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協同思想の可能性(改訂版)


協同思想の可能性(改訂版)
レイドロウ報告と今日に生きる協同思想

(これは1997年12月6日に行われた文化研究所主催の政治文化講座での報告をまとめたものを土台に2006年9月に書き加えたものです。手を入れるために再読したところ、ミスがたくさんありました。テープおこししてくれたものをきちんとチェックできていなかったようです。それで改訂版として差し替えることにしました。)

第一章 レイドロウ報告について

1) レイドロウ報告とは

 今日の報告は、レイドロウ報告と今日における協同思想の可能性という構成になっています。

 まず、レイドロウ報告(『西暦2000年における協同組合―レイドロウ報告』、日本経済評論社、1989年)を何故取り上げるかという所から説明していきたいと思います。多分この本を読まれても、違和感を持たれて、理解ができないのではないかと、思っています。その原因に、日本の左翼の運動が協同組合運動に対してちゃんとした見解を持っていなかったということがあります。その領域は誰かがやっているのだが、それを見ている側も、商売をしているのか運動をしているのか、分からないという感じで、灰色の領域として考えられていたのではないか、と思います。

 私のことでいうと、京都で京都生協いう大きな生協がありますが、それとは別にもうひとつの生協を作ろうという動きが起こったとき、今頃生協を作ろうというのだから、ちゃんとした理念がないと、つまり、こういうことで生協を作るのですよ、という理念がないと作れない。そこで、目的をはっきりさせようとことで、有志で協同組合運動研究会を発足させました。それが88年のことでした。その研究会で、ロバート・オーエンとかサン=シモン、フーリエといった、協同組合運動の父とか母と言われた人達の文献を読んでみました。ところが、これではしょうがないなあ、というか、これで現在協同組合を作ろうとしたら、理念としてふさわしくないなあという感じがしていました。その時たまたま、生協職員だった友人に紹介されてレイドロウ報告に出会いました。

 ですから、せっぱ詰まって読んでいました。協同組合運動を今日の時点で始めようという時に、どういう理念なり目的なりを掲げてやる必要があるかという見地から読んでみたのですが、そうすると、結構いろんなことが書かれていて、やっていけるのではないかと考えたのです。

 まず、レイドロウ報告とは何かというと国際協同組合同盟の27回大会での報告です。国際協同組合同盟というのは、通称ICAと言いますけれど、92年、第30回大会が東京でありました。何故東京であったかというと、日本の生協の班別共同購入の活動が注目されたのです。ヨーロッパの生協とは違うということなのです。ヨーロッパの生協は店舗だけです。それで規模が縮小してきている。ところが、日本の生協は70年代以降伸びてきている。それで、日本の生協に学ぼうという意味もあって、東京で開かれたのです。

 それはさておき、第一回大会が1895年にロンドンで始まって、以降オリンピックと一緒で4年毎に開かれている、協同組合の国際組織です。27回大会はモスクワで開かれて、この時レイドロウという人が、カナダの人ですが、「西暦2000年における協同組合」という報告をしたのです。通常大会の報告というものは読みにくいもので、様子が分からないとよく理解できないところがありますが、この報告は、きわめて率直な報告でして、特にヨーロッパでの消費生活協同組合が、例えばダイエーのような巨大スーパーに負けていって、立ち行かなくなって倒産したり、株式会社に身売りしたりするようなことが起こっている現状を、三番目の危機と捉えて、これをどう克服するかということを提案したのです。これによって、21世紀の協同組合のイメージを創り出そうとしたものです。これは私は非常に優れた文書ではないかと、考えています。

2) 協同組合運動の三つの危機

 レイドロウ報告は、協同組合運動に三つの危機があったということを言っています。その内容ですが、第一の危機は協同組合が発足したばかりの時、組合員の信頼を得られるかどうかという問題があった。ですから、それを「信頼性の危機」と呼んでいます。二番目に一定の市民権を得た段階で、果たして経営していけるかどうか、ということが問題になったと、いうことです。ですから、二番目の危機は「経営の危機」ということです。そして、これを一定程度解決して、資本主義社会の中でも協同組合がひとつの経営体として経営していけることが明確になった段階で出てきたのが、「思想上の危機」だとされています。ほぼ、60年代からヨーロッパの生協の場合はどんどん潰れていっているのですが、特に70年代のヨーロッパの協同組合運動の弱点をとらえて、思想上の危機であると言いました。そして、それをどういう風に克服するかということで、いろんな提案をしているのが、レイドロウ報告の内容です。

 それでは、三つの危機について、それぞれ簡単に説明していきたいと思います。

3) オーエンの思想

 まず、最初の危機ですが、主な協同組合思想家をあげてみましょう。最初に、ブロックホイとか、ウインスタンリ、ベラーズというイギリスの思想家がありまして、オウエン、トムソン、キング云々、フランスではフーリエとかがおりまして、ドイツはブーバーとかシュルツェとかいろいろいます。これらの人々の活動は、1800年ぐらいから1900年にかけてのことです。結局、産業資本の発達期にちょうど協同組合思想も生まれて、それが運動として定着したということが言えると思います。その中で思想家というと、ロバート・オーエンが一番有名ですけど、彼は単なる協同組合主義者というにしては、幅の広い人でして、もちろん社会主義を目指していたのです。キリスト教を否定して、無神論の立場から社会主義を目指していました。もうひとつは独特の性格形成原理という立場を立てまして、性格は生まれつきではなくて、その育てられた環境によって決まるということを言います。そこから、幼児教育を自分の工場で実施して、幼稚園の発明者と言われています。それから、教育と労働を結合すべきだと、また肉体労働と精神労働を結合すべきだということも言っています。オーエンの共同体主義の中味としては、農業と工業とを結びつけた自主管理の村という構想でした。もともとは、イギリスで工場を経営していて、その工場で幼稚園をはじめたりして、いろんな試みをしていくのですが、その結果、たしか紡績工場だったと思うんですが、労働者を優遇することによってたいへん生産性を上げることができた、そういう実験をしたんです。そこで、ヨーロッパから工場見学にどんどん人が訪れるということもありました。しかし、それは自分の理想ではなかったのです。農業と工業と結合した共同体を作ろうということで、大金をもって米国へ行きまして、実際それを作ったのです。それがいわゆるニユーハーモニー共同体と言われているものです。しかし、これはやっぱり解体してしまうのです。ですから、結果としては報われていませんが、オーエンが提起した問題は多方面に渉っていまして、協同組合運動に大きく貢献しています。

