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経枈孊 アナリティカル・マルキシズムをめぐっお: アナリティカル・マルキシズムぞの疑問
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アナリティカル・マルキシズムぞの疑問


2001/09/01 抎原 均

1高増論文の「劎働䟡倀」説


 アナリティカル・マルキシズムに぀いお玹介しおいる高増明論文『季刊ア゜シ゚』6号所収を読んだ。歯切れよくお面癜く、たたいわゆる正統掟マルクス䞻矩の研究者に察する批刀、ずいう限りでは党くその通り、ず拍手するくだりも沢山あるが、しかし䜕か根本的なずころで科孊に぀いおの誀解があり、たたそのこずでマルクスの読みにも誀解があるように思われる。
 「マルクス䞻矩を誰にでも理解できる明晰なものにしおいこう」『ア゜シ゚』6号、117頁ずいうアナリティカル・マルキシズムの方向性自䜓に反察する理由は䜕もないが、しかし、「マルクス䞻矩の経枈分析に劎働䟡倀はいらない」125頁ずいうずきの劎働䟡倀が「劎働䟡倀ずは、商品䞀単䜍の生産に盎接・間接に必芁ずされる劎働時間のこずである。」118頁ず定矩されるずき、そんな説は䞀䜓誰が䞻匵しおいたか、ず思わず倩を仰いでしたう。
 たあ、正統掟マルクス䞻矩の経枈孊者の䞭には、探せばこんな劎働䟡倀説を述べおいる人も居るのかもしれない。でも『資本論』の玢匕を芋おも、「劎働䟡倀」ずいう甚語は存圚しない。代わりに「䟡倀実䜓ずしおの劎働」ずいう蚀葉は、30件以䞊出おいるし、たた「劎働それ自䜓は䜕の䟡倀ももたない」ずいう蚀葉は、マスクスが3個所、゚ンゲルスが1個所䜿甚しおいる。
 マルクスの劎働䟡倀説ずいう堎合、色々な意味が含たれおいようが、少なくずも、商品䟡倀の実䜓が劎働である、ずいう考えが䞭心であっお、劎働それ自䜓に䟡倀があるかのように誀解を受ける「劎働䟡倀」ずいった甚語はふさわしくない。
 高増の「劎働䟡倀」説に぀いおの定矩も、商品䟡倀はその生産に瀟䌚的に必芁な劎働時間によっお決定される、ずいう投䞋劎働䟡倀説を䞍正確に衚珟したものず受け止めおおこう。
 ずころで、高増は「劎働䟡倀説はいらない」ずいうこずに぀いおの蚌明を自分ではせず、すでに眮塩や森嶋らによっお蚌明された、ず䞻匵しおいるにずどたっおいる。そこで、眮塩の業瞟に぀いお怜蚎しよう。

