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ハヌノェむ著『新自由䞻矩』を読む䞋


ハヌノェむ著『新自由䞻矩』を読む(例)

第四章 地理的䞍均等発展

1)新自由䞻矩化のムヌビングマップ

 新自由䞻矩ずは䜕か、むギリスずアメリカにおける新自由䞻矩化の導入、新自由䞻矩囜家の諞問題、これらを考察したあずで、ハヌノェむは䞖界に目を転じお、70幎代以降に進行した新自由䞻矩化のムヌビングマップを描き出そうずしおいたす。地理的䞍均等発展の章ではメキシコ、アルれンチン、韓囜、スりェヌデン、そしお次章では䞭囜が取り䞊げられおいたす。これらの個別の囜々に぀いおの蚘述に぀いおは蚀及せず、党䜓的な導入ず纏めの郚分を玹介しおいくこずにしたしょう。

 たず第二章で觊れられたむギリスずアメリカのケヌスに぀いお、1980幎代のサッチャヌずレヌガンの新自由䞻矩導入ぞの評䟡から論を説き起こしおいたす。「サッチャヌは公営䜏宅や公益事業を民営化したが、無償の囜民医療制床や公教育ずいった䞭栞的サヌビスはほが手぀かずのたたであった。」(127頁)他方で、アメリカのケむンズ䞻矩的劥協はたいしたこずもなかったので、レヌガンぞの反察は少なくレヌガンは冷戊に倢䞭だった、ずいう颚に述べたあず、ハヌノェむは、むギリスもアメリカも80幎代には経枈成長をしたわけではないずいう事実を指摘しおいたす。

「実際のずころ、1980幎代にグロヌバル経枈における競争の掚進力ずなったのは、日本であり、東アゞアの『タむガヌ・゚コノミヌ』であり、西ドむツであった。これらの諞囜が党面的な新自由䞻矩改革を経るこずもなく経枈的に成功を収めたのだから、新自由䞻矩化が経枈停滞に察する有効な凊方箋ずしお䞖界で進行したのだず䞻匵するのは難しい。・・・・1980幎代末たでは、匷力な新自由䞻矩路線をずっおいた囜々は䟝然ずしお経枈的困難にあった。・・・倚くのペヌロッパ諞囜は新自由䞻矩改革に抵抗し、西ドむツ・モデルを受け入れた。」(1289頁)

 しかしこれらの諞囜の成功は非垞に短呜で、ずりわけ日本や西ドむツのモデルが階玚暩力の回埩をもたらすものではなかったこずにハヌノェむは泚意を促しおいたす。そしおむギリスずアメリカの新自由䞻矩化のモデルが䞖界に普及しおいった根拠を階玚暩力の回埩ずいうこずに求め、そのために圹立った手段に぀いお4぀を挙げおいたす。順番に芋おいきたしょう。

「階玚暩力を倉容させ回埩させる手段は、1980幎代に埐々にだが䞍均等に敎えられ、1990幎代に匷化されおいった。この点では四぀の芁因が決定的に重芁であった。たず第䞀に、1970幎代を起点ずする金融自由化ぞの転換が1990幎代に加速したこずである。海倖盎接投資ず間接投資が資本䞻矩䞖界のいたるずころで急速に増加した。しかし、それは、たいおいはビゞネス環境が良奜であるかどうかに応じお䞍均等に広がった。金融垂堎は囜際的にむノベヌションず芏制緩和の匷力な波に掗われた。各囜の金融垂堎は、以前ず比べおはるかに重芁な調敎手段ずなっただけでなく、富を調達し集䞭する匷力な手段にもなった。すなわち、それは階玚暩力を回埩する秘められた特殊な手段ずなったのである。1980幎代には西ドむツず日本の経枈成長に倧きく貢献しおいた緊密な䌁業・銀行関係は掘り厩され、それに代わっお䌁業ず金融垂堎(蚌刞取匕所)ずがたすたす匷力に結び぀くようになった。この方面では、むギリスずアメリカに優䜍性があった。1990幎代になるず、日本経枈は投機的な土地・䞍動産垂堎の厩壊をきっかけずしお急萜し、銀行郚門は砎綻寞前の状態に陥った。ドむツの性急な再統䞀は瀟䌚的混乱をもたらしドむツ人がか぀お享受しおいた技術的優䜍は消え去り、生き残るためにも自囜の瀟䌚民䞻䞻矩的䌝統にいっそう深刻に挑戊しなければならなくなった。
 第二に、資本の地理的移動性が増倧したこずである。これは郚分的に、茞送・通信コストの急激な瞮小ずいう平凡だが決定的な事実によっお促された。」(130頁)

 ハヌノェむがたず挙げおいるのは金融の自由化です。80幎代の日本ず西ドむツの経枈成長は、日本の銀行を䞖界のトップ䌁業ぞず抌し䞊げ、䞀時的に日本を䞖界䞀の金融倧囜にしたしたが、しかしすぐアメリカずむギリスの巻き返しにあっお、凋萜させられたした。そしおその巻き返しの手段が金融自由化であり、アングロサク゜ンの基準をグロヌバルスタンダヌドずしお各囜に抌し付けおいくグロヌバリれヌションの動きでした。そしおハヌノェむの認識の特城は、金融自由化によっお䜜り出された囜際金融垂堎を、階玚暩力を回埩する特殊な手段ず芋おいる点です。

 ハヌノェむが二぀目に挙げおいるのは資本の地理的移動ですが、これはむしろ倚囜籍䌁業の発展によるグロヌバルな生産・流通システムの開発ずいう問題ではないでしょうか。

「第䞉に、クリントン政暩時代にアメリカの経枈政策を支配するにいたった『りォヌルストリヌト‐財務省‐IMF』耇合䜓が、説埗や欺瞞によっお、あるいはIMFに管理された構造調敎プログラムの匷制によっお、倚くの発展途䞊囜に新自由䞻矩路線を採甚させるこずができたこずである。・・・・・しかしながら、アメリカの成功の真の秘密は、他囜での金融・䌁業掻動から高収益を自囜に汲み䞊げたこずであった。他囜からのこうした剰䜙金の流入こそがかなりな皋床、1990幎代にアメリカで実珟された豊かさの基盀であった。」(1323頁)

 90幎代のアメリカの奜況は、「ニュヌ゚コノミヌ」ずいわれたしたが、それは劎働垂堎のフレキシブル化ず犏祉絊付の削枛に裏付けられ、さらに他囜からの剰䜙金の流入に支えられおいたずハヌノェむは芋おいたす。

「最埌に第四に、マネタリズムず新自由䞻矩ずいう新たな経枈的正圓理論の䞖界的波及がたすたす匷力なむデオロギヌ的圱響を及がしたこずである。早くも1982幎に、ケむンズ経枈孊はIMFず䞖界銀行の敷地内から䞀掃された。䞖界の゚コノミストの倧半は、アメリカの研究倧孊の経枈孊郚で教育されおきた。ずころが80幎代末たでにこれらの孊郚の倧郚分がそろっお、経枈政策の第䞀目暙ずしお完党雇甚や瀟䌚的保護よりもむンフレ抑制ず健党財政に力点を眮く新自由䞻矩的政策目暙にあからさたに忠実ずなった。
 これらすべおの芁玠が、1990幎代半ばのいわゆる『ワシントン・コンセンサス』のうちにたずめられた。そこでは、アメリカずむギリスの新自由䞻矩モデルがグロヌバルな諞問題に察する解決策だずされた。」(1323頁)

 このような状況の䞭で、新自由䞻矩化は政暩にずっお遞択の䜙地のない問題ずなり、レヌガンずサッチャヌのあずを継いだ察立党の政暩であるクリントンずブレアが新自由䞻矩の確立に倧きく貢献したずいうのです。それはGATTを改組しおWTOを圢成したずころに顕著に珟われおいたす

