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価値形態・貨幣・社会主義

【特集】
廃墟からのマルクス
価値形態・貨幣・社会主義

論理以前の貨幣論

　「貨幣が貨幣であるのは、それがまさに貨幣であるからなのである」（『批評空間』3号、250頁）
　今日の宗教ブームは、経済学者の頭の中にも信仰の論理を植えつけてしまったようである。貨幣についての岩井克人のこの規定が何も規定してはいないこと、この種の論法が許されるとしたら、「岩井が神であるのは、彼がまさに神であるからなのである」という文脈でしかありえない、……というように性急に結論を出す前に、岩井自身の陳述を聞くことにしよう。
　「そこで、労働価値論の世界をあとにして、ふたたび価値形態の世界に舞いもどろう。
　貨幣が貨幣であるのはそれが貨幣であるからであるというこの『循環論法』の世界においては、貨幣を貨幣として流通させていくためには、それにたいするひとびとの主観的欲望の拡大や共同体による習慣的な制裁や国家による法律的な規制といった外部的な根拠はいっさい必要としないのである。貨幣という存在は、もはやそれ自体が実体的な価値をもつ商品である必要はない。まして、それは金という特殊な商品である必要もない。均質的であり、分割可能であり、耐久的でありさえすれば、どのようなモノ、いやどんなものでも貨幣になりうるのである。貨幣単位を刻印された銅やアルミニウムといった安っぽい金属のかけらでも、貨幣単位を印刷されたなんの役にもたたない一枚の紙切れでも、さらにはコンピューターの記憶装置に電磁気的に書きこまれた貨幣単位の情報コードでも、貨幣として社会的に認められていさえすれば貨幣としての機能をはたすことになる。それが、いわゆる鋳貨であり、紙幣であり、エレクトロニック・マネーにほかならない。いや、貨幣という存在はその商品としての価値が希薄になればなるほど貨幣としての純粋性を増していく。そして、どのようなものであれ、商品としてはまったく無価値なものが貨幣として機能しはじめるとき、われわれの貨幣形態Zはそのもっとも純粋な形態に到達する。それは、同時に、それ自体は商品性をもっていないこの貨幣という存在を唯一の媒介として、商品世界がひとつの自己完結した世界として成立するときでもある」（『批評空間』三号、二五四～五頁）ここで明らかなのは、岩井が念頭においている貨幣とは、日銀券であり、また銀行のコンピューターに入力された預金通貨などのことである。これらは信用貨幣であり、商品ではなく、利子生み資本の転化形態である。それゆえこれらは商品の価値形態の外部に存在している自己増殖する価値＝資本の領域に属している。
　だから岩井は白からの「貨幣形態Z」を措定し、「循環論法」の世界を描いておきながら、貨幣の根拠を価値形態の外部に求めざるをえなくなっている。最近発覚した銀行預金をめぐる不正事件は、その情報がコンピューターに入力されていたにもかかわらず、それは貨幣とは認められはしなかった。なぜならば、その情報が利子生み資本の運動と関連してはいなかったからである。岩井自身「貨幣として社会的に認められていさえすれば」という留歩条件をつけているのであり、不渡手形の例を引くまでもなく、信用貨幣を貨幣たらしめている力は、利子生み資本にある。
　それゆえ、彼が「外部的な根拠はいっさい必要としない」という自説に忠実たろうとすれば、価値形態論のなかに利子生み資本の領域をもち込まなければならない。そうすれは、彼は自分のテーゼをこの信用貨幣の場合には、・貨幣が貨幣であるのは、それがまさに資本【ヽヽ】であるからなのである″というように書きかえなければならないし、そうなると、彼のいう「循環論法」は成立しないことになる。
　それでは、ということで、利子生み資本の領域を価値形態の外部に措定する、という、正当な立場にたち帰ってみよう。この場合、彼の「循環論法」は「外部的な根拠」を必要とすることになり、「貨幣形態Z」は崩壊してしまう。
　先に引用しておいたわずか七百宇分のスペースで、岩井は自分の立てたテーゼを自分で崩壊させている。「外部的な根拠はいっさい必要としない」はずであった岩井の貨幣は、「社会的に認められ」なければならないのである。この自己矛盾から逃れる道は唯一、信仰の世界しかありえない。こうして、「貨幣が貨幣であるのは、それがまさに貨幣であるからなのである」という御神託が下されることになる。