 後、もう一人フーリエという人がいます。この人はよく分からない人で、翻訳も悪いのかも知れませんが、読んでもよく分からないのです。でもマルクスなんかは結構評価しています。情念の解放とか、女性の解放とか、労働の魅力化といった提案が見られます。たぶん、現代から見たら、面白いことをいっているのだろうと、思います。この人は、200~300人の家族が共同耕作と共同生活をするという共同体、ファランステールというものを主張して、結構フランスでも実践されたようです。しかし、レイドロウ報告にもありましたように、信頼の危機を解決できず、信頼を得られずに崩壊してしまいました。

4) ロッチデール原則

 次に一応、協同組合運動のイロハとして、出てくる「ロッチデール原則」というのがあります。これが実は「信頼性の危機」を救ったと言われています。1844年に「ロッチデール公正先駆者組合」が設立され、オーエン主義的な共同体思想を掲げたけれども、消費組合の店舗経営を実践して、「ロッチデール原則」というのを決めました。そしてこれが5点にわたっています。

  • (1)目方や品質を正しくする。
  • (2)掛け売りはしない。
  • (3)代金は引き渡しと同時に支払う。
  • (4)剰余は購買高に比例して配分する。
  • (5)出資金に対して3.5パーセントの利子を支払い、配当は四半期毎に行う。

 この組合を調べてみて、びっくりしたのは1844年から10年間に組合員数が50倍、基金総額は400倍、事業量は637倍、剰余が100倍です。それだけじゃなくて、みんな預金が出来ているのです。その理由を考えてみると、その当時流通業で資本家的経営というものがほとんどなかったのです。ではどのようにしていたかというと、工場主が自分の敷地に店を構えて、そこで掛け売りで労働者に生活必需品を売っているのです。そこの商品は、まぜものしてあったり、いいかげんなものを売っていたのです。それに掛け売りですから、定価より高かったたりします。ですから、商業利潤というのが随分高かったということがあって、ロッチデールが成功した理由は、正価で品質も良いものを売って、掛け売りをしなかったことです。そうなると、組合員になろうとしたら、労働者はライフスタイルを変えなければならないのです。工場で働いて、貰った賃金を買掛金でほとんど持っていかれる、という不安定な関係がロッチデールの組合に参加することによって経済的に家計が自立していくのです。購買高配分と出資配当があるわけですから、どんどん貯金が出来ていくのです。これは何故かというと、当時商業資本が未成熟だったので、商業利潤が高いからできた、と言う風にみるしかないですね。

 このように急激に成長したおかげで、協同組合が信頼感を持ってきました。それ以降、消費協同組合が協同組合の主流になっていきます。これで「信頼性の危機」が「ロッチデール原則」よって克服されてきたというのが通説です。しかし、これはちょっとおかしいと言いますか、協同組合をそこだけで見るのはおかしいのではないかという反論もあります。これについては、ポイントだけ言うと、オーエンが何を考えたかというと、やっぱり社会変革です。社会変革をするために共同体を作ろう。協同組合運動を通して社会変革をしようという目的を持っていたのです。ロッチデールの原則は、先ほどいったのですが、これだけではなくて、こういう運動を通じて共同体を作ろうと宣言しています。ところが、このような宣言がなされていたということが、以降の歴史家によって無視されてきまして、結局協同組合が企業として生き残れてきたひとつの先例としてしか見られていないということは問題じゃないかと、最近では言われ始めています。

 とりあえず、ここで頭に入れておいてほしいことは、協同組合思想というのはロバート・オーエンから始まるということと、初期の協同組合における危機は、信頼性の危機であって、これをロッチデール原則によってのりこえ、今日の生活協同組合があるということです。

5) 協同組合セクター論

 三番目に、フォーケの「協同組合セクター論」があります。彼は医者です。同じ様な書物としては、ケネーの「経済表」があります。ケネーも医者です。ケネーは世の中の生産の仕組みが農業から出発して、基本的に食糧と衣類とあと何かという風に分かれますが、一国の価値がどういう風に流れているかということを模式図にした経済表というものを作った人です。たぶん、そんな発想が医者の発想です。血液の循環からのものでしょうね。このフォーケもやはり、医者のそんなセンスから協同組合の現状をケネー的な視角から見て分析して、結構成功しました。協同組合を消費協同組合という点から見たら、ロッチデール原則が重要視されますが、それ以外にも農業協同組合や信用協同組合があり、それらにかかわっている人たちは社会変革を目指し、協同組合で社会変革が出来ると考える人が結構多かったようです。

 例えばシャルル・ジードです。このジードの主張をフォーケはどうもおかしいのではないかと、批判しています。このシャルル・ジードは当時の協同組合をやっている人の一般的な考え方だったようです。どういうことを言っているかというと、まず最初に協同組合の運動が起こって、それがやがて生産を行うまでに成長し、さらには農業生産を征服し、30年もたたぬうちに、世界経済全体を協同組合が支配するだろう、という風に言っています。だいたい、当時はこういうような考えでやっていました。フォーケはそれに対して、あまりにも楽観的にすぎるのではないか、と言って、現状を踏まえて「セクター論」というのを提起します。これは今でも採用されている見方です。

 フォーケはどういう風に分けたかといいますと、公的セクター、資本家的セクター、私的セクター、協同組合セクターと四つに分けています。気を付けなくてはならないのは、私的セクターといっているのは、前資本家的セクターということです。今でしたら、公的セクター、私的セクター、第三セクターといって、この私的セクターの中に資本家的セクターが入りますが、日本でしたら、第三セクターと言ったら国と民間が一緒になってやる事業となっていますが、そういう意味じゃなくて国でもない、資本家的でもない、三番目の協同組合的NPO的なものという意味です。

