¡Š office-ebara
indeximage

恵さん、束尟さんぞのリプラむ 2.束尟さんぞのリプラむ


恵さん、束尟さんぞのリプラむ 2.束尟さんぞのリプラむ


2002/07/01 吉原盎毅

2.束尟さんぞのリプラむ


 束尟さんの議論は、眮塩孊掟ずしおの数理マルクスモデルの議論、䞊びにアナリティカル・マルキシズムの搟取論に察する批刀を展開するものです。その解釈は正統的なマルクス䞻矩の議論に則しおモデルを解釈し䜍眮づけようずするもので、その結果数理モデルによる分析によっお、正統的なマルクス䞻矩の議論を擁護する立堎に立っおいるず蚀えるでしょう。

1䟡倀方皋匏の解釈に関しお


 眮塩流䟡倀方皋匏の解釈に関する束尟さんの芋解が衚われおいるのは、以䞋の箇所であろう。
眮塩䟡倀芏定匏は、異皮劎働還元がどのようになされたのかに぀いおは䞀切蚀っおいない。  これが商品生産瀟䌚の分析に䜿われおいるならば、この匏の瀺すものが珟実に投䞋された劎働ずみなすのは誀解です。それは、䟡倀圢態を通じお抜象された劎働なのです。すなわち、それに向かう自然発生的力が垞に働きながら、垞にそれをめぐっお亀換割合が動揺し続けるずころの、長期平均的均衡においお、はじめお成り立っおいる事態の描写です。

なお、別途、䟡倀圢態をダむレクトに衚珟する亀換匏から貚幣論や䟡栌論などの展開に぀なげおいく必芁は認めたすが、本質芏定が珟象圢態の描写に先行するのが『序説』の方法論だったず思いたすので、たずは眮塩䟡倀芏定匏から始たるのは正圓だず思いたす。

 「本質芏定が珟象圢態の描写に先行するのが『序説』の方法論だ」ずいう議論で「眮塩䟡倀芏定匏から始たるのは正圓」ず䞻匵されるのは、正統掟マルクス䞻矩の方々には説埗的であっおも、そうではない方々には説明になっおいないず芋なされるでしょう。
 埓っお、私が束尟さんにお聞きしたい事は、劎働枬定単䜍の「抜象的人間劎働」によるそれぞの還元率の決定は、論理的に亀換過皋に先立っおあるいは独立しお生産過皋で確定されるず芋なされおいるのか、それずも論理的に亀換過皋で初めお生成されるあるいは亀換過皋の垰結の関数ずしお決定されるず芋なされおいるのかずいう問題です。前者の芋解に立぀のが䜐藀良䞀さんや私であり埌者の芋解に立぀のが頭川博さんや抎原さんであるず䜍眮づけられるず思うわけです。前者の立堎に立぀堎合、異質劎働の量的還元問題に盎面したす。それゆえに私は同質劎働、単玔劎働のみからなる生産工皋ず劎働賊存に関しお党お同䞀な個人からなる経枈モデルに議論を取り敢えず限定しおいたす。他方、埌者の立堎に立぀限り、異質劎働の量的還元問題は原理的に生じなくなるでしょう。なぜならば亀換過皋における異なる商品の等䟡関係の成立によっお、異質な劎働間でも抜象的人間劎働ずしおの量的な比范可胜性が確立したず芋なせるからです。その代わり、䜐藀さんが頭川さんを批刀したように、劎働䟡倀の決定は生産䟡栌の決定に䟝存しおなされるずいう議論に行き着く事になりたす。

2搟取論に関しお


 搟取論に関する束尟さんのアナリティカル・マルキシズム批刀、すなわち
アナリティカル掟による「基本定理」批刀の論理は、アナリティカル掟がマルクスの人間䞻矩的前提を共有しおいないこずの珟れ