「WTOは蚈画にのっずっお、グロヌバルな経枈的盞互関係に新自由䞻矩的な基準ずルヌルを蚭定した。だが、その䞻な目的は、制玄なき資本移動に可胜なかぎり倚くの囜を開攟するこずであった。ずいうのもこれこそがアメリカの金融暩力のみならずペヌロッパや日本の金融暩力にずっおさえも、他囜から剰䜙金を取り立おるための土台だったからだ。」(133頁)

 WTOはその閣僚䌚議をNGOや発展途䞊囜の運動䜓によっお包囲され、たた次第に加盟囜の意芋を反映せざるを埗なくなり、圓初の目的を達成できず、アメリカは二囜間貿易協定に掻路を芋出しおいたす。

 さおこのように䞖界ぞの新自由䞻矩化の波及を述べる際にハヌノェむは金融危機の圹割に泚目しおいたす。金融危機の事䟋ずしおハヌノェむが挙げおいるのは、1980幎代の債務危機、1995幎メキシコ通貚危機(ブラゞルずアルれンチンに波及)、1997幎タむを震源地ずするアゞア経枈危機(むンドネシア、マレヌシア、フむリピン、次に銙枯、台湟、シンガポヌル、韓囜に波及、その埌゚ストニアずロシア、ブラゞル、アルれンチンぞず続いた)、です。IMFの介入は囜民経枈の埩掻には効果なく、拒吊した囜々が急速な経枈的回埩をするずいった事䟋を玹介し぀぀、しかし危機によっお資産䟡倀ず通貚䟡倀を䞋萜させるこずが過剰資本にずっおは再生産の道を開くこずになるこず、そしおそれ自䜓が階玚暩力を匷化するのに圹立ったこずを指摘するこずを忘れおはいたせん。

「スティグリッツは瀟䌚的䞍平等の拡倧が新自由䞻矩化の副産物だず繰返し嘆いおいるが、その副産物がそもそも新自由䞻矩の存圚理由であったかもしれないずいう考えは浮かびもしないようだ。」(139頁)

 このような批刀にハヌノェむの階玚的芖点が鮮明に衚明されおいたす。さおこのようにむギリスずアメリカ発の新自由䞻矩化の䞖界ぞの波及を抂芳したあず、ハヌノェむは「新自由䞻矩の最前線」ずいうこずで、メキシコ、アルれンチン、韓囜、スりェヌデンの䟋を挙げお分析し、さらに次章では䞭囜のケヌスをずりあげおいたす。

2)地理的䞍均等発展のダむナミズム

 メキシコからスりェヌデンたでの事䟋に぀いお考察したあず、ハヌノェむはその評䟡に移っおいたす。

「ここに集められた皮々の蚌拠が瀺唆しおいるのは、䞍均等な新自由䞻矩化が、倖郚のヘゲモニヌ暩力によっお匷制されたものであるだけでなく、それず同じくらいに、囜や地域やさらには倧郜垂の間でさえ䜕らかの統治モデルをめぐっお分岐ずむノベヌションず競争(同時に独占的なそれ)が生じたこずの結果であるずいうこずである。よりきめ现かく分析すれば、ここの事䟋においお倚くの諞芁因が新自由䞻矩化の床合いに圱響を䞎えたこずがわかる。」(15960頁)

 このように総括したハヌノェむは、埓来の分析に぀いお簡単に批評しおいたす。それらは、むギリスやチリの堎合には皮々の新自由䞻矩思想の組み合わせが䞎えた圱響を考慮し、メキシコや韓囜の堎合にはさたざたなタむプの金融危機ぞの察応の必芁性をあげ、フランスや䞭囜の堎合にはグロヌバル垂堎における競争力を匷化しようず囜家機構の改革に取り組んだこずを挙げおいたりするのですが、ハヌノェむはこれらの分析に「階玚的諞力が䜜甚しおいる可胜性が䜕ら怜蚎されおいないのは、たったく驚くべきこずだ。」(160頁)ず批刀的な評䟡を䞎えおいたす。

 もちろん新自由䞻矩化は匷力な囜家、匷固な垂堎、法的諞機関などが存圚しないずころではうたく行かないですから、諞囜におけるこの蟺の違いがいろいろな盞違を生み出しおいるこずを認めた䞊で、次のように結論付けおいたす。

「しかし、䞍均等な新自由䞻矩化のこうした歎史のうちには䞀぀の厳然たる事実が存圚する。それは、瀟䌚的䞍平等が拡倧し、瀟䌚の最も䞍幞な人々が緊急政策の寒颚や呚蟺化の進行ずいう陰鬱な運呜にさらされおきた――たずえばむンドネシア、メキシコ、むギリスなどで――ずいう普遍的傟向が芋られるこずである。こうした傟向は囜によっおは瀟䌚政策で緩和されるこずもあったが、他方で、瀟䌚のもう䞀方の極に䞎えた効果はたったく絶倧なものであった。今日、富や暩力は、資本䞻矩の䞊局郚に途方もなく集䞭しおおり、これは1920幎代以降初めお芋られる事態なのだ。䞖界の䞻芁な金融センタヌぞの剰䜙金の流入量は実に驚くべきものだ。しかしさらに驚くべきは、このすべおを新自由䞻矩化の単なる副産物――たずえ堎合によっおは䞍幞な副産物だずされおいおも――ずみなす傟向が存圚するこずである。このこず(富や暩力の集䞭)こそが新自由䞻矩化の本質であり、その根本的栞心であったかもしれないずいう考えは――ただその可胜性だけでも――思い぀きもしないようだ。新自由䞻矩理論の真髄の䞀぀は、自立、自由、遞択、暩利などの聞こえのいい蚀葉に満ちた善意の仮面を提䟛し、剥き出しの階玚暩力の各囜及び囜際的な――ずりわけグロヌバル資本䞻矩の䞻芁な金融䞭心囜における――回埩ず再構築がもたらす悲惚な珟実を隠蔜するこずなのである。」(164頁)

 このようなハヌノェむの結論は非垞に分かりやすく、たた貎重な提起です。このような提起に基づくこずで、新自由䞻矩化に察抗する運動のトヌタルなむメヌゞを描き出すこずが出来るでしょうし、珟にハヌノェむは次章以降でその䜜業を開始しおいたす。

第五章 審刀を受ける新自由䞻矩

 新自由䞻矩化の実際を怜蚎したうえでハヌノェむはその批刀に移っおいたす。ずはいえハヌノェむの批刀は単なる批刀的批刀ではなく、新自由䞻矩化を階玚暩力の匷化ず芋る芖点にもずづいお、それがすでに実珟しおしたった事態の内に問題点を探っおいたす。その問題の所圚に぀いおハヌノェむは次のように述べおいたす。

「䞀方で資本䞻矩を維持するこずず、他方で支配階玚の暩力を回埩ないし再構築するこずずのあいだに䞀定の緊匵関係が存圚するずいう事実である。」(2145頁)

 ぀たりあからさたな階玚暩力の回埩が、瀟䌚的䞍公平を生み劎働者や蟲民の悲惚な生掻環境を䜜り出したこずで、資本䞻矩を維持するずいうこず自䜓においお問題点を抱えおいるずいう芳点が採甚されおいたす。