 結局、フォーケの主張は経済が自由競争の時は協同組合の可能性はあったかも知れないけれども、独占が成立して――彼が書いたのは1935年ですね、ですから大恐慌とナチスドイツの時代ですね――大独占が支配的な中で、協同組合は無制限には発達していけないのではないか、という風に言いまして、協同組合セクターは経済発展に於ける、最初農業から最後は家計で優位を占め、中間的領域は資本家的セクターが優位を占めている。そこで中間的領域に対して双方から攻めていくことが重要ではないかという風に言っています。そこで、なかなか魅力的なことを言っているのです。それは経済的なものに対する社会的なものの優位、という風に言っていまして、これは今でも有効ではないかと思っています

。

6) 思想上の危機

 「経営的な危機」というのが30年代までありましたが、第二次大戦までに克服されて、第二次大戦後には協同組合運動は新たに発展していきます。例えば、英国は、ある時期まではICAの指導的な国でした。協同組合運動の中心的な国であると認められていました。組合員数と市場占有率を見ると、44年あたりから60年ぐらいまでは右肩上がりで伸びています。ところが、64年を境にしてどんどん落ちていっています。ピークの時が市場占有率で12%弱までいって、組合員数では1200万までいってたのですが、以降ずっと落ちていっています。

 この傾向は50年代から始まって、ヨーロッパの大きな生協が潰れ始めます。70年代になりますと、ECによる市場統合の動きが始まって小売業の分野にも独占資本が乗り出してきて、例えばオランダ、ベルギーなどで生協の崩壊が始まり、80年代ではフランスで協同組合事業連合会が倒産し、ドイツでは連合組織が倒産しました。それから、米国ではバークレー生協が、これが米国最大の生協だったのですが、倒産しました。それから、東ドイツの生協は旧体制の下では市場占有率が30%ありましたが、自由化・市場経済化の下で5%になっている。ということで、どんどん潰れていっています。このように生協が一時期支配的になって以降、急速に落ちていっているということに対して、どう対処するかということが、レイドロウ報告のポイントだったのです。

7) 危機克服の将来構想

 それでは、そこで何を提案したかと言いますと、「思想上の危機」に対して大きな協同組合の弱点を克服する視点と、小さな協同組合の意義を明らかにして、多種の協同組合による協同組合地域社会を構想しました。大きな組合は組合員のアイデンティティがない、組合員が協同組合に入ってそこで社会に対して貢献しているという意識がないのです。だから、協同組合を守っていこうとしなかった、と。そのような、「思想上の弱点」をどう克服するのか、という問題です。と同時に、小さな協同組合というのも意義がある、と言います。これは実は背景がありまして、50年代に多国籍企業が商業分野に侵出してきた時に、生協は何をしたかというと、生協も事業連合して統合しようということになったのです。それで、先に言った70年代80年代に倒産しているのは、実は連合会です。個別の単位生協ではなくて連合会です。そこで、統合だけではだめで、小さな生協が見直されてきたことを明らかにしたのです。

 次の問題は、小さな協同組合は単にそれだけではなくて、いろんな種類の協同組合がつながりあって協同組合地域社会を作ろうという展望を出しました。そこで、将来の選択というところで、四つの優先分野を出しました。第一優先分野が世界の飢えを満たす協同組合、第二分野が生産的労働のための協同組合、第三分野が保全者社会のための協同組合、この保全者という訳語が何のことか分からないですが、これはたぶん環境にやさしいという意味だと、つまり使い捨てをしないということだと考えられます。地球環境を保全していくような社会の中の協同組合ということになります。第四分野が協同組合地域社会の建設。この協同組合地域社会というのは先に紹介しましたジードみたいな社会全体が協同組合になるという風なイメージではなくて、一応フォーケのセクター論を踏まえて、その上で狭い地域という領域では、出来るのではないかというイメージで考えられています。したがって、これらの優先分野で小さな協同組合が連合して、地域社会を作っていく、ということがレイドロウ報告の特徴です。

 80年代後半になって、新しい生協を作ろうということで、協同組合の理念はどういうものかという観点から調べていて、この報告からヒントを受けたというのはどこかというと、ひとつは協同組合地域社会を作ろうということ、これはおもしろいのではないか、と。それから、労働者の協同組合、生産協同組合も出来るのだということ、具体例はモンドラゴンですけど、あっそうか、と納得したのです。その後、モンドラゴンの研究をしながら、現時点で協同組合を作ることの意義を考えてきました。

第二章 協同思想の歴史と資本主義の現在

1) 初期の協同思想

 それでは、その時に出発点となった私の考えを次に説明します。

 初期の協同思想というはレイドロウ報告に書かれていた「信頼性の危機」の時代に当たりますが、当時の運動というのはどういうものだったでしょうか。この時期はちょうど資本主義の原始的蓄積期に当たっていて、封建社会の胎内から資本主義が生まれてきて、封建社会を解体して新しい社会を作っていく、その時の原動力が商品交換です。日本でも、百年前あるいはもうちょっと前でしたら、ほとんどの人が店で物を買うことはしておらず、やっぱり基本的には自給自足ですね。たかだか、都市に住んでいる武士や商人が商品経済の下にあっただけです。しかし資本主義は働く人が自分の労働力を商品にして、それを売って生活するシステムですから生産手段から分離させられます。封建時代なら、みんな農民ですから、農業していますが、たとえ土地は私有ではないにしても自分が自由に耕作できる土地をもっていたのです。そういうのから切り離されまして、工場に行かないと食えない、あるいは商店に勤めないと食えないということになってきまして、そうなると得た賃金で食べる、生活に必要な物資を買うということで、商品交換で人間のすべての生活資料をまかなっていくという、そういう時代に入って行きます。そうすると、昔の村だったら、基本的に自給自足しながら村で田んぼの水をどう引くかとか、そういう共同的にやらなくてはいけないことは村で管理していたのです。ところが、自分の生活がお金できるとなると、そういう共同体が要らなくなるということになってきます。あるいは、英国なんかでしたら、農場、小麦なんか作っていた農場が羊の方がたくさん儲かるということになると、資本家が農場を囲い込みまして、そこから農民を全部追い出してしまう。そういうことを通じて生産手段から切り離されたプロレタリアートが出来てきた、ということが、『資本論』に書かれていた当時の様子で、これは資本主義の原始的蓄積期の話です。このような、ダイナミックな変化は特別ですが、要は古い社会の絆が人間的な絆だったのですね、みんなが寄り集まって、一人一票か、民主主義があったかどうか知りませんけど、家長の合議で決めていくというような社会だったのですが、そういうことがなくなっていく。そしてお金があったら生活が出来るという時代になっていきます。