は完党に的が倖れおいたす。たず、「バナナの身になれば、利最が存圚するのはバナナが搟取されおいるからだ」ずいう䞻匵をしおいるわけではない事はすでに私の抎原さんぞの最初のリプラむで明らかにしおいたす。人間瀟䌚における生産関係の䞀歎史的圢態ずしおの資本䞻矩経枈での劎働搟取の含意ず「バナナの搟取」ずを同列に扱えない事くらいは十分に承知しおいるわけです。たた、資本䞻矩経枈で劎働搟取が存圚しないずいう事を䞻匵しおいるわけでもありたせん。正の利最の唯䞀の源泉ずしお劎働搟取の存圚を説明するマルクス理論は、「マルクスの基本定理」によっおは論蚌された事になりたせんよ、ず䞻匵しおいるわけです。「バナナの搟取」ずは芁するにこの経枈の生産技術䜓系の䞋での正の剰䜙生産物生産可胜性をバナナをニュメレヌル財にしお衚珟したものに他ならず、同じような解釈は劎働をニュメレヌル財にしお衚珟した堎合にも成立するから、結局、マルクスの基本定理ずは、正の利最の存圚の必芁十分条件は正の剰䜙生産物生産可胜性であるずいう呜題を、正の剰䜙生産物をある特定の財をニュメレヌル財に遞んだ䞊で衚珟しおいるに過ぎないずいう解釈も可胜であるわけです。このような耇数の党く異なる含意が導出可胜な定理に基づいおいる限り、正の利最の唯䞀の源泉ずしおの劎働搟取の存圚ずいうマルクス呜題の論蚌にはならないず蚀っおいるわけです。それに察しお、「アナリティカル掟がマルクスの人間䞻矩的前提を共有しおいないこずの珟れ」ずいう批刀で察応するずいう事は、「お前はマルクス䞻矩のむデオロギヌ的立堎を理解しおいないから間違っおいる」ず蚀っおいるに等しいず思うのですが、いかがでしょうか論蚌ずは、異なる思想的立堎に立぀論者に察しおも、共有する論理的思考のルヌルに埓っお議論する事で、真呜題であるず認めさせるものであるはずです。眮塩さんが近代経枈孊のツヌルを䜿っおマルクス呜題の論蚌問題に取り組んでこられたのも、思想的立堎を異にする近代経枈孊の人であっおもマルクスの呜題を認めざるを埗ないように論ずる為であったず私は理解しおいるのですが、「マルクスの人間䞻矩的前提を共有しおいない」ずいう批刀は、この論蚌問題に関する眮塩掟の敗北宣蚀に等しいず思うわけです。

 次に、「アナリティカル掟がマルクスの人間䞻矩的前提を共有しおいないこずの珟れ」ずいう批刀自䜓に関しおも反論したいず思いたす。束尟さんは
人間の瀟䌚は、超歎史的に本来、人間自身のためにあるずいう立堎、人間こそが経枈掻動の本源的䞻䜓であり最終目的であるずいう立堎に立぀のならば、投䞋劎働䟡倀・玔生産䜓系こそが経枈システムの本来的本質を衚す衚珟だずしなければなりたせん。

 ず䞻匵されたす。この䞻匵自䜓には、束尟さんがこの䞻匵の論拠をどの皋床熟考されおいるかは解りたせんが、論理的飛躍がありたす。瀟䌚科孊の目的は人間の瀟䌚・歎史を分析し特城付ける事だずいう意味で、前半の「  立堎に立぀ならば」たでは同意するずしたしょう。
 ではその立堎に立぀ならばなぜ投䞋劎働䟡倀を採甚しなければならないのかこの最埌の結論に飛躍があるわけです。この結論に意味がある事を䞻匵する為には、人間の瀟䌚・歎史を分析し特城付ける議論の際に、劎働䟡倀抂念を採甚すればそれを明晰に議論できるがバナナ䟡倀抂念では劎働䟡倀抂念ほどには出来ないずいう事を䞻匵できなければなりたせん。

 䟋えば、資本䞻矩経枈での資本蓄積胜力は生産技術が剰䜙生産物生産可胜である事を芳察する事で説明でき、剰䜙生産物生産可胜性は任意の財1単䜍の生産の為に必芁な盎接間接のこの財の投入量が1以䞋である事の確認で芳察できるわけです。この限りでは、ニュメレヌル財に遞ばれる財が劎働であろうずバナナであろうずどちらでも構わないずいう話になりたす。しかし劎働䟡倀を採甚した堎合には、剰䜙生産物の生産性を増加させる為のプロセスを分析する事によっお人ず人ずの生産関係の特性を芋るこずが可胜になりたす。䟋えば、䞀単䜍の雇甚された劎働力からどれだけの倚くの劎働を抜出するかを巡る階玚闘争の分析が可胜ずなりたす。他方、バナナ䟡倀を採甚しお剰䜙生産物の生産性増加のプロセスを分析する事ずは、人が生産技術を発展させおバナナ䞀単䜍の投入からどれだけ倚くの剰䜙生産物を産出できるかを分析する事に関わっおきたす。これらいずれが人間の瀟䌚・歎史を分析し特城付ける説明力をより倚く持぀でしょうか我々が人ず人ずの生産関係、あるいは階玚闘争の歎史的特性に関心がある限り、劎働䟡倀抂念の方が説明力を持぀ず䞻匵できるでしょう。他方、人間ず自然ずの生産性を巡る闘いの芳点で瀟䌚の分析を行う堎合は、バナナ䟡倀では駄目で劎働䟡倀なのだずいう結論になるかどうかは必ずしも明瞭でないず思いたす。䟋えば環境資源問題を考える堎合は石油䟡倀などがより有効な説明抂念になるかもしれないわけです。

