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信用論よもやま話: 信用論よもやま話 第1話 銀行券
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信用論よもやま話 第1話 銀行券



第1話 銀行券

1)地域通貨の生成と貨幣論の流行

2)流行の貨幣論の弱点

3)加藤敏晴のシニョレッジ論

4)ダウスウェイトの商業貨幣論

5)貨幣(商品貨幣)と資本

6)資本と信用(利子生み資本)

7)信用と架空資本

8)銀行券の歴史

9)銀行券とは何か

10)支払決済システムと地域通貨の課題

11)手形の価値は原価でなく額面にある

参考文献

1)地域通貨の生成と貨幣論の流行



 お金は魔物である、という考えは、文学や宗教の世界では昔から語られてきたことでした。イスラム教は今日でも利子を認めていませんが、中世ではキリスト教もそうでした。

 シェークスピアは『アセニズのタイモン』で「黄金か。貴い、キラキラ光る、黄色い黄金か。いや神様!私はだてにお祈りしているんじゃないよ。こいつがこのくらいあれば黒も白に、醜も美に、悪も善に、老も若に、臆病も勇敢に、貧賤も高貴にかえる。」と描いています。

 でも、今回の流行は、地域通貨が成立してきたことで、地域通貨の意義を明らかにしよう、という実践的な動機にもとづいたものとなっています。だから、その内容は、現在の貨幣(マネー)を批判し、それに対抗するシステムをどのように設計するか、という見地からの貨幣論が多くなっています。ざっと出版物をあげてみましょう。



 エンデ『エンデの遺言』(NHK出版、2000年)

 岩井克人『21世紀の資本主義論』(筑摩書房、2000年)

 B.リヒター『マネー崩壊』(日本経済評論社、2000年)

 T.グレコ『地域通貨ルネッサンス』(王の泉社、2001年)

 加藤敏晴『エコマネーの新世紀』(日本経済評論社、2001年)

 NAM『NAM生成』(太田出版、2001年)

 R.ダラニスト『貨幣の生態学』(北斗出版、2001年)

2)流行の貨幣論の弱点



 これらの本でなされている貨幣の批判は、信用貨幣(銀行券や預金通貨など)に限定されているのが特徴です。でも銀行券の発券のシステムについてもちゃんと調べずに中央銀行は、お札を発行すれば、額面と原価との差額をシニョレッジとして丸儲けしている、といった見解を述べてみたり、また、日銀券が通用するのは、相手がそれを信用して受け取るからだ、といった岩井克人説を借りてきたり(後述する加藤敏晴)で、あまり信頼できる議論は見当たりません。多くの論者は、現在のマネー経済が悪いことは解り切っており、だからお金は悪いものだ、という一方的な見地から、マネー経済の現実を切ってしまうことで満足しているようです。

 このような一方的な批判が可能なのも、現実のマネー経済とは別の地域通貨のシステムが生まれているからです。しかし、現実のマネー経済のシステムをちゃんと捉えないと、それに代わるものとされている地域通貨のシステムもきちんと設計できないでしょう。多くの議論は現実のマネー経済はこんなにひどい、ということを述べ、そしてそれに代わり得るこんなに良いシステムがあります、ということで地域通貨を提案することで終わっていますが、お金を銀行券から地域通貨へと変えただけでは何も起こりません。肝心なことは、地域通貨への信頼をどのようにして作り出すか、ということです。

 1997年に日本銀行法が改正され、翌年から施行されましたが、それにともない日本銀行についての新しいテキストが出版されています。また、貨幣の批判も、日銀券などの信用貨幣そのものの批判からさらに進んで、マネー経済や金融システムの検討へと向かわなければならないでしょう。とりあえず、次の2冊のテキストをあげておきます。



 日本銀行金融研究所『新しい日本銀行』(有斐閣、2000年)

 建部正義『はじめて学ぶ金融論』(大月書房、1999年)