 そのような社会の変わり目に直面したときに、儲けている人はいいにしても、労働者にならざるを得なかった人達は、決してその新しい社会の文化にすぐには慣れていかなかった。確か、「怒りの葡萄」だったか、子どもの頃見た映画で奴隷が賃労働者の群を見てつぶやくのですね。「儂の方がずっと楽や」と言っているのです。自分の身ひとつで稼がなくてはならない出来立ての賃労働者と奴隷主に食わしてもらっている奴隷と較べたら、奴隷の方が安定していると思っているのです。結局、自分の地位が非常に不安定になるという意識があった。それに対して初期の協同思想では、ヨーロッパの中世の伝統を引き継いだ形で、共同体の形成というのが展望されていたのではないか、という風に思います。そこで、資本主義の原始的蓄積が始まって、資本主義の時代が幕開けしようとした時代に、旧来の共同体の伝統を引き継いだ農工共同体の建設といった形で、オーエンなんかが構想していったのです。

2) 協同思想の空洞化

 そういう風に考えると、何故初期の協同思想が空洞化していったか、ということが非常にはっきりしてきます。まず、資本主義が発達してブルジョア国民経済が出来て、いわゆるブルジョア国家が成立します。ブルジョア国家というのは封建的な共同体が持っていた公的な能力をことごとく奪って、権力を集中します。そして、市場経済が広がっていく。自給自足をしている人たちは社会の隅に追いやられる。労働力の商品化、土地の商品化、その時に出てきたのが諸資本の競争なんです。この諸資本の競争というのが、大変恐いものでして生産性で劣った企業がどんどん破産していく。そうすると、中世の伝統を引き継いだ相互扶助による農工共同体を一度は作れたとしても経営的にもたないということになります。それで、オーエンが米国でつくったニューハーモニーは結局、資本との競争に負けていったということになります。その結果、ロッチデールなんかは、商業分野で生き延びていく。それから農業分野でも農業協同組合の形で生き延びるし、金融の面でもそうです。日本の信用金庫というのも実は協同組合ですけど、普通の銀行と違いはないのですが、ヨーロッパの場合は多少違います。しかしどちらにしても、多くの協同組合が生き残りましたが、これらはもはや社会を変えていく足がかりということではなくなります。

 それで、資本主義の発達と共に労働者階級の数が増えてきて、資本家と労働者との間の階級闘争が焦点となってくる。すると、この分野から生まれてきたいろんな団体、労働者政党とか労働組合、その他いろんな組織ですね、これらが中心になってきまして、協同組合はずっとあるのですが、地味な存在になっていきました。このような時代を、端的に言って「永続革命の時代」と呼ぼうと思います。

3) 永続革命の時代

 この「永続革命」というのは、マルクスがそう言ってるのですけど、1848年の時代、『共産党宣言』が書かれる前後にマルクスやエンゲルスは革命の現場におりまして、特にエンゲルスは人民軍に参加して遠征しているのですが、この時彼らが何を考えていたかというと、当時のドイツはブルジョア革命の最中でして、このブルジョア革命が起こる過程でプロレタリアートがヘゲモニーをもってブルジョア革命をプロレタリア革命へと発展させようという方針を立てました。これが永続革命で、この革命を世界全体にまで永続させて、世界革命を実現しようという戦術を提起したのです。この戦術が20世紀のプロレタリア革命の戦術となり、レーニンもこの永続革命をロシアで実践し、ロシア革命を成功させたのでした。

 すると、こういう時代ではプロレタリアートの運動の目的はというと、とりあえず政治権力を奪取するということになります。ブルジョア革命というのは資本家的企業と商品経済とある程度の信用制度が封建社会の内部から出てきて、かなり力を付けてきた段階で最終的に封建的な政治勢力を打倒して民主国家を打ち立てます。封建的な支配を打倒して、地方分権的な国家をやめて、中央集権的な国家を作っていきます。ですから、社会の中にはブルジョア社会の中味がほとんどあって、外側をぱっと変えるという革命でした。すると、永続革命はその始まったブルジョア革命を一気にプロレタリア革命にまでもっていこうということでしたから、プロレタリアは政治権力を獲得して政治的な力で社会を変えようということになります。そうなると、協同組合という存在がその政治方針からはどこにも位置づけられなくなります。せいぜい政治運動をする人を創り出していくか、あるいは政治運動を応援する応援団だ、という風にしか見られない。協同組合的な社会が次の社会だということはマルクスもレーニンも言っていたのですが、実際の運動の現場ではそういうことは忘れられていました。次の社会はどういう社会かということは、特にソ連が成立して以降、「全人民的な国家」といわれて、協同組合的な社会という構想はソ連型の社会主義の議論の中からは完全に欠落してしまいました。

4) 現代をどう捉えるか

 それで、そのような時期があって、現段階はどうなのかということですが、私の考えは、例えばマルクスは間違っていたと主張する人達がプロレタリアートは階級ではなくなったとか、だから階級闘争はなくなったとかと言っています。しかしメルッチという人の翻訳が出まして(『現在に生きる遊牧民』、岩波書店)この人はイタリアの社会学者で、80年代の頃から運動の構造が変わったということに注目していて、新しい社会運動を階級闘争に変わるものとして研究しました。岩波から出ている『思想』という雑誌が、85年に「新しい社会運動」を特集して、その頃からエコロジー的な運動やフェミニズム的な運動、あるいはオルタナティブを求める運動など、そういうものを一括して「新しい社会運動」として位置づけました。従来の階級闘争理論からは理解できない運動として、これらに注目したのですがメルッチはその研究の第一人者でした。