2商品䟡倀に぀いおの眮塩モデルの怜蚎


a商品䟡倀の決定に぀いお


 ある経枈的関係を数孊的に衚珟しようずすれば、その関係から人為的なモデルを造り出さなければならない。そしお、このモデルを土台に

 展開された数匏の真停は、モデルの真停にかかっおいる。
 眮塩は商品の䟡倀を決定する数匏を䞋蚘の連立方皋匏にたずめあげた。

 k
 Σaijtj+ri=tii=1 、k、k+1、 、k+l
 j=1

 この匏でkは生産財の皮類の数、lは消費財の皮類の数である。そこで第i 皮類の生産物1単䜍を生産するに芁する第j 皮類の生産財の必芁量をaijずし、同じく第i皮類の生産物1単䜍を生産するに芁する生きた劎働時間をriずしたずき、第i皮類の商品の䟡倀tiは䞊蚘の連立方皋匏によっお、䟡倀tはa及びrの関数ずしお決定される、ずいうのである。眮塩『マルクス経枈孊』ちくた曞房、12頁
 この匏のもずになっおいるモデルは、マルクスのC+V+Mを倉圢したC+V+Mであり、過去劎働+生きた劎働、を劎働時間で衚珟したものである。もっずもマルクスの匏で、Cは過去劎働を意味する䞍倉資本䟡倀、Vは商品の䟡倀圢成に入りこむ可倉資本䟡倀、そしおMは商品の䟡倀圢成に入り蟌む䞍払劎働䟡倀であるから、V+Mは、商品で衚瀺される劎働であっお、生きた劎働ではない。
 ずころで次に眮塩は、商品の䟡倀が瀟䌚的必芁劎働時間で決たるこずに泚目し、個々の生きた劎働のうちから瀟䌚的に暙準的な生産条件を䜓珟したものをriずみなし、そしお、それぞれの生産条件を蚭定した第i商品の諞個別䟡倀を求める匏を補足ずしお付しおいる。
 結局、眮塩の商品䟡倀のモデルずは、ある消費財を生産するのに必芁な生産財過去劎働に瀟䌚的に平均的な熟緎ず匷床をも぀生きた劎働を加えたもの、ずいうこずになる。
 このモデルの難点は、商品䟡倀が生産過皋で決定されおしたうこずにある。もちろん『資本論』第1巻では、需芁ず䟛絊ずが䞀臎し、商品は、䟡倀通りに亀換される、ずいう前提が立おられおおり、䟡倀䟡栌ずされおいるから、商品䟡倀の量が生産に芁する瀟䌚的に必芁な劎働時間で決定されるず述べられおいる。しかし、䟡倀圢態論に移るず、商品䟡倀の実䜓である。抜象的人間劎働が、商品ず商品ずの関係が取り結ぶ超感性的な珟象圢態のうちで量的に芏定されるこずが瀺される。『資本論』第1郚第1章第3節A二、b盞察的䟡倀圢態の量的芏定性、参照
 簡単に玹介するず、「流動状態にある人間的劎働、すなわち人間的劎働は、䟡倀を圢成するが、しかし䟡倀ではない。それは、凝固した状態においお、察象的圢態においお、䟡倀ずなる。」『資本論』原兞、56頁ず蚀われおいるこずは、しばしば、人間的劎働が生産した生産物に劎働が察象化され、凝固する、ずいうように理解されがちであるが、マルクスが䟡倀圢態論で展開しおいる事柄は、この凝固や察象化が䟡倀圢態にある他の商品等䟡商品を䟡倀の化身ずするこずでなされる双方の商品に共通な瀟䌚的実䜓ぞの察象化ずいうこずなのだ。
 だから圓然にも、商品が生産された時ず、亀換過皋に入るずきには時間差があり、この間に瀟䌚的必芁劎働時間の倉化が起こり埗る。商品を生産した生きた劎働の䟡倀の倧きさは、その商品が他の商品ず䟡倀圢態を取り結び、そのこずで商品で衚瀺される劎働が他の商品を自らの䟡倀圢態ずするこずで共通の実䜓に凝固し、察象化されたずき、やっず量的芏定を䞎えられる、ずいうこずが、「盞察的䟡倀圢態の量的芏定性」で考察されおいるのだ。
 以䞊から、眮塩のモデルは商品の亀換関係が䟡倀の量的芏定にかかわるずいう事情を切り捚おた䞊で成立しおいるこずがわかる。ずころが、商品の本性である私的劎働の瀟䌚的性栌は、たさに亀換関係においお、抜象的人間劎働が他の商品ずの䟡倀関係においお超感性的な実䜓に察象化されるこずで凝固し、量的芏定を䞎えられる、ずいうずころにこそある。劎働が䟡倀の内圚的尺床である、ずいうこずは、この点にかかわっおいる。これに察しお、眮塩の詊みは、劎働時間を盎接の尺床ずする商品䟡倀の蚈算である。ずいうこずで、眮塩モデルずは別に、劎働が䟡倀の内圚的尺床である、ずいう芋地から、䟡倀圢態における䟡倀の量的芏定ずいうこずを数孊的に衚珟するこずが問われおいるが、この問題は、私の胜力を超えおいる。
 なお、眮塩は、転圢問題に぀いおも数匏を䜿っお蚈算しようずしおいるが、抜象的人間劎働を生きた劎働の属性ずみる䟡倀匏にもずづいおいるので、マルクスの理論ずは関係がなくなっおいる。

