2003.02.25　石井彰文

　前回は、『カント研究序説』における榎原氏のエンゲルス批判に対し『フォイエルバッハ論』に基づいて異論を唱えました。ご本人にとっては、「全知全能」を求めるような批判に見えたのでしょうか。また、「カントの超越論的仮象論の革命的意義について理解」していない批判で、役に立たない物であったようです。どちらも小生にとっては関心事ではないので、構わないことですが、異論を二，三付け加えておきます。

　自分の関心のあるところだけを読むというのは自由です。エンゲルスのカント・ヘーゲル批判の部分だけを“関心”を持って読んだということには異を唱えていません。“「関心のあるところだけを適当に取り出していた」「エンゲルスの文を読んでいない」と言って非難していますが”というように、「関心」云々を先に捉えては意味が違います。エンゲルスの文をその意味にそって読んでいない。文脈にそった物ではなく、文脈も無視して部分的に切り取っている。要するに、廣松渉哲学の件で指摘した、元の文意を外した引用をしているということです。
　この件とは別になりますが、“関心のあるところしか人は理解しない”という榎原氏の見解は矛盾しています。というのは、小生の「異論」はどう見ても、小生にとって関心のあることしか触れていません。榎原氏がいう“超越論的仮象論の革命的意義”には関心がありません。だからといって『カント研究序説』の全文を読まずに批判しているのではありません。読んだ結果、榎原氏の“エンゲルスを批評した地平”には達しなかっただけのことです。理解した範囲でした批判を、自分を批判する地平に達していないのだからと、耳を貸さないという風に見えます。
　また、“だから、批判するなら、私のエンゲルスの捉え方の誤りを指摘すればよいので、全知全能を求めるようなスタンスは困ります。”という文の意味が分かりません。榎原氏の関心の範囲をこえて、エンゲルスの専門家であるかのような批判をしているというのでしょうか。専門家なのだから当然このくらい理解しているはずだという部分がありましたか。逆に『フォイエルバッハ論』の読み方をおれに説教するのか、なめているのか、と反論されるかと思っていたのですが。
　言わずもがなのことですが、部分的な批判であっても全体への意識は不可欠です。たとえ、カント・ヘーゲル批判に関する部分だけに関心があったとしても、エンゲルがその批判をどういう立場からしているかという、エンゲルスの根本的構えというのは意識されているはずです。それは、エンゲルスのカント・ヘーゲル批判に関する文章だけでは分かりません。小生のものは、『カント研究序説』のみを読んでの感想ですから批判とは言い難いことは自覚しています。カント・ヘーゲル・レヴィナスについて知らない読者の感想です。

　「超越論的仮象論」に感想を付け加えます。「革命的意義」の意味ですが、近代の全人類的知的革命と言うレベルから、榎原氏周辺における一大事というレベルまでのどの辺のものでしょうか。また、カントが“発見”したその当時として革命的であったというのか、今それを“再発見”したことが革命的というのでしょうか。
　『カント研究序説』が何らかの“意義”を説明することに成功しているかを見てみましょう。次の三つのポイントで見てみましょう。
（1）「超越論的仮象論」を意味あるものとして説明できているか。
（2）「超越論的仮象論」を証明したか或いは、証明されているとの証左を示しているか。あるいはその発生を必然的な物であると説明できているか。
（3）「超越論的仮象論」の現代的な位置づけを示しているか。もちろん相互に関連するので、別建てで論じろと言っているのではありません。

　（1）についてですが、何度も繰り返し言われています。（少しずつ印象が異なり、比較検討も必要かも知れませんが、そこまで暇ではないので置いておきます。）思考と存在との分離を前提として、人が存在についてのことと思っているそのことは、存在についてのことだと思ってしまう「人間理性の自然的性質」によってそう思うのだ！ということです。繰り返し述べられていますが、次第に深化するように組み立てられているかは疑問です。単なる繰り言のように見受けます。
　通常は、『物自体』は認識できないことを前提にして、認識できると思うのは仕方がないことですよ、皆そうなんですから、と言うことの説明が「超越論的仮象論」ではないかと思います。榎原氏によるとそうではなく、「超越論的仮象論」を説明するための『物自体』論であるそうです。そうであるなら『物自体』論ぬきで「超越論的仮象論」を説明する段取りが必要ではないですか。“カントの純粋理性批判の根本思想”であったとしたなら、それがどういう文脈で出て来た話であるのか聞きたいものです。カントの出自が不可知論者であるのなら、「超越論的仮象論」が先にあって、『物自体』論を想定したとすることもできるでしょう。それはアンチノミー抜きでの説明でなければならないと思います。
　不可知論者ではない常識人に、自然科学が示している諸法則を、それは本当は存在の法則ではないのだ、と述べるだけではなんの意味もありません。自然そのものの法則であると見えるだけだ、と言ってみたところで、それがなんの意味があるのでしょうか。
少なくとも、『カント研究序説』では、それらしい意味を受け取れないのです。