 メルッチはこれらの社会運動が出てくる現代社会の状況をきっちりと分析しておりまして、その際プロレタリア階級の存在を否定してはいません。ところが彼の論議に触発されて、日本では山之内靖が『社会システムの現代的位相』(岩波書店)を書きまして、マルクスの理論ではもはや現代社会を解けない、プロレタリア階級なんかはないのだ、という風に言っています。

 私の理解は、反対でして、プロレタリア階級というのは、先ほど「永続革命の時代」といいましたが、従来はブルジョア革命の時代の基本的な関係、階級関係を土台にして、プロレタリア階級像を語ってきたと思います。プロレタリア革命の戦術にしても、ブルジョア革命の時の階級関係なり勢力配置なりを前提にして、そこからプロレタリア革命の絵を描いてきたのです。その歴史的限界をはっきりさせると同時に、現代の資本主義というのはプロレタリア階級が成熟した形で存在しているのではないかと、見た方がいいのではないでしょうか。

 ですから、マルクスの階級理論がダメになって、新しい社会運動が出てきて、それに対して新しい方法論がなくてはならない、というのが社会学の主張で、今の主流の流れになりつつありますが、そうではなくて、ブルジョアジーとプロレタリアートの対立が、ある時期マルクスが言っていたような形で展開したけれども、それが成熟した段階には、別の様相を呈してきたという風に見た方がきっちり説明できるのではないか、と考えています。この時にマルクスの理論の何を生かすかということで、価値形態論なり物象化論なりを生かせば、それがすっきり見えてくるというのが私の基本的な立場です。

5) 資本の蓄積様式の変化

 ですから、そういう観点から現状を見てみると、資本主義の発展の段階が究極の段階に来ているだろう、というのがひとつ言えるかと思います。いわゆる南北問題は今でもありますが、その構造がすっかり変わってきています。一時期、「低開発の開発」ということが言われました。低開発を強制される国際的な関係にアルゼンチン等の南米諸国が置かれていた。しかし、日本はそうではなく、その違いがその後の経済の発展に現れている、という風な見方を出していました。これは面白いなと思いました。でも現在はそういう枠組みでも捉えられないような時代が来ています。これは、やはり多国籍企業が巨大化してきたことがひとつ。それから第三世界に対する先進国の植民地支配が領土として後進国を従えるという形ではなくなり、先進国からの政治的な解放ができているという問題です。その問題は更に、国際金融市場の成立ということと密接に関係していると思います。そして新しい時代の到来を告げるものこそグローバリゼーションでした。

 グローバリゼーションは情報革命と一体化しています。インターネットは個人の活動領域を世界大に広げたことで、個々人の新しい可能性を切り開きました。ところがこの情報技術は今のところ人々の生活のツールとしてではなく、企業が独占的に支配するところとなっています。インターネットはもともと軍事技術として開発されたものですが、それは次には金融機関のオンライン化へと進み、世界中の主要な金融機関がインターネットで結ばれることになりました。

 この世界の金融機関のオンライン化によって、国際金融機関は70年代はじめから始まった外国為替の変動相場制に金儲けの種を作ることになりました。外国為替が売買されるのは国際金融市場ですが、これがオンラインで結ばれることで外国為替の金融機関間の売買で利ざやが稼げることになったのです。もともと銀行の収益は預金と貸付の利ざやと手数料でしたが、80年代後半になると、外国為替取引による利ざや稼ぎが銀行の収益の大半を占めるようになって来たのです。元来外国為替取引は貿易に伴って発生しますが、今ではこの貿易実需の額の100倍を超える投機的取引がなされているのです。物を作って儲けるのではなく、「お金にお金を生ませる」ということが現代の金持ちの信条となっています。

 その他にソ連、中国において商品経済が一般化しています。結局、資本主義の発達の究極の段階において、資本の蓄積様式というのが大きく変わっているのではないか、ということです。これはちょっと分かりにくい言い方ですね。資本主義というのは結局どういう風にして儲けているのかと言ったら、もともと工場です。工場で物を作って、その物を商品として市場に出して売って儲けていくという、それを順繰り順繰り繰り返していくということで資本主義が成り立っていた。ところが、それが今では先に言いましたように外国為替などの金融資産の売買によって、つまりドルを円に換えるだとか、円をポンドに換えるといった金融資産の売買を通して利鞘を稼いで、儲けていくという形になってきます。そうすると、そういうことを支えるための企業というのは第三次産業です。すると、物を作っている企業比べて、サービス業の比率が異常に増大し、物を作るということが必要以上に蔑まれている状況です。農業が元々そうだったのですが、鉄鋼業とか従来の基幹産業が農業並の状態に置かれてきています。

6) 企業と国家

 資本の蓄積様式が変化した結果、企業と国家の関係も変化してきました。多国籍企業が世界の中位の経済規模の国家のGDP(国内総生産)と肩を並べるほどに巨大化することで(2002年の統計では、世界一の企業ウォルマートはスエーデンを超えています)世界の人々を直接支配しようという意思を持ち始めたのです。巨大金融機関や巨大企業の経営者たちは、毎年スイスのダボスで行われる世界経済フォーラム(ダボス会議)で、IMFや世界銀行などを利用して、自らの利益を図ってきましたが、90年代には世界の貿易の支配に乗り出しました。WTOはそのための国際機関で、この機関は多国籍企業にとって都合のいい交易のルールを作って、国家に押し付けようとしているのです。こうして国民経済と多国籍企業との利害の対立があからさまになってきています。この対立はいったい何をめぐっているのでしょうか。根本は国家と企業との違いがあるにもかかわらず、企業が国家に成り代わろうとしているところにあります。グローバルスタンダードと呼ばれている種々の協定や基準は国家の国民に法的な規制をもたらすものです。従来は企業の活動が国家によって保護され、また規制されてきました。ところが今日起きているのは逆に中位の国家の経済規模と肩を並べるようになった多国籍企業が国家と国民の方を規制しようとしているのです。

