2002.07.08　松尾匡

　松尾さんから寄せられた「吉原さんへの返答」をUPします。一寸議論が拡散していきそうな感じをもちましたが、どうなるでしょうか。論争のページに新たに登場して下さる方をお待ちしています。榎原均

　僕はマルクス経済学が方法論的に他の経済学と違うものだとは全く思いません。仮にマルクス経済学が科学的に優れた経済学ならば「優れた経済学スーパーX」というだけのことで、ことさらマルクス派を名乗る必要はないと思います。
　むしろ、マルクス経済学のアイデンティティーは価値判断にこそあると思っています。数学モデルは、絞り込んだ価値判断的本質を、論理必然的展開から峻別して際立たせるのに有効だから用いられるのだと思います。
　「マルクスの基本定理」もそうだと思います。1－bt＞0というのが、何か、自分が受け取る労働よりたくさん働いているというような不等価交換の表現とのみとらえていたならば、なるほどアナリティカル派の批判もあたっていると思います。この批判のためには別に一般的商品価値を持ち出すまでもない。任意の正のウェートをかけて剰余生産物を評価したものが正であればいいのだから、剰余生産物質量が正でも剰余生産物熱量が正でも何でも正の利潤と同値になります。だからアナリティカル派は、これ以外にもっと何か言わないと意味がないということで、資産の不均等配分を持ち出してくるというわけですね。

　たしかにこれ以外に何か言わなければならない。私の場合はそれが「人間主義的前提」ということになるのでしょうけど、しかし、私から言わせればこれは、1－btと別に持ち出した議論ではありません。労働価値概念の定式化の中にすでに含まれているものだと思います。この点、前の書き込みでも述べたつもりなのですが、説明不足をおわびして、もう少し解説したいと思います。

　一番わかりやすいのは、森嶋流の不等式アプローチによる定式化をイメージしていただきたいのですが、「投下～価値」というのは、純生産物と対になって定式化される概念です。経済系の外から何らかの制約となる資源を年々一定量投下するとき、年々経済系から規模を縮小させずに取り出すことのできる最大限の量の財、それが純生産物ですね。「投下～価値」はその純生産1単位のために、外から経済系全体に投下しなければならないその外的制約資源の量です。
　この外的制約資源が労働の場合は投下労働価値になり、バナナの場合は投下バナナ価値になります。注意するべきは、このそれぞれに対応した純生産物の構成が違うということです。
　外的制約として労働を選んだ場合、純生産物の中には労働者の消費財が含まれます。この意味することは、労働者の消費財が、経済系を年々再生産するために必要な投入物としては扱われていないということです。年々の再生産の規模を縮小せずに、自由に処分できる財、として扱われているのです。つまり、システムにとって労働者の生活は手段ではなくて最終目的なのだということです。人間労働をなるべく節約して、人間の処分できるものをできるだけ多くするのがこのシステムが解くべき問題です。これを指して、「人間主義的前提」と言っているわけです。
　一方、投下バナナ価値の場合、対になる純生産物概念の中には、今度は労働者の消費財は含まれず、かわってバナナ生産のための投入物が含まれます。つまりシステムの目的は、なるべくバナナの費消を節約して、バナナ畑にできるだけ多くの投入を与えることにあり、人間はそのための手段として経済系内部で生産される存在になっています。
　こういう立場の論者がいてもいいのですが、あまり意味のある議論とも思えない。これと比べると、経済にとって人間こそが主体であり目的であるという立場は、多くの人の共感を得られると思います。そしてそうであるならば、投下労働価値の双対体系がその表現として選ばれなければならない。この場合、「マルクスの基本定理」の意義はそれだけで何も損なわれることはありません。
　もちろん、吉原さんが指摘されていますように、水の制約を重視する「投下水価値」論者や、原油の制約を重視する「投下原油価値」論者はいてもいいし、この場合はたしかに、経済的に意味のある議論になると思います。しかしそれはマルクスの立場ではないし、特にその名を冠して言われるべき議論だとは思いません。

　ところで吉原さんはローマーの「搾取・階級・富の対応原理」を解説され、それが「マルクスの基本定理」をサポートするものとおっしゃっています。しかし、ローマー自身は、結局一般的前提のもとでは、「対応原理」は崩れる（財と労働との間の選好が諸個人間で異なる場合、または余暇が財消費に比べて著しい下級財となる選好の場合）ことを示し、「マルクスの基本定理」や労働価値概念に対して最終的葬送を宣言したのではなかったかと記憶しております。その上で、マルクス＝置塩的搾取概念にかわって、資産の均等分配下の一般均衡に比べた厚生の大小という、新しい「搾取」概念を提唱したのだと理解しています。
　そうだとしたらやはり、投下労働価値規定式とその双対体系の示す事態を本来形とみなす価値判断的前提からは、もはやアナリティカル派は離脱していると評するべきでしょう（これは、この結論を「批判」と受け取るかどうかとは関係なく、論理客観的に議論できる問題です）。

