　自分とは何か、心とは何か、という問をたてたとき、私たちは通常、自分の身体のいのちに属するものとしてこれらを捉えています。というのも、死んでしまえば、自分も、心もなくなってしまうからです。
　デカルトが「我思う、ゆえに我あり」と述べた自我論は、このような、自分を個人の身体に属すものと捉える考え方の基礎になっています。ところが、このような自我論に異議をとなえる考え方が、ミードによって提起されました。ミードはもちろん、自我が個人の身体に属するものであることを否定するわけではありませんが、それが社会的活動のなかで生成し、発展していくものであることを強調しているのです。
　ミードの自我論からすれば、もっぱら内観に頼る心理学は成果を期待出来ないものと見なされます。ミードは人間の社会活動という行動にあらわれた諸現象を読み解くことで、人間の心理を解明していこうとしています。それは社会心理学の行動主義という立場です。ミードの『精神・自我・社会』（人間の科学社）に則して、自我論の概略を紹介してみましょう。

2）自我と身体の関係

　自我と身体との関係について、ミードは次のように述べています。

「自我は、生誕のときからそこにあるのではなく、社会的経験と活動の過程のなかに生じるもの、すなわち、全体としての過程に対する、及び、その過程のなかの他の諸個人に対する所与の個人の関係の結果として、彼のなかで発展するものなのである。」（170頁）

　ここでミードが自我というとき、それを単なる意識をもった人間、という意味ではなく、自己意識をもった人間というように捉えている点に注意を促しておきましょう。人間は生まれたときから意識はもっていますが、自己意識をもつのはずっと後のことです。だから、ミードは、人間が成長していく過程で獲得していくものとして自我を捉え、そうすることで、自我というものの存在の様式について、社会活動を分析するという見地から追求しようとしているのです。
　そこでミードは、人間の社会的行為についての次のような所見を大切にしています。「合理的行為にとっては、個人がこのように、彼自身に対して客観的、没人格的態度を取るべきこと、個人が自分自身に対して対象になるべきことが必要になる。というのは、個別有機体は、明らかに、そのなかでその個別有機体が行動する経験的状況の本質的で、重要な事実、または構成要因だからである。個別有機体は、そのようなものとして自らを客観的なものと見なさないと、知的に、または、合理的に行動できないのである。」（173～4頁）
　ミードは、社会活動のなかでは、人間はたえず相手に合わせて、つまりは、自分を客観的な相手として対象的に扱うことで、合理的に行動できると考えています。「個人はこのように、自分自身を直接的にでなく、間接的にのみ経験する」（174頁）というわけです。ここは一寸難しい論理ですが、個人が自我として社会のなかで行動しているときには、彼が自我の主体となっている（つまり、わがままにふるまう）のではなく、彼が所属する全体としての社会集団の一般化された観点から自分を規定しているのです。彼が主体としてふるまえるのは、彼が自分自身を彼に対して向けられた他の諸個人の態度を取得したものとして、自分を対象化することによってだ、というのです。
　このような見地から、ミードはコミュニケーションについて、独特の位置づけを与えています。それは、コミュニケーションが「有機体または個人が彼自身によって対象になるような行動の形態を提供する」（174頁）からでした。

3）一般化された他者

　ミードによれば、自我とは、ある個人にとって自分自身が対象になることによって生じるものであり、そして、言葉を話すことは相手の反応に反応していることですから、これこそが、自分にとって自分自身が対象になっている事態で自我の生成の場でした。そして、この場がコミュニケーションという行動形態です。
　このようにコミュニケーションを捉えると、人々はコミュニケーションしあうことで、そこにどのような社会的事態が起きているかについて知ることが可能となります。そのための手がかりとして、ミードはゲームを例に上げて、ゲームをすることが参加者の自我にどのような反応を引き起こすかについて考察しています。

「彼自身の行動の一つ一つは、そのゲームをしている他の選手の行動についての彼の想定によって決定される。彼のすることは、そのチームの他の誰かに彼がなることで、少なくとも、それらの態度が彼自身の特殊な反応に影響を与える限りで制御されている。こうして、われわれは、同じ過程のなかに関わっているそれらの人々の態度の組織化である『他者』を獲得するのである。
　個人には彼の自我の統一を与える組織化された共同体、または、社会集団は『一般化された他者』と呼はれるだろう。一般化された他者への態度は、共同体全体の態度である。」（191～2頁）

　ゲームに参加するとき、人はゲームのルールに従って行動し、自分の行動は他人の行動を考慮したうえで決められます。ここにはゲームに参加している全員の態度を組織化しているある「他者」があるが、それと同じように、共同体や社会集団にも「一般化された他者」とでも呼ぶべき人々の態度を組織化するものが見出されるとミードは考えています。この見地からミードは社会のなかで形成される自我について、次のように述べています。

「もし所与の人間個人が、十全な意味で自我を発展させようとするなら、彼は人間の社会過程のなかで、他の人間個人の彼自身および相互に向けられた態度を単に取得するだけでは不十分である。また、彼はそのような見地から、全体としてのこの社会過程を彼の個人的経験のなかに単に持ち込むだけでは不十分である。彼はまた、彼自身および相互に向けられた他の個人の態度を彼が取得するのと同じやり方で、組織化された社会または社会集団の成員として、彼らがすべて従事している共通の社会活動または社会事業の系列のさまざまな局面または側面に向けられた他の個人の態度を取得しなければならない。」（192頁）

　ここでミードは、自我の形成にとって、単にコミュニケーションを通して相手の態度を自分が取得するにとどまらず、さらに「一般的他者」としてある他の個人の態度をも取得しなければならない、と述べています。

「一般化された他者の形態のなかで、社会過程は、そのなかに含まれ、それを遂行する個人の行動に影響を及ぼすのである。すなわち、共同体は、その個々の成員の行為に対する統制を行使するのである。というのは、このような形態において、社会過程ないし共同体は決定的要因として、個人の思考のなかに入るからである。抽象的思考にあっては、個人は、彼自身に向けられた一般化された他者の態度を、他の特殊な個人におけるその表現に関係なく、取得する。具体的思考にあっては、彼は、所与の社会的状況または行動のなかに彼がいっしょに包含されている他の個人の彼の行動に向けられた態度のなかに、それが表現されている限りで、その態度を取得する。しかし、この二つの方法のどちらにおいても、彼自身に向けられた一般化された他者の態度を取得することによってのみ、彼は思考できるのである。」（193頁）

　このようにミードは、ゲームのなかでの個人の態度から一般的他者を導き出し、それを社会関係にあてはめて社会を説明しています。この方法には違和感がありますが、しかし、社会のなかに一般的他者を発見したこと自体は異議があると思われます。

4）「I」と「me」

　次に、ミードの自我論の中心的内容である「I」と「me」に移ります。自我を「I」と「me」との相互作用として捉えるミードは、それぞれについて次のように定義しています。「『I』は他者の態度にたいする有機体の反応であり、『me』は人が自ら想定する他者の態度の組織化された組み合わせである。他者の態度は、組織化された『me』を構成し、次に、人はその『me』に対して『I』として反作用する。」（215頁）
　ミードは自我のなかに、一般的他者を取り込んで形成される「me」と、それに反応する個人の自我のうちにある「I」を区別し、この双方の反応を追うことで、自我の生成過程をあとづけようとしています。ここでもゲームやジェスチャー会話の例を引きながら、自我の二つの局面の相互作用を説き明かしているが、とりあえず、ミードが思考をどう捉えているが、という点と「I」と「me」との相互作用が社会の変化とどうかかわっていくか、という点について紹介しておくにとどめます。まず思考について。

「『me』と『I』は思考の過程のなかに存在し、それを特徴づけているギブ・アンド・テイクの関係を示している。もし『me』がなければ、われわれがその言葉を使用する意味での『I』は存在しない。『I』という形態での反応がなければ、『me』も存在しないだろう。この二つは、われわれの経験のなかに現われるときに、人格を構成する。われわれは、地理上のある地点に位置しているある国に、しかじかの家族関係、しかじかの政治的関係をもって生まれてきた個人である。これらすべては『me』を構成する特定の状況を表している。しかし、このことは必然的に、有機体はそれが存在する過程の内部で『me』に向けて、絶えず行動することを含意する。自我は、まず最初に存在し、次に他者との関係に入っていくなにかではなく、社会的潮流のなかのいわば渦巻きであり、したがって依然として社会的潮流の一部なのである。自我は、個人が不断に自らを自分の属している状況に前もって適応させ、状況にたいして反作用し返していく過程である。したがって、このような思考であり、意識的適応である「I」と「me」は、社会過程全体の部分になり、より高次に組織化された社会を可能にさせるのである。」（224～5頁）

　ミードはここで、意識（思考）を自我と対象との関係と捉えたヘーゲルの意識論を土台とし、そして、自己意識（自我）について、ヘーゲルの精神現象学とは別の展開をしています。ヘーゲルの場合、一つの自己意識ともう一つの自己意識とが与えられたものとされ、双方の関係を通して、それぞれが自己意識として承認されていく仕組みを明らかにしたのでしたが、ミードはここでは自己意識を社会的行動における意識の二重性と捉えています。それが「I」と「me」で、この二つの局面の相互作用という見地から、人間の社会的行動について分析しようとしているのです。だから、社会の変化についても「I」と「me」の相互作用から説明されることになります。

「『I』と『me』の両側面は、その十全な表現における自我にとって本質的である。人は、共同体に所属するために、集団のなかの他者の態度を取得しなければならない。彼は思考を進めるために、彼自身のなかに取り込まれた、外部の社会的世界を用いなければならない。その共同体のなかで獲得された合理的な社会過程のおかげで、その共同体のなかの他者との関係を通して、彼は市民として存在するのである。一方、個人は常に、社会的態度に反作用し、この協同的過程のなかで、彼が所属している共同体を変えている。」（245～6頁）

　階級闘争の理論が力をもっていた時代には、ミードのこのような考えは受け入れられなかったと思われます。というのも、この時代には社会は一般的他者としては存在せず、二大階級がそれぞれ正反対の一般的他者としてあらわれており、個人はどちらの陣営に属するかについて、迫られたからです。
　でも階級への所属が不分明になってしまった今日、ミードのこの自我論は今日の個人と社会行動のかかわりを説明するのによく適しているように思われます。もっともそのまま適用できないでしょう。ミードにとっては、共同体から発せられる一般的他者は、基本的には善ですが、今日では社会から発せられる一般的他者は、どちらかと言えば嫌悪の対象ですから。

第2章　ミード自我論を超えて

1）先行者スミス

　以上、ミードの理論についてかいつまんで紹介してきました。次に検討に移りますが、その前に、ミードが参照したと言われている、アダム・スミスの『道徳感情論』（筑摩書房）をみてみましょう。スミスは『国富論』の著者として有名ですが、もともと法学も研究していて、最初の著作がこの本だったのです。この本の第三部、われわれ自身の諸感情と行動にかんする、われわれの判断の基礎について、および義務の感覚について、の第二篇で、スミスは次のように述べています。

「もし人間という被造物が、ある孤独な場所で、彼自身の種とのなんの交通もなしに成長して、成年に達することが可能であったとすれば、かれは、かれ自身の顔の美醜についてとおなじく、かれ自身の性格について、かれ自身の諸感情と行動の適宜性または欠陥について、かれ自身の精神の美醜について、考えることができないであろう。これらすべては、かれが容易にみることができず、かれが自然に注視することがなく、それらにたいしてかれが目をむけることができるようにする鏡をあたえられていない、諸対象なのである。かれを社会のなかにつれてこよう。そうすればかれは、ただちに、かれがまえに欠如していた鏡をあたえられる。それは、かれがともに生活する人びとの、顔つきと振る舞いのなかにおかれるのであって、その顔つきと振る舞いはつねに、かれらがいつかれの諸感情のなかにはいりこむか、いつかれの諸感情を否認するかを、表示するのである。そしてここにおいてかれははじめて、かれ自身の諸情念の適宜性と不適宜性、かれ自身の精神の美醜を、眺めるのである。」（181~2頁）

　このように、スミスは、社会の中で生活している他人を自分にとっての鏡だと見ています。この鏡はもちろん、ガラスの鏡のように自分の姿が直接映し出されるわけではないのですが、他人の表情や仕草で自分の行動についての評価がなされているのですね。このように他人を鏡と捉えたときに問題は、この鏡がはたして正しい像を映し出せるかどうかという点にあります。この点について、スミスは次のように述べています。

「われわれ自身を、われわれが他人について判断するのとおなじように、判断すること、われわれが他人において是認あるいは非難するものごとを、われわれ自身について是認あるいは非難することは、公平さと中立性との、最大の行使である。このことをするために、われわれは自分たちを、他の人びとをみるのとおなじ目で、見つめなければならない。すなわち、われわれは、自分たちがわれわれ自身の性格と行動の、行為者ではなく観察者であると、想像しなければならず、これらの性格と行動が、この新しい立場から見られた場合に、どのようにわれわれに作用するであろうかを、考察しなければならない。この立場においてのみ、それらのものの卓越性と不完全性が発見されうるのである。ようするにわれわれは、われわれの行動について喝采または非難をなしうるためには、他の人びとの現実の感情、または、他の人びとのそうあるべき感情、またはその行動のすべての事情が知られるならばそうなるだろうとわれわれが想像する他の人びとの感情に、はいりこまなければならないのである。」（183頁）

　スミス自身、このような自分の行為を観察者の目で見ることの困難さを知っており、どのようにして人がそれに従うべき一般的規則が生まれてくるかを問題にしているのですが、それについてはここではこれ以上追求することはやめておきます。ここでは、スミスの思想のミードへの影響を見ることに限定しましょう。そうすると、ミードの「I」と「me」についても、スミスに萌芽的な展開がみられます。

「わたくしが、自分自身の行動を検査しようと努力するとき、わたくしが、それに対して判決をくだしてそれを是認または非難しようと努力するとき、つぎのことはあきらかである。すなわち、すべてそのようなばあいには、わたくしはいわば自分をふたりの人物に分割するのだということ、そして検査官であり裁判官であるわたくしは、自分の行動が検査され裁判される人物である、他方のわたくしとは、ちがった性格をあらわすものだということである。前者は観察者であって、わたくしは自分をかれの境遇におくことによって、またその特殊な観点から見られたばあいに、自分の行動がわたくしにどう見えるであろうかを考察することによって、わたくし自身の行動についてのかれの諸感情に、はいりこもうと努力する。」（194頁）

　スミスはこのように述べたあと、裁判官があらゆる点で被告と同一であるということは不可能である、と述べて、この二人の人物への自分の分割を道徳論の基礎づけとしては無理があることを認めていますが、いまここでの問題は、スミスが、個人の公私の分裂を認め、さらに、自分が他人の感情のなかにはいりこむ、ということが、実は自分の行動が観察者としての他人にどう見えるかということを考察することで自分の行動についての他人の諸感情を獲得することであることが示されていることです。
　さて、これまでに引用したスミスの思想にふれると、ミードの言っていることがよくわかると思いませんか。ミードが自分が自分の対象になる、と言い、また、他者の態度を取得する、と言っていることは、スミスが言うように、行動する自分を裁判官の目で判定することだったのですね。でもスミスはこれを無理だと見ていたのに、ミードは「一般化された他者」を導入することで、これが社会的生活のなかで日常的に成立し、そして、その帰結として自我が生じると見ています。

2）先行者デュルケム

　ミードの先行者とみなされているもう一人の人物は、社会学者のデュルケムです。デュルケムは社会学の対象としてある社会的事実について、それを人々の意のままにならない「物」のようなものとして捉えることを提案しました。つまり、社会には、「個々人の意識の外部に存在するという顕著な属性を示すところの行動、思考、および感覚の諸様式がみとめられ」（『社会学的方法の基準』岩波文庫、52頁）そして「これらの行為や思考の型は、たんに、個人に外在するはかりでなく、個人の欲すると否とにかかわらずかれに影響をおよぼしてくるような、ある命令と強制の力を付与されている」（52頁）というのです。
　デュルケムによれば、この一群の事実は、表象や行為から成っている、という意味で単なる生命活動とはみなせないし、また、個人の意識の内部に、あるいは個人意識としてある心理的現象としてもみなせず、端的に社会的事実と規定する他はないのです。社会的事実については次のように定義されます。

「社会的事実とは、固定化されていると否とを問わず、個人のうえに外部的な拘束をおよぼすことができ、さらにいえば、固有の存在をもちながら所与の社会の範囲内に一般的にひろがり、その個人的な表現物からは独立しているいっさいの行動様式のことである。」（69頁）

　このような定義にもとづいて晩年のデュルケムは宗教を研究し、『宗教生活の原初形態』（岩波文庫）を書きました。その結論部分で、「ほとんどすべての主要な社会的制度は宗教から生まれたといっていい」（下、327頁）と述べたデュルケムは、概念を集合的表象であるとして、次のように展開しています。

「概念が万人に共通なのは、それが共同社会の作品だからである。概念が、何も特殊な知能の刻印をおびていないのは、あらゆる他の概念が出会い、いわば、扶養し合うユニークな知能によって、それが精錬されているからである。感覚または心象よりも堅固さをもっているのは、集合的表象が個人的表象よりさらに堅固だからである。なぜなら、個人はその内的または外的環境に生じる微弱な変化に対してさえ敏感であるが、十分に重大な事変のみが社会の心的基礎に影響を及ぼすことに成功しうるからである。特殊的な意志または知能に一致して課せられる思考または行動の『類型』にわれわれが直面するたびごとに、個人に及ぼされたこの抑圧は、集合体の公在を現すのである。なお、また、われわれが、現在、それらによって思考している諸概念は、語累の中に記入されたものであることを、さきに述べておいた。ところで、疑いもなく、言語、ひいては、これが表現する概念の体系は、集合的洗練の所産である。それが表現するものは、社会が総体において経験の対象を表象する様式である。したがって、語のさまざまな要素に対応する観念は、集合的表象である。」（下、353～4頁）

　ミードの一般的他者は、デュルケムの集合的表象とは異なって個人の自我のうちにある要素「me」との関連で捉えられています。この意味ではミードの説はスミスの個人の分裂としての観察者の方に近いように思われます。これに対して、デュルケムの集合的表象の場合、それが「各個人の意識の内容を無限に超過している」（下、366頁）という点が強調されているのです。もちろんデュルケムも集合的表象が「主観的要素を含んでいる」（下、371頁）ことを認めてはいるのですが、社会的事象についての自らの定義にとらわれて、それが個人の外にある物的存在として捉えられ、それが歴史的にどのように形成されたか、という観点に問題意識を集中させてしまっているのです。

3）19世紀の思想運動

　ミードの自我論の検討に移る前に、ミードが『十九世紀の思想運動』（人間の科学社）で述べているガリレオからヘーゲルに到る自我論の発達をあとづけているところに注目してみましょう。以下はミードの要約です。
　ミードは、ガリレオが世界を解読する言語が数学的言語であることを発見したこと（「自然という書物は数学の言語によって書かれている」）から科学思想の発展過程をあとづけています。デカルトにあっては明白さと明確さが真理の基準で、蓋然性については科学とは認められていませんでした。この見地から、デカルトは「われ思う、ゆえに我あり」を自我の存立の根拠としたのでした。
　この自我論とは別に、ホッブスやロックやルソーによって、社会と国家についての科学的説明がなされ始めます。ルソーは個人の意識の外にある「一般的意思」として自由や平等や博愛を根拠づけました。
　そのあと、ヒュームの懐疑論が登場します。ヒュームは知識が全て印象と経験が組織されたものにしかすぎないように見える点に注目し、確実なものは因果関係だけとみなしました。そして因果関係の法則とは、過去において相互に継続しあっていた事物が、これからも継続することを期待する、という人間の本性のことでした。このような見地からすれば、自我も印象と経験の集合ということになります。
　このヒュームの懐疑を批判したのが、カントでした。ヒュームにあっては、印象と観念から始めて、それらの外部に存在し、それらの原因と見なされる対象に到る道がなく、主観的世界から外部にあるものにいたる通路が破壊されている。このようなヒュームの考えに対し、カントは、精神自体に一定の形式があるとし、精神こそが自然に法則を与えるとみなすことで、対象から精神に、経験を通じて印象がもたらされるという、ヒュームも含めてそれまでの哲学者が前提にしてきた思想を、まさにコペルニクス的に転換させたのでした。
　ところで、このようにして成立したカントの思想によれば、自然に対して精神が自らの形式でもって法則を与えるとき、自然自体には剰余が残ることになります。だからカントは物自体は認識しえないと述べたのでした。ここからカントの自我論は、一方では精神に属する純粋に形式的なものであり、他方では物自体である、というように分裂したものとなります。
　このカントの自我論を克服しようとしたのが、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルと続くドイツ観念論のロマン主義でした。ロマン主義は、主－客の合一をとなえ（その先駆けはスピノザとライプニッツにあります）、知識の対象と知識の過程そのものを同一化し、その同一性が自我のうちにある限りで見出されるものを論理として展開したのでした。そのポイントはミードによれば、人は他者の役割を取得することによって、自分自身に立ち返ることができ、また自分自身を所与の知識対象として保証することができる、というところにありました。デカルトの自我には非我は含まれていませんでしたが、ロマン主義にあっては、私が意識している自我とともに、自我の知る対象が存在することが認められているのです。ところでガリレオから始めたミードが何故自我論にこだわっているかと言えば、科学的方法自体が自我の発達によってもたらされたものだ、という認識があるからです。「私が指摘したいのは、科学的方法そのものは、結局のところ、自己意識にいたった進化過程に他ならない」（411頁）とミードは述べています。そして、ヘーゲルの自我論を乗り越えたものとして、ミードは自らの自我論を次のようにまとめています。

「もし個人がこうした態度を身振りによって、また、他者に与えるのと同じ効果を自分自身にも与える言葉によって、他者のなかに呼び起こすなら、そのとき彼は他者のなかに呼び起こすのと同じ態度を自分自身のなかにも呼び起こすことになる。こうして、個人は、他者がかれに働きかけてくるのと同じように、自分を訓戒する。すなわち、個人は自分の権利が何であるかを認識すると同時に、自分の義務が何であるかも認識するようになる。個人は、彼自身に向けられている共同体の態度を取得する。」（425～6頁）

　ミードの自我論は、個人がいかにして共同体の態度を取得するか、ということを、個人が他者とのコミュニケーションにおいて意識を二重化させることで他者の態度を取得することに求め、そして、このような自我の成立と進化が、科学的方法を生み出した、というように、社会の進化を捉える際の基本的視点とされています。

4）自我論の新展開へ

　ミードの自我論は、内観による心理学に成果を期待しない点で正しいのですが、「一般化された他者」自体がどのようにして成立するかについては明らかにできていません。ミードがスミスに習って、個人の人格の二重化を「I」と「me」に区分したとき、「一般化された他者」は、はじめから前提にされているのです。だから、個人が「一般化された他者」の態度を取得することについては、ゲームの例から類推することで説明しています。
　次に「一般化された他者」の態度とは、結局は共同体の態度なのですが、ミードはこれを固定したものとは捉えず、たえず変動していくものと捉え、そして、その変動を「I」と「me」との間の相互作用から説明しようとしています。
　双方とも興味深い試みですが、しかし、十分な説得力をもてていないように思います。私はミードがここまで問題を追求してきたのなら、「一般化された他者」が、コミュニケーション過程（一定の社会関係）でどのように生成するかについて解明する他はなかったと考えたい。
　そうすると、個人が他者との間に何らかの社会関係をもとうとするとき、社会関係が「一般化された他者」を生成する場として機能していることを解き明かす必要に迫られます。スミスの言う人間鏡の場合、個人Aが他者Bのふりを見て自分のふるまいを点検するわけですが、その時Aの鏡にされているBは、生身の人間のままで「一般化された他者」として現われています。だから、ミードの言う「I」と「me」は、鏡にされているBにとっては、「I」は「me」の化身とされていて、その結果Aは「一般化された他者」の態度を取得していける、ということではないでしょうか。
　そして次にAとBとの関係を転倒させると、今度はAは「I」としての役割を消失させられ、もっぱら「me」としてふるまうことを強制される、ということになります。つまり、社会関係のなかでの「一般化された他者」の生成は、個人が社会から見られることで自己がそのように振る舞わざるを得ないという、ある種の社会的な力のもたらすものであり、ミードの考えているような、あらかじめ出来上がっている「一般化された他者」の態度を個人が取得するといったことではないことになります。

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Author: admin Published: 2006/1/5 Read 46384 times

ミードの自我論

第1章 ミード自我論の概要

1）行動主義心理学