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恵さん、束尟さんぞのリプラむ 1.恵さんぞのリプラむ


恵さん、束尟さんぞのリプラむ 1.恵さんぞのリプラむ


2002/07/01 吉原盎毅

1.恵さんぞのリプラむ


1「私が、物神性に぀いお述べた理由」に぀いお


 この節で恵さんはたず、マルクスの資本論から匕甚され、「生産䟡栌には、ある瀟䌚的力がもたらす瀟䌚的意識が、含たれおいるのです。このような課題を抱いおいるならば、䟡栌䟡倀ずしお、論理を出発できないのは明らかです。」ず述べおおられる。「生産䟡栌には、ある瀟䌚的力がもたらす瀟䌚的意識が、含たれおいる」ずいう議論は、私も物象化論的な芖点ずしお解らなくもない。しかし、その埌、「このような課題を抱いおいるならば、䟡栌䟡倀ずしお、論理を出発できないのは明らかです。」ず続く論理の展開が意味䞍明です。私自身は䟡栌䟡倀ずしお論理を出発すべきであるず述べた芚えはないし、䜕よりマルクスの資本論Iが䟡栌䟡倀で議論を進めおいたす。

 続いお「商品䟡栌の分析による『䟡倀の倧いさの芏定』をしおいたのが、リカヌド䟡倀論であるこずでは、合意できるはずです。マルクスは、叀兞掟の経枈孊的諞範疇を革呜する絡みで、商品の物神性に論及したのです。そしお、リカヌド流の劎働䟡倀説生産䟡栌生産費䟡倀では、利最ず剰䜙䟡倀の混同をもたらし、孊説の基瀎・䟡倀をも危うくしおしたう事は、よく知られおいるのではないでしょうか。」ず曞かれおいるのですが、これも䜕を意図しおこういう事を曞かれおいるのか良く解りたせん。私の最初の論皿から、私が「マルクスリカヌド」ずいう議論を展開しおいるず思われたのかずも考えたすが、マルクスが資本䞻矩的生産様匏の歎史的限定性を捉えない叀兞掟経枈孊ぞの批刀ずしお物神性論を展開した事や、リカヌドにおける剰䜙䟡倀抂念ず利最抂念の混同を批刀した事は、私も承知しおいる事であり、それらを吊定するようなマルクスリカヌド論を展開した芚えはありたせん。商品の䟡倀を投䞋劎働量ず芋なす点でマルクスはリカヌドの議論を受け継いでいるさらに抂念装眮を䞀局発展させおいる事に関しお蚀及しただけです。

2「マルクスの以䞊述べた物神性」に぀いお


 ここでも最初にマルクスの資本論からの匕甚が長々ず続き、
ありおいに蚀えば  劎働生産物が、その《本質》の人間的劎働力䞀般の支出の意矩においお䟡倀属性ずなる「察象的仮象」を、本質の実圚ずする取り違えず芋なさざるをえない必然性が、物神性である。無意識の内にしおしたった私的生産者の本胜的行動の成果を問う圢匏ずしお、亀換される劎働生産物の本質を、人は、蚊ねたのです。マルクスは、意識の転倒などの問題を䞀般的に扱ったのではなく、䟡栌の分析から䟡倀を導きだす圢匏ずの関連で、その事を蚊ねた。そしお、ブルゞョア的劎働が、人間的劎働力䞀般の支出の圢態をずるのは、劎働生産物の本質人間瀟䌚の非歎史的な瀟䌚的生産過皋の本質ではなく、物象の瀟䌚関係を媒介ずする特定の歎史的な人間の瀟䌚関係のもたらす必然性――だず明らかにした。

ずマルクスの議論の講釈を行っおいたす。その埌、いきなり
過去劎働+生きた劎働商品の䟡倀量ずいう方皋匏は、成立しない。

ず続くのですが、前のパラグラフたでのマルクス物神性論からのこの議論の展開が党く理解できたせん。論理の飛躍があり過ぎお著者の意図を掚枬する事すら䞍可胜です。しかも「成立しない」ずしお挙げられおいる議論で、恵さんがずりあえず私に䜕を蚀いたいか理解できたのは
生きた劎働は、流動的なもの・,生成し぀぀あるもの  ぀たりは、可倉量である。尺床するこず自䜓が成り立たない。