　さて、異質労働の抽象的労働への還元の問題に移りますが、ここでもやはり、投下労働価値規定式とその双対体系の、本来形としての性格の理解が重要になってくるのではないかと思います。これも前回説明したつもりなのですが、舌足らずをおわびし、改めて以下に敷衍しておきます。

　マルクスは協同社会では価値規定の内実は透明に表れると言います。それはこういうことだと思います。
　社会的分業により、ある人は靴なら靴ばかり、別の人はパンならパンばかり毎日作っている場合にも、協同社会においては人々の共同的に合意する換算により、すべての人が同質の抽象的人間労働を行っているようにみなせます。これにより社会的総労働への集計も可能になります。そして、各々の財の純生産のために、その社会的総労働のどれだけが費やされるかが、価値規定式の体系によって計算されます。すると、その総労働に占める各財純生産のための労働の割合に比例して、各自一人一人もまた、あたかもロビンソン・クルーソのように、自己の労働時間をさまざまな財の純生産のために費やしたとみなすことができるのです。そしてその分の純生産物を、自己の労働の成果とみなして取得できる。これを結果的に見ると、あたかも、各自が各自の生産物を投下労働に比例して交換したのと同じになります。これが本来形です。
　しかし単純商品生産社会ではどうなるか。自分の作ったものが社会に必要とされるとは限らないから、交換割合は投下労働には一般には比例しません。作り過ぎたために、2時間の具体的労働の産物が1時間の労働の産物としか交換されないかもしれない。社会的総労働の一環を占める同質の抽象的人間労働としては1時間分しか認められないということがあり得るわけです。それに、協同社会においてはみなが認めてカウントされるような、障害や事故等の個々の不可避な事情によって余計にかかった労働も、商品交換を通じると一律に切り捨てられてしまう。こうした動揺の重心としての均衡において、はじめて協同社会と同じような投下労働に比例した交換が成り立つことになります。
　すなわち、技術情報の偏りや障害や事故を度外視し、労働移動が容易であることを仮定すれば、協同社会の評価体系と単純商品生産社会での均衡価格体系は同じものに帰着します。標準的生産者の直面する技術集合のもとで、森嶋流の労働最小化問題を解いた解としての投下労働価値です。したがって、抽象的人間労働への還元の交換過程への論理的先行性の是非を問う吉原さんのご質問に対しては、協同社会においては事前、単純商品生産社会においては事後と答えておきます。

　では商品生産社会でも、資本主義経済になるとどうなるのか。ここにいらっしゃる論者のみなさんは、抽象的労働への還元が交換によって事後的に確定するとすると、資本主義経済の均衡価格である生産価格が投下労働価値と比例しないことから論理的困難が生じると考えていらっしゃるようです。しかしこの点はちっとも問題ではないと思います。生産価格のもとでも社会的欲望に応じた総労働の均衡的配分は立派になされます。余計に費やされた労働は切り捨てられ、残りは社会的総労働の一環とみなせます。
　むしろ問題は、生産価格のもとでの技術選択は利潤率最大化原理によっており、協同社会と同じ労働最小化にはなっていないことにあると思います。現実の交換によって抽象的労働への還元がなされるという点に厳密にしたがうならば、投下労働価値規定式の計算に使う技術は、利潤率最大化技術になってしまいます。議論の論理レベルによってはそれはそれでいいのだという気もしますが、最も本質的レベルの議論をしているときにはやはり労働最小化技術で価値規定するのが適当なはずと思います。例えば「マルクスの基本定理」は、特殊商品生産社会で発生している利潤現象を、価値形態のない超歴史的な本来形におとしこんで翻訳したら、そこに封建荘園におけると同様の搾取が見えたという話ですから、先述の人間主義的前提に基づいて本来形を作ればやはり労働最小化問題を解くシステムになるでしょう。
　この点、まだ厳密に考えを詰め切れてはいません。（森嶋は搾取を、資本家に搾取される価値の部分と、利潤最大化のために労働最小化よりも余計に浪費された労働の部分とにわけている。）

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Author: admin Published: 2006/1/5 Read 2404 times