「思考実験」が見失ったもの

　岩井の『貨幣論』が、貨幣についての岩井教の陳述でしかなかったとすれば、ここでとりあげる意味があるのだろうかという疑問が提起されるかも知れない。彼がマルクスの価値形態論を出発点にし、そのうえに自説を展開していることに注目すると、岩井がどこで足を踏みはずして、天上にさまようことになったか、ということが、実にきちんと記録されている。これは岩井の論文の長所であって、この記録を読みとることによって、マルクスの価値形態論を把握する手がかりが得られるのである。
　岩井が貨幣形態に「循環論法」を見い出したのは、価値形態を素材に「思考実験」を行って「ほかのすべての商品が貨幣に交換可能性をあたえているから、貨幣はほかのすべての商品に交換可能性をあたえ、貨幣がほかのすべての商品に交換可能性をあたえているから、ほかのすべての商品は貨幣に交換可能性をあたえて……いるのである」（『批評空間』三号、二五一頁）という事態を「発見」したからである。
　観測者の主観が、観測結果を規制する、という量子力学での観測と同じ事態がここで展開されてしまっている。しかしながら、岩井の「思考実験」の場合、実践的に考えさえすれば、観測結果は幻影であることがたちどころに判明してしまう。岩井の発見が正当であるためには、商品で貨幣を買うことが可能でなければならない。これは或る商品を、それを求めている貨幣所有者に売る、という意味ではなく、あらゆる貨幣所有者が、その商品を求めている、という意味でなければならない。こんなことは現実には起こり得ないから、岩井の「循環論法」も、ここで現実には切断されてしまわざるをえない。岩井の「思考実験」にはその出発点の時点で、設計の誤りがあった。
　「リンネルがほかのすべての商品にそれぞれじぶんとの交換可能性をあたえているという純粋に思考実験的な想定から発するのである。そうすると、とうぜん、上着もお茶もコーヒーも小麦も金も鉄も、それぞれがリンネルと直接に交換可能な存在になることになる。したがって、今度は逆に、上着もお茶もコーヒーも小麦も金も鉄もそれぞれ同時にリンネルにたいしてじぶんとの交換可能性をあたえることができることになる。これはもちろん、リンネルが可能性として（そして、あくまで可能性として）一般的な等価形態となることを意味している」（『批評空間』三号、二四六頁）
　岩井はここで、全体的な価値形態に、一般的な価値形態の可能性を求めている。「思考実験」である限り、このこと自体は誤りではない。問題は、全体的な価値形態と、それを思考のうちで転倒させることによって得られた一般的価値形態との間の関係にある。岩井はこの二つを直接に接続してしまった。その結果「循環論法」を「発見」することになったのである。しかし、岩井も認めているように、上着やお茶といった諸商品は、交換の後には商品市場から去っていく。だから、ここで岩井が想定している全体的な価値形態と一般的価値形態とは連続した関係にはない。それは言うならば、二つの商品世界として、別々の時空に存在しているのである。
　このことは、相対的価値形態と等価形態との間の非対称性（柄谷行人）ということに注意しさえすれば、明らかになったことである。そして、この非対称性が、価値表現の主体とその素材として区別されれば、直接的交換可能性、という事態が、価値表現にもとづくものであることが判明し、国家紙幣は、流通過程で貨幣金を代理している限りで流通手段として機能していることがわかる。