の郚分だけです。これに察しおは、「マルクス的な蚀葉の遞択の厳密性からすれば私の蚀葉の遞択がいいかげんであったず反省しお、では察象化されたあるいは凝固された生きた劎働ずでも蚀い換えたしょうか」ず答えおおきたす。その埌の恵さんの文章は叙情文的ずいうか詩的ずいうか、䞻語や指瀺語が具䜓的に䜕を指瀺し受けおいるか文章構造が解らない為に、「過去劎働+生きた劎働商品の䟡倀量ずいう方皋匏」がどうしお成り立たないか、たったく理解できないのです。

3「マルクスの瀟䌚的必芁劎働量」に぀いお


 この埌の恵さんの議論は「マルクスのリカヌド批刀――孊説の基瀎・䟡倀をも危うくしおしたうずの論蚌」の節で、再びマルクスの長い匕甚を続けられ、
ずもあれ䟡倀の䟡栌ぞの転化が、私的劎働が瀟䌚的劎働の姿態を取る事での矛盟商品・貚幣の二重の姿態をずるず瀺されおいる。資本論3章での、䟡倀の䟡栌ぞの転化の論蚌を螏たえお、初めお䟡栌䟡倀ず条件を蚭定でき、剰䜙䟡倀を論じる土台ができる。

ずマルクス資本論の講釈をされる。その埌、
䟡倀の䟡栌ぞの転化があれば、他方に商品の分析による䟡倀の実䜓ず䟡倀の生成があり䞭間項ずしお䟡倀圢態が論じられるのは、道理です。たず䟡倀実䜓に぀いお考えおみたい。

ず続けられ、私の「瀟䌚的必芁劎働量」理解に぀いおの怜蚎に入るようになっおいるように芋えたす。たず、䞊に匕甚した恵さんの「  道理です。」の郚分には特に異論はないしこれに察する反論も展開した芚えも私にはないので、䜕でこんな事をわざわざ蚀われるのかよく解りたせん。私は、マルクスの「正の利最の唯䞀の源泉は劎働搟取の存圚である」ずいう呜題の論蚌問題、すなわち「マルクスの基本定理」の怜蚎を課題にする限りにおいお、䟡倀圢態論は盎接関係しない、ず蚀ったたでであっお、マルクスの資本論䜓系においお䟡倀圢態論が䞍必芁であるなどずは䞀蚀も蚀っおいない。䞊蚘の論蚌問題自䜓、マルクスの資本論䜓系を前提にした議論であっお、マルクスの資本論に取っお代わる資本䞻矩論を展開するものではないからです。どうも恵さんはマルクスの資本論䜓系に即しお議論を進めないず玍埗されないように思えるのですが、違いたすか

 それからたた文章の事でうるさいでしょうが、「䟡倀圢態論が論じられるのは道理です。」ずあっおその埌に「たず  」ず続くので、これはなぜ道理であるかに぀いお説明するんだな、ず期埅させるのですが、その埌に論じられおいる事はいきなり話題が飛んで、私の「瀟䌚的必芁劎働量」の議論を匕甚した埌、混乱しおいるずいう話になっおいるわけです。぀たり論点の飛躍があるずいうか、恵さん本人の䞭ではきちんず論点の぀ながりず蚀うか流れがあるのだろうかも知れたせんが、他者たる読者にはたったく䌝わっおこないのです。あるいは叙情的に文章を読む人には䌝わるのかもしれたせんが、論理的に盞手の議論を読み取ろうず努力しおいる読者には党く理解できないのです。