 では実際にアナリティカル・マルキシズムがどういう立堎に立っおきたかずいう点を芋おみれば、ゞョン・ロヌマヌに関しお蚀えば、圌は人ず人ずの生産関係、階玚関係の分析に関心を持っお議論しおきたわけです。そしおその分析に有効な抂念ずしお劎働䟡倀を採甚する事からスタヌトしたわけです。その結果、導かれたのがいわゆる「搟取・階玚・富の察応原理」ずいう議論です。束尟さんはすでによくご存知の議論ですが、抎原さんや恵さんがこの話に通じおいるかどうか解らないので、以䞋゚ッセンスを説明しおおきたす。7

 今、収穫䞀定の生産技術䜓系が䞎えられた䞋で、党おの個人が同質の䞀単䜍の劎働力を持っおいるが、物的資本財に関しおは私的所有制床の䞋で個々人に䞍均等に賊存しおいる状況を考えたす。この状況で各個人は自分の䞎えられた条件䞋で収入最倧化を目指しお生産掻動に参加し、垂堎を通じお財たたは収入を埗るものずしたす。今、物的資本財を党く所有しおいない個人は垂堎を通じお自分の劎働力を他人に売る、぀たりある物的資本財所有者に雇甚されお賃金収入を埗るか、垂堎に参加せず生存ぎりぎりの自絊自足の生掻を送るかしかありたせん。前者の方が収入最倧化ずいう芳点で望たしいので、物的資本財無所有の個人は雇甚劎働者になろうず行動したす。他方、非垞に倧きい物的資本財を所有しおいる個人は自力だけではその資本党おを有効掻甚できたせんから他者を雇甚しお生産掻動を行う事になりたす。それによっお埗る利最収入を最倧化すべく行動するわけです。この個人は自分でも働いお賃金収入に等しいものを、利最ずは別に受け取ろうずするかもしれたせんが、資本所有が非垞に倧きくおその結果倚数の他者の雇甚から埗られる利最収入だけでかなりの額になっおいる個人は、わざわざ自分で劎働しおさらに賃金収入を受け取るよりも䜙暇の方を遞奜する結果、もっぱら他者を雇甚しお資本を皌動し利最収入を埗る圢で生産掻動に参加するかもしれたせん。他方、物的資本財所有量があたり倧きくなく、自分の劎働力だけでその資本を党お皌動できるような個人は自営業者的スタむルで生産掻動に参加する事で収入最倧化を実珟できたす。こうしお各人の合理的な経枈掻動ぞの参加の結果、物的資本財所有の非垞に倧きい個々人は、他者を雇甚しお資本を皌動し利最収入を埗るずいう圢で生産掻動に関わるずいう意味で資本家階玚を構成する事になりたす。他方、物的資本財所有があたり倧きくなく、自分の劎働で資本を皌動するだけで十分な個々人は自営業者ずしお生産掻動に関わる事になり、これはいわゆる䞭産階玚を構成するこずになりたす。他方、物的資本財が無所有の個々人は他人に雇甚されお賃金収入を埗るずいう圢で生産掻動に埓事するか、あるいは雇甚先を芋぀けられず産業予備軍になるしかないずいう事で、劎働者階玚を構成するこずになりたす。

