようが、この弁証法は、矛盾が物の取得にかかわるものであるときの、すなわち主体と競争相手との間に物が差し狭まわるときの、矛盾の展開である。物のこの位相が、暴力をそらしそれを方向づけるという使用価値の基本的な社会的意義を与えてくれる。というのは、物が介在しなければ、主体と競争相手との対決は、他者の人格を直接に支配したいという欲望によって支配されるからである。」（37頁）
「さまざまな競争相手を社会化しうるのは、ただこれらの競争相手のうちの一者をこのように排除することによってのみである。この排除行為を生み出すのは、それまで相互的であった暴力を一点に集中させる暴力の方向転換であり、この方向によってある物が使用価値としての消費を禁じられる。暴力は満場一致での方向転換を遂げることにより、共同体の成員にとっての消費対象である物を専横的に犠牲にする。それゆえにこのような物を適切に選び出すのは、それを排除する行為なのである。」（45－6頁）

　ジラールは暴力の三つの発現形態について定式化している。本質的暴力、相互的暴力、創始的暴力がそれである。アグリエッタは、この三つの発現形態を、マルクスの価値形態論に当てはめ、第一形態に本質的暴力、第二形態に相互的暴力、第三形態、一般的価値形態に創始的暴力を見いだしている。引用した部分は創始的暴力についての記述であるが、この記述自体マユツバものとしてしか感じられない。それで、もともとの出発点である本質的暴力についてアグリエッタが述べているところに注目しよう。

3）本質的暴力

　アグリエッタは第一形態を「主体と競争相手が対象をめぐって対決する形態」（39頁）と捉える。そしてこの形態にジラールの「模倣の敵対的論理」を応用すれば、「主体－対象－競争相手という関係の論理には、ジラールが本質的暴力と呼ぶ非妥協的暴力が宿っている」（39頁）というのである。経済学の立場からは「交換とは暴力を自発的に放棄すること」（39頁）と見なされがちだが、アグリエッタはこの考え方を否定し、「奪い合いから出発しなければならない」（40頁）と主張している。価値形態は「奪い合い」という本質的暴力の理論的表現である、というのである。
　このような解釈を理解することは困難である。実際、アグリエッタは第二版序文で「本書に対する最大の無理解をかきたてたのは、ジラール理論の援用である」と書かねばならなかった。そして模倣衝動について次のように規定しなおしている。

「模倣衝動は、社会諸関係のもつ絶対的な必然性を個人の中心に据える。商品経済の主体は、自己自身とのナルシスティックな応答を通してみずからを定義する方法を見いだすことができない。この主体が存続するためには、たえず他者のまなざしを受け入れねばならない。すると次のようなパラドクスに突き当る。つまり、主体は自立的であるためには、他の主体に順応しなければならないのである。模倣衝動は、同一の運動のなかに個人性と社会性とをしっかり一体化する力をもっている。したがって経済的暴力はこのパラドクスから生じてくる。」（第二版序文）

　ここで述べられている模倣衝動とは「奪い合い」のことなのだろうが、依然として説得的ではない。とすればジラール説の援用で説得的なものは、暴力を一者に行使する満場一致の模倣衝動ということだけである。商品世界からの貨幣の排除をこのように解釈した結果、価値形態を「奪い合い」という本質的暴力の理論的表現であるとせざるを得なかったのだが、全然説得力がない。
　というのも、そもそも貨幣の生成を暴力の行使から説明する試みに無理があったからではなかろうか。価値形態論からすれば、排除されるのは商品所有者ではなくて商品である。ところがアグリエッタはこの価値形態論に主体と競争相手と対象の三者を設定している。そして、暴力は主体と競争相手との間に成立する。「奪い合い」の暴力は対象に向かうのではなく、主体と競争相手の間に成立している。
　このように見てくるとアグリエッタの手品の種が見えてくる。主体と競争相手の間で暴力の方向についての満場一致が成立したとき、暴力は当然人に向わなくてはならない。だがアグリエッタは排除されるものは人ではなくて物だと述べている。ただ一人の人間に暴力を向けたところで犠牲が生まれるだけで貨幣が生み出されるわけではない。一つの物を商品世界から排除し、これを貨幣とするのは人に対する暴力行使の帰結ではなく、商品所有者が自らの商品の価値を共同して単一の商品で表示することによる。この商品所有者たちの無意識のうちでの本能的共同行為は人に向けられた暴力ではありえない。