通貨の無価値性と労働価値説

　流通手段としての機能をはたしている通貨だけを貨幣だと考えている岩井にあっては、貨幣の価値尺度機能は把えられないものである。労働価値論は、一般商品が一商品＝金で共同して自分たちの価値を表現することによって金を貨幣とし、貨幣に価値尺度機能を与えると説く。貨幣について論じる際に、価値尺度機能を措定しなければ、労働価値論は見えてはこない。自分で見ようともせずに、労働価値は存在しない、と主張しても説得力はない。
　今日の銀行券や預金通貨といった信用貨幣について言及しておきながら、利子生み資本論がない、というのも困ったものである。流通手段や支払手段として機能している信用貨幣それ自体に関していえば、それは商品ではないのだから、通貨が商品ではない、という理由で、貨幣が商品ではない、という論法に意味があるのなら、岩井克人という名辞そのものは人間ではないから、岩井克人は人間ではない、という思考実験も成立しよう。
　「マルクス自身の思考の構造」を追求しようとしている経済学者の岩井ですら、通貨それ自体は商品ではないから、貨幣は商品ではない、といった論議に終始しているとすれば、貨幣を論じる前提として、通貨についての簡単な説明が必要となる。
　貨幣の流通手段としての機能を代理する通貨は、強制通用力を国家によって保障された国家紙幣と、他方利子生み資本の転化形態である銀行券との二種類が知られている。今日の日本では純粋な国家紙幣は存在せず、銀行券である日銀券が法貨とされ、国家によって強制通用力を保障されている。それ故、日銀券が不換紙幣となり、それ自身で流通手段としては機能しなくなっても、国家によって保障された強制通用力で通貨として機能している。それで、日銀券は信用紙幣か、それとも国家紙幣か、ということをめぐって論争がなされたことがあった。
　信用貨幣には銀行券のみならず、商業手形や預金通貨も含まれるが、歴史的には銀行券は債務証書である商業手形を割引く手形であり、貨幣金との兌換が発券銀行によって保証されていた。したがって、日銀券といえども兌換停止にされれば不渡手形であり、それを通用させるためには国家による強制通用力の保障が必要であった。
　さて、今日では国際通貨として機能しているドルまでもが不換紙幣となり、貨幣金との直接の関連を断ち切られてしまっているので、貨幣金が流通手段としては機能してはいない、という見解が生じ、金廃貨論（金はもはや貨幣ではない、という説）が登場してきた。
　つまり、貨幣金の価値尺度機能は、貨幣金が交換過程で貨幣としてはいかいしているから発揮しうるのだ、という『資本論』の命題を逆手にとって、いまや金は商品交換を直接には媒介してはいないから、価値尺度機能もはたせてはいないのではないか、という解釈がなされるようになったのである。
　「さてつぎに貨幣が価値尺度として機能する条件を検出する。『価値形態は、貨幣と引き換えに諸商品を譲渡する可能性と、この譲渡の必要性とを含む。他方において、金はそれがすでに交換過程で貨幣商品として徘徊しているが故にのみ、観念的な価値尺度として機能するのである』（『資本論』・、河出書房新杜版、九一頁）。価値尺度として機能する場合、『貨幣は観念的な貨幣として役立つ』にせよ、現実の金貨幣が流通手段として機能するからこそ、価値尺度として機能するのである。つまり価値形態の発展の帰結として金が一般的等価物になるのは、それが流通手段として諸商品の交換を現実に媒介しているからである。これを逆にいえば、金が現実に流通手段として機能しなければ、その価値尺度機能も消失するわけである」（真藤素一『国際通貨と金』、二二八頁、日本評論社）
　流通手段として機能している通貨それ自体を貨幣と把える思想が、真藤によって学問的よそおいをまとって表明されている。岩井説は、この金廃貨論をふまえたものではないが、流通手段として機能している代理者を貨幣そのものと把える点では同一である。
　日銀券が価値尺度だといっても、価値のないものが価値の尺度になれはしない。しかも日銀券が流通手段として機能しえるのは、それが流通手段へと分化している貨幣金を代理する限りにおいてであり、それゆえ岩井が関心を寄せているインフレーションも発生しうるのである。
　また、流通手段として機能している銀行券が、兌換券であれば、金を代表し、不換になれば、金を代表しない、という考え方も、不換国家紙幣が、流通手段としての金を代行してきたことを考慮すれば、正当なものではないことが判明する。
　そこで問題は、貨幣商品たる生身の金が、経済現象の表面から姿を消してしまっているにもかかわらず、それが貨幣として機能していることを示すことができるかどうか、というところにある。
　さて、貨幣の機能を理解するためには、現実に機能している通貨などの諸手段に注目してもはじまらない。商品の貨幣形態こそが分析の出発点におかれるべきである。この貨幣形態は、貨幣金が一般的等価物として、全ての他の諸商品と関係している形態である。貨幣の価値尺度機能は、実はこの貨幣形態から生じているのである。
　一商品金が貨幣形態をとるのは、他のあらゆる諸商品が金で自分の価値を表現し、そしてこの金が社会的慣習によって、一般的等価物として固定化されることによってであった。貨幣金の価値尺度機能は、他の諸商品が金を価値表現の材料とすることにもとづいている。従って、価値尺度としては、金は現実に存在していなくとも機能しえた。ところが、価値尺度として機能するためには、金がすでに貨幣としての定在を獲得していなければならない。金が貨幣であることが、金の価値尺度機能に先行していなければならない。こうして、商品世界から貨幣がどのようにして形成されるかについて解明しなければならない地点に到達した。

価値形態と貨幣

　貨幣の形成について『資本論』では交換過程論でとりあげられている。ただ、価値形態論と交換過程論との関係をめぐってなされた宇野弘蔵と久留間鮫造との間の論争が、『資本論』現行版にもとづいてなされたこともあり、マルクスの貨幣形成論はいままで謎のままであった。
　現行版の交換過程論はほとんど書きなおされてはいないのに、価値形態論の方は大巾に書きなおされていることを考慮すれば、価値形態論と交換過程論との関係について、まともに論じようとすれは、現行版ではなく、初版を用いる必要があること、この点についてはすでに『価値形態・物象化・物神性』（入手方法は末尾に）第三章第一節で証明しておいた。
　マルクスの貨幣形成論について把握しようとすれは、初版の第・形態に注目しなければならない。現行版では第・形態は貨幣形態となっているが、初版では次のような形態が措定されていた。
　20エレのリンネル＝1着の上着、または＝U量のコーヒー、または＝・量の茶、または＝等々。
　1着の上着＝20エレのリンネル、または＝U量のコーヒー、または＝・量の茶、または＝等々。
　U量のコーヒー＝20エレのリンネル、または＝一着の上着、または＝・量の茶、または＝等々。
　・量の茶＝等々。

　この形態は、直接的には、一般的な等価物となっている商品の相対的な価値表現の形態である。個々の系列は第・形態と同じであるが、ここではそれが商品の数だけの、つまり無数の系列となってあらわれている。ということは、実はこの形態は、どの商品もが、自らを一般的等価物として位置づけた場合の商品世界の様想を表現していることになる。岩井の「思考実験」とは異なり、一般的価値形態（第・形態）を転倒させれば、第・形態へと帰るのではなくて、この初版第・形態となるのであり、この形態は無数の系列への商品世界の分岐であって、そこでは統一的な商品世界は解体されている。商品で貨幣を買うことの困難性がここに示されている。
　さて、貨幣形成論に必要な限りで、価値形態の発展についてふりかえってみよう。Xエレのリンネル＝y着の上着、という簡単な価値形態（第・形態）は、リンネルはその他多くの諸商品との関連の例のなかから代表としてとり出されたものだから、それは自ずから全体的な価値形態（第・形態、先に示した第・形態で現われている系列の一つと同じ）に転化する。
　この全体的な価値形態の逆関連を表現すれば一般的価値形態（第・形態）が得られるが、このことは、全体的な価値形態のうちには、一般的価値形態が含まれていることを意味している。それは次のように表わされる。

　　　　　1着の上着　　　＝
　　　　　U量のコーヒー　＝　　20エレのリンネル
　　　　　・量の茶　　　　＝
　　　　　　等々　　　　　＝

　この第・形態をさらに転倒させたものが第・形態であった。商品世界で考えられうる価値形態のタイプにはこの四種しかありえない。
　簡単な価値形態の分析でマルクスが示したことは、そこではリンネルが自らの価値を上着で表現して上着にリンネルとの直接的変換可能性という経済的力を与え、こうして上着に、等価物という経済的形態規定を与えたことであった。だがこの簡単な価値形態では価値表現は個別的であり、偶然的であって、価値の社会的性格は明示的には示されてはいなかった。
　ところが第・形態になると、リンネルは色々な諸商品で自らの価値を表現し、こうして価値なるものが個々の商品の使用価値とはかかわりのない、同等な人間労働であることが明示されてくる。とはいえこの形態の欠陥は、リンネル以外の諸商品がお互いに関係する形態をもてないところにあらわれている。例えば上着がリンネル以外の諸商品と関係を結ぶとすれば、それはリンネルの価値表現とは別の系列として上着の価値表現の圏を形成しなければならず、そうなれば種々の商品の価値表現の系列が立つ第・形態と一致してしまう。だから、第・形態のうちでは、上着は茶との関係をもつことができない。
　そこで第・形態をみると、ここでは諸商品が単一の商品で価値を表現することによって、単一の商品を社会的に価値の化身とし、この一般的等価物との関係を結ぶことによって、個々の商品が、それぞれ一つの統一的な社会的関連のうちにあることを示している。だがこの形態を転倒した第・形態になると、すでに述べたように、第・形態を構成要素とする多元的商品世界群となり、統一的な社会的関連は失なわれる。
　こうして、商品の価値形態を分析したマルクスは、第・形態たる一般的な価値形態においてのみ、諸商品が単一の商品で価値を表現することによって、その商品を一般的等価物とし、そしてこれと関係することによってお互いに商品として関係しあうことが可能となることを示したのであった。

交換過程と貨幣の形成

　商品世界は現実には諸商品の交換過程としてある。交換過程では諸商品に意志を宿す人格＝商品所有者たちが登場してくる。物象の人格化がまだなじみ深いものではなかった時代には、商品所有者の欲望を抜きにしては、価値形態論を理解することはできない、という宇野弘蔵の説にも一定の目新しさがあった。しかし、今日では皆、自分達の魂が何ものかに支配されているという感覚をもつに到っている。宗教ブームはこうした精神的風土を土台としている。マルクスの価値形態論は、このような精神的風土を切開するものとしての意義をもっていることに注目すべきである。
　さて、物象に意志を支配されるには到っていない商品所有者たちからなる交換過程を想定してみよう。そこでは商品所有者たちは、誰でも自分の商品で他の全ての諸商品を買おうとする。つまり、この場合商品所有者たちは自分の商品を一般的等価物にしようとしているのである。ところが全ての商品所有者がそうするから、どの商品も一般的等価物にはなれない。ここで描かれる世界は、初版第・形態の世界である。
　マルクスが交換過程論で述べている困難とは実はこの初版第・形態を念頭においたものである。商品所有者たちが自立的な意志で行動する限り、諸生産物は商品に転化することができない。
　「わが商品所有者たちは当惑して、ファウストのように考える。太初に行為ありき。かくして彼らは、考えるよりも前にすでに行動したのである。商品本性の諸法則が、商品所有者たちの自然本能において自らを実証したのだ。彼らは、彼らの諸商品を一般的な等価としての何らかの他の商品に対立的に連関させることによってのみ、それらを価値として、したがってまた商品として、相互に連関させることができる。このことは商品の分析によって明らかにされた。だが、ある一定の商品を一般的な等価たらしめうるものは、社会的行為だけである。だから、他のすべての商品の社会的行動が、それらの商品がじぶんの価値を全面的に表示するための、ある一定の商品を排除するのである。かようにして、この商品の自然形態が、社会的に妥当な等価形態となる。一般的な等価たることが、社会的過程によって、その排除された商品の独自的・社会的な機能となる。かくしてその商品は――貨幣となる」（『資本論』・、七八頁、河出書房新社版）
　商品世界が統一的な社会的関連をとり結ぶことができるのは、第・形態においてのみであった。諸商品は共同行為をなすことによってのみ、社会的な形態を獲得することができたのである。生産物が商品となるためには、第・形態を実現しなければならないこと、これが商品の本性であり、概念であり、魂であった。
　この商品に内在する本性が商品所有者たちの意志を把えたとき、商品所有者たちは貨幣形成のための共同行為をなしとげる。その共同行為とは、いうまでもなく、自らの商品の価値を、共同して単一の商品で表現する、ということである。
　貨幣とはこのように、物象が人格化することによって形成されたものである。物象の人格化とは、モノがヒトになる、ということにはちがいないが、もっと立ち入れば、物象のうちに形成されている魂が、人格の意志を支配する、ということである。商品たる物象がもつ本性が人格たる商品所有者たちの意志を支配しえたとき、貨幣が形成される。ここでは人間は、生産物を商品にするとき、意識せずに自分の意志を支配する魂をもった物象を形成しているのであり、そして、物象の魂はこの形成過程において実証されるのである。
　だから、貨幣は交換過程において、商品交換に先立って形成される。貨幣を形成する社会的行為とは、商品交換そのものではなく、それに先立ってなされる共同的価値表現による、商品界からの一商品の排除（この点については楊杖嗣朗『貨幣・信用・中央銀行』同文館出版、第三章参照）なのである。貨幣の価値尺度機能は、商品交換に先立って発揮されている。そうでなければ、商品は価格形態を持つことができない。
　もちろん、商品所有者たちの共同行動がつくりだすものはさしあたっては一般的等価物である。この形態が一商品に固定され、その一商品が貨幣に転化するためには、商品交換の発達とそこでの社会的慣習の形成が必要である。金が貨幣として完成していくためには商品交換の歴史的過程を必要とした。ひとたび成立した貨幣が、どのようにして、商品世界から自立したシステムをつくりだしていくか、ということについてはここで展開するわけにはいかない。だが、このシステムは、今日の商品所有者達の共同行為への参加によって、日々刻々再生産されている点を強調しておく必要がある。そして、新たに共同行為に加わることが、貨幣にとってはその価値尺度機能の発揮なのだから、この機能は流通手段としての貨幣の定在とは無関係であり、金廃貨論が成立しえないことが判明する。