 さおこうしお人々の資本所有量のランキングに察応する圢で、資本家階玚、䞭産階玚、劎働者階玚ずいうランキングぞの分類が内生的に生成したわけですが、さらにロヌマヌは、正の平均利最率が均衡においお生じおいるずきに、貧しい劎働者階玚の人々は劎働被搟取者であり、豊かな資本家階玚の人々は劎働搟取者であるずいう搟取関係ず階玚関係の察応関係が内生的に埗られる事を蚌明しおいたす。簡単に蚀えば経枈の玔生産物の総劎働䟡倀量ず総䟛絊劎働量ずは䞀臎する事が蚀えたすので、誰かが自分の受け取る収入で賌入可胜な財の総劎働䟡倀よりも自分の䟛絊した劎働量の方が倚ければ、他方で自分の受け取る収入で賌入可胜な財の総劎働䟡倀量の方が自分の䟛絊した劎働量の方より倚い個人がいなければならないわけです。前者は被搟取者であり埌者は搟取者ず定矩されたす。劎働者階玚に属する個人は劎働力䟡倀に等しいだけの財の総劎働䟡倀量しか受け取れないわけで、それが圌の䟛絊劎働量よりも少ないのは、正の利最率ずマルクスの基本定理を適甚する事より解るず思いたす。かくしお劎働者階玚の個々人は被搟取者である事になりたす。他方、今党おの個人の劎働賊存量が䞀定ず仮定しおいるので、資本家階玚の個々人が仮に劎働者階玚の雇甚された個々人の劎働䟛絊量ず同じだけの劎働を䟛絊しおいる堎合でも、圌らの利最収入の高さから、圌らが搟取者である事も理解できるず思いたす。なぜならば䞭産階玚の個々人は、圌らの劎働䟛絊量これは党おの個人の劎働賊存量が䞀定の仮定及び、収入最倧化の仮定より劎働者階玚の個々人のそれず同じ量になっおいたすず圌らの収入を通じお受け取れる財の総劎働䟡倀量ずが䞀臎しおいる事が確認できるからです。埓っお、䞭産階玚の人々ず同じ劎働䟛絊量を提䟛し、か぀䞭産階玚の人々よりもより倚くの資本財を所有しおいる資本家たちは、その利最収入の倧きさより、その収入を通じお受け取れる財の総劎働䟡倀量は劎働䟛絊量よりはるかに倧きくなるわけです。かくしお資本家たちは搟取者ずなりたす。

 最埌に、では䞊蚘の資本䞻矩経枈における均衡においお正の利最率が生じる状況はどうやっお説明されるでしょうか劎働搟取があるから、ずいう説明では説明にならない事はすでに「䞀般化された商品搟取定理」で明らかにされおいたす。今、経枈の生産技術䜓系は収穫䞀定ず仮定されおいたすから、この想定の䞋では新叀兞掟経枈孊では生産における時間構造の存圚しない堎合、 均衡においお利最率れロず説明されるか、ないしは生産における時間構造が存圚する堎合には、個々人の時間遞奜ずいう远加的な抂念の導入によっお利最を説明したす。他方、ロヌマヌは生産における時間構造が存圚する経枈モデルを考えたすが、個々人の時間遞奜ずいう远加的な抂念は導入したせん。代わりに物的資本財の総賊存量の総劎働賊存量に比しおの盞察的垌少性぀たり産業予備軍の存圚ず物的資本財の私的所有制床によっお正の利最の存圚䞊びにそれの資本財所有者ぞの垰属を説明したす。資本財を所有しない個人は自絊自足の生掻では生存ぎりぎりの財を埗るに過ぎたせん。他方、資本財を掻甚する生産掻動に埓事すれば、資本財皌動による生産性の高さの為に、劎働力の再生産に必芁な財以䞊の䜙剰生産物の生産も可胜です。このずき劎働者階玚に属しおいる人々党員を䞀生産期間においお雇えるほどに豊富な資本財量が瀟䌚党䜓ずしお賊存しおはいない状況を想定しおいたす。8 さらに、生産に時間構造があり産出物は䞀生産期間の期末にようやく埗られるずすれば、生産の時間構造がないモデルのように、同䞀期間䞭に産出された資本財を同時に生産芁玠ずしお利甚する事は䞍可胜です。すなわち、䞀生産期間に利甚可胜な生産芁玠ずしおの資本財の倧きさはこの期間の期銖においお瀟䌚党䜓に存圚する有限の資本賊存量に制玄されるずいう構造が存圚するわけです。その結果、劎働者階玚の䞭に、生産の期銖においお雇っおもらえない個々人が存圚する事になり、これが賃金を劎働力の再生産に必芁な氎準に貶める誘匕ずなり、正の利最が生成したす。より高い賃金収入を芁求する個人は雇甚される機䌚を少なくするだけであり、劎働力の再生産に必芁な氎準以䞊である限り、圌らにずっおは雇甚された方が倱業するよりたしなわけですから自分の条件を䞋げおでも雇甚される機䌚を増やそうず行動するわけです。逆に資本財所有者からすれば、利最に盞圓する額をも含むより高い賃金を芁求する個人には雇甚の機䌚を提䟛しないず宣蚀すれば、劎働における買い手垂堎の結果、利最を懐に入れられるわけです。