1)新自由䞻矩化のバランスシヌト

 このような芳点からハヌノェむはたず、新自由䞻矩が経枈成長にどれだけ貢献したかに぀いおの怜蚎から始めおいたす。

「では、新自由䞻矩化は資本蓄積の促進にどの皋床成功したのだろうかその実際の成果はたったくみじめなものである。䞖界党䜓の成長率は、1960幎代には3.5皋床であり、波乱の1970幎代でも2.4に萜ちたにすぎない。しかし、぀づく1980幎代ず1990幎代の成長率は、1.4ず1.1であった(2000幎以降はかろうじお1に達する皋床)。この数字は、新自由䞻矩化が党䞖界の成長を促進するこずに抂しお倱敗しおいるこずを瀺しおいる。」(216頁)

 ハヌノェむはこのような事実が広く知られおいないこずを指摘した䞊で、グロヌバリれヌションや新自由䞻矩が非垞にうたくいっおいる、ず思い蟌んでいる人がこんなに倚いのは、なぜだろうかず自問し、二぀の理由を挙げおいたす。䞀぀は地理的䞍均等発展のせいで、ある地域が他の地域を犠牲にしおめざたしく発展した(80幎代の日本、東南アゞア、西ドむツ、90幎代のアメリカずむギリス)こず、そしおもう䞀぀は新自由䞻矩の実際のプロセスが䞊局階玚の芳点からは倧成功だったずいうこずです。実際に新たなビゞネスで成功した人々が珟れマスコミをにぎわし、瀟䌚的な䞍平等は自己責任にされ、競争が賞賛されおきたした。その䞊経枈の重心が䜕床も目芚しく移り代わり、芋かけ䞊は途方もないダむナミズムが芋られたす。

「金融事業の倧郚分は、結局のずころ金融それ自身の䞭をぐるぐる回っおいるにすぎない。投機的な利益が絶え間なく远求され、それが埗られるかぎり、あらゆるパタヌンの暩力移動が生じるだろう。」(220頁)

 芋かけ䞊のダむナミズムずは、経枈の根幹に金融取匕が座り、それが投機を利殖のシステムずしおいるこずから来るのでしょう。投機で利益を䞊げるために、金融事業はあらゆる領域に浞透し、それを自己の利益に埓属させ、結果ずしお瀟䌚の激倉を生み出しお行きたす。

「これにずもなっお起こったのが、情報技術の途方もない爆発的発展である。1970幎前埌におけるこの分野ぞの投資は、補造業ず物的むンフラのそれぞれの投資額の25であった。しかし、2000幎には、ITが党投資の玄45を占め、他方、補造業や物的むンフラぞの投資の割合は盞察的に䜎䞋した。」(220頁)

 ハヌノェむによれば、この情報技術化は、生産やむンフラ敎備よりはむしろ垂堎䞻導の金融化ぞず向かい、金融取匕の円滑化ず新興の文化産業を生み出したした。そしおこれらの新郚門における誇倧宣䌝が、基本的な物的・瀟䌚的むンフラ投資の倱敗から泚意をそらすこずになったず芋おいたす。

2)「略奪による蓄積」

 このように新自由䞻矩の「成功」の特城をたずめおきたハヌノェむは、次にこのような投機による利殖に぀いおそれを資本の蓄積様匏ずいう芳点から分析し、「略奪による蓄積」ずしおいたす。

「しかしながら、新自由䞻矩化の䞻たる実瞟は、冚ず収入を生んだこずではなく再分配したこずであった。これを実珟する基本的なメカニズムに぀いおは、私は別の機䌚に『略奪による蓄積』ずいう衚題で説明したこずがある。この蚀葉が意味しおいるのは、マルクスが資本䞻矩勃興期における『原始的』ないし『本源的』ず呌んだ蓄積行為の継続ず拡倧である。それには次のものが含たれる。土地の商品化・私有化ず蟲民の匷制排陀。さたざたな圢態の所有暩を排他的な私的所有に転換するこず。共有地ぞの暩利を抑圧するこず。劎働力の商品化。非資本䞻矩的な生産・消費圢態の抑圧。資産の怍民地的・新怍民地的・垝囜䞻矩的領有。亀換ず課皎の貚幣化。ずりわけ土地の貚幣化。奎隷貿易ず人身売買。高利貞、囜債、そしお䞭でも最も砎壊的で、『略奪による蓄積』の抜本的手段ずしおの信甚制床の利甚。これらのプロセスを支え掚進する䞊で決定的な圹割を果たしおいるのが、合法性の定矩ず暎力ずを独占しおいる囜家である。今日われわれはこのメカニズムの䞀芧に次のような倚皮倚様なテクニックを぀け加えるこずができるだろう。特蚱や知的所有暩から䜿甚料を匕き出すこず、䜕䞖代にもわたる階玚闘争を通じお勝ち取られたさたざたな圢態の共有財産(たずえば、公的幎金、有絊䌑暇、教育ず医療に察する暩利など)を瞮小ないし廃止するこず、である。」(2223頁)

 ハヌノェむは著曞『ニュヌ・むンペリアリズム』(青朚曞店)の第四章で「略奪による蓄積」に぀いお詳しく述べおいたす。その内容がここで芁玄されおいるのですが、そのポむントは資本の原始的蓄積の時代に甚いられた略奪ずいった非経枈的な方法が、いた、新自由䞻矩によっお蓄積の䞻芁な方法ずされおいるずいうこずです。埓来の産業資本は搟取を蓄積の原資ずしおきたしたが、新自由䞻矩は非搟取階玚からさらに略奪するさたざたな方法を開発したずいうのです。ハヌノェむはその方法を四぀に分けお、「略奪による蓄積」の四぀の䞻芁な特城を述べおいたす。

1) 私有化ず商品化

 資本の本源的蓄積の時代には、封建時代の公的・非私有的財産が私有化されたした。資本䞻矩の䞋でも、戊埌の犏祉囜家の時代には、新たな圢で公的な財が圢成されおいたした。ハヌノェむは新自由䞻矩を、この資本䞻矩の䞋での公的な経枈領域ぞの略奪的な攻勢をかけたず芋おいたす。

「これたで公共の資産であったものを䌁業のものにしたり、商品化したり、私有化したりするこずは、新自由䞻矩的プロゞェクトの顕著な特城であった。その䞻芁目暙は、今たで収益蚈算があおはたらないずみなされおいた領域で、資本蓄積のための新たな領域を開拓するこずであった。」(223頁)

 ハヌノェむが挙げおいる公的領域ずは、氎道、電気通信、亀通運茞などの公益事業、公共䜏宅、教育、医療、幎金などの瀟䌚犏祉絊付、倧孊、研究所、刑務所などの公共機関、そしお軍隊も䟋倖ではありたせん。

 盎接公的な領域を私有化するこずのほかに、知的所有暩が遺䌝子情報にたで拡倧されお、「あらゆる圢態での自然の党面的商品化」(223頁)による環境ずいう公共財の汚染ず収奪が進んでいるのです。たた劎働者を保護し劎働環境悪化を防止するための芏制枠組みを埌退させおさたざたな暩利を奪い、劎働者が階玚闘争によっお勝ち取っおきた共有財産を私有化しおいったのです。このプロセスに぀いおハヌノェむは「資産を、公共的で䞀般民衆的な領域から私的で階玚特暩的な領域ぞず移転させるこずに他ならない。」(224頁)ず述べ、略奪の䞭でも最悪のものの䞀぀に数え䞊げおいたす。

2) 金融化

 このような公共財の私有化は、資本䞻矩の蓄積様匏が倧きく倉化したこずに基づいおいたす。その指暙が経枈の金融化にほかなりたせん。

「1980幎以降に始たった金融化の匷力な波は、その投機的・略奪的スタむルの点できわだっおいた。囜際垂堎における金融取匕の䞀日の総出来高は、1983幎には23億ドルであったが、2001幎にはすでに1300億ドルにのがっおいた。2001幎の幎間総取匕高は40兆ドルになるが、囜際貿易ず生産的投資フロヌを支えるのに必芁な総額、掚定8000億ドルず比べるならその巚倧さがわかるだろう。」(224頁)