システムとしての貨幣の意味論

　貨幣の形成は交換過程に直面した商品所有者たちが商品の本性によってその意志を支配され、社会的共同行為をとることによってであることが明らかになると、次には、この社会的共同行為が人々の意識にどのような印象を与えるのか、ということが問題となってくる。
　マルクスが「商品所有者の自然本能」と呼ぶこの共同行為は商品所有者たちの自由意志にもとづいたものではありえない。それは、商品に自分の意志を宿した商品所有者が、商品の本性に従って行動したのであるから、しばられた行為である。ところで今日の人間は他人の意志への一方的従属については、意志の自由への侵害と感じるが、自然法則への従属の場合にはそのようには考えない。ここで問題となっているものは商品の本性であるが、これは人々がつくりだしたものであるにもかかわらず、人々の意志から離れ、人々が社会を形成する限り避けることのできない社会的な自然法則としてあらわれている。
　だからこの社会的共同行為は無意識のうちになされる本能的な行為となる。人々は貨幣を形成する、という目的を持たないことはいうまでもなく、貨幣を形成する行為とは一体どのようなものであるかについての自覚をも持ち合わせてはいない。
　そもそも商品形態の謎、物神性は、等価形態の謎性にあった。10エレのリンネル＝1着の上着、という簡単な価値形態にあって、上着という自然物が価値の化身となっていること、これが価値形態の秘密であった。この価値形態の秘密は、人間の頭脳に謎かけをする。等価物として形態規定され、リンネルとの直接的交換可能性を与えられた上着を人間の意識が把えると、この上着の社会的力が、上着の自然にそなわった力であるかのように見えるのである。
　貨幣にあっては、諸商品の共同行為によって、価値表現の材料とされる結果、貨幣商品金が人間労働の直接的化身とされ、他のあらゆる商品に対して直接的交換可能性をもつ。これが商品の貨幣形態の秘密であった。ここに基礎をおいてなされる貨幣の謎かけによって、人間は、貨幣の力を金に自然にそなわる力と把えてしまう。
　貨幣を一つのシステムとして把える、ということは簡単なように思われる。だが種々の貨幣現象総体をシステムとして解明しえた研究者はいまだ出現していない。何故ならば、貨幣現象はいつも、それが一つのシステムの一環としてあるにもかかわらず、個々の現象が自然力として見られてしまうが故にそれ自体で独立して貨幣として機能してしまうように把えられることになるからである。貨幣をシステムとして把える場合の出発点は、言うまでもなく、商品の貨幣形態である。ここでは貨幣は、商品との価値関係というシステムの一環であることが明示されている。ところが、岩井の例を引くまでもなく、商品の貨幣形態を論じた人が、通貨を論じる段になると、通貨が貨幣だと主張してしまうのである。
　通貨は商品流通というシステムの一環であるから、流通手段としての機能を代理者である価値のない紙券（不換国家紙幣）にゆだねることができる。他方、商業流通における通貨として機能していた銀行券が一般流通に入るようになり、国家紙幣の地位を奪って通貨となっていった根拠は、それが利子生み資本のシステムの一環であることを解明することからしか、明らかにならない。
　つまり、貨幣のシステムは、商品の貨幣形態を土台にして、そのうえに種々の貨幣現象を繁らせている。ところが人間にとっては、個々の貨幣現象が、そこで貨幣として機能しているものの自然にそなわる力によるかのように見える。だから、通貨を貨幣と見、通貨には価値はほとんどないから商品ではなく、従って貨幣は商品ではない、といった説が再生産される。
　実際、価値形態の秘密と謎との区別、といった決定的な論点が打ち出されたのはそんなに前のことではなく（武田信照『価値形態と貨幣』梓出版、一九七頁）物象化と物神性のちがいについても理解されるにはしばらくの年月を必要とする、というのが現状なのである。だからそこでは、現象追ずいの論陣を張って、ことのついでにマルクス説の「誤り」を指摘する、といった類の「批評」が学問的な批評として通用してしまっているのである。それはそれで学問及び大学教授の価値を下落させることになるのだから、悪いことばかりではないが。
　今日の多様な貨幣現象を一元的な貨幣システム論として展開すること、この作業はもはや私の手に負えるものではない。レーニンも国家論を書くことよりも国家を廃絶するための実践活動の方がより楽しいといった意味のことを述べたことがあったが、システムとしての貨幣の土台を見定めることができれば、貨幣を廃絶するための実践的展望が見えてくるはずである。