3)加藤敏晴のシニョレッジ論



 加藤は、シニョレッジを合法的な錬金術と捉え、次のように述べています。

 「ウェブスター辞典においては、『シニョレッジ』は『貨幣の表示金額と原価の差額』と定義されている。現在の貨幣システムにおいては、『シニョレッジ』は国家の通貨当局が独占しているが、例えばアメリカでは、100ドル紙幣を印刷し発行するのにかかるコストは、3セントといわれている。ということは、100ドル紙幣を発行することにより、100ドルと3セントの差額である99ドル97セントが通貨当局の収益となる。

 これが法律によって国家に独占的に与えられているわけであり、いわば合法的な錬金術である。」(『エコマネーの新世紀』11~12頁)

 シニョレッジについての説明は、リチャード・ダウスウェイトの『貨幣の生態学』でなされていました。それによれば、金貨や銀貨のような鋳貨の場合は、まぜものをすることでシニョレッジを最大にすることができる、という。確かに、金貨や銀貨の場合、それ自体価値物だから、悪貨を発行すればその分国家は利益を得ることが出来ます。しかし、国家紙幣の場合、国家がそれで何か商品を買ったとしても、やがてそれは税金の支払に使われて国庫に環流してくるでしょう。そうなると、せっかくのシニョレッジはゼロになってしまいます。

 さらにこれを現在の中央銀行券にあてはめると、もっと変なことになります。現在日銀は日銀券の印刷を大蔵省の造幣局に依頼し、そして、必要な費用を支払って日銀の金庫にしまわれます。でも、日銀が銀行券を発行するのは、市中金融機関との間の信用取引によります。国家が日銀券を使って自由に買い物が出来るようにはなっていません。国家が日銀券を自由に使おうとすれば、国債を発行しなければなりませんが、現在では、国債の日銀引き受けは禁止されており、いったんは市中金融機関に対して売らなければなりません。

 日銀による国債引き受けは現在政府が調整インフレを起こそうと、日銀に強要しています。国債を日銀が直接引き受けることになれば、国家は通貨の発行者である日銀から直接銀行券を受け取ることが出来ることになりますから、日銀券は銀行券と記名されていても、国が発行する国家紙幣と同じものになってしまいます。銀行券が銀行券(信用貨幣)たりうるのは、その発行が、民間の信用取引にともなってなされることによります。国債を日銀が引き受ければ、このルールを破ることになり通貨の発行量に歯止めがなくなって、悪性インフレを引き起こすことになるのです。

 さて、市中の信用取引を土台にして、日銀は市中金融機関との間での信用取引の結果として、日銀券を発行するのですが、信用取引とは、お金の貸借ですから、日銀が日銀券を発行することは貸付けになります。これは当然一定期間後には返済されますから、日銀券は日銀に環流してきます。加藤さんがもらった、と思ったシニョレッジは日銀券が帰ってくることで無に帰してしまいます。しかも帰ってくるだけではありません。だいたい10回位回転すれば、お札としては使えなくなり、処分してしまわなければなりません。シニョレッジどころか、日銀はお金を廃棄してしまうわけですから、加藤さんの理論に従えば、それは丸損だ、ということになってしまいます。

 加藤さんの議論はどこかおかしいのです。お札そのものに価値があると考えているようですが、日銀券が価値をもつのは、一定の社会関係の中だけなのです。だから、印刷されて日銀の倉庫に保管されている未発行の日銀券には価値はないし、また、日銀に環流してきた日銀券も、それが再度出て行かない限り、価値はないのです。でも、金庫にしまわれいる金地金は別です。これはそれ自身価値物であって、準備金として日銀に保管されている間も価値を失いません。

4)ダウスウェイトの商業貨幣論



 ダウスウェイトの『貨幣の生態学』は第1章が商業貨幣から始められていて、きちんとした信用貨幣論が展開されているのではないかと、大いに期待をもたせました。確かに、貨幣といえば中央銀行券(彼はこれを政府貨幣に分類している)しか念頭におかない論者に対して、商業銀行の当座貸越しによる信用創造が貨幣の創造であることを明らかにしたことは大いに評価されるべきです。