 今日の民主的な国家の場合は国民に対して生命や財産についての安全、働けない人たちへの福祉、思想信条の自由、参政権、団結権等の生存権・基本的人権・社会的基本権という各種の権利を保障する義務があり、この保障の上に支配権が認められています。またこれらの国家は民主的手続きで選ばれた人たちによって統治が行われています。主権在民が原則で手続きを踏めば議員の解任もできます。そして国家権力の行使については三権分立で、立法権と行政権と司法権はそれぞれ独立した形式を保っています。いわゆる法治主義が実施されているのです。

 ところが市場原理にもとづく企業活動は自己の利益の追求だけに専念しておれば市場の「みえざる手」の働きでバランスが取れる、という行動原理に従っています。したがって国民は消費者でありお客さんであって、単に取引の相手としてしか考えられていません。生命や財産の安全その他の権利は、企業にとっては、消費者が自己責任で保持すべきものと考えられています。国家と違って、お客さんが飢えようと病気になろうと企業には責任はないのです。

 しかも多国籍企業やWTOの指導的メンバーは誰によっても選出されていないのです。このような企業やWTOには本来世界の諸国民に法的規制を行う合法的な支配権は何も持ってはいません。したがって、協定を押し付けることは不当な権力行使にあたります。支配権を持たない集団が経済的に巨大であるという理由だけで世界中の人々に縛りをかけようとしている、これが現実に起きてきているのです。

 この現実をさらに加速させているのはアメリカや日本といった上位の経済規模の国家の指導者たちがこの市場原理主義に基づいて国家の統治をしようとしており、多国籍企業の利益にしたがった政治をしていることです。新自由主義と名づけられているこの政治グループは小さな国家とか構造改革という名目で国家が果たすべき機能を次々と放棄し、国民に対して自己責任を要求することで生存権や基本的人権の保障という国家の福祉的、民主主義的役割を切り捨てようとしているのです。こうして、住民は、社会保障を従来のようには企業や国家に期待できなくなり、住民が共同して、地域づくりを進めなければならないような時代になってきています。

7) 環境問題に頭を打つ

 後は、エコロジーの問題ですね。資本主義的な大工業が世界を一元的に支配するようになって、生態系に大きな影響を与える規模にまで発展してきました。市場のシステムによる富の生産が不経済という所まで来ています。この不経済ということの意味は、いままでの資本主義のシステムでは自然の再生産費というのが費用には計算されていません。空気とか水、水は多少お金がかかっていますが、空気は完全にただで使っています。また乱開発などをした時に、その開発した所を元に戻す費用は全然念頭にありません。

 ところが、そういうことをやってきて、どうも間違ったことをやってきたのではないかということを、例えばこれは経営者の中からも出てくるようになってきています。地球温暖化防止のため京都でCOP3の会議がありましたが、この中で一番頑張っているのは保険業界だということです。異常気象で保険業界が破産しそうで地球温暖化阻止に向けて頑張ってくれ、ということらしいです。これなんか、トップの経営者が自由競争システムだけではもうどうしようもない、と認識し始めていることの現れですね。

 そして、90年代後半に流行ったのが環境マネジメントというもので、もうご存じかと思いますがISO14000シリーズです。国際標準化機構ですか、日本で言うとジスマークですね。工業製品を作るとき、あるいは地球上で経済活動をするとき、環境に対する一定の基準を満たさない企業は認証しない、逆に言えば一定の基準を満たしている企業ですよというマークです。環境にやさしいということを、日本の企業は言葉だけですましてしまいがちですが、これは物を作るときの原料から廃棄物までに至る全ての要因を計算に入れようという動きです。これは新しい動きで、これは資本主義のシステムを大きく修正する要因になります。システム自体は変わらないのですが、やりたい放題で儲けたらいいということでは完全になくなってきています。製品を作る原料から、最終的に廃棄物になるまでのエネルギーのコストと環境負荷をすべて計算して、ここは改善できるとか、ここはどうするとかを研究していくような、環境マネジメントというのが、国際標準化機構に入ってきます。日本でも、電機メーカーがやっていますけど、流通業とかも認証をずいぶん取得しています。

 こういうところで、結局何が出てきているかというと、環境倫理です。それで、これが倫理として出てきているというところが、我々として検討しておくべき問題点があるのではないか、と見ています。企業が何故環境問題に対して真剣に取り組むかというと、倫理観です。環境倫理というのは、いくつかありまして、一つは被害者加害者の問題、公害を出す企業とその周辺にいる被害者、この図式は非常に簡単です。被害者が加害者に対して要求する。ところが、自動車では被害者と加害者が錯綜しています。排気ガスが加害者で、我々みんなが加害者であり被害者だという関係になっています。すると、これをどういう風に解決するかというと、訴訟とか、誰かをやっつけるということでは成立しないのです。そこで登場したのが、倫理です。これは、未来の世代に対してどう考えるかという世代間倫理、今生きている人間が百年後に生まれてくる人間に対して責任があるのではないか、という考え方です。たぶん、企業が環境問題に取り組む時の基本的な要因というのは、この倫理だと考えています。

 そこで、はたしてこれでいいのかという事があります。これは大きな問題で、環境問題を倫理にしてはいけないということを言いたいのですが、これは別の話になりますね。ここでは環境倫理が語られるようになった背景を指摘しておくにとどめておきましょう。

 資本主義の究極の段階というのは、資本主義が文化的な危機を招来しているのではないか。今まででしたら、市場経済化とか商品化とかいうことは、非常に良くて、かつてはアメリカ的生活と日本人は言いましたが、電化製品があるだとか、生活が便利になってきたというイメージですが、今はどうもそれをやると、未来の人類に対して顔向けできないということになってきたのですね。それでは、それをどう解決するかということで、企業は基本的には倫理で行くというのは今言いましたが、もっと他のやり方があるのではないかということで、その一つの選択肢として、協同思想というのは考えられないか、というのが私自身の提案です。