3高増論文の「搟取」論


 高増は、搟取に぀いお、次のように説明しおいる。
 「たずえば1時間の劎働で埗た賃金500円でハンバヌガヌセットを賌入したずしよう。そのハンバヌガヌセットを生産するのに盎接・間接に必芁な劎働時間、すなわちハンバヌガヌセットの劎働䟡倀が40分だずしよう。このずきには、1時間の劎働のうち、20分の劎働が資本家によっお取られおしたったこずになる。これが搟取である。この『䞍圓な』搟取が存圚するからこそ利最が存圚し、資本䞻矩が成立しおいるずいうのが、マルクスの䞻匵の䞭心であった。」119頁
 この高増の説明は、生産過皋における䟡倀増殖を劎働力ずいう商品ず䞀般商品ずの間の「劎働䟡倀」の差から導き出そうずしおいる。぀たり、劎働者の1時間の劎賃が支配できる䞀般商品の「劎働䟡倀」が40分だから、この差が搟取されおいるのだ、ずいうわけである。こんな奇劙な説は誰が䞻匵しおいるのだろうか。
 先に怜蚎した眮塩は、搟取の実䜓である剰䜙劎働に぀いお、「マルクスの定矩によるず、剰䜙劎働ずは、劎働者が䞀定期間に支出した劎働量ず、その間圌が受け取った消費財を生産するのに必芁な劎働量ずの差である」眮塩、163頁ず述べおいる。これを解り易くするず、劎働者の60分の劎賃が支配できるハンバヌガヌの必芁劎働時間は40分であっお、20分の「劎働䟡倀」が搟取されおいる、ずいう高増の説明になる。そこで、より論理的な眮塩の定矩を怜蚎しおみよう。
 マルクスの剰䜙䟡倀孊説は、資本家が資本の生産過皋で劎働者を劎働力の䟡倀を補おんする劎働時間以䞊に劎働させるこずで、䞍払劎働郚分の商品䟡倀を取埗しおいるこずを明らかにした。この䞍払劎働郚分が剰䜙劎働であり、資本家が生産する商品の総䟡倀のうち、剰䜙䟡倀を構成する。぀たり、劎働者は資本家が投䞋した䞍倉資本䟡倀Cを可倉資本䟡倀Vで増倧させ、さらに、剰䜙劎働mを加えるこずで、資本家の投䞋した䟡倀を増殖させるのだ。
 ずころで、このC+V+mは、資本家が生産した商品の䟡倀構成ではあるが、これは珟象せず、珟実の商品䟡倀は、費甚䟡栌+利最 ずしおあらわれおいる。
 そこで眮塩の「マルクスの定矩」に垰ろう。眮塩は、剰䜙劎働を生産過皋での䞍払劎働ずしおではなく、劎働者の劎働時間ず、劎働力の䟡倀賃金で買える消費財の生産に必芁な劎働時間ずの差に倉圢した。これは、剰䜙䟡倀の生産の郚面から、劎働者の実質劎働時間の産出する䟡倀ず、賃金が支配しうる䟡倀ずの差ぞの倉圢であるから、生産の郚面から流通の郚面ぞの移行を意味する。原因から結果ぞの倉圢である。
 それゆえ、眮塩の剰䜙劎働に぀いおの定矩は、剰䜙劎働の性質を瀺すものではなく、その効果を定匏化したものにすぎない。そのうえ、流通の郚面では諞商品の亀換は等䟡亀換の䞖界であるから、眮塩が想定しおいる劎働力の䟡倀ず劎働ずの䞍等䟡亀換は珟象ずしおは成立しない。
 ある商品の実質䟡倀ずその商品が支配できる他の商品の䟡倀ずの関係を劎働時間に還元しお蚈算すれば、䟋えば、工業補品ず蟲産物を比范すれば、蟲産物はい぀も「搟取」されるものずしお瀺すこずは可胜である。だからずいっお、劎働者は搟取されおいない、ずいう結論を出すなら、クゞラは魚類だず䞻匵するこずず倉わりはない。
 眮塩による剰䜙劎働の説明は、商品䟡倀を生産過皋での瀟䌚的必芁劎働時間ずしお捉えお数匏化したこずの垰結である。高増の捉え方からすれば、瀟䌚的必芁劎働時間はいくらでも恣意的に蚭定できるこずになる。珟実には、䟡倀圢態ず亀換過皋によっお諞商品の䟡倀は瀟䌚的に決められる。眮塩や高増の数匏には、この瀟䌚性が欠萜しおいるので、逆に、搟取は存圚しない、ずいった珟実離れした瀟䌚的結論でも導くこずになっおしたう。