 しかし、ダウスウェストの議論は、銀行が受けた預金以上に貸し付けることは出来るということを証明しているだけで、銀行信用が成立しうる土台については全然触れていません。そして、商業貨幣への批判は、借入れにによる貨幣の創出が「経済システムを根本的に不安定なものにする」(38頁)ということにつきているのです。つまりこのような貨幣が流通していると「貨幣が流通するその仕方ゆえに、私たちの経済システムは常に成長またはインフレを必要としている」(41~42頁)がしかし、「継続的な拡張が、人間社会と自然界の双方に損害を与えている」(42頁)というのです。とまれ、ダウスウェストは6点にわたって商業貨幣の問題点をあげているので、それを紹介しておきましょう。



「現在の貨幣創出システムにおける問題点は、次のように要約できよう。

1、このシステムは、非常に不安定な経済環境を形成する。

2、このシステムは、破綻しないためには常に成長しなければならない。

  したがって、持続可能性とは両立しない。

3、このシステムは、協同よりも競争に向かう傾向がある。

  流通する貨幣が限られているので、人々および企業は生き延びるために競争してそれを獲得しなくてはならない。

4、貨幣は、それは使われるコミュニティの外で創出される。

 したがって、貨幣を得るためには、物やサービスをコミュニティから創出するか、借金するしかない。これは地域の自立を蝕む。

5、このシステムが供給する貨幣は、それが必要な時に必要とされるだけを使用者によって創出されるのではない。その代わり、インフレがコントロールされていると中央銀行が考える限り、利益を追求する組織が使用者のために創出するのである。

  したがって、人々が自らのニーズを満たし得ない、不足が発生する。

6、商業銀行が創出した貨幣は、何ら実体のあるものを表していない。

  よって、この貨幣を使う経済システムは、供給不足の資源を現在と将来の使用に配分する方法としては効果的ではない。世界的に最も希少な資源を現時点で評価できるような貨幣システムを開発する必要がある。

 そうすれば、貨幣を節約しようという人々の自然で日常的な努力が自動的にその稀少資源を保護することになろう。」(54~55頁)




 このようにダウスウェイトの貨幣システムに対するスタンスは、現行のシステムの問題点を列記した上で、そのような問題点を解決しうる貨幣システムが他にあり、色々な貨幣システムを組み合わせていこう、という提案をしようとするものです。

 でも、このような見解もどこかおかしい。貨幣システムは貨幣システムとして自立しているのではなく、今日の社会における商品交換や信用取引という全体の中での部分システムです。だから、貨幣システムを変えればうまくゆく、という提案は、多分実現できないでしょう。というのも、商品交換や信用取引、さらには、生産の仕組も含めて変えていかなければならないからです。

 ということは、つまり、銀行券や預金通貨などの信用貨幣とは一体何か、ということを知り、それが生産や交換のシステムとどのように連結しているか、ということを明らかにすることが問われていることになります。

5)貨幣(商品貨幣)と資本



 商品流通で現われる貨幣を信用貨幣や貨幣資本と区別するため商品貨幣と呼ぶことにしましょう。商品貨幣はまず商品の価値を表示します。これは、貨幣の価値尺度機能と呼ばれます。次に、商品貨幣は商品交換を媒介します。物々交換とはちがい、商品交換は、手持ちの商品を売って一たんは貨幣の形態にし、その貨幣で必要な商品を買う、というように進みます。貨幣のこのような機能は流通手段と呼ばれます。第三に、貨幣はあらゆる商品に対する購買力であり、社会的な富の化身ですから、価値の保存の手段となります。肉や野菜なら日がたつにつれて劣化し、価値を失いますが、金貨なら価値が保存できるのです。この第三の機能を貨幣としての貨幣と呼びますが、この機能で、貨幣は債務に対する支払手段となり、また、金貨の場合は、溶かされて金地金にすることで、国際取引を媒介する世界貨幣として機能します。

 この商品貨幣は、商品所有者たちの無意識のうちでの本能的共同行為によって、日々生成されています。貨幣については別の機会に話しますので、ここでは、商品所有者たちが自分の商品に価格をつけることで、そうと知らずに金でじぶんたちの商品の価値を表示するという共同行為に参加しており、そして、この共同行為が金に貨幣として力を与えるのだ、ということだけを述べるにとどめておきましょう。

 さて、この商品貨幣は何でも買う力がありますから、労働者の労働力をも買うことが出来ます。他人を雇用して商品を生産する企業がここに成立します。企業家が商品を生産して販売し、利潤を得るようになると、ここでの貨幣は、循環しながら自分の価値を増やすようになります。自己増殖する価値としての貨幣は資本と呼ばれます。

 今日では資本家の企業が社会の生産の大部分を引き受けていますから、多くの貨幣が資本として機能していることになります。そればかりでなく、貨幣としての資本が売買されることも一般化しています。貨幣としての資本が売買されることを資本の商品化と呼びます。この売買は、一般の商品交換とは異なって、貸借関係です。資本を買った人は代価として利子を支払いつつ、一定期間の後に資本を返済しなければなりません。商品を買った人は、代価を払えばその商品を消費できるのですが、資本を買った場合、一定期間資本の使用権を得るだけになります。この点は、労働力を場合と似ています。企業家は労働力を買うことで、一定時間の労働力の処分権を得るだけだからです。

6)資本と信用(利子生み資本)



 企業家が労働力を買うのは、労働者の労働が商品の生産に必要だからでした。では、資本を買う人は、何を目的とするのでしょうか。手持ちはないが企業家の才能のある人が居たとします。彼なら資本を借りて利子を払いながらも企業家としての利得を得られるでしょう。貨幣の所有者は、企業家に貸し付け、企業家はその貨幣を資本として機能させ、利潤を獲得したあと、利子を付けて貨幣の所有者に返済する、このような貨幣の循環が新しく生まれました。このように循環する貨幣を利子生み資本と呼びます。

 企業家が労働者を雇って商品を生産する、このようにして貨幣を資本に転化する様式は産業資本と呼ばれます。産業資本が登場する以前から、利子生み資本は、高利貸という形で存在していました。中世では外国貿易に携わっている商人資本が蓄積した富を貸し付けることが普及していきます。この他に商人資本は外国為替の業務にも習熟していきます。こうして商人資本は貨幣取扱業の機能をもつようになってきます。

 利子生み資本や商業資本、さらには貨幣取扱業といった先資本主義時代に生み出されていた信用業務を土台にして、産業資本が出現しました。産業資本は個別企業が部門別に連鎖を作っています。例えば、綿業では、原綿から糸を紡ぎ、布にし、さらにそれを仕立ててシャツを製造しますが、この一連の工程はそれぞれ別の企業によって担われていました。にもかかわらず、原料である綿の流れは連続しており、その流れとは逆方向に貨幣の流れがあります。シャツが最終消費財だとしますと、シャツを売った代金が上流の企業に流れていって、綿花の栽培業者まで流れていけば取引は完結しますが、中間業者は、代金を回収する前に原料代の支払を済ます必要があります。中間業者がこの運転資金を節約するために6ヶ月後に支払いますという約束手形を振り出して原綿を買ったとしましょう。ここに債権者と債務者の関係が生まれますが、これを商業信用と呼び、手形は商業流通(企業家どうしの取引)を媒介する信用貨幣となります。

 他方で、企業家が商人資本家から貨幣資本を借り入れて、事業を始めるというケースも生まれます。この場合、利子生み資本は、産業資本家に貸付けられるものとなり、中世の貴族や農民に対する貸付けが今日のサラ金のように消費のためだったこととは根本的に異なった、生産のための貸付けという新しい性格を獲得します。貸付けを行う貨幣資本家は、企業家の口座をつくり、企業がやるべき貨幣取扱業務を引き受けることで、口座の振替や預金を引き受ける銀行家になっていきます。