第三章 今日に生きる協同思想

1) 永続革命の時代の終わり

 それでは、協同思想というものが現代の難問を解決するものになり得るのだろうか、という疑問がでてきます。ここからは私の提案になります。

 さて、先ほど言いました「永続革命の時代」が、いつ終わったかということですが、とりあえず中国の文化大革命の敗北ですね、その時点で終わったと考えます。その頃は米国で新左翼運動があって、フランスで五月革命があって、日本でも文革以降、全共闘や反戦青年委員会の運動がありました。これらの運動はベトナム革命戦争に連帯して、永続革命を切り開こうという意図を持っていました。文革の時に毛沢東が何を言ったかというと、周辺革命論でして、それは世界革命に向けて先進国を包囲する陣地を作っていこう、という提案が裏にあったのです。それに半分励まされながら、先進国でも様々な運動が起こってきました。

 ところが、それが敗北して以降、同じ様な発想での運動が全然出来なくなります。だんだんしんどくなる。そして、それに代わるタイプの運動が出てきました。先ほどちょっと言いました「新しい社会運動」という風にメルッチが名づけたものです。それは、本質的には対抗文化運動だと思うのですが、要は資本主義の文化が危機に陥っている時に、もうひとつの文化を作ろうという、単純に言ったらそういう所に集約されるような運動だと思います。

 では、永続革命の時代に資本主義が成熟して、労働者階級が成熟することによって、いまでは永続革命の提案が魅力を持たなくなったということですが、その基本的な要因はなんだろうかと、考えてみました。永続革命の時代は基本的に政治が優先する時代でした。政治によって人間を解放しよう、人間の解放の第一歩が政治的解放である、あるいは政治的権力を奪取することだ、ということでやってきました。しかし、今や政治で何か解決できると思わないし、思えなくなっているという問題があります。もちろん政治がなくなったわけではないのですが、もっと他にやることがあるのではないかと考え始めたんです。

2) マルクス自身のオルタナティブ

 対抗文化運動というのは、協同組合運動とか新しい社会運動とか、いろんな領域の運動を含んだ運動ですが、基本的には今の社会ではなんともならないから、何とかしなければならないという意識から出発しています。その時に、ではどうようにしたら社会を変えることができるかということについては、全然まだはっきりしていないという現実があります。とりあえず、身近なところからやり始めようという感じで、ほとんどが来ていますが、そういう運動はどういう意味をもっているのだろうかと考えました。

 まずそれはオルタナティブと言いますが、本来の意味は「もうひとつの」ということですが、ここでは今のシステムに代わる代替システムという意味で使われています。そこで、マルクスがオルタナティブとして何を想定したかというと、今のシステムは資本による商品生産と市場による流通システムですが、それに代わるシステムとして彼が提案しているものは「共同の生産手段をもって労働して、それを多くの個人的労働力を自覚的に一つの社会的労働力として支出するような、自由人の団体」「生産諸手段の共有にもとづいた協同組合的な社会」ということです。実はこういうことは、一時期完全に忘れ去られていたのです。60年代の日本の運動では自覚的に捉えられたことはありませんでした。70年代に入ってどういう社会を作るかといった論議をした時に、マルクスがこんなことを言っているということに気づいたことがありました。それ以降、今ではマルクスは人気がありませんので、誰も言わなくなっていますが、彼がこういうことを提案しているということがひとつあります。ところで90年代後半に入ってマルクスのオルタナティブが見なおされて、今日ではアソーシエーション論として脚光を浴びるようになっています。

3) 文化の捉え方

 次に文化ですが、文化とは何かということが問題です。これは、ただ一元的にあるのではないのです。ある時代にいろんな文化があると考えてください。その時に、「文化運動」というものがあり、文芸とか小説とか絵とかといった芸術と思われがちですが、そういうものではなくて、人間がどういう風に生活しているかその生活の仕方、生活様式と言いますが、人間の生活の仕方が文化を発散しているという風に考えています。ですから、もちろん人間は思想的な存在ですから、いろんなことを言うことはできますが、しかしながら、言っていることの中身は自分がどう生活しているかということに拘束されています。自分の生活から離れたことを言うことは、所詮無理で、そこに拘束されている。その意味で、同じ様な生活をしている人間は同じ様な文化に包摂されている、と言えると思います。ですから、今だったらコンビニに行ってお昼ご飯を食べて生活をしている人と、まったくそういうことをしていない自給自足の人とは、言葉も通じないということになります。

 今の支配的な生活の仕方、つまりどこかに雇われてお金を稼いでそれで生活をしているということですが、そういう生活の仕方は、ひとつの文化を発信していると考えます。それに対抗する文化というのは、どういう風にして出来るかと言ったら、そういう生活からちょっと距離をおいて、従来の生活を変えて生活してみると、そこに新しい文化が生まれる、という感じです。これは実例があります。例えば、米国なんかでドロップアウトして、田舎にこもって共同体を作るようなことが、結構あります。そこからひとつの文化を発信している。

 しかし、その時に、今の社会が嫌で今の文化が嫌だと言うのだったら、みんな一人一人今の生活の仕方から離れていって、どんどんそうすると、全部変わるのではないかという考えもあります。しかし、抜けていくのはいいのですが、抜けていった人同士が今度は全然仲良くなれないという現実があります。実際、市場経済から抜けていって共同体作って、有機農産物を作っている人や団体同士が全然仲良くなれない、という問題があります。ですから、抜けていくことだけでは問題は解決しない。

4) 商品の社会性

 今の人間の生活というものは、商品とか貨幣とか資本と関係することで始めて生活しているということです。ですから、お金あるいは商品が人間の社会性を代表しています。今の社会では、お金がなかったら社会人ではないということになります。そうすると、そういうシステムから抜けるのは簡単ですが、抜けた人がどうやって社会性を持つのかという問題があります。抜けた人同士がお互いに社会性を持てないという風になりがちだということは、それでは支配的な文化にはなれないということです。つまり、それだけでは次の文化になっていかない、ということになります。