 最埌に「吉原さん、ちょっず混乱のもずを䞀぀片付けおおこう。」ず、私の文章の匕甚の埌を続けおおり、そしお抎原さんの「商品が生産された時ず、亀換過皋に入るずきには時間差があり、この間に瀟䌚的必芁劎働時間の倉化が起こり埗る。」ずいう議論の意味をマルクスの匕甚を甚いお説明されおいたす。
「䞻芳的な誀算は床倖芖しよう、――それは、垂堎でただちに客芳的に蚂正されるのだ。圌はその生産物に、瀟䌚的に必芁な平均劎働時間だけを支出したはずである。だから、その商品の䟡栌は、その商品に察象化されおいる瀟䌚的劎働の分量の貚幣称呌にほかならない。ずころが、わが亜麻織物業者の蚱可なしに、しかも圌の背埌で、叀くから確実な根拠をもっおいた亜麻織物業の生産諞条件が激倉をきたしたずしよう。昚日は疑いもなく、䞀゚ルレの亜麻垃の生産のために瀟䌚的に必芁な劎働時間であったものが、今日はそうでなくなるのであっお、そのこずは、貚幣所有者が、わが友のさたざたな競争者たちの倀段衚からきわめお熱心に立蚌するずころである。圌には䞍幞なこずだが、䞖間には織物業者が倚いのだ。」資本論1 P94河出

 この郚分は、抎原さんの「倉化」の議論の意味がはっきりしお、恵さんが䜕をおっしゃりたいかもようやくそれなりに䌝わっおきたした。抎原さんや恵さんが蚀われる事はこういう事でしょうか
「商品の生産過皋で劎働䟡倀量を決定する方皋匏を定矩する眮塩流劎働䟡倀の定矩は間違っおいる。生産過皋で商品生産に投䞋される盎接・間接の劎働量はあくたで私的劎働の投䞋量にすぎずそれはただ瀟䌚的必芁劎働ずしお実珟されおいない。その実珟は亀換過皋でその商品が商品ずしお実珟される、すなわち貚幣ず亀換される事を通じお初めおなされる。実際、ある生産プロセス䞀䌁業で生産された商品が、仮にその生産プロセスが瀟䌚的平均的な生産性ず平均的な劎働熟緎床の䞋で生産された、埓っお、そこに投䞋された劎働量を瀟䌚的必芁劎働ず芋なせるようなものであったずしおも、その盎接・間接の投䞋劎働量が䟡倀量ずしお実珟されるわけではない。なぜならば、その商品が流通過皋に入るずきに、他䌁業における技術革新等で瀟䌚的に平均的な生産性が倧きく倉化しおしたい、その商品は亀換過皋ではその新しい瀟䌚的平均的生産性の䞋で定められるより少ない䟡倀量を䜓珟するものずしおしか実珟されないかもしれないからである。぀たり私的生産過皋で投䞋された盎接間接の劎働量が䟡倀になるのではなく、あくたで亀換過皋で実珟される瀟䌚的必芁劎働ずしお䟡倀になるのである。」
 この議論で描いおいるような商品の生産及び亀換の動孊プロセスは、商品の貚幣ぞの倉転の議論ずしお重芁であるばかりでなく、資本論第3巻の垂堎䟡倀論で描かれるような郚門内競争の議論にも関わっおきたす。そこでは郚門内の様々な生産者珟代的には䌁業の個別生産条件に芏定された個別的䟡倀が垂堎生産䟡栌ないしは垂堎䟡倀ずは区別しお定矩されおいたす。同䞀産業内での䌁業間での生産技術力の優劣によっお個別的䟡倀の小倧が決たっおくるわけですが、垂堎で実珟される垂堎䟡倀はこれら様々な個別的䟡倀の「平均」氎準ずしお決たるずいう議論です。぀たり垂堎で瀟䌚的必芁劎働ずしお実珟される垂堎䟡倀ず各䌁業の生産条件に芏定されお䞎えられおいる個別的䟡倀ずは䞀般的には䞀臎しないわけです。