 こうして近代になって、産業資本が発展するに伴って、過去の信用業が銀行を中心とする新しい信用制度へと再編されていきます。銀行信用と呼ばれる当座預金の口座を利用した貸付けや銀行券による商業手形の割引などが一般化し、やがて銀行券は金貨に代わって一般流通(最終消費財の市場)で使われるようになります。

7)信用と架空資本



 商業手形は、振り出した企業家が一定期間後に貨幣を支払うことを約束した債務証券です。この債務証券が貨幣の代わりに商業流通を媒介していきます。ところで、手形を受け取った中間業者は、それで上流の企業家に支払っていくのですが、支払約束日を待たずに現金が必要な場合もあり得ます。手形では原料は買えますが、労働者の賃金の支払には当てられません。この商業手形の限界は、銀行が銀行券を発行して、手形を割り引いたときに突破されます。銀行券は持参人に金貨を支払うことを約束した銀行の債務証書ですから、金貨と同様に流通手段としても機能することが出来ます。他方、銀行は、商業手形を割り引くことで貸付け利息収入を得ることが出来ます。

 ところで、この債務証書である商業手形は、銀行によって割り引かれることで、この債務証書自体が商品化したことになります。先に見た貨幣資本を産業資本家が借り入れる場合には、貨幣資本は、現実の生産過程で現実資本として機能するのですが、商業手形の場合は、この現実資本の影に他なりません。ところがこの債務証書は、将来に実現される価値の請求権であり、これを資本と見なして買う銀行が現われることで、新らしく架空資本と呼ばれる資本が生成されていきます。債務証書に投資する、ということが一般化し、金融市場が発達していきます。これとは別に、株式会社が生み出され、株式市場が開かれることで、出資証である株式が売買されるようになります。この場合も最初の出資者の出資金は現実資本に固定されていますが、株式が売買されることで、それが架空資本に転化していきます。さらに国債は、政府の債務証書であって、それは決して現実資本に固定されるわけではないのですが、この債務証書も架空資本として売買されます。

 信用制度の発達によって、金融市場では現実資本の額よりも架空資本の額が多くなり、利鞘稼ぎを目指した投機取引が盛んに行われるようになります。こうして資本の商品化とともに架空資本の増大が起きてきます。この動きは、1972年の国際通貨ドルの変動相場制への移行によって外国為替市場にも波及してきます。為替相場の変動によるリスクを避けるため、種々の先物取引などのヘッジが試みられてきましたが、コンピューターの発達により国際金融市場がオンラインで結ばれることで、為替差益をめざした投機取引が外国為替市場で急速に拡大してきました。1980年代半ば以降のことです。ヘッジファンドなどが展開するデリバティブは、巨額の資金を移動させますが、そのために1997年に始まるアジア経済危機に見られるように投機資金の移動が各国の現実経済に大きな打撃を与えるようになってきました。従来、架空資本は、現実資本を調達するための手段でしたが、ここに来て架空資本の取り引きが巨大化することで、現実資本の蓄積を阻害する要因に転化してきたのでした。こうして、今日のお金の動きはおかしいということについて、人々が実感し始め、お金について考えようという動きが出てくることになったのです。変動相場制に移行して20年近く立った現在では、信用制度も大きく変化し、銀行の役割も変わってきています。そのへんの事情については別の機会にとりあげることにしましょう。

8)銀行券の歴史



 銀行券の話をするのに、随分回り道をしてきましたが、いよいよ銀行券の歴史を振り返ってみましょう。銀行券の始まりは、金細工を生業としていた金匠(ゴールド・スミス)が発行した金の預り証だったといわれています。金匠は職業柄、大きな金庫を持っていましたので、金細工を頼む人だけでなく、余分の金貨をもっていた人たちが保管を頼むことが増えていったのです。そのうち、金を預けた人たちが金匠の預り証で支払をするようになりました。これは支払われる側にとっても、金貨を運ぶ手間が省け、保管の必要もないので広まっていきました。