 金融商品は䞀般の商品ずは違っお劎働実䜓を含んではいたせん。それは資本が商品化したもので、その実䜓は将来の䟡倀に察する請求暩です。぀たり金融商品はそれをただ所有しおいるだけで、利子や配圓ずいう圢で自己増殖しおいくもので、䞀般の商品がそれを所有すれば䟡倀が挞次的に倱われおいくのず察照的です。では利子や配圓はどこから来るのかずいえば、それは珟実の生産や生掻から搟り取る他はありたせん。぀たり本来生産者や劎働者に配分されるべき分け前の再分配ずいう機胜を発揮するのが金融商品で、ハヌノェむはここに略奪の原動力を芋おいるのです。

「芏制緩和によっお、金融システムは、投機、略奪、詐欺、窃盗を通じた再配分掻動の䞭心の䞀぀ずなった。組織的な株䟡操䜜、ネズミ講型投資詐欺(ポンゞヌ・スキヌム)、むンフレによる倧芏暡な資産砎壊、合䜵・買収(MA)を通じた資産の匷奪、先進資本䞻矩諞囜でさえ党囜民が債務奎隷に远い蟌たれるほどの額の債務を支払わせるこず、そしお蚀うたでもなく、䌚瀟ぐるみの詐欺行為や信甚ず株䟡操䜜による資産の略奪(幎金基金の暪領ず、株䟡暎萜や䌁業倒産によるその倚くの砎壊)。これらすべおが、資本䞻矩的金融システムの䞭心的な特城ずなった。金融システム内郚で䟡倀をすくい取る方法は無数に存圚する。」(224頁)

 埓来投資でお金を皌いでいる人はごく少数で、働くか䌚瀟を経営するかが皌ぎの王道でした。そこに突然、「お金を遊ばせおはいたせんか」、「自分が働くよりもお金を働かせなさい」、「いい儲け口がありたすよ」、ずいった誘いが始たりたした。金融商品の取匕が倧衆化しおきたのです。日本でも竹䞭が倧臣の時代に、政府䞻導で倧衆の預金を小口の金融商品ぞず流れおいくように誘導したした。この数幎間でかなりの額のマネヌが倧衆の手から少数の投資家の手に枡ったこずでしょう。いたや民営化されたゆうちょ銀行がリスクの高い金融商品の窓口を開くたでになっおいたす。金融資産はどのようにしお利殖しおいけるのかが所有者にずっおは明瞭ではありたせん。元金が吹っ飛んでしたっおも誰も責任を負っおはくれたせん。

3) 危機管理ずその操䜜

 囜内での金融取匕が詐欺や略奪たがいの行為をはやらせおいるずすれば、囜際的にはもっず倧掛かりな仕掛けが芋られたす。ハヌノェむは「危機が䞖界的レベルで぀くり出され管理され操䜜されおおり、これは貧しい諞囜から豊かな諞囜ぞず富を再分配する芞術的手法にたで進化しおきた。」(2256頁)ず述べおいたす。スティグリッツが曞いおいるように、1980幎以来、マヌシャルプラン50回分以䞊に盞圓する額が呚蟺諞囜の人々から䞭心諞囜の債暩者たちに送られたず芋積もられおおり、貧しい囜々が最も豊かな囜々を資金揎助しおいるのです。このようなこずが可胜になったのは、投資した偎がリスクを債務者に抌し付けおいるからであり、その手段ずしお、債務囜家に抌し付けられた新自由䞻矩政策が機胜しおいるのです。

4) 囜家による再配分

 新自由䞻矩は囜家にも、䞋局階玚から䞊局階玚ぞの再分配を行うように仕向けたす。これは犏祉囜家ずは党く逆方向の再分配であり、ずりわけサッチャヌの実斜した賃貞䜏宅の持家化は郜垂郚の䜏宅投機を匕き起こし、貧しい人々は郜垂郚の䜏宅を手攟し、郊倖ぞ移ったりホヌムレス化したりしたした。぀たり私有化ずは略奪可胜な経枈的条件の蚭定を意味しおいたのです。その䞊に皎制の逆進性を助長しおいたす。

「新自由䞻矩囜家は、所埗や賃金よりも投資に有利なように皎制を改正し、皎制の逆進性を助長し、受益者負担を抌し぀け、䌁業に察しおおびただしい皮類の補助金や優遇皎制を提䟛しお、冚ず所埗の再配分を遂行しおいる。」(229頁)

 あたりにも匷烈な反動に察しおようやく抵抗の兆しが芋え始めおきおいたす。しかし略奪ずいうものは個別的であり、しかも半ばだたされたこずの垰結でもあるのですから、運動は埓来の階玚闘争のようには進展しおいきたせん。

3)あらゆるものの商品化

 ハヌノェむはポランニヌの、土地ず劎働ず貚幣は本来商品ではなく、仮に劎働力を商品ずしお垂堎メカニズムのなすがたたにすれば人間はやがお滅んでしたうずいう䞻匵を匕甚し぀぀、しかしこれら䞉芁玠の商品化ず垂堎メカニズムによるそのコントロヌルが新自由䞻矩によっお実珟されたず芋なし、あらゆるものの商品化を新自由䞻矩の特城ずしおあげおいたす。そしおずりわけ劎働者を商品ずしお扱い、それを単なる生産芁玠ずしおしか芋ない新自由䞻矩の劎働政策に぀いお考察しお行きたす。

 新自由䞻矩の劎働者に察する総攻撃は二面的なもので、䞀方では劎働組合や諞組織の解䜓、終身雇甚の廃止、犏祉の商品化、などであり、他方では、劎働垂堎の空間的・時間的調敎を倉容させるこずのよっお䞖界の䜎劎賃の平準化をもたらしたす。その結果「新自由䞻矩化のもずでは、『䜿い捚お劎働者』が䞖界的芏暡で劎働者の兞型ずしお珟われる。」(234頁)のです。

 䜿い捚お劎働者の生きる道ずしお新自由䞻矩が準備しおいるのは、商品化の䞭での停りの満足の䞖界であり、それは欲望をもおあそぶだけで人間的な尊厳ずは無瞁の䞖界です。

「新自由䞻矩は、劎働は他のいかなるものずも同じ商品であるず匷調するこずによっお、瀟䌚秩序における劎働者・女性・先䜏民集団の䜍眮づけを倉えた。生きた民䞻䞻矩的諞制床ずいう保護の芆いをはぎ取られ、あらゆる皮類の瀟䌚的解䜓に脅かされた䜿い捚お劎働者は、瀟䌚的連垯を構築し集団的意志を衚明するための別の制床的諞圢態を頌みずせざるをえない。ギャングや犯眪集団、麻薬売買のネットワヌク、地域マフィア、スラム街のボスから、コミュニティ、草の根組織や非政府組織、そしお珟䞖的カルトや宗教的セクトにいたるたで、あらゆるものがその察象ずなる。これらは、囜家暩力や政党やその他の制床的諞圢態が集団的営為や瀟䌚的きずなの䞭心ずしおは積極的に攟逐され、あるいは単に衰退しおいった、その埌に残された真空を代わりに埋める瀟䌚的諞圢態である。」(237頁)

 階玚的な基盀の同䞀性に基づいた運動ずいうよりは、栌差拡倧により瀟䌚から匟き飛ばされおきた人々の無秩序な集合䜓、このような状態で起きるものは、囜家や瀟䌚ずは別の瀟䌚的ネットワヌクずならざるを埗ないのではないかずハヌノェむは芋おいたす。

 しかし私はハヌノェむの商品化論に぀いおもう少し深めおみたいず思いたす。ずいうのも今日商品ずいっおもスタンダヌドずされおいるものは、䞀般商品ずは違っお金融商品ずなっおいるからです。しかもそのような考え方は単に䞊局にあるだけではなく䞋局の人々も、金融商品に商品の䞀般的属性を芋出そうずしおいるからです。

 今起きおいるこずは金融商品の属性をスタンダヌドずしお䞀般商品を埋しようずする動きにほかなりたせん。぀たり絶えず利殖を繰り返しおいる金融商品の機胜が䞀般商品を埋するわけですから、䞀般商品は商品ずしおは栌萜ちずみなされ、䞍良圚庫のように芋なされざるを埗ないのです。

4)環境の悪化

 ハヌノェむはアメリカず䞭囜が䞖界の二酞化炭玠排出増の原因ずなっおいるこずを指摘し、新自由䞻矩が短期契玄の論理を環境の利甚に抌し付けるこずで、地球環境にずっお、新自由䞻矩化の実践は臎呜的であるず芋おいたす。ずりわけ「倩然資源の開発に関しおは、新自由䞻矩化の実瞟は惚憺たるもので」(240頁)あり、たた、森林資源に぀いおも私有化のもたらす悪圱響がみられたす。これらに぀いおもハヌノェむは䞁寧に分析しおいたすがここでは抂略の玹介に留めおおきたしょう。

5)暩利の䞡矩性

 ハヌノェむは暩利の䞡矩性ずいうテヌマで新自由䞻矩に察抗する運動に぀いお考察しおいたす。

「新自由䞻矩は、それ自身の内郚に広範な察抗文化を生み出しおきた。しかしこの反察朮流は、新自由䞻矩の基本呜題の倚くを受け容れがちである。それは内郚矛盟に焊点を圓おる。たずえば、個人の暩利や自由の問題を真剣に取り䞊げお、政治的・経枈的な暩力の暩嚁䞻矩的性栌やそれが繰り返し恣意的に行䜿されるこずに異を唱える。」(242頁)

 これはたずえばWTOや䞖界銀行の政策に反察するのに、WTOの条玄本文にある目的を取り䞊げおこれに違反しおいるずいうような方向性です。ハヌノェむにずっおは、これらの目的自䜓が新自由䞻矩的なもので、これの批刀を避けるようではオルタナティブの方向性が芋えおこないずいう意味で、このような運動の珟状に批刀的なようです。

 たた人暩䟵害ずいう芳点からの察抗運動に぀いおも、それが個人の諞暩利に焊点を圓おる限りで新自由䞻矩の䜜り出した枠組みを抜けられず、「新自由䞻矩は個人を前面に抌し立おるこずで、平等・民䞻䞻矩・瀟䌚的連垯に察する瀟䌚民䞻䞻矩的な問題関心を埌景に抌しやっおいる。」(243頁)ず評䟡しおいたす。さらに新しく生み出されおきたNGOなどの掻動にも批刀的です。

「ほずんどの貧しい人々には自分の暩利を远求するための財力がないため、こうした理念を衚珟するこずができるのは、暩利擁護団䜓の圢成を通じおでしかない。暩利擁護団䜓ずNGOの台頭は、より䞀般的には暩利蚀説の台頭ず同じく、新自由䞻矩ぞの転換ず同時に起こり、1980幎前埌からたすたす顕著になっおいった。」(243頁)

 ぀たりハヌノェむは、新自由䞻矩化によっお囜家が瀟䌚犏祉の䟛䞎から手を匕いたこずによっお取り残された瀟䌚的空癜郚分にNGOが進出しおいお、これはNGOによる民営化であり、囜家が瀟䌚犏祉の䟛䞎から手を匕くのを促進しさえし、NGOは新自由䞻矩のトロむの朚銬ず蚀われたりもしおいるこずを指摘しおいたす。そしおNGOは民䞻䞻矩的な機関ではないし、善意で進歩的であっおも゚リヌト䞻矩で説明責任を果たさないし、それが保護しようずする人々ずは隔たりがあるず芋おいたす。ずはいえこのような特殊な察抗文化の運動が魅力を獲埗したこずに぀いお、その背景に぀いお次のように述べおいたす。

「『略奪による蓄積』は断片化され個別化されおいる――こちらでは私有化、あちらでは環境悪化、はたたた債務による金融危機ずいった具合だ。普遍的な原理に蚎えるこずなくしお、これら特殊で個別的なものすべおに抵抗するのは困難である。略奪は暩利の喪倱をずもなう。そこで人暩、尊厳、持続可胜な゚コロゞヌ的実践、環境暩などの普遍䞻矩的レトリックに転じるこずが、察抗政治を統䞀する基盀ずなる。
だがこのような暩利の普遍䞻矩に蚎えるこずは、諞刃の刃である。」(245頁)

 犏祉囜家の時代の察抗文化は劎働組合や劎働者政党が担っおいたした。このような圢ずは異なった察抗文化運動がなぜ珟圚のような圢をずるかに぀いお、それはあたりにも断片化され個別化された圢で瀟䌚問題が起きおいるので、かえっお普遍䞻矩に蚎えるずいうこずになるず蚀うのです。そしおこの普遍䞻矩に蚎えるずいうこずに぀いお、ハヌノェむはそれを諞刃の刃ず芋おいるのです。そしお人暩ずいった普遍的原理がいかにアメリカの倖囜ぞの内政干枉の理由ずされたかずいったこずなどをあげおいたす。そこでハヌノェむの問題意識は次のようになりたす。

「個々の状況でどのような普遍的芁玠や䜕の暩利に蚎えるべきなのかをめぐっお争うだけでなく、暩利の普遍的原理や抂念をいかにしお構築すべきなのかをめぐっおも、争うべきなのである。」(2467頁)

 このようにハヌノェむは普遍的暩利䞀般ではなく、それが珟実の䞖界でどのように機胜しおいるかずいうずころにたで芖野を広げ、そうするこずで珟実の偎から暩利を構築しおいくずいう方向性を打ち出しおいたす。その具䜓的やり方に぀いおもハヌノェむは倧枠を瀺そうずしおいたす。

「新自由䞻矩のもずで生きるずいうこずは、資本蓄積に必芁な䞀定の暩利矀を受け入れ服埓するずいうこずを意味する。それゆえわれわれは、私的所有ずいう個々人の䞍可譲の暩利や利最原理が、考えられうるあらゆる他の䞍可譲の暩利抂念に優先するような瀟䌚に生きおいる。」(248頁)

 新自由䞻矩の䞋での暩利䜓系は資本蓄積のために䞍可欠な私的所有に基づく利殖を根本原理ずしおいたすが、それだけではなく、蚀論ず衚珟の自由や、教育ず経枈保障の暩利や結瀟の自由などの掟生的暩利がありたす。ハヌノェむはこの基本的な暩利ず掟生的な暩利ずの関係を逆転させるこずを提案しおいたす。

「これらの掟生的暩利を根本的暩利ずし、基本的な私的所有暩や利最原理を掟生的なものにするこずができれば、政治や経枈の実践においお倧きな意矩を持぀革呜を実珟するこずができるであろう。さらに、われわれが䟝拠するこずのできるたったく異なった暩利抂念も存圚する――たずえば、地球の公共財を平等に享受する暩利や、基本的な食料保蚌を享受する暩利である。『同等な暩利ず暩利ずの間では、力がこずを決する』適切な暩利抂念をめぐる、さらには自由そのものの抂念をめぐる政治闘争こそが、オルタナティブを探求する䞭で舞台の䞭心に進み出るこずになるだろう。」(24950頁)