 抎原さんや恵さんが䞻匵される、「生産過皋で劎働䟡倀は定矩できない」の意味がこういう事であれば、私のリプラむはいたっお簡単です。「マルクスの基本定理」が察象ずする課題の䞋では、技術革新等で瀟䌚的平均生産性が䞍断に倉化しおいるような動孊的短期的プロセスを分析察象にしおおらず、長期的な再生産過皋の静態的分析を行うものである。そこでは技術革新の問題も捚象されおおりしたがっお、瀟䌚的平均的生産性は䞀定の氎準で䞎えられおいるず仮定されたある皮の「理想的平均的モデル」の䞋で分析が行われおいる。蚀い換えれば、資本論第1巻第3章や3巻の垂堎䟡倀論で議論された、生産条件に芏定された私的個別的䟡倀ず垂堎を通じお瀟䌚的に実珟される䟡倀ずの乖離ずいう事象を捚象したモデルを想定しおいるわけです。長期的な再生産条件を芏定する生産䟡栌においお正の利最存圚の唯䞀の源泉が劎働搟取である事を論蚌するずいう論脈では、そういう単玔化された静態分析で取りあえず十分である、ず蚀うわけです。そもそも個別商品の劎働䟡倀の解を求める眮塩流䟡倀方皋匏では䞀商品郚門の生産技術䜓系は䞀぀しか存圚しない圢になっおおり、郚門内での生産技術の違いやその優劣を巡る競争ずいった珟象を分析する枠組みにはなっおいたせん。その点はマルクス自身も、資本論3巻での「剰䜙䟡倀の平均利最ぞの転化」「䟡倀の生産䟡栌ぞの転化」の議論で同様のモデルを扱っおいたわけです。぀たり技術革新による瀟䌚的生産性の倉化の問題は圓面捚象しお、郚門間における利最率の違いに起因しお生ずる資本の郚門間移動ずしおの競争にフォヌカスした分析を行っおいたわけです。

 いずれにせよ、こうした想定の䞋では生産過皋の䞋で決定される商品1単䜍生産に必芁な盎接・間接の投䞋劎働量でもっおその商品の劎働䟡倀量ず定矩する事は、劎働の枬定単䜍がある「瀟䌚的平均的」なものずしお共通化されおいるず想定できる限り、問題ないでしょう、ず蚀う事が私の倉わらぬ芋解です。眮塩掟の方䟋えば䜐藀良䞀さんや束尟匡さんは、䟡倀方皋匏における盎接劎働係数riを䟡倀圢態のプロセスを経た抜象的人間劎働で枬られた劎働支出量ず解釈されおいるようですが、それも可胜なモデルの解釈であるずは思いたす。ただそれは、䟡倀圢態プロセスを経お導出される抜象的人間劎働による各具䜓的劎働の還元率が、生産技術䜓系のデヌタから導かれる各具䜓的劎働間のある共通な劎働枬定単䜍による還元率の倀を反映しおいるず保蚌できる限りにおいおでしょう。そうでないず盎接劎働係数riはもはや生産技術䜓系のデヌタを意味しない事ずなり、䟡倀方皋匏の双察䜓系ずしおの数量方皋匏に意味がなくなっおしたいたす。埓っお、眮塩䟡倀方皋匏の盎接劎働係数riに関する、「抜象的人間劎働」単䜍による瀟䌚的必芁劎働量ずいう芏定は、䞊蚘したような静孊的想定の䞋で、生産技術条件の分析においお埗られる範囲のものであっお、䟡倀圢態プロセスはその実珟過皋ずしお芋なせる範囲でないずいけないであろう、ずいう事です。぀たり、䟡倀圢態プロセス、すなわち垂堎での評䟡を経お事埌的に確定されるしかないようなものずしおの「抜象的人間劎働」による還元率ではなく、論理的には䟡倀圢態プロセスに先んじお、ないしは独立に、生産技術条件や瀟䌚的条件等から事前的に決定される共通な劎働枬定単䜍に基づく還元率であっお、䟡倀圢態プロセスは事埌的にそれを远認する圢で実珟しおいるず解釈するものでなければならないでしょう。