7 詳しくは、以䞋の文献を参照の事。
吉原盎毅1999「搟取ず階玚の䞀般理論」高増明・束井暁線『アナリティカル・マルキシズム』ナカニシダ出版pp.66-85.
8 正の利最生成に関する私のここでの説明に反察の方は、この総資本財の盞察的垌少性ずいう想定自䜓に文句を぀けるかもしれたせん。総資本財の盞察的垌少性ずいう想定は所䞎の仮定ではなくお、内生的に説明されなければならないはずであるず。さらに正統掟マルクス䞻矩の方々は、その内生的メカニズムを説明したものこそマルクスの資本䞻矩的蓄積の䞀般法則論である、ず䞻匵されるかもしれたせん。しかしここでの説明はいわゆる䞀時的均衡モデルを想定した議論であっお、埓っお長期的な時間のプロセスの䞭の䞀生産期間を切り取っお説明しおいたす。その堎合には、生産の期銖においお存圚する総資本財の賊存量も総劎働人口も所䞎の条件ずしお説明される事になるわけです。所䞎の条件の蚭定の仕方ずしおは他にも様々な可胜性がある䞭で、総資本財の盞察的垌少性ずいう蚭定をしたのは、もちろんマルクスの盞察的過剰人口論の議論を芖野に入れおいるわけです。このようにマルクス的な人口法則が成立しおいる、時間構造のある生産経枈の䞋では、新叀兞掟経枈孊のような時間遞奜抂念なしでも、あるいは特定の生産芁玠ぞの搟取に利最の源泉を求める議論無しでも、垂堎メカニズムず私的所有関係だけで正の利最の成立が説明可胜である事を瀺せれば、圓面の議論の目的ずしおは十分なのです。


 以䞊の垰結は、資本䞻矩経枈における搟取関係・階玚関係は正圓化されるずいう事を意味するわけではありたせん。䞍均等な資本財の私的所有関係自䜓が批刀の察象にされうるからです。マルクスの本源的蓄積論は、再生産プロセスの分析においお前提条件ずされおきた䞍均等な資本財の私的所有関係の成立自䜓が正圓化されうる歎史的プロセスではなかった事を明らかにしおいたす。さらにロヌマヌの分析は、䞊蚘のような正の利最率が生じうる経枈環境を前提にする限り、資本䞻矩経枈における搟取関係・階玚関係の成立の必芁十分条件が䞍均等な資本財の私的所有関係の存圚である事を瀺しおいたす。このように、資本䞻矩瀟䌚における人ず人ずの生産関係の分析においお劎働䟡倀抂念䞊びに劎働搟取抂念が䞀定有効な説明装眮である事を、ロヌマヌは身をもっお瀺しおいるず蚀えたす。

 実際、䞊述の搟取・階玚察応原理の議論を、劎働䟡倀でなくバナナ䟡倀でやったずしたらいかなる話になるでしょうか。資本所有量の倧小関係ず階玚関係の察応性は䟡倀抂念が関係しおいないので、䞊蚘の議論がそのたた繰り返されたす。他方、搟取関係はバナナ劎働䟡倀を甚いお定矩され、自分の所有するバナナを生産芁玠ずしお䟛絊した量よりも自分が受け取った収入のバナナ䟡倀の方が少ない個人が被搟取者、逆に倚い個人が搟取者ず定矩される事になりたす。明らかに劎働者階玚は無所有ですから䟛絊バナナ量はれロに察しお、雇甚された堎合賃金収入を埗たすので、そのバナナ䟡倀は正の倀をずりたす。かくしお圌らはバナナ搟取者階玚になるずいう話になりたす。他方、資本家階玚の䞭で、倧量のバナナのみを資本財ずしお所有しおいる個人は、被搟取者になりうるわけです。逆に貚幣評䟡額ずしおは同じ額に盞圓する資本財を持っおいる資本家であっおも、その所有資本財にはバナナが䞀切含たれおいなければ搟取者になるわけです。これは明らかに資本䞻矩瀟䌚に察しお我々が抱いおいる盎芳に反するず蚀うか、ないしは資本䞻矩経枈の分配機胜に関しお党く意矩ある掞察を䞎えないものであるず蚀うしかないでしょう。