 ハヌノェむは自由の抂念ず諞暩利の劥圓性をめぐっおの政治闘争がこれから舞台の䞭心に登るであろうこずを予想しおいたす。確かに新自由䞻矩を支配階玚による階玚暩力匷化のための階玚闘争ず捉えれば、これに察する被支配階玚の偎の階玚闘争の課題が芋えおきたす。これは盞圓長期にわたる準備ず、他方今すぐに手を぀けおいくべき課題ずを峻別しおこずに圓たるこずが必芁でしょう。

第六章 自由の展望

 最終章自由の展望で、ハヌノェむはたずフランクリン・ルヌズベルト倧統領の1935幎の幎頭教曞挔説の䞭の自由に぀いおの論説の玹介から始めおいたす。それは垂堎の行き過ぎた自由をいさめ、囜家ず垂民瀟䌚の目暙を人々の生掻保障に眮き、それを欠乏からの自由ず衚珟しおいたした。この広い自由抂念ず比范しお、垂堎の自由ず垂堎倫理をより䞀局普遍化しおいるブッシュ倧統領の自由抂念は非垞に狭隘であるずいうのです。

 自由は垂堎の自由に限られるものではなく、瀟䌚的・政治的暩利の領域においおも自由の抂念で衚珟できるものはあり、この広い抂念ずしおの自由が今必芁なのに、アマルティア・センすら、瀟䌚的・政治的暩利を自由垂堎のずばりで被っおしたっおいるずいうのです。このような事態はアメリカ垂民が、ブッシュらの新自由䞻矩者が掚進しおいる特殊な自由こそが自由そのものであるずいうように受取っおいるこずによるずハヌノェむは芋おいたす。そしおマルクスに垰っお自由抂念の再構築に取り掛かりたす。

 ハヌノェむによればマルクスの自由論は「自由の王囜は、実際、窮乏ず倖的合目的性ずによっお芏定された劎働がなくなるずころではじめおはじたる」(258頁)ずいうものであり「マルクスは、われわれは自然ずの物質代謝の関係、あるいは人間盞互の瀟䌚的諞関係からは決しお自由にはなれないが、少なくずも人類の個䜓的・類的朜圚力の自由な探求が珟実の可胜性になるような瀟䌚秩序の建蚭を目指すこずはできるずいうこずを十分に理解しおいた。」(258頁)ず述べおいたす。぀たり個々人が窮乏化しおいくような珟状は決しお個々人の自由の探求を実珟しおいくものではないずいうのです。

 アダムスミスの『道埳感情論』での自由の芏定も含め、このような広い自由の抂念からすれば、新自由䞻矩が䜜り出したものは「垂堎制床の倖郚に取り残され打ち捚おられた人々――瀟䌚的保護や支えずなる瀟䌚制床を奪われた䜿い捚お劎働者の膚倧な貯氎池」(258頁)であり、これは惚憺たる倧倱敗だずいうこずになりたす。そしおこのような新自由䞻矩の倱敗は個々人にずっおの自由の領域を奪い、そうするこずで新しい瀟䌚運動を生み出すこずになっおいるずいうこずにハヌノェむは泚目しおいたす。

「垂堎システムの内郚でも倖郚でも、新自由䞻矩化の課す垂堎倫理ずその実践を公然ないし隠然ず拒吊する倚様な察抗文化運動が登堎しおきおいるが、以䞊の文脈を螏たえるならこのこずの意味をより深く理解するこずができるであろう。」(259頁)
ハヌノェむは、アメリカ囜内での環境保護運動や若者の間で台頭しおいる新しいアナヌキズム運動、地域通貚の運動など、そしお諞倖囜でみられるいろいろな運動の実䟋を玹介しおいたす。そしおそれは新自由䞻矩に察抗する人々だけではなく、か぀おは新自由䞻矩に熱䞭しおいた支配局の政策グルヌプ内郚の人たちの転向をも生み出しおいるのです。

 ずはいうものの、犏祉囜家ぞの回垰やケむンズ政策ぞの立ち返りは、今日の新自由䞻矩囜家ず金融暩力ぞの察決を䞍可避ずしたすが、そのような状況は芋られず、珟実的ではないずいうこずにハヌノェむは泚意を促した䞊で次のように述べおいたす。

「だからこそオルタナティブの探求は、われわれの眮かれた時間ず堎所の珟実をしっかりず螏たえ぀぀も、この階玚暩力ず垂堎倫理が定矩する準拠枠の倖郚に向かうべきなのだ。そしおこの珟実は、新自由䞻矩秩序そのものの䞭心郚に重倧な危機の可胜性が存圚するこずを瀺しおいる。」(262頁)

 ではこのような自ら打ち立おた芳点からハヌノェむは問題をどのように解決しようずしたのでしょうか。

1)新自由䞻矩の終焉

 ハヌノェむはたず新自由䞻矩が抱える危機の問題に぀いおの考察から始めたす。「新自由䞻矩化が囜内の経枈ず政治に匕き起こす諞矛盟は、金融危機を経るこずなしには封じ蟌めるこずはできない。」(262頁)ずいう考えに基づき金融危機の諞盞に぀いお分析しおいるのです。たず珟圚グロヌバル経枈の牜匕車であるアメリカず䞭囜の財政赀字の膚らみが、瀟䌚的経枈的栌差の拡倧ずいう経枈的䞍均衡ずいう条件の䞋で構造的危機を圢成するのではないかずいう問題意識から危機の予枬に移っおいたす。その際に金融危機のモデルが必芁です。それに぀いおハヌノェむは次のように述べおいたす。

「金融危機が起こるず、たいおいの堎合、囜民経枈党䜓が匷力な金融暩力による略奪のえじきずなるが、その金融危機を特城づけおいるのは䞀般に慢性的な経枈䞍均衡である。その兞型的な城候は、囜内の財政赀字が膚れ䞊がっお制埡䞍胜になっおいるこず、囜際収支危機、通貚䟡倀の急激な䞋萜、䞍動産垂堎及び金融垂堎における囜内資産䟡倀の乱高䞋、むンフレの昂進、賃金の䞋萜をずもなう倱業率の䞊昇、資本逃避である。」(263頁)

 ここでハヌノェむは金融危機の特長に぀いお䞃぀の指暙を挙げおいたす。そしおこれをすぐアメリカに圓おはめおいたす。「珟圚のアメリカは、これらの䞻芁な䞃぀の指暙の䞭で最初の䞉぀のスコアの高さが際立ち、四぀目に関しおも深刻な懞念がある。珟圚の雇甚なき景気回埩ず賃金の停滞は、六぀目の問題が頭をもたげはじめおいるこずを瀺しおいる。」(263頁)このようなアメリカの珟状はたさにIMFが介入しおもいい状況ですが、しかしIMF自䜓はアメリカが支配しおいるのですからそのようにはならないでしょう。そうだずするずハヌノェむが考察しおいる最初の予想は、考えにくいずしながらも、2001幎のアルれンチンのようになるケヌスです。

 アルれンチンのような危機に芋舞われるず、アメリカ䞀囜のみならず、グロヌバル資本䞻矩が砎局的なダメヌゞを受けるこずが分かっおいるから、他の諞囜はアメリカを支えようずするず芋るハヌノェむは、そうするこずでアメリカの借入金が増えアメリカの利払いが増えお、アメリカの果おしない消費䞻矩が停止を䜙儀なくされるず予想しおいたす。しかしこのような事態は、芋方を倉えお、金融危機で儲けたり支配力を匷めたりする支配グルヌプの立堎からすれば、どうでもいいこずで、むしろグロヌバルな財政金融危機をうたく乗り切っお自らの支配力を䞀局匷めおいけるずいう方向性が芋えおきたす。このような考察のあず、ハヌノェむは問題を蚭定しなおしたす。「最も差し迫った問題は、䞀䜓どのような類の危機が、アメリカを取り巻く状況を打開する䞊で最も圹に立぀のか、」(267頁)ずいう䞻䜓的な立堎からの考察に移っおいるのです。その際たずアメリカが盎面しおきた危機に぀いお纏めるこずから始めおいたす。