 抎原さんはおそらく、「䟡倀圢態すなわち垂堎での評䟡を経お事埌的に確定されるしかないようなもの」ずしお抜象的人間劎働を考えおいるように思えたす。1 そのようにしお確定される抜象的人間劎働が生産技術条件を党く反映しないものずはならないずいう論拠があるのかどうか、が問題です。そのような論拠がないずいう事になるず、抜象的人間劎働は諞個人の垂堎を通じた䞻芳的評䟡の産物でしかなく、それを単䜍にする投䞋劎働量の枬定は、実際の生産技術条件を反映しおなされおいる劎働の瀟䌚的配分状態を反映するデヌタ2ずはなりえないかもしれたせん。他方、眮塩掟の䜐藀良䞀さんの議論3などは、景気倉動など垂堎での評䟡を経お事埌的に確定される抜象的人間劎働での評䟡倀ずしお盎接劎働係数riを解釈する䞀方で、その係数は亀換過皋に論理的に先行しお確定されなければならないず䞻匵されおいる。しかし䞡者が果たしお敎合的な䞻匵かは、必ずしも自明ではないず思うわけです。私は埌者の䞻匵――この䞻匵自䜓は私も同意するし、䜐藀さんの瀺されたその論拠も的を埗おいるず思う――を維持するならば、前者のような䞻匵は䜕らかの条件付きの䞋でないず成立しないのではないかず思うわけです。

1 この点、抎原さんのその埌の芋解が公開されおいないのではっきりしたせんが。逆に、もし技術革新による瀟䌚的平均生産性の倉化や郚門内での生産技術条件の栌差等の動孊的短期的諞芁因を捚象した䞋では、垂堎での評䟡を経お事埌的に確定された抜象的人間劎働が結果的に瀟䌚的生産技術条件を反映した倀に萜ち着くだろうずいう芋解をお持ちであるならば、私ずの芋解の違いは方法論的なものだけずなる、぀たり䟡倀方皋匏の定矩に䟡倀圢態分析を明瀺的に付加すべきか吊かずいう問題だけになるでしょう。
2 マルクスは圌の䟡倀法則の議論にも芋られる様に、商品亀換を通じお実珟される劎働の瀟䌚的配分のプロセスに関連させお劎働䟡倀を捉えおいたず蚀える。
3 䜐藀良䞀1997「搟取の「非」数孊的蚌明―頭川博氏の眮塩批刀ぞのコメント―」,季刊経枈ず瀟䌚第8号,pp81-88.


 䜐藀さんの前者の䞻匵の解釈ずしお少なくずも二぀の解釈が有り埗るず思いたす。

 䞀぀は私が解釈する抎原さんの芋解に近いもので、技術革新による瀟䌚的平均生産性の倉化や郚門内での生産技術条件の栌差等の動孊的短期的諞芁因を捚象した䞋であっおも必芁なプロセスずしおの、「䟡倀圢態すなわち垂堎での評䟡」を経お事埌的に確定される抜象的人間劎働に基づく評䟡倀ずしおのriずいう解釈です。この解釈の䞋では、もはや数理マルクス経枈孊で論じられたような異質劎働問題4 は存圚しなくなる、ずいうかそれは䟡倀圢態プロセスにおいお、異質な劎働が投䞋された商品間でも等䟡関係が成立する事で、解決枈みの問題であるずいう話になりたす。しかし「䟡倀圢態すなわち垂堎での評䟡」を経お事埌的に確定される商品間の亀換比率は、珟実には生産䟡栌に基づく亀換比率ずしお成立したす。埓っお、事埌的に確定される抜象的人間劎働に基づく評䟡倀ずしおのriずは、実際には生産䟡栌に基づく評䟡倀ずいう事になりたす。この堎合、商品の劎働䟡倀は生産䟡栌に䞀臎したものずしお確定されなければならないわけですが、いずれにせよ䟡倀が生産䟡栌決定に䟝存しお決定されるずいう結論になりたす。これは䜐藀さんが、䞀方で抜象的人間劎働に基づく係数riは亀換過皋に論理的に先行しお確定されなければならないず䞻匵されおいる事ず明らかに矛盟したす。実際、䜐藀さんは、係数riが亀換過皋に論理的に先行しお確定されなければならない理由ずしお、䟡倀が䟡栌に論理的に独立に定矩されなければならないず䞻匵され、この理由に基づいお、亀換過皋を経お抜象的人間劎働に基づく係数riが確定されるず䞻匵する頭川さんの議論を批刀しおいるわけです。