 やがて、金匠は預金を受け付けて銀行券を発行するだけでなく、銀行券で貸付けを行う銀行業へと転換して行きます。商業手段を銀行券で割引くことで貸付け業務が増大していきます。このようにもともと銀行券は商業銀行が自由に発行していました。それは銀行の債務証書であり、銀行が持参人に金貨を支払うことを約束した兌換券でした。

 ところで銀行は、受け入れた預金以上の金額の銀行券を発券しても業務に支障をきたすことはありません。というのも全ての預金が払い出されることはまずないからです。普段はそれでいいのですが、好況が続いて貨幣の量が増大し、銀行券の発行も増大していったときに、突然恐慌になり、支払の連鎖が断ちきられると、銀行券を金貨に代えようと大勢の人々が銀行に押しかけることになります。恐慌のたびの取付け騒ぎを経験するなかで、次第に銀行券の発券が不安定な商業銀行から、より信用できる中央銀行に一元化されるようになってきます。

 中央銀行も兌換紙幣でしたが、、1929年の世界恐慌を契機に金本位制が管理通貨制度に移行したことにともない、不兌換紙幣となって今日に到っています。それで、不兌になるということは、銀行券の不渡手形化だ、ということで、銀行券はもはや信用貨幣ではなく、国家紙幣に転化している、という説もあらわれるようになりました。

9)銀行券とは何か



 すでに見てきたように、貨幣には色々な機能がありました。その機能は貨幣そのものの力のように見えますが、しかし、その力は、貨幣がおかれている経済的関係によって生じてくるのでした。貨幣が資本として機能するには産業資本という経済的関係が必要ですし、利子生み資本として機能するためには、信用制度が必要です。

 このような事情を考慮すれば、日銀券といってもそれが日銀の金庫に眠っているときと、市中金融機関がもつ日銀の当座預金を引出すことで発行されて、市中金融機関の手に移行した日銀券と、それを企業が預金を引出して、労働者に賃金として支払い、その結果、労働者の手にある日銀券とは同じ信用貨幣といっても異なった機能をはたしていることになります。

 日銀の金庫の中では、日銀券はただの印刷物ですが、市中金融機関が日銀からの借入れにもとづいて発行された日銀券を受け取れば、それは信用貨幣として日銀に利子をもたらす貨幣資本として機能しています。また、市中銀行から企業が賃金支払のため当座貸越しを受けては銀行券を引出すとすれば、これも利子を生む信用貨幣として機能しています。ところが、賃金として支払われてしまうと、日銀券は一般流通に入り、商品交換を媒介する流通手段となります。

 ですから、一般流通にある日銀券を考察して、そこから信用貨幣の特徴を見つけようとすることほど、的外れなことはありません。日銀券の価値は1万円券で21円位なのに、1万円の商品が買えるのは何故か、という質問がよくされますが、商品流通を媒介する流通手段としてなら、国家紙幣のようなそれ自身の価値がほとんどない物でも用が足りるのです。そして、今日国家紙幣よりも中央行券の方が採用されている理由は、それが、日銀に対する市中金融機関の預金証だからです。確かに兌換が停止されていますから、日銀券を日銀に持っていっても商品貨幣である金と代えてくれませんが、市中金融機関は日銀券で、日銀にある当座預金を増やせますし、日銀からの貸付けも返済できるのです。

 市中銀行は小口の預金を集めて企業に貸付けをすることで利鞘を稼ぎますが、日銀から借りて、それを企業に貸付けて利鞘を稼ぐこともできるのです。日銀が貸付けの形で発行した日銀券は日銀の債務証書ですが、市中銀行にとっては日銀の債務証書は日銀への負債を返済する預金証としての意義をもっているのです。ですから、中央銀行券は、国家が勝手に発行できる国家紙幣よりもより大きい信用力をもっているのです。