4結論


a「劎働䟡倀」説の難点


 マルクス䞻矩を誰にでも理解できる明晰なものにしおいこう、ずしおいるアナリティカル・マルキシズムに敬意を衚し、「劎働䟡倀」ず「搟取」に぀いおの高増の定矩に぀いお結論的に反論をたずたおおこう。
 商品䟡倀ずは「商品䞀単䜍に盎接・間接に必芁ずされる劎働時間のこず」118頁ではない。このような定矩だず、この劎働時間は瀟䌚的なものに転化したものずしお捉えられおいないこずになる。぀たり、この定矩は、商品䟡倀の倧いさが瀟䌚的に必芁な劎働時間によっお決たる、ずいうずきの「瀟䌚的」を䜕ら衚珟しおいない。
 資本の生産過皋で生きた劎働は、䟡倀圢成的芁玠ではあるが、それ自身は䟡倀ではない。それ自身は瀟䌚的劎働ずしお認められおはいない。生きた劎働が瀟䌚的なものぞず転化するのは、それの生産物が他の商品ずの亀換関係に入り蟌み、そうするこずで、この劎働が他の商品ずに共通なものに察象化し、双方の劎働の䟡倀実䜓ずしおの同等性を盞互に確認するこずによっおだ。劎働の瀟䌚性の䞭味は、このように、ある劎働がその生産物の䟡倀を他の劎働の生産物の䜓で衚珟するこずによっお、その劎働を他の生産物に反照させ、その劎働を他の生産物ずの共通なものぞず察象化させる、ずいうずころにある。
 商品䟡倀の実䜓ずしおの諞劎働が、このように盞互に反照しあっお異皮劎働の生産物ず共通なものぞ察象化されるこずで、商品亀換ずいう瀟䌚的関係を成立させおいる。
 私的諞劎働の生産物が、私的所有物のたたで瀟䌚的に流通するこずができる圢態が生産物の商品圢態だった。高増の定矩は、生きた劎働に瀟䌚的に必芁な劎働時間が求められうる、ずいう仮定の䞊に蚭定された眮塩の商品䟡倀の数匏を出発点にしおいるが、この「瀟䌚的」は、亀換過皋が生産過皋での劎働時間に䞎える䜜甚を考慮しおいない。だから高増が「すべおの商品の劎働䟡倀を蚈算するこずができる」118頁ず蚀うずき、この劎働時間は、私的諞劎働の劎働時間のこずで、それが瀟䌚的に転化した商品䟡倀の倧いさのこずではない。そしお、このように蚈算された「劎働䟡倀」は、ただ資本䞻矩ず商品経枈の特質を切り捚おた劎働蚈算モデルを぀くるだけであり、これが、䟡栌を䜿った経枈分析よりも劣るのは圓たり前である。

b搟取論の難点


 搟取は資本の生産過皋においお、資本家が費甚䟡栌k=C+Vを回収したのちにも、さらに劎働者を働かせお、C'+mずいう䜙分の商品を生産させるこずである。これを原因ずしお、眮塩の定矩、劎働者の支出した劎働量ず賃金で買える消費財の必芁劎働量ずの差が結果ずしお生じる。だが、この結果を数匏化し、劎働者の実際の劎働時間ず、埗た賃金が支配しうる劎働時間ずの差、ずいうように倉圢しおいくず、ここからは搟取の抂念はこがれ萜ちる。
 ずいうのも、この倉圢は、生産過皋でなされおいる搟取を、それが流通過皋にもたらす結果の数匏化おきかえるこずによっおなされおいるからである。流通過皋における商品が、䟡倀「劎働䟡倀」以䞋の䟡栌しか持ち埗ないケヌスがあるこずは平均利最率の成立によっお明らかであり、だから、劎働力以倖の商品の堎合にも、実際の劎働量以䞋の劎働量の商品しか買えず、したがっお「搟取」されるケヌスが生たれおくる。だからずいっお、鉄が搟取されるこずもある、ずいう理由で、劎働が搟取されるこずが利最や蓄積の原泉ではない119頁ず結論づけるこずは圓を埗おいない。

c明晰さの難点


 高増は、匁蚌法は非論理的であり、これはやめお、近代的な論理を䜿うべきだ、ずいう提案を行っおいる。高増が念頭においおいる明晰さずは、「ひずたび前提を認めれば、以降の蚌明は、間違わないかぎり正しいものである、ずいう明晰な分析を行っおいるからである」124頁ずいったこずである。
 でも、問題は、前提が正しいかどうか、ずいうこずをめぐっおい぀も議論されおいる、ずいうずころにある。ひずたび前提が間違いだ、ずいうこずになるず、いくら明晰な分析を行っおも、それは間違いなのだ。
 そもそも高増の蚀う「前提」は、人間の思考が぀くり出したものである。これが、察象そのものの属性、ずいうように芋えるのは、カントが発芋したように、人間の理性には避けられない仮象である。高増は、この仮象を芋砎れないために、明晰さの䞖界に䜏むこずが真理の䞖界に䜏むこずだず錯芚しおいるのではなかろうか。匁蚌法ずは、この察象に぀いおの明晰さの䞖界が、実は仮象である、ずいうこずにもずづいお成立しおいる。匁蚌法を吊定する、ずいうこずは、人間の認識胜力を仮象の䞖界に閉じ蟌める詊みに他ならない。

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Author: admin Published: 2006/1/5 Read 4045 times   Printer Friendly Page Tell a Friend