（2）についてですが、“カントは、超越論的弁証論でアンチノミーを明らかにすることで、超越論的仮象（……）の存在の証明としたのでした。”というようにカントに依存しているようです。つまり証明を知りたかったらカントを読めというわけです。逆に言うと、榎原氏はカントの四つのアンチノミーに関してのあの証明を、正しいと主張されているわけですね。小生は直接読んではいませんが、“証明”に異論があることもご存知ですね。カント本人は形式論理的意味合いで証明できたと考えているようですが、証明になっていないとする見解です。もちろん証明に成功していないとしても、「超越論的仮象論」を主張することが直ちに過ちであるというわけではないので、ここで否定を申し立てるのではありません。が、少なくとも榎原氏なりの“証明”がいるのではないか、と言っておきたいと思います。アンチノミーの証明が正しいとして、それが「超越論的仮象論」を帰結すると言うことの“証明”も必要なわけですが、それはカントがしているのでしょう。『物自体』の想定無しでもその証明が有効か等、疑問は残ります。
　空間と時間の無限性に関するアンチノミーは何かの解説読んで、証明になっていないと思いました。カントの時代はまだ、数学でも無限性に関しての厳密な証明は確立していません。他の三つについても形式論理的意味で、テーゼもアンチテーゼもどちらも証明しうるようなものではないと思っています。したがって、二立背反を前提とした理論は成立しないと考えます。歴史に名をとどめる大哲学者の証明を無効だというのは大胆すぎますが、数理的な論理学が発達した最近では、カントの証明は、形式論理としての証明はなされていない、となっているのではないでしょうか。信得性が高いと考えるのは自由です。榎原氏がその証明を信じて、御自分の思想とされることに異議を唱えるのではありません。ただ、榎原氏の解説の範囲では、証明していそうだと信じるに足る材料は提供されていないので、「超越論的仮象論」を認める気は起きません。

（3）については、エンゲルスを刺し身のつまとし、ヘーゲル批判から独自のマルクス解釈を経て、最新の“絶対的他者”論を展開するという全体の構図が十分語っている、ということでしょう。ヘーゲルについては知らないことです。マルクスに関する部分は、大きな問題がありますが、榎原式仮象論の問題と文章の理解の問題が分離しがたいので、取り上げません。レヴィナスについては全く知りません。榎原氏の文も読んでいません。レヴィナスがどういう意味・文脈で”存在と認識との一致を真理とみなす西欧近代哲学の存在論のテーゼに絶対的他者を持ち出して異議を申し立て”をしているか知りません。その上であえて、「存在と認識との一致を真理」を申し立てることで「超越論的仮象論の革命性」への疑問とします。