第4章　三者の信用貨幣論

1）岩井説

　岩井、吉沢、アグリエッタ、この三者三様の貨幣論を検討してきたが最後に三者の信用貨幣論を見てみよう。もともと三者の貨幣論は、金が流通手段としては登場せず、中央銀行券が流通し、預金が通貨として機能しているという現代の信用貨幣をどのように捉えるか、という問題意識から発していたはずである。
　マルクスは『経済学批判』や『賃金論』の貨幣論では、流通手段としての紙幣を論じるに当り、強制通用力をもつ国家紙幣にのみ限定している。というのは、これは直接に金鋳貨の流通から発生しているからである。ところが、信用貨幣はそうではない。「信用貨幣は、社会的生産過程のもっと高い領域に属するものであって、まったく別の諸法則によって規制される」とマルクスは『経済学批判』で述べている。ところが岩井は、もっぱら金鋳貨の流通から出発して国家紙幣が金の章標として流通する過程を示したマルクスの『経済学批判』の価値章標論に直接依拠して、銀行券や預金通貨の流通根拠としているのである。その際の論拠は、本物の代理者であった紙幣が、貨幣の代わりではなく、本物の貨幣になるという解釈だった。この解釈はマルクスの次の記述を誤解することで成立している。

「価値章標の流通では、現実の貨幣流通のすべての法則があべこべに逆立ちして現われる。金は価値を持つから流通するのに、紙券は流通するから価値をもつのである。商品の交換価値が与えられていれば、流通する金の量はそれ自身の価値によって決るのに、紙券の価値はそれの流通する量によって決る。」（『経済学批判』100頁）

　岩井は「紙券は流通するから価値をもつ」という言葉を「紙幣が価値をもつのは、それが商品交換の媒介として流通しているからである」（『貨幣論』119頁）と解釈し、この岩井式循環貨幣論を商品世界の真実だと主張している。岩井によれば、紙幣こそ本物の貨幣だから、貨幣の価値は流通することで与えられる、ということになる。
　しかしマルクスがここで国家紙幣について述べた事柄は、金貨は流通手段としての必要量以上に流通に投げ入れれば流通から余分のものが排出されてしまうのに、国家紙幣はいくらでも流通させられる、ということにすぎない。その際、必要量以上に投下された国家紙幣の額面の価値が、商品の価格の高騰によってひき下げられるのであるが、そうなることで逆に国家紙幣が商品の価値を直接に代表するように見えることをもって逆さまに見えると言っているのだ。
　とまれ岩井の信用貨幣論は「代わり」が「本物」になるということ以上のものではない。

「地のままの金から鋳造された金貨へ、軽くなった金貨から兌換を保証されている紙幣へ、兌換保証を失った紙幣からエレクトロニック・マネーへ変遷していく貨幣の系譜―それは、まさに『本物』の貨幣のたんなる『代わり』がその『本物』の貨幣になり代わってそれ自体で『本物』の貨幣になってしまうという『奇跡』のくりかえしにほかならない。」（130－1頁）

　このような岩井の貨幣論からは信用貨幣についての何の理解も得られない。実際、『大航海』では岩井は信用について「信用があるから信用があるという『自己循環論法』」（63頁）以上の思想を述べてはいない。

2）吉沢説

　吉沢英成の現代貨幣論はどうだろうか。吉沢は現代貨幣を中央銀行券と捉え、それが金と不換になっている点に注目する。そしてポラニー、クナップ、ケインズの貨幣論の検討のうえにたって自説を展開しようとしている。

