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協同組合のごみ政策(上)


【協同組合運動研究会フォーラム】

協同組合のごみ政策(上)


協同組合運動研究会報72号 境 毅 2000.4.15

熊本さんの提起に学ぶ
 1)はじめに
 2)熊本さんの基本主張
 3)国のリサイクル政策の欠陥
 4)「市場革命」の時代

1)はじめに


 協同組合運動は問題解決型の運動であるという観点からごみ問題についてどのような提案をするかということが課題となっています。この課題を解決していこうとするとき、非常に役に立つ本が出版されていることを知りました。熊本一規著『ごみ行政はどこが間違っているのか?』(合同出版、1999年)がその本です。今回はこの本を手がかりに、ごみ問題について考えてみます。

2)熊本さんの基本主張


 熊本さんはごみ問題がますます深刻になっていっていることに対して、国や行政が次々に対応策を出していっていますが、しかし、その方向が間違っているために成果をあげていないと主張しています。熊本さんは、国がとっている方向性について次のようにまとめています。
「その主要な原因は、国が、いかに住民の生命・健康を守るかでなく、いかに廃棄物処理施設をつくるか、つくりやすくするか、という立場から法改正を進めるからである。また、事業者の生産者責任を問わないで、ごみ・リサイクルの問題を消費者の責任にしているからである。さらに大量浪費社会を一層進める方向にリサイクルを利用しようとしているからである。」(9頁)

 このような国の法制定の基本的方向に対し、熊本さんは次の三点にわたる視点を対置しています。
「第一に、いかに企業の生産者責任を問うか、という視点である。
 第二に、ごみ処理費用あるいはリサイクル費用をいかに企業とその製品を買う消費者とに負担させるか、いいかえれば、いかに市場に内部化するか、という視点である。第三に、生命を守る立場からいかに大量浪費社会を変革するかという視点である。」(10頁)

 さらに熊本さんはこの三つの視点の提起にとどまらず、廃棄物処理の現状を批判し、現在の処理に代わる新しい制度の基本的な骨格を提言しています。
「これらの視点から、一般廃棄物については税金の負担の処理に代えて事業者負担で処理・リサイクルをはかるべきであること、有害廃棄物についてはその処理を業者に任せるべきではなく、公共を中心とした中間処理施設を指定してそこに運ばせるようにすべきこと(10頁)

 そのうえで、国が提案している資源循環型社会が生産者の責任を問うことなく、税金負担や消費者の直接負担によってあらたなリサイクル産業を増そうというもので、大量浪費の上にさらに浪費を重ねる方向に「リサイクル」が利用されているし、また、環境汚染をまきちらす不法投棄にも等しい制度が「リサイクル」の名のもとにすすめられていることに代わり、資源循環についての基本的な考え方を次のように述べています。
「資源循環自体を至上目的とするのは誤りである。資源循環すなわち廃棄物を資源に戻して利用する再生利用よりも、製品のまま繰り返し使用する再使用のほうが好ましい。再使用よりも、できるだけ長持ちする製品をつくるとか、はじめから資源・エネルギーの使用量を最小限にしてつくるとか、有害物質はなるべく使用しないとか、有害製品は生産しないとかの発生抑制のほうが好ましい。また、有害物質は再生利用するよりも、環境から隔離して保管するほうが好ましい。
 肝腎なのは、資源循環ではなく、大量浪費社会を変革すること、生命を脅かすにいたった経済を生命の側から抑制することである。資源循環はあくまでそのための一手段に位置づけられなければならない。」(10~11頁)

 この考え方は協同組合運動の考え方と基本的に一致しているように思われます。

3)国のリサイクル政策の欠陥


 熊本さんの本の目次は次のようになっています。
第1章 これでいいのか、ダイオキシン対策
第2章 処理場はなぜ反対されるのか
第3章 産廃はだれが処理すべきか
第4章 家庭ごみはだれが処理すべきか
第5章 リサイクルはどこが間違っているか
第6章 ごみ先進国ドイツに学ぶ
第7章 生命の視点から経済を変える。

 ここでは第5章にしぼってