第1章　カントの根本思想の復権
　1）ゲーテから出発　2）カントの根本思想　3）ドイツ観念論とは別の途を
第2章　エンゲルスの科学的世界観
　4）哲学の根本問題　5）カント批判　6）自然の弁証法
第3章　ヘーゲルのカント批判の再検討
　7）主観から客観へ　8）超越論的仮象　9）弁証法の威力　10）絶対的他者、外の主体の弁証法
第4章　マルクスの弁証法
　11）コーヒーブレイク　12）ヘーゲル批判　13）ヘーゲルの弁証の転倒　14）科学的世界観を超えて文化知へ
第5章　カントの遺産
　15）補足のために　16）不可知論、懐疑論の克服　17）観念論を批判する現実主義者　18）リアリストとしてのカント　19）けなげなカント

第5章　カントの遺産

15）補足のために

　こんなコマ切れの時間で哲学についての論文を書いたのは今回がはじめてです。そのせいか、出来上がったものは、当初の計画とは全く別のものになってしまいました。当初頭にあったのは、カントの超越論的仮象論を科学的世界観の批判に活かそうということで、仮象論を紹介しつつ、カントの弁証論の核心、つまり、認識できるのは意識にとり込まれた現象だけで、客体はその外に物自体としてあるのだ、という説明への批判を試みようというものでした。また、純粋理性批判で持ち越された主観から客観への移行が、実践理性でなされるという枠組みについても「不快」感をもっていました。
　ところが、フィヒテに始まり、ヘーゲルで終結するドイツ観念論が、何故カントの超越論的仮象論を無視したのか、ということが気になり、今更フィヒテやシェリングを研究しても始まらないので、私のホームグラウンドであるエンゲルスに帰ってみて、エンゲルスが、裏返しのヘーゲル主義者であることに気づいたのでした。また、ヘーゲルのカント批判を流し読みしていて、ヘーゲルは自らの弁証的哲学を打ちたてるためにはカントの超越論的仮象論について見て見ぬふりをするしかなかった、ということもわかりました。
　そうすると、ヘーゲルの概念の弁証法や科学的世界観に立ち、それを裏返して自然の弁証法を唱えたエンゲルスとは別の仕方で、弁証法を駆使したマルクスまで辿らねばならなくなったのです。ということですので、マルクスについては全くのラフスケッチに終わっています。
　このように駆け足で原稿を書きながら、カントの三批判を拾い読みしていたのですが、当初の計画通りなら、当然取り上げていたはずのカント哲学における合理的かつ現代的意義のある叙述について補足的に紹介しておきましょう。

16）不可知論、懐疑論の克服

　私たちマルクスやレーニンをホームグラウンドとする人間にとって、カントはレーニンの『唯物論と経験批判論』のイメージでこり固められています。イメージですから、今さら文献にあたりませんが、世界を感覚の要素とみた新カント派のマッハ哲学が、意識の外にある物質を否定する不可知論であり、そのルーツはカントの物自体は認識できないとする不可知論にある、というものでした。ところで、今さらレーニンを批判するつもりはありませんが、私は本誌8巻1号のヒルファディング論でマッハの関係論をとりあげ、文化知への胎動の一つとして位置づけていますので、参照して下されば幸いです。
　つまり、私のカントについてのイメージは、物自体は認識できないとした不可知論者というものだったのです。ところがカント自身は、自分の哲学は不可知論や懐疑論であるとは全然考えていませんでした。純粋理性批判では、自然について現象（感性で捉えられた）しか認識できず、なおかつ、この主観的な認識が客観そのものの認識という必然的な仮象をもつ、と述べていたカントは、純粋理性にあっての主観的なものが、実践理性の導入で、客観的実在性を得ると主張しているのです。

「思弁的理性は、原因と結果との結合[因果関係]の系列において無条件的なものを思いみようとすると、どうしてもアンチノミーに陥らざるをえない。それだから、原因性という概念を使用してもアンチノミーに陥らずに済むためには、やはり絶対的意味における自由を必要としたのである。しかし思弁的理性は、かかる自由の概念を蓋然的にしか――換言すれば、それを考えることが不可能でないという意味でしか定立することができなかった。従ってこの概念に客観的実在性を保障するまでにいたらなかったのである。それにも拘らず思弁的理性が、たとえ蓋然的にもせよ自由の概念を設定したのは、少なくとも考えられ得るものとしてなら認めないわけにはいかないような概念を始めから不可能であると言ってしまったのでは、理性の本質に盾突くことになり、結局懐疑論の深淵に落ち込むので、そのことを避けるために他ならなかったのである。
　ところでこの自由という概念は、その実在性が実践理性の確然的法則によって証明されさえすれば純粋理性の――思弁的理性をも含む――体系という建物全体のいわば要石をなすのである。そして思弁的理性においては単なる理念にとどまり、ついに確固たる支えを持ち得なかった自余の概念（神および不死の概念）も、いまや自由の概念との関連において、この概念とともにまさにこの概念によってその存立を全うし、かつまた客観的実在性を得るのである。換言すれば、神および不死という二概念の可能性は、自由が現実的に存在するということによって証明されるのである。自由の概念が道徳的法則によって現実的に開示されるからである。」（『実践理性批判』岩波文庫、14～6頁）

　カントは『判断力批判』の序論で哲学を理論哲学と実践哲学とに分類し、それぞれの原理を自然概念と自由概念に求めています。これは認識能力と欲求能力であり、この二つにさらに快・不快の感情が加わり、これが反省的判断力とされるわけです。
　理論哲学（思弁的理性）と実践哲学のこのような原理における差異は、一つの謎を生みます。それは「思弁においては、カテゴリーの超越論的使用に客観的実在性を与えることを否定しながら、純粋実践理性の対象に関しては、カテゴリーに実在性を認めてよい」（19頁）というものですが、この謎をカントは双方にあってはカテゴリーの使用の仕方が違う、というところから解消しています。つまり思弁的理性にあっては、カテゴリーの使用は、その理論的規定をそのまま拡張して、感性的なもの（現象）の認識に振り向けようとしますが、実践理性にあっては、カテゴリーは、必然的意志規定に含まれるか、あるいは意志を規定する対象と不可分離的に結びついているから、客観的実在性といっても、外的対象と認識との一致という意味ではなく、「カテゴリーになにか一つの客観（対象）が帰属する」（20頁）という意味でしかない、というのです。ここでカントが客観（対象）といっているのは、実は、実践理性を働かせようとしている人間、自分自身のことなんですね。カントが「思弁的批判においては、単に考えられ得るというだけであったところのものが、今度は事実によって確証せられるわけである」（20頁）というとき、これは、自然概念がアンチノミーに陥ったときの人間の精神のうちにある超感性的なものの理念であり、思弁理性では必然性を説けない自由、神、不死といった概念を実践理性で確証し、客観的実在性を与えることで、主観の客観への移行を証明しようとしているのです。この点について、カントの注は示唆的です。

「自由としての原因性と、自然的機構としての原因性とは、前者は道徳的法則により、また後者は自然法則によって、同一の主観、すなわち人間のうちに確立されている。しかし人間における両者の結合は、人間を道徳的法則に関しては存在者自体（物自体）として、また自然法則に関しては現象として――換言すれば、道徳的法則を純粋意識において、また自然法則を経験的意識において考えるのでなければ不可能である。」（21頁）

　このように、カントは人間をも物自体と考えていたのですね。だから、実践理性でこの物自体としての人間の客観的実在性を規定できれば、人間以外の自然物の客観的実在性について証明することなど必要なかったのです。

17）観念論を批判する現実主義者

　カントは観念論者と名指しされて不快感を隠しませんでした。『実践理性批判』の注で、次のように述べています。

「一つの学派に属する人達をひとからげにしたおおざっぱな呼称は、いつの時代にもはなはだしい曲解を生ぜしめる。例えば、『何某は観念論者である』と呼ぶような場合が差し当たりそれである。たとえその観念論者が、外的な物に関する我々の表象には、外的な物としての現実的対象が対応するということを承認するのみならず、このことをしきりに主張するにせよ、しかし彼がまた外的な物を直観する形式は、これらの対象そのものにあるのではなくて、まったく人間の心だけにある、と言うからである。」（38頁）

　カントはこのように、自分が意識の外にある客観的実在を承認しているのに、何故観念論者と呼ばれるかについて抗弁しています。ところで、カントが現実主義者としてふるまうのは『判断力批判』において顕著に見られます。そこで以下に、この第三批判を参照してみましょう。
　まず判断力について、カントは、それに悟性と理性をつなぐ中間項としての役割を与えています。その原型は快・不快の判断ですが、この判断力は思弁的理性にも実践理性にも働いていますが、それをカントは規定的判断力（特殊を　普遍のもとに含まれていると考えるもの）とよび、これとは別に特殊から普遍に昇っていくものを反省的判断力と呼んでいます。そして、後者が『判断力批判』で取り上げられているのです。自然概念には感性的な現象に対して思弁的理性が働き、自由概念には超感性的なものに実践理性が働きますが、この両者の限界について、カントは次のように述べています。

「自然概念は、なるほどその対象を直観において表示はするが、しかしこれを物自体としてではなく単なる現象として示すにすぎない。これに反して自由概念は、その対象において物自体を示しはするが、しかしこれを直観において表示するものではない、ということである。従ってまた両者のいずれも、物自体としての対象に関しては（思惟する主体に関してすら）理論的認識をあたえることができないのである。物自体は、恐らく超感性的なものであろう。そして、我々はかかる超感性的なものの理念を、経験の一切の対象[単なる現象としての]を可能ならしめる根拠とせざるを得ないが、しかしこの理念そのものを高めあるいは拡張して認識たらしめることはついに不可能である。」（『判断力批判』岩波文庫版、上、28頁）

　カントによれば悟性を働かせる自然概念にあっては、直観されるものは現象であって物自体ではな
　く、また実践理性を働かせる自由概念にあっては、物自体（人間）の客観的実在性を確証したとしても、それは理論的認識としてではなく、「実践的実在性しか与えることができない、しかもかかる実在性によるのでは、我々の理論的認識は超感性的なものに向っていささかも拡張されない」（29頁）のです。
　自然概念の領域は感性的なものであり、自由概念の領域は人間という超感性的なものでした。この二つの領域には広大な深淵があることをカントは認めていますが、しかしにもかかわらず「感性的世界は超感性的世界に対してなんら影響を及ぼし得ないにせよ、それにもかかわらず超感性的世界は感性的世界に対して影響を及ぼすように定められている、即ち自由概念は、その法則によって課せられた目的を感覚界において実現するように定められているのである。」（29頁）とカントは主張しています。そして反省的判断力が働く領域が、ここに定められるのです。このあと、カントは、感性的世界の原理に従う考え方から超感性的世界の原理に従う考え方への移行について抽象的に述べていますが、ここではあえて紹介しません。同じ内容をカントは後で具体的に述べており、そちらの方が面白いからです。

18）リアリストとしてのカント

　さきにも紹介したように、カントは反省的判断力を「自然における特殊から普遍へ昇っていく」（37頁）能力と見ています。この能力にももちろん原理があるわけですが、しかし判断力の原理は経験から得られるものではないし、自然に生得的なものではありません。ここでカントが判断力の原理とみなしているものは「合目的性」ということですが、「自然法則に対する我々の反省は、こちらから自然に適合することを建前とするものであり、自然が我々の側の条件に従うのではないから」（37頁）なのです。ところが、人間の思考は、この自分の判断力の原理でしかない「合目的性」を自然の概念そのもののうちに求めたがるのです。カントの判断力批判の目的は、判断力がもつこの仮象をあばくことにありました。この批判は次のように展開されています。

「普遍的自然法則の根拠は、我々の悟性のうちに存する、つまり、我々の悟性が、これらの自然法則を自然（およそ自然という普遍的概念に従うところの自然であるにせよ）に指定するわけである。ところが、経験的な特殊的〔自然〕法則によって、規定されずに残されたものが含まれている。そこで、これらの特殊的自然法則は、普遍的自然法則が仕残したものに関し、或る種の統一に従って――換言すれば、あたかも或る悟性（我々の悟性ではないにせよ）が我々の認識能力に鑑みてかかる特殊的自然法則に従う経験の体系を可能ならしめるために予め与えておいたものであるかのような統一に従って、考察されねばならない、ということである。しかしそれだからといって、我々は、かかる悟性を実際に存在するものとして想定してはならないだろう（このような統一の理念は、我々の反省的判断力にのみ――規定するためではなく反省するために――原理の用をなすにすぎないからである）。要するにかかる能力（反省的判断力）は、自分で自分に法則を与えるだけであって、自然に法則を与えるのではない。」（38頁）

　私たちは日常、自然科学が解明した自然の法則を、自然そのものの法則として受けとっています。このように受け取るときに働いている思考の能力を、カントは反省的判断力とみなし、そして、この判断力がもつ「合目的性」という原理に従って、思考は、現象として認識された自然の特殊的法則を普遍的法則と統一していくわけですが、その際カントは、この法則は思考産物であって、自然そのものの法則ではない、ということに注意をうながしているのです。
　カントによれば、或る対象の概念は、それが同時にその対象の現実性の根拠を含む限りにおいて目的と呼ばれるのですが、或る物が物のもつ或る種の性質、つまり目的に従ってのみ可能であるような性質と合致すれば、その合致が合目的性と呼ばれます。「判断力の原理は、経験的（自然）法則一般に従う自然における物の形式に関するものとして、多様性をもつ自然の合目的性である。要するに自然は、〔合目的性という〕この概念によって、あたかも或る種の悟性が多様な経験的〔特殊的〕自然法則を統一する根拠を含んでいるかのような具合に考えられるのである。」（38～9頁）
　カントの超越論的仮象論は判断力の批判においても充分に活かされています。自然の合目的性とは人間の思考の能力の一つである反省的判断力が、あたかも自然のうちに或る種の悟性があって、それが働いて目的に適った法則をつくり出しているかのように考えたものなのですね。まさに「我々は、自然の所産において自然が目的と関係していることを認めるにせよ、しかしそのような関係を自然の所産そのものに帰すわけにはいかない。」（39頁）のですが、悩ましい点は、それが自然の所産そのもののように思われれてしまうことなんですね。

19）けなげなカント

　いま検討している『判断力批判』の序論は、科学の方法論として読めば非常に興味ある叙述がつづいているのですが、長くなりますのでそろそろ締めくくりましょう。カントは「自然の合目的性」ということについて次のように述べています。

「自然の合目的性というこの超越論的概念は、自然概念でもなければ、また自由概念でもない。この超越論的概念は、対象（自然）に何か或るものを帰するのではなくて、完全な連関を保つような一個の経験に達するために、我々が自然における対象を反省する場合に従わねばならぬ唯一の仕方を示すにすぎない、要するにこの概念は、判断力の主観的原理（格律）なのである。」（44頁）

　このように、カントにあっては「合目的性」とは、自然における対象を合理的に把握するためには従わざるをえない観念の働きであり、人間の判断力が従わねばならない格律だったのです。

「そこで経験的自然法則に従うところの自然に対して反省を施すために、自然と我々の認識能力とのかかる調和が、判断力によってア・プリオリに前提されるのである。要するに、悟性は、これらの経験的法則を客観的であると同時に偶然的なものとして承認する、そして[反省的]判断力だけが、これを超越論的合目的性（主観の認識能力に関する）として、自然に帰するのである。かかる合目的性を前提しないと、我々は経験的法則に従う自然の秩序を知ることができないし、従ってまた多様を極める経験的法則によって整頓される経験と、これらの法則そのものの研究とに対する手引きをもつことができなくなるであろう。」（46頁）

　要するに、カントが明らかにした判断力とは、経験的自然法則としてある多様な法則を、自然に「合目的性」という規定を与え、あたかも自然が合目的的に構成されているかのように考えて、普遍的法則と特殊的法則との関連をつけていく、そのような思考の能力でした。

我々はこれによって自然に法則を指定するのでもなければ、また観察によって法則を自然から学び取るのでもない（この原理は観察によって実証されはするが）。合目的性の原理は、規定的判断力の原理ではなくて反省的判断力の原理にすぎないからである。要するに我々の言おうとするのは――自然がその普遍的法則に関して、どのように仕組まれていようとも、我々は[自然の]合目的性の原理と、この原理に基づくところの格律とに従って、経験的自然法則を探索せねばならない、ということだけである。我々は、この原理が成立する限りにおいてのみ、経験における悟性使用を進捗させ、認識を獲得することができるからである。」（48頁）

　このように、カントは人間の思考産物である普遍的法則と、自然そのものの仕組まれ方とを明確に区別しています。人間の理性は、思考産物を客観に属するものというように捉えざるを得なくなっているので、この区別をつけることが決定的に重要なのです。そのうえで、このような限界をもった思考を合理的に働かせることを意図して、三批判がなされたわけでした。仮象であることが明らかにされても、その仮象が真実のようにしか考えられない超越論的仮象、これと執拗に闘ったカントのけなげさに私は打たれました。そして、もうお分かりだと思いますが、マルクスが、経済学の方法について述べたところで、ヘーゲルを念頭に置いて、思考産物と現実とのちがい、そして、現実を思考が科学的にわがものとする唯一の方法としての学問的に正しい方法について明らかにしていますが、そのさきがけは、カントにあったのです。

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Author: admin Published: 2006/1/5 Read 4647 times

哲学の旅 カント研究序説 第5章