 そこで、商品とか貨幣が何故存在しているのか、ということを解明することが必要になります。これが非常に大きな問題でして、もしここにいる我々が「これこれを貨幣にしよう」と言って決めているのでしたら、「これはやめた」といってやめられるのですが、どうもそんなことでは商品や貨幣はなくせないのです。そうではなくて、商品とか貨幣に自分の意志を預けているという現実がある。すると、商品とか貨幣とかが人間的な主体性を持っていて、我々はただ向こうの言うことに従っているだけの存在になっているのではないか、ということを実はマルクスが価値形態論で解明しているのです。そういう考え方で、今の社会の現状を見てみるとたいへんよく分かるのですが、現在の思想家はあまりこのことに気づいてはいません。

5) 協同と民主主義

 話のまとめに入るのですが、これまで協同組合の話をいろいろしてきましたが、今言った観点から見てみると、協同というのは人間の社会性を商品が代表しているという事に対しての異議申し立てになります。人間自身の社会的な関係を意識的に作るということが協同の原則です。ついでに言っておきますが、民主主義というのは市場ないしは商品と密通しているのです。商品とか市場の意識が民主主義です。民主主義と言う時に、個々人は独立しているのです。そして独立した個々人が社会的な関係の中でどういう風に意志を統一するかという時に、民主主義が使われるのです。一人一票で多数決と言っていますが、その民主主義が生まれてくる土台つまりそれが生まれてくるためには、どういうことが必要かを考えてみましょう。中世には民主主義はなかったのです。民主主義がなくても世の中うまく行っていたということですから、それは人間が民主主義を必要とするような生活をしてなかった。今は、生活が商品とか貨幣とか資本と関係しないと成立しませんから、民主主義がなかったら生活できないという構造になっているのです。

 そうすると、協同と言ったらどういうレベルの問題かと言ったら、人間の生活の仕方を変えることを通して、民主主義的なやり方とはちょっと違う形で人々が社会性を取り戻すという領域で行われていることです。そこで、問題は資本主義的システムに代わるシステムが協同組合的な社会だと言うのは簡単ですが、ではそこで如何にして移行するかという問題があります。その時に一番大変なのは、商品とか貨幣とかが人間の意志を支配しているという問題です。

 どういうことかと言いますと、何故貨幣が生れてくるかということです。これも予備知識なしでぽんと言ってしまいますが、金が貨幣商品になると考えますと、例えばみなさんが商品生産者だったとして、本当は自分が作った商品でみんなのものを買えたら一番いいですね。しかし、みんながそれを主張したら、誰も買えないということになります。自分の作った物が貨幣だからこれで交換せよと言っても、誰も相手にしないです。そこで、ある日突然、みんなが心を一つにしてこの金とだったら交換してもいいという風に行動します。自分の作った商品を金で買えるようにするという共同の行為をしたら、金が貨幣になれます

。

6) 貨幣生成の共同行為をどうするか

 市場経済の恐いところは、こういうことを意識してやっているわけではないのです。貨幣を生み出す行為というのは、紀元前何年かに出来て、それ以降貨幣がずっとあるというのではなくて、毎日毎日我々が生みだしているのです。自分が物を作る生産者として、例えばスイカを作る生産者としてみると、市場に出すときスイカに値段を付けて売ろうとしますね。その人がやっている行為の客観的な意味は、スイカを金となら売って良いと宣言しているのです。あらゆる人がそういうことをするから、初めて金が貨幣になれるのです。つまり、貨幣というのはその瞬間その瞬間に作られている、という事で、関係の産物なのです。もし、誰も市場に物を持ち出さなかったら、関係が生れないから貨幣も生れないのです。貨幣とはそういう存在です。

 市場に生産物を出す時物を売りたいという意識はありますね。しかしその行動が、同時に貨幣を作っているのです。貨幣を作る共同行為に参加しているのです。結局、貨幣というのはみんなが同じ共同行為をするから成立するのであって、それは意識してやっているわけではないのです。何か仕組まれてそこに入って、結果として共同行為になっている。

 こんなことが分かっても、それじゃそれを潰そうかといっても出来るわけがない、そういう構造です。ソ連とか、特にカンボジアなんかは政治権力を取って、社会を変えようという風に考えたのです。昔の永続革命の時の考え方からすればそのようになります。そこで、何故うまくいかなかったかというと、商品や貨幣を政治的な力や意志の力ではなくせないのですね。何故なくせないかというと、それが代表しているのは人間の社会性ですから、人間の社会性を商品市場とは別の形で作らないとなくならないのです。もし、商品とは別の形で人間の社会性を作れたら、もうこれはいらないということで、商品や貨幣は自から引退するのです。

7) 脱商品化から脱物象化へ

 商品経済、市場経済から協同組合的な社会にどのように移行するかという時に、商品をなくしますというのであれば、昔であればそれも言えましたが、今はまるでダメです。そういう時代になっています。ソ連が崩壊した時に、市場経済が万能ですと言った人がいっぱいいましたし、元左翼だった人も言っていますけれども、それはどうでもいいことだと思います。

 問題はどうしたらいいのかということで、提案したいのはそういう商品とか貨幣が人の意志を支配していますから、それらを「物象」と呼びますが、その物象がもっている人間の意志を支配する力、人間が無意識に物象を作ってしまっているという現実、そこからどう抜け出すかということです。商品の市場に参加せざるを得ないという現実がありますから、そこに参加しながら、その物象が持っている力を弱めていくということ、これを「脱物象化」と呼んでいますが、どうもそういう道しかないのではないか、と思っています。昔は「脱商品化」だったのです。商品を廃止するということです。ソ連では脱商品化というのをやったのですが、うまくいかなかったということで、この脱物象化ということを考えていく必要があると考えています。そうすると、これは今の社会の中でやれることです。そしてまた、脱物象化ということは実は協同思想を現実のものにしていくことであるだろうと思います。脱物象化を目指した協同組合運動はどういうレベルの運動かといったら文化運動としか言いようがないです。文化運動というのは、今まで言われていたような文学や芸術運動ではなく生活をも含めた形での文化、もうひとつの文化を作れるような文化というようなもの、そういうことを考えています。






Date:  2006/1/5
Section: ă“ぎ15年間をふりかえって 文献目録
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