ロシア革命と計画経済の総括

　いま問題にしているものはシステムとしての貨幣である。通貨やその他の貨幣現象は、このシステムの一環である。従って貨幣の廃絶というとき、それは通貨を廃止することではない。それは商品の貨幣形態を廃絶することであり、とりもなおさず、労働生産物を商品に転化することをなくすことなのである。
　資本の廃止は、資本家階級を収奪することによって実現される。このことはロシア革命が証明した。ところがロシア革命以後のソ連邦は商品、貨幣の廃絶を実現することができなかった。ペレストロイカの提起にはじまる市場経済の導入は、商品、貨幣廃絶の試みが失敗したことの帰結であった。
　貨幣の形成が交換過程に直面した商品所有者たちの無意識のうちでの本能的な社会的共同行為によってなされることが明らかにされたいま、ソ連共産党の過去の試みが何故失敗したかは簡単に指摘しうる。「社会主義の下での商品生産論」といった屈服した議論がなされる以前のソ連共産党の公式見解は、社会主義社会を商品・貨幣関係を廃絶した社会と把えるものであった（いま、『情況』誌では、社会主義か共産主義か、というコトバのせんさくがなされているが、ここでは社会主義社会を共産主義社会の第一段階として、それゆえ、社会主義を共産主義を部分的に含むものとしておく）。その場合、商品・貨幣関係を廃絶してゆく力は、国家機関による計画化に求められていた。
　今日では多くの研究者が計画経済の破綻について認めざるを得なくなっているが、この事態を理論的に総括する試みはなされてはいない。商品・貨幣関係、つまりは市場は廃絶しえるものではないが故に、計画経済は失敗した、という説が横行しているが、これは商品の物神性にとらわれた見解であって、理論とはみなせない。そして少くともロシア革命を継承しようと意図するならば、今日露呈したソ連・東欧「社会主義」における計画経済の失敗に対しては、商品・貨幣関係廃絶の実践的展望を明らかにすることによってしか、理論的総括に着手できないのではなかろうか。
　結論を述べよう。貨幣形成の本能的共同行為を国家機関による計画化、つまりは政治や行政といった意志のレベルで廃絶しようとしたことが、最初のボタンのかけちがいであった。本能的共同行為を意志でもって統制したり廃止したりすることはできない。これを廃絶するには、本能的共同行為が無駄なものとなるような諸条件を迂回してつくりだす以外にはない。
　ロシア革命初期のソ連の国家と共産党が、自らの官僚化を阻止しえていたら、ネップの過程で、この迂回路に気づき、それをつくりだせたかも知れなかった。他方で、党と国家の官僚化を阻止するためには、この商品・貨幣廃絶の実践的展望で党を再武装することが不可欠だったとも言える。いわゆる「マルクス・レーニン主義」はこの共産主義運動の新たな綱領的立場を形成しえなかった。
　この見地からすれば、マルクス自身、価値形態論と貨幣論を解明しえた時点で、この理論に従って革命の戦略をねりなおすところまでは進めなかった。従って、革命の敗北の責任をマルクスに負わせることは可能である。しかし、人はそうすることによって、現代革命の課題から逃亡したのである。いま、商品・貨幣のシステム、市場は、地球の生態系の維持という観点からすれば、恐ろしく不経済なシステムとなっている。この事態は資本の蓄積衝動に対してすら、影響を与えるようになってきている。このような時代にマルクスを甦らせることができないような理論家たちは不幸であろう。そして、いまだに国家による計画化を社会主義と考え、ソ連の旧体制を擁護してきた新・旧左翼のなしくずし的社会民主主義への移行は、政治の限界の露呈という意味で、ここで明らかにした総括の実証に手を借してくれているのである。