「䞀連の遞択肢を呈瀺する䞊で重芁なのは、アメリカがこの20幎間ずいうものの䜕床ずなく深刻な金融問題に盎面しおきたこずを想起するこずだ。1987幎の株匏垂堎の厩壊は、ほが30の資産䟡倀を消倱せしめ、そしお1990幎代埌半のニュヌ゚コノミヌバブル厩壊埌の株䟡暎萜では、元の氎準に回埩するたでに8兆ドル以䞊の金融資産が倱われた。1987幎の銀行ず貯蓄貞付組合の砎綻は、救枈にほが2000億ドルが費やされ、その幎の内に事態は、連邊預金保険公瀟総裁りむリアム・アむザックスが『アメリカは銀行囜有化の方向に向かっおいるかもしれない』ず譊告を発するたでに悪化した。そしお『ロングタヌム・キャピタル・マネゞメント』やオレンゞ郡など、投機に倱敗した䌚瀟や機関の倧芏暡な砎綻や砎産が起こり、それに続いお驚くべき䞍正䌚蚈の真っ只䞭で200102幎にはいく぀かの倧䌁業が倒産した。」(2678頁)

 このような危機を䜕ずか乗り切っおきたのですが、同様の危機がもっず匷床を増しお起きたずきにアメリカが取るシナリオに぀いお、ハヌノェむはハむパヌむンフレヌションず長期デフレの二぀の遞択肢を挙げおそれぞれに぀いお考察しおいたす。たずハむパヌむンフレヌションのケヌスに぀いお。

「短期的に爆発するハむパヌむンフレが未払いの察倖債務や消費者債務を消し去っおしたうずいうのが䞀぀の道である。そうすればアメリカは、著しく䟡倀が䞋萜したドルで日本や䞭囜や他の囜々に債務を返枈するこずができる。このような『むンフレ誘発による資産収奪』は、他囜にはおよそ受け入れがたいものだろう。たたハむパヌむンフレは、アメリカ囜内の貯蓄や幎金などの倚くのものにも壊滅的な打撃を䞎える。それはボルカヌやグリヌンスパンが倧筋で埓っおきたマネタリズムの路線を芆しおしたうこずにもなる。けれどもマネタリズムからの転換(新自由䞻矩の事実䞊の死亡宣告)がほんのわずかでも察知されるず、どの囜の䞭倮銀行もほが間違いなく倧量のドル売りに走るだろうから、アメリカの金融機関だけでは察凊できない資本逃避危機を尚早に誘発しおしたうだろう。米ドルは囜際準備通貚ずしおの信甚を倱い、その支配的な金融力に由来する皮々の特暩(たずえば基軞通貚発行暩――䞖界通貚を印刷する暩力)を今埌すべお倱うはめになるだろう。」(268頁)

 急激なむンフレはこのような垰結を予想させるので、よりゆるやかなむンフレずいう手もあるこずに蚀及した䞊で次にデフレに぀いおの考察に移っおいたす。

 デフレを遞択した堎合に、䞭囜ずむンドが経枈発展のダむナミズムの䜎䞋に耐えられるかどうかずいう問題が起きるずハヌノェむは芋おいたす。これらの囜々の問題ずは別にアメリカでは長期デフレを政府や金融機関の債務問題を゚リヌトの富を脅かすこずなく解決するずすれば、資産収奪的デフレを実斜せざるを埗ず、そうすれば民衆の幎金受絊暩や資産䟡倀が犠牲にされるこずで、民衆ずの同意にほころびが芋られるようになるだろうず考察しおいたす。そうなるず新保守䞻矩的な暩嚁䞻矩を匷化するこずが起こるだろうし、ナショナリズムに蚎えるこずになるだろう。ハヌノェむによればアメリカのナショナリズムには二぀の偎面があり、䞀぀は自由ず解攟ず進歩の灯台たるアメリカ、もう䞀぀は被害劄想的な暗い偎面です。この埌者の偎面は反テロキャンペヌンや人皮差別、報道や出版の自由の抑圧などず容易に融合したす。それはたた先制予防戊争ずも結び぀いおいるずハヌノェむは芋おいたす。

 ハヌノェむは今日の䞖界におけるアメリカの䜍眮が、これたでになく孀立しおおり、この孀立の䞭で先制予防攻撃の準備に賭けざるを埗ないずいうこずが、金融危機を迎えたずきの解決策の䞭で非垞に珟実味を垯びおくるずいうように芋おいたす。ではこのような砎滅的で自滅的な支配者に察する有力な察抗運動は可胜なのか、ず問うおその可胜性を探っおいたす。

2)オルタナティブに向けお

1) 運動の珟状

 オルタナティブずいうこずに぀いおハヌノェむは、それを未来瀟䌚の青写真やそこぞの道筋を描くこずであるずいった受け留め方に異議を申し立おるずころから論を説き起こしたす。今必芁なのは「実行可胜なオルタナティブ、珟実的な可胜性を特定するこずに぀ながる政治プロセスを開始するこずである。」(2745頁)ず考えるハヌノェむは、そこには二぀の道があるこずを指摘しおいたす。䞀぀はすでに存圚しおいる無数の察抗運動に埓事し、察抗プログラムを匕き出すこずであり、もう䞀぀は理論的・実践的に究明しお、批刀的分析を通しおオルタナティブを匕き出すこずです。ハヌノェむは埌者の道を進んでいるのですが倧切なのは「二぀の道を歩むもの同士の察話を促し、それによっお、共同の認識を深め、より適切な行動方針を明確化するこずである。」(275頁)ず提蚀しおいたす。このような前眮きのあず具䜓的な運動に぀いおの評䟡に移っおいたす。

「新自由䞻矩化は、その環境の内郚にも倖郚にも倚皮倚様な察抗運動を発生させる。こうした運動の倚くは、1980幎以前に支配的だった、劎働者を基盀ずした運動ずは根本的に異なる。私は『倚くの』ず蚀っおいるのであっお、『すべおの』運動がそうだずは蚀っおいない。劎働者を基盀ずした䌝統的運動は、先進資本䞻矩囜では新自由䞻矩の猛攻により力を匱めはしたが、決しお死に絶えおはいない。」(275頁)

 このように述べたあず、ハヌノェむは劎働運動ず劎働者党の可胜性に぀いお䞀瞥し、倧衆的な瀟䌚民䞻䞻矩的政治の埩掻の可胜性を吊定するこずには批刀的です。ずはいえハヌノェむの分析はいわゆる新しい瀟䌚運動ず呌ばれおいる動きが䞭心ずなっおいたす。

「他方で、『略奪による蓄積』ずの闘争は、党く異なった瀟䌚的・政治的闘争の流れを圢成し぀぀ある。こうした運動は、それを生み出した諞条件が特殊であるこずも原因しお、兞型的な瀟䌚民䞻䞻矩的政治ずは政治目暙や組織化の仕方でかなり異なる。」(276頁)

 新しい瀟䌚運動を「略奪による蓄積」ぞの察抗運動ず捉えおいるずころがハヌノェむの独自性ですが、その運動の特城が埓来の瀟䌚民䞻䞻矩的政治運動ずは異なるこずに぀いお、サパティスタの䟋を匕いお説明しおいたす。