10)支払決済システムと地域通貨の課題



 一般流通で流通手段として機能している日銀券ではなく、信用取引を媒介している日銀券に注目してみましょう。

 今日でも手形交換所というものがあるのをご存知でしょうか。取引高は昔に比べてずいぶん減少してしまいましたが、これは企業が発行した手形を銀行が割引き、手持ちの手形が満期になったときに、企業が取引している銀行に手形を渡して現金を受け取る(口座振替)仕組です。現金なら口座振替で済むのですが、手形は私文書ですから、これを振り出した企業にまで環流させねばなりません。それで、このようなシステムが今でも残っているのです。

 これに対して、日銀券もある種の手形ですが、各金融機関が日銀に口座をもち、これを日銀ネットとしてオンラインで結ぶことで、瞬時に口座振替ができるようになっています。そして、当座貸越しといった形で信用創造し、預金通貨と呼ばれる信用貨幣を発行できるのも、いわゆる支払決済システムの機能を銀行がもっているからです。

 もし、あらゆる取引がオンラインの支払決済システムで可能なら、信用貨幣は日銀券という手形の形をとる必要はなくなります。しかし、外国の通貨があり、また、オンラインの支払決済システムをつくるには費用がかかりますから、現実にはノンバンク企業が手がけているクレジットカードやまたプリペイドカードの領域にとどまっています。このやり方では与信やカードの発行で儲けることができますから、支払決済システムづくりの費用を捻出することが可能なのです。

 そこでもう一歩考えを進めて、一般流通で支払決済システムを使った取引は可能になるでしょうか。地域通貨のうち、口座を開設するLETSはこれに当ります。コンピュータの登場とインターネットの成長によって口座管理やメニューの作成が安価に出来るようになりました。そして、日本でもこのシステムはいくつか誕生しています。これは今日の信用制度がつくり出している支払決済システムに代わるもう一つの支払決済システムですが、地域通貨が本当に根付いて行くためには、その土台に支払決済システムを広げていき、それを活用した取引を増大させていく、という活動が問われていると思われます。

11)手形の価値は原価でなく額面にある



 さて、ここまで聞いて下さった方には、日銀券が何故信用されるか、ということについてわかっていただけたと思います。日銀券が原価21円なのに、1万円の商品が買えるのは、それが約束手形であり、市中金融機関が保有する日銀に対する預金証だからでした。もともと、小切手にしても約束手形にしても、その紙券の原価が問題なのではなく、その紙券に記入されている金額が問題でした。未記入の約束手形に、10万円と記入されればそれは10万円の価値をもつし、1億円と記入されれば1億円の価値をもちます。信用貨幣は基本的には手形ですから、その紙券の原価ではなく、記入された額面だけの価値をもつわけです。このことは、預金口座に記録される数字と同じ事です。

 岩井克人さんは、原価21円の日銀券で何故1万円の買い物が出来るのかについて証明しようと試み、結局は相手がこれを受け取るからだと述べています。でも日銀券の価値は原価にあるのではなく、記入された額面にあるのです。1万円札は市中金融機関の保有する日銀に対する預金証ですから、原価21円であろうと、1万円の価値をもっています。だから、相手はこれを受け取るのです。これが、日銀券が一般流通で流通手段としての貨幣の機能を果せる根拠です。兌換が停止されていても、預金が出来るのですから、不渡り手形とはみなせないでしょう。実際、1万円札を市中銀行に預ければ預金が出来ます。岩井さんもずいぶん変な議論をしていたのですね。

参考文献



 本文であげたものの他、銀行券の研究について役に立つ本を上げておきます。

 1)『イギリス信用貨幣史研究』楊杖嗣朗 九大出版会

 2)『貨幣・信用・中央銀行』楊杖嗣朗 新評論

 3)『資本論』マルクス

 『資本論』の主要目次と貨幣論とのつながりについて参考資料として次にあげておきます。

 4)『資本論体系』第6巻 有斐閣 研究者の研究論文の紹介があります。

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Author: admin Published: 2006/11/27 Read 3673 times   Printer Friendly Page Tell a Friend