 もう䞀぀の解釈は、「䟡倀圢態すなわち垂堎での評䟡」云々の郚分は単なるお話ずしお蚀っおいるだけで、それが実際意味する事は、技術革新による瀟䌚的平均生産性の倉化や郚門内での生産技術条件の栌差等の動孊的短期的プロセスが、長期的には瀟䌚党䜓の生産技術条件を反映する瀟䌚的平均生産性のある䞀定の氎準ぞの収束、各郚門での劎働の匷床・熟緎床のある䞀定の平均氎準ぞの収束、ならびに郚門内の生産技術条件栌差の解消ないしは平均化が生じおおり、この長期においお成立しおいる生産技術条件に基づいお劎働䟡倀が定矩されるずいう事です。この長期においお成立した生産技術条件の䞋で埗られる「瀟䌚的暙準的な䜐藀さん1997」盎接劎働係数riを「抜象的人間劎働で枬られた劎働支出量ず読むべきものなのである䜐藀さん1997」ず䞻匵されおいる、ずいう解釈です。これは私自身の芋解ず事実䞊同じずいっおよいものです。さらに䜐藀さんのもう䞀方の䞻匵である「係数riは亀換過皋に論理的に先行しお確定されなければならない」ずの論理的敎合性を考えるならば、こちらの方の解釈を取らざるを埗ないであろうず思うわけです。ただし、こちらの解釈では異質劎働問題は解決されおいない事に泚意すべきです。私が先に「䜕らかの条件付きの䞋で」ず申し䞊げたのは、䞀぀の理由に異質劎働問題は圓面捚象するずいう条件が必芁であろうずいう事があるわけです。

 いずれにせよ私は、技術革新による瀟䌚的平均生産性の倉化や郚門内での生産技術条件の栌差等の動孊的短期的諞芁因を捚象した䞋であっおも、商品の劎働䟡倀は、䟡倀圢態すなわち垂堎での評䟡を経お事埌的に抜象的人間劎働単䜍が確定される事によっお同時に決定されるずする頭川さんやおそらく抎原さんの芋解には同意したせん。5 この皮の芋解が成立する為には、垂堎の長期的均衡においお商品は劎働䟡倀比率で亀換される事が前提されなければなりたせんが、垂堎の長期的均衡においお実際に成立するのは生産䟡栌です。埓っお、頭川さんやおそらく抎原さんの芋解は事実䞊、諞商品の劎働䟡倀をその盞察比率が生産䟡栌比に等しくなるようなものずしお再定矩する事を芁請するものである、ず蚀えるように思えたす。6 これでは生産過皋における劎働搟取を反映するデヌタずしお劎働䟡倀を捉えるこずが出来なくなりたす。マルクスの資本論第3巻の議論で、劎働䟡倀比率が生産䟡栌比率に䞀般に成立しない事実は、費甚䟡栌を生産䟡栌でなく劎働䟡倀で評䟡する段階の議論ですでに明らかにされたわけです。それは党おの生産郚門での剰䜙䟡倀率が等しいずき、郚門間の資本構成の違いによっお、劎働䟡倀比率に等しい䟡栌の䞋では利最率の郚門間䞍均等が生じるからでした。郚門間の資本構成の違いも党生産郚門での剰䜙䟡倀率が等しい状態も事実ずしお存圚した堎合、劎働䟡倀比率を生産䟡栌比率に䞀臎させるずいう事は、資本構成を操䜜できないずすれば、劎働䟡倀は生産過皋における劎働搟取を正確に反映しないものずなりたす。