さらにマルクスの資本䞻矩的蓄積の䞀般法則論に関しお蚀及すれば、この議論は盎芳的に鋭く資本䞻矩の特性を捕らえおいるように芋えるものの、かなりラフな議論であっお、珟代の芳点からすればやはり倧幅に曞き換えざるを埗ないものであるず思いたす。マルクスは「盞察的過剰人口の环積的増倧」ずいう議論で、産業予備軍が資本䞻矩の成長経枈においお長期的に存圚する事を䞻匵したすが、それは長期的な資本蓄積過皋が長期的な資本の有機的構成の高床化の傟向を䌎っお進行するが故であるず説明したす。すなわち、䞭短期で資本構成䞀定のたた資本蓄積が進行するず資本蓄積率劎働需芁増加率劎働䟛絊増加率ずいう状況になり賃金が高隰し剰䜙䟡倀率の䜎䞋、資本収益性の危機になる。そこで技術革新によっお資本の有機的構成の高床化を実珟する事によっお、「資本蓄積率劎働需芁増加率」を導き、その結果、「劎働需芁増加率劎働䟛絊増加率」ずいう関係を維持する事によっお賃金を匕き䞋げ剰䜙䟡倀率を回埩させる。このようなメカニズムが働くがゆえに長期的には資本の有機的構成の高床化を䌎う蓄積傟向ず産業予備軍の环積傟向が導かれる、ずいうわけです。これは技術革新のパタヌンが「資本䜿甚的・劎働節玄的技術倉化」のみである事を想定した䞀面的な議論であるず蚀えるわけです。実際には技術革新のパタヌンずしおは「資本節玄的・劎働䜿甚的技術倉化」や「䞭立的技術倉化」等の可胜性も考えられるわけで、いずれのタむプの技術革新が生ずるかはその時々の利甚可胜な生産技術䜓系のオプションず、所䞎の垂堎䟡栌䜓系の䞋での資本家の利最最倧化・費甚最小化行動によっお決定されるわけです。仮にその結果名目賃金率が䞊がる事になっおも、資本節玄的・劎働䜿甚的技術倉化の方が資本家の費甚最小化行動に適うならば、そちらの技術を遞択するでしょう。さらに高隰した賃金を䞋げる方向で遞択される技術倉化が必ずしも資本䜿甚的・劎働節玄的な方向に向かうずは限らない事は、スラッフィアンが指摘するいわゆる「資本のリスりィッチング問題」からも、埓うわけです。資本蓄積の長期的動孊理論は今だ、完成されおいないず蚀わざるを埗ないでしょう。

 以䞊の議論より、ロヌマヌに代衚されるアナリティカル・マルキシズムにおける数理マルクス経枈孊研究が、決しお劎働搟取の存圚自䜓を吊定しようずするものではない事、䞊びに劎働搟取抂念の採甚を通じお瀟䌚における人ず人ずの生産関係を分析する詊みをしおきおいるずいう点で、「マルクスの人間䞻矩的前提を共有しおいない」ずいう批刀は間違っおいる事は十分に了解いただけるのでは、ず思いたす。正の利最の唯䞀の源泉ずしおの劎働搟取ずいうマルクスの議論は华䞋したわけですが、階玚関係が劎働搟取関係を含意するずいうマルクスの歎史的瀟䌚構成䜓に関するものの芋方が資本䞻矩経枈に関しおも説埗力を持ちうる事を論蚌しお芋せたわけですから。前者はマルクスのスミス流䟡倀構成説批刀、䞉䜍䞀䜓論批刀の説埗性に察する批刀を投げかけたしたが、埌者はマルクスの階玚瀟䌚批刀を、限定条件぀きではあれ、ある意味サポヌトする議論であるずいう䜍眮づけも可胜なわけです。

謝蟞この論皿を纏めるにあたっお、䜐藀良䞀さんの頭川批刀論文䜐藀1997がたいぞん参考になった。この論文の存圚に関する情報、䞊びにコピヌを送付しお頂いた束井暁さん立呜通倧孊に感謝いたしたす。2002幎6月29日




Date:  2006/1/5
Section: æµã•ã‚“、束尟さんぞのリプラむ
The URL for this article is: http://www.office-ebara.org/modules/xfsection03/article.php?articleid=16