文化的勢力と社会主義

　商品・貨幣関係廃絶の実践的展望について明らかにすべき地点へと到達した。しかし、そのとき、ある種のとまどいを感じる。貨幣形成の本能的共同行為を意志で統制できないとすれは、他人の意志の領有を原理とする政治は自己変革をせまられる。迂回的な戦略が文化の形成であるとすれは、政治はこの新たに形成されるべき文化を基準としなければならないのである。
　また、政治の自己変革という見地からすれば、前稿（本誌九月号「根源的他者と価値形態論」）の末尾で示唆した思考形態としての社会システムとどう向い合うか、ということも大きなテーマとなりうる。スターリン主義の総括のもう一つの論点として、マルクスやレーニンが社会システムがもつ意志支配力に注意を向けてはいなかったことにも規定されて、反人間的、反プロレタリア的社会システムの下への党の同化が進んだことが浮び上るからである。ところが、この場合は、政治が立脚する場自体への政治的働きかけ、ということになる。
　意志のレベルの問題ならば、民主主義で解決しうる。同意にせよ強制にせよ人は他人との間に政治的意志関係を結ぶことができる。共産主義的政治にあっては論理にもとづく説得が根本であり、感覚への訴えは技術である。ところが文化が問題となると、論理も文化の様式であるので相対化されてしまう。
　こうして過去の文化革命論は、政治でもって文化を創る、という実現不能な事態をスローガンとしていたことがわかる。いまの日本で自然発生的に形成されているものは、商品・貨幣・資本に根をもつ文化であり、ブルジョア文化であるが、これを越えた新たな文化を形成しようとするとき、文化は政治では創れないという政治の限界につき当り、ひるがえって政治の自己変革が課題にのぼるのであるが、政治の基準となるべき新しい文化が未成熟なのである。ある種のとまどいはここに根をもっている。
　言葉による訴えは論理にもとづく説得を基本としている。ところがこれでは新しい文化は創造できない。新しい文化を創造しようとコトバで呼びかけるとき、返ってくるものは異和感である。考えてみるまでもなく、文化とは流行するものであり、染るものである。その伝達手段はパフォーマンスである。とはいえ、これはブルジョア文化の動態であって、歌と踊りで新しい文化が創れると考えるのは甘い。そこで、日常生活それ自体を変え、それ自体をパフォーマンスとして実現する道があるが、これは仙人の修業に似たものとなってしまう。
　そこで残された道は、社会的パフォーマンスを共同で持続して演出しつづける、というものしかないことになる。すでに存在している文化的勢力がこの社会的パフォーマンスの担い手へと成長しうるかどうか、ということが問題である。ここでこの社会的パフォーマンスが一体何であるかは不明でよい。文化的勢力（これについては『価値形態・物象化・物神性』第十章参照）の日常生活それ自体ももちろんパフォーマンスたりえるが、それにとどまってはならないことと、共同して持続しえる運動形態を創出することが要であることが明らかになっておれはよい。
　文化の力はその存在の重力とでもいうべきもので決る。この重力は人の頭数ではなくて、人と人との関係のあり方に規定される。そして、この関係のあり方は自分たちがどのように位置づけているか、ということだけではなくて、他の文化圏の人々がどう見るか、ということをも含んでいる。ということがわかれば、社会的パフォーマンスとは、国家というレベルとは異なる文化圏の形成ということになる。それは国境を越えて形成されてゆくものであろう。世界的規模で展開される社会的パフォーマンスが持続されれば、そこにすでに文化圏が形成されている。（1991．10．14）

Date: 2006/1/5
Section: この15年間をふりかえって文献目録
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