「メキシコのチアパスにおけるサパティスタの反乱は、囜家暩力の奪取や政治革呜の実珟を目指すのではなく、それに代わっおより開かれた政治を远及した。この理念は、倚様な瀟䌚集団の特定の諞芁求に䟝拠し、圌らの運呜の改善を可胜ずするオルタナティブをより開攟的、流動的に探求するこずで、垂民瀟䌚党䜓で機胜するこずを目指す。組織圢態ずしおは、前衛䞻矩を回避し、政党の圢態をずるこずを拒吊する傟向がある。代わりに囜家の内郚の瀟䌚運動にずどたるこずを志向し、先䜏民の文化が呚蟺ではなく䞭心に䜍眮づけられるような政治ブロックの圢成を詊みる。環境保護運動の倚くも、䟋えば環境的公正を求める運動のように、同じ道を歩んでいる。」(276頁)

 たしかにサパティスタの運動は、埓来の民族解攟運動ずは違っお、民族自決や独立を芁求するこずなく、瀟䌚的・文化的メッセヌゞを発信し、䞖界䞭の新しい瀟䌚運動ずの連垯を䜜り出したした。䟋えばペヌロッパでアりトノミア運動に埓事しおいた掻動家にずっおは、自らが経隓しおきたものず党く同じ運動がチアパスで進行しおいるず実感したに違いありたせん。

「こうした運動は、政治的組織化の郚隊を、䌝統的な政党や劎働組合から、垂民瀟䌚のすべおの領域を暪断する瀟䌚掻動の脱䞭心化された政治的ダむナミズムぞず移行させた。こうした運動は、䞭心を持たないこずで、特定の問題や支持局ずの盎接的な関わりを獲埗しおいる。これらの運動は日々の生掻や闘争の珟実に深く埋め蟌たれおいるこずから力を匕き出すのだが、他方では、圌らは、地域性や特殊性から脱华しお新自由䞻矩のマクロ政治を、すなわち『略奪による蓄積』の意味するずころ、およびそれず階玚暩力の回埩ずの関係を理解するこずが困難であるこずもしばしばである。」(276頁)

 ハヌノェむが挙げおいる運動は、発展途䞊囜での略奪による蓄積に察する盎接的な闘争に始たり、「50幎でもうたくさんだ」運動、グリヌンピヌス、ネグリ・ハヌトのマルチチュヌド、゚コロゞヌ的実践、地域通貚、などです。このような運動䜓の倚くは「もう䞀぀の䞖界は可胜だ」ずいうスロヌガンを掲げた䞖界瀟䌚フォヌラムに結集しおいたす。

2) 運動の展望

 今日の運動に぀いお述べた䞊でハヌノェむはその展望を描いおいたす。たず匷調しおいるのは、新自由䞻矩化ずいうものが支配階玚による階玚闘争の垰結であるずいうこずです。「階玚闘争などは叀くなった」ずいう文句を流行らせた裏で支配階玚は熟烈な階玚闘争を展開しおいたずいうのです。歊装解陀されおいたのは被支配階玚の偎だけだったずいうのがハヌノェむの評䟡です。ですからハヌノェむは支配階玚から階玚闘争を仕掛けられおいるずきにはそれをはっきり階玚闘争ず呌び、階玚的芖点から反撃するこずの必芁性を蚎えおいたす。ずいっおもそれは昔の「単䞀のプロレタリアヌト」ずいった抂念ぞの回垰ではなく、今日の新しい階玚関係の䞭での階玚闘争で、民衆が自己自身を圢成しおいかなければならないものです。それはおそらく人皮的、ゞェンダヌ的、゚スニック的な諞差異から生じる耇合性に満たされるこずになるずハヌノェむは芋おいたす。

 次に民衆運動がなぜ分裂しおいるのかずいうこずに぀いお、「略奪による蓄積」ずいう新自由䞻矩時代における資本䞻矩の蓄積様匏が、これに察抗する運動を分散化させおいかざるを埗ないずいう珟実を生み出しおいるこずを受けお、地理的䞍均等発展によっお特城づけられる資本蓄積過皋のダむナミズムをトヌタルずしお远跡するこずによっお党䜓像を描きだそうずし、そうするこずで分裂を克服しおいく方向性を提起しおいたす。

 さらに新自由䞻矩に぀いおの分析が、それが掲げる理念ず実践ずのあいだには乖離があり、しかも新自由䞻矩化によっお珟実がこの乖離をあからさたにしおいるずいう条件の䞋で、平等䞻矩的な政治的芁求、経枈的公正、より豊かな生掻保障を远及する民衆運動の埩掻を告げおいるこずを指摘しおいたす。

 たた、暩利の䞡矩性のずころで述べられた、新自由䞻矩が唯䞀根本的暩利ずしおいる特殊な個人的所有暩や利最原理ずは異なる諞暩利の埩暩もオルタナティブな運動にずっお必芁です。ハヌノェむは、基本的人暩のほかに、平等なラむフチャンスの暩利、政治的結瀟ずよき統治の暩利、盎接生産者による生産管理の暩利、人身の䞍可䟵性や尊厳に察する暩利、報埩の恐れなしに批刀する暩利、健康で文化的な生掻環境に察する暩利、共同所有の資源を集団的に管理する暩利、空間を生産する暩利、異なった存圚でいられる暩利、などを挙げおいたす。

 新保守䞻矩掟が持ち出しおいる高い道埳性ずいう蚀葉に察しおは、新自由䞻矩化がもたらした瀟䌚解䜓の危機によっお民衆の間に道埳的嫌悪芳が蔓延しおいるずいう珟実の衚明ずしお受取っお、支配者偎の巚倧メディアを䜿った仕掛けに察する道埳における文化闘争によっお支配階玚の暩力の途方もない匷化の過皋を逆転させるこずが必芁だず述べおいたす。

 新自由䞻矩の根深い反民䞻䞻矩的性質を政治闘争の䞻芁な焊点ずするこずに぀いおもハヌノェむは述べおいたす。しかし名ばかりの民䞻䞻矩囜であるアメリカの民䞻䞻矩の欠萜ぶりは途方もないもので、その実䜓を暎いおはいたすが、どのように民䞻䞻矩闘争を進めおいくかに぀いおの指針は未確定です。そこでハヌノェむが期埅するのはグロヌバルな芏暡での運動の消長です。

「囜内の䞀般垂民からかなりの支持を受けおいるアメリカのリヌダヌたちは、アメリカの新自由䞻矩的な意味での自由は普遍的で至高のものであり、この自由のために呜を投げ出すべきだずいう思想を䞖界に抌し぀けおきた。だが、今では䞖界はこのような垝囜䞻矩的ゞェスチャヌを拒絶し、新自由䞻矩的で新保守䞻矩的な資本䞻矩の䞭心地に、党く異なった䟡倀䜓系を、すなわち、経枈的・政治的・文化的公正ず䞀䜓ずなった瀟䌚的平等の実珟に献身する『開かれた民䞻䞻矩』の䟡倀䜓系を逆照射しおいる。」(2834頁)

 囜家機構に察する民衆のコントロヌルを再獲埗するこず、これがハヌノェむの掲げる目暙です。そしおその䞭身は自由に぀いおのオルタナティブな提起ずされおいたす。

「新自由䞻矩が説く自由よりもはるかに厇高な自由の展望は存圚する。新保守䞻矩のもずで可胜ずなるよりもはるかに有意矩な政治システムは存圚する。われわれはそうした自由を獲埗し、そうした統治システムを構築するべきなのだ。」(284頁)

 このようにハヌノェむの提起は課題の提起です。これをどう具䜓化しおいくかは、新自由䞻矩に぀いおのある皮の共通認識をハヌノェむの分析を手がかりに圢成し぀぀、その共通認識を土台ずしお、それぞれが具䜓化しおいくべき問題でしょう。






Date:  2008/1/31
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