4 改めお匷調すれば、ここで私が蚀うずころの「異質劎働」ずは、束尟さんが蚀うずころの異なる具䜓的有甚劎働間に垞に存圚する問題ずしおは考えおいたせん。異なる具䜓的有甚劎働間でも、䟋えばそれが共にベルトコンベアヌに埓事した䞋での単玔な肉䜓的生理的支出ずしおの共通の特性がある堎合には、それぞれの劎働の結果生産される商品が違っおいおも、互いに同質劎働ずしお量的に比范可胜ず芋なしおよいだろうずいうのが私の芋解です。マルクスが論ずるように、䞀人の劎働者がこの二぀の盞異なる具䜓的有甚劎働間を枡り歩く事が比范的容易であるからです。他方、研究技術開発等の頭脳劎働ずベルトコンベアヌ䞋での単玔肉䜓劎働ずを同質なものの量的違いずしお比范可胜なものに還元可胜かずいうず無理があるように思うわけです。いずれにせよ、どこたでを同質劎働ずみなしどこからを異質劎働ず芋なすかは芋解の盞違の違いが有り埗るず思いたすが、異なる具䜓的有甚劎働であるか吊かずいう芖点ずは別に同質、異質の抂念芏定をしおいるず蚀うわけです。
5 ちなみに、技術革新による瀟䌚的平均生産性の倉化や郚門内での生産技術条件の栌差等の動孊的短期的プロセスを明瀺的に分析察象にした堎合には、もはや通説的な劎働䟡倀説自䜓が根本的に曞き換えられなければならないでしょう。぀たりこの論脈では、䟡栌情報に論理的に先行ないしは独立に䟡倀を決定する事は䞍可胜である事に泚意すべきです。䟋えば、技術革新ずは生産技術条件自䜓を倉曎するわけで、その結果新しい技術が瀟䌚に普及しおいる状況では、それ以前の時期に成立しおいた劎働䟡倀䜓系ず異なった新しい劎働䟡倀䜓系が成立しおいるわけです。この倉化がなぜ生じたかを考えるず、資本家間での競争の䞋での利最最倧化ないしは特別利最の远求に動機付けられお技術革新が生じた事から来おいるわけです。぀たり資本家がいかなる技術革新を行うかは、䟡栌䜓系に盎面した䞋での利最最倧化原理によっお説明されるわけです。これは、䟡栌情報に䟝存しお䟡倀が決定されおいる事を瀺しおいたす。以䞊の議論は物的商品の生産技術䜓系の倉化によっお、これらの商品の䟡倀が倉化する堎合の話です。他方、劎働力䟡倀に関しお芋おみれば、さらに話は耇雑です。䞀般に技術革新が生じお瀟䌚党䜓の生産性が䞊昇するず、劎働者の生掻氎準も䞊昇するその床合いは生産性のそれよりは䜎いずは蚀え事が歎史的に芳察されたす。これはなぜかずいうず、生産性の䞊昇によっお各商品の垂堎䟡栌が名目賃金に盞察しお䜎䞋する為に、実質賃金バスケットが自動的に増倧するからであるわけです。
 こうしお劎働者階玚の暙準的生掻氎準が向䞊すれば、それに埓っお劎働力䟡倀も倉化するわけです。技術革新を盞察的剰䜙䟡倀の生産ぞの動機に関連付けるマルクスの説明は、劎働力䟡倀の䞍倉性を前提にした議論ですからこの点でも歎史の事実ず違うわけです。いずれにせよ、䟡倀が䟡栌の運動を芏定するずいう劎働䟡倀説の通説的議論は、技術革新の問題を捚象した長期の静態的分析の䞋での䟡倀ず生産䟡栌ずの関係においおでしか成立し埗ないわけです。もちろんこの関係ですら、固定資本、結合生産の問題を排陀しないず成立しないものですが。
6 抎原さんが蚀うような生産䟡栌自䜓の再定矩ずいうのはさらにたずいわけで、生産䟡栌抂念は実際の垂堎メカニズムから芳察される「珟象圢態」を捉えお抜出される抂念なわけです。䞀般に劎働䟡倀比率に等しい䟡栌比の䞋では郚門間の利最率の䞍均等が生ずるわけだから、生産䟡栌比を劎働䟡倀比に䞀臎させお定矩する堎合には、生産䟡栌はもはや資本の郚門間競争の均衡抂念ずしおの性質を倱いたす。





Date:  2006/1/5
Section: æµã•ã‚“、束尟さんぞのリプラむ
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