「ポラニーは状況の要請として貨幣の記号化を論じ、クナップは、国家がそれとして表明した貨幣の記号性を貨幣の本質とし貨幣を政策の対象に捉え、ケインズは『管理貨幣』という規定のもとで、価値もなく支えるべき本位ももたない法定不換紙幣に確定性を与えるため管理当局が拠るべき基準を探求したのである。彼らはさまざまに異なってはいるが、現代貨幣が素材性を失ってしまった、すなわち貨幣の素材が金のようにそれ自身価値をもったものから素材としては価値のない紙へ転換した、という認識では共通している。そして貨幣の性格が本質的に変化したとされ、素材性に縛られていた貨幣はそれに代わって、素材性とは対立する管理、政策主体の操作性、恣意性をうけとることになったというわけである。」（『貨幣と象徴』224頁）

　このように整理したうえで、「現代貨幣における素材性と制度性の関係を問うこと」を課題として吉沢は考察を進めている。その際彼は、貨幣を経済社会の「原型」とする見地に立ちかえる。

「貨幣を構成する人為としてのこれらの象徴（国名や中央銀行や大蔵省などの文字）は、各々それを中心にして形成された、なんらかの領域において最高、至高に位置している。貨幣片を構成している、この他領域における至高性の象徴こそがこの一片を貨幣に化成させているのであるつまり、この至高性の象徴こそが、経済的な世界において、これを最高のものたらしめ、流通させ、これを（すなわち貨幣を）中心に経済世界を形成させる働きをつくりだしているのである。」226頁）
「紙幣が貨幣でありうるのは……紙幣に標された政治・行政上の最高の権力の徴しに誘発されているのである。」（229頁）

　結局吉沢は国家権力による強制通用力に銀行券が貨幣として機能しうる根拠を求めていることになる。こうして信用貨幣論は吉沢にあっては問題意識にものぼっていない。

3）アグリエッタ説

　最後にアグリエッタの場合をみてみよう。アグリエッタの貨幣理論の基本的概念は主権、両義性、差異化、であり、これらの基本的概念を模倣衝動という暴力の論理から解明している。
　アグリエッタによれば、貨幣とはまず主権の原理である、次に両義性をもつ。両義性とは集権化と分裂化、ということであり、集権化は満場一致で暴力を一点にむけ、貨幣という主権をつくる側面であり、他方分裂化とは私的なものの確固たる自律性である。そしてこの両義性は決して何かに還元することはできず、貨幣形態は統一的システムと分裂的システムが構成する両極の形態をゆれ動く。そして、このゆらぎを規定するものが差異化である。

「金融機関の差異化と序列化には、市場の同質性に抗して調整を行う能力が与えられている。通貨危機と通貨危機の解決とは、主権の喪失、および新しい組織形態のもとでの主権の再検を意味している。」（第二版序文3頁）

　アグリエッタによれば「貨幣とは商品秩序において社会的統合を打ち立てる原理」（第二版序文5頁）であり、このヒエラルキー組織は模倣衝動という暴力によってつくられたものだから、暴力によって破壊されもする。こうして彼の問題意識は統合の原理のゆらぎとしての通貨危機の分析にかたむいていく。従って信用貨幣についての言及はあまりないが、いくつか拾っておこう。

「債務証書（アグリエッタによれば私的銀行貨幣）は主として流通手段の役割を、即ち貨幣関係の最も未発展で、最も基本的な次元における役割を果たす。それは蓄蔵手段としての資格を部分的にしかそなえておらず、計算単位としての資格はまったくそなえていない。それは萌芽状況にある貨幣形態である。」（111頁）
「経済主体は記号と引き換えに諸商品を手に入れるのであるが、この記号が受け入れられるのは、その記号の最終的な破壊が予測されるかぎりにおいてのみである。」（112頁）

　三者はいずれも現代貨幣の解明を目標にしていたが、信用貨幣論としては見るべき内容はなかった。

��ε��

Return to Category | Return To Main Index

Author: admin Published: 2006/1/5 Read 7506 times

悪貨が良貨を駆逐するーお粗末な貨幣論の横行ー