　前回の「異論」では、エンゲルスに関しては恣意的な解釈であることを示しておきました。このエンゲルスに対する誤解の構造が、榎原氏自身の問題性を照射していると思います。もう少しこだわって異論を言い立てて見ます。
　我々の認識の大半は存在に関するものです。認識に関する認識も、基をたどればという言い方をすれば、すべての認識が存在に関係すると言えるのではないでしょうか。でもそんなことは、クダクダ言う必要はないでしょう。榎原氏も、十四節で、”存在と意識との間に絶対的他性を認めることが、不可知論に陥るものではなく、逆に、合理的認識の大前提であり、従って、存在の論理（人間の主体の存在も含め）と認識の論理とは異なることを承認することです。このことは、存在を非合理的なものと考えることではなく、存在自体の合理的あり方は、思考の論理の合理的あり方とは同型ではない、ということだけであって、私たちは存在自体の合理的あり方を了解できるのです。このように述べているのですから、“存在自体の合理的あり方”が大事なポイントであることを認めているのです。従って、存在に関する認識が何らかの意味で成立することは、前提としておいてよいでしょう。
　それでは、我々の思考が、“存在自体の合理的あり方は、思考の論理の合理的あり方とは同型ではない”ということを如何にして捉え得たと、主張するのか。また、我々の思考が、“存在自体の合理”性を如何にして把握するのか、といった問題に進むべきでしょう。しかし、明らかに能力をこえています。『カント研究序説』に触れられている範囲内で、幾つかについて異論を唱えることで代えたいと考えます。
　上に引用した文では、エンゲルスが、“存在の法則と思考の法則とは一致していると主張”していることと正反対の考えであるようです。“絶対的他性を認め”た上で、どのようにして“合理的認識”が可能になるかと言ってしまうと、「認識論」的大問題になってしまいます。そこで、存在がそれなりに合理的なあり方をしているのだと言うことも、了解されていることにしましょう。
　“存在の法則と思考の法則とは一致していると主張”の意味ですが、“思考の法則”という言葉ですが、「思考が捉えた存在の法則」という意味ではないですね。榎原氏の文からは微妙な感じを受けます。榎原氏自身は、思考が捉えたと思っているその法則は、存在の法則ではないと主張されています。つまり、「存在の法則」と「人が思っている存在の法則」とは一致しない、という主張です。エンゲルスが思考の法則と言う表現をしたとすると、それは、弁証法を指して、認識に関する方法論を言っていると考えます。エンゲルスは、存在に関する学と、思考に関する学は弁証法の下に統一的に捉えうると考えていたのではないでしょうか。より正確には、存在に関する学と認識に関する学と論理学は、三位一体を成すものとして構想されていたのではないでしょうか。
　後者のように解釈する時、その法則と言うものが、自然科学で言う法則とは根本的に異なるのは言うまでもないでしょう。その法則観がどうのと言うとまた大きな問題となります。ここでは、自然科学流の数式を使った現象の記述が、思考についてのみならず、社会科学の多くの分野でなされ得ないことが同意されれば十分です。エンゲルス流の統一をなすためには、自然科学のみならず実証諸科学が根本的に再構成されるべきであると考えます。が、現実には、エンゲルスは『自然の弁証法』を完成させることはできなかったし、諸科学の研究者達は「弁証法」を導きの糸とは考えず進んでいます。そういったことを考えると、エンゲルスが自然科学をモデルに構想していたと考えるのは無理筋であると思います。そこら当たりは専門のエンゲルス研究者に聞けば良いことでしょう。6節にある。“そうすることで自然科学的世界観に同意したうえで、さらにその方法を社会科学にも適用しようとしたのでした。”に対する異論です。（榎原氏のこの部分の捉え方は、スターリン時代の公認見解をそのままエンゲルスのものであると押し付けているに過ぎないでしょう。逆に言うとスターリン時代の公認“唯物論”にいまだ囚われているのかという疑問も湧きます。）エンゲルスは、自然科学をモデルとした第一哲学を社会科学に適用しようとしたのではなく、反対に、マルクスが「資本論」で示した方法を、「自然」にも拡張して適用し、世界観としての完成を目指し、なしえなかったというのが実情ではないかと考えます。
　「存在と認識との一致を真理」を直接に言い立てるのは無理ですが、逆に言うことはできるでしょう。一致しないものは真理ではない。存在に関してでない、認識に関する認識ついては違います。認識についての認識は当然、存在との一致を真理とするものではありません。一致するべき対象はありません。認識についての認識は慎重に扱わなくてはなりません。たとえば、榎原氏が、カントに対して、カントが人間の理性について語っているそのことも「仮象」だ、という論理です。同じことは、榎原式「超越論的仮象論」にもいえます。それが、人間の認識に関する真理であるなら、その論も仮象だ!?
　存在に関するある認識が、本当は存在に合致しないかもしれないけれど、その存在はコウナノダ、と言うとする、それを存在に関する認識とは呼べないでしょう。ガリレオの落体の法則を考えてみましょう。落下物は、本当は存在がそうであるかは知らないが、落下速度は時間に比例する、とするべきなのでしょうか。カントがそんなばかばかしい主張をしていたとはとても思えません。
　話が脱線していきそうなので打ち切りますが、要するに、存在に関する言明の真偽判定は、実践によって可能であるとしなければならない。「存在と認識との一致」とは、科学的認識においては、実践によって検証された事の言い換えでしかないと考えます。
　榎原式「超越論的仮象論」のように、人間の認識を超越したメタ認識は、検証に掛からないので科学的認識とは呼べません。もちろんご本人は科学的世界観に否定的なのでそれで良いとお考えでしょうが。
　さて、小生の限界を超えてしまいました、余計なことまで言ってしまいましたが、安全なことばかりでは面白くないですから、良しとしましょう。
　思考と存在との一致に関してですが、“ヘーゲルは物自体を否定することで、存在の全てを意識の契機としてしまった”と榎原氏は言われますが、“物自体を否定することで”そうしたのではなく、ヘーゲルにとっては、存在することと意識されることは同じではないのでしょうか。（ヘーゲルを読んでもいないのに、何を言うかと言われそうです。榎原氏は自分の意見を相手に投影する傾向があると感じていますので、逆転したことを言っているのではと感じたまでです。）
　「思考vs存在」に関しては、それがエンゲルにとって主要な論点ではないことは、示したことと思っていました。それはフォイエルバッハ段階の観念論対唯物論を規定するものであっても、マルクス・エンゲルスの達した唯物論を規定するものではありません。まして、自我vs思考内容vs存在という三極構造を前提としたような、ヘーゲル以前的な地平に立っているのではないと考えます。（この先は廣松渉哲学の受け売りになるのでやめておきます。）
　要するに、思考と存在との絶対的分離は、榎原氏のものであって、マルクス・エンゲルスのものではありません。榎原氏の誤読の原因は、ご自分の「思考と存在との絶対的分離」を、エンゲルスに投影したことにあるように思われます。いささか失礼な批判になりましたが、あえて付け加えておきます。

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Author: admin Published: 2006/1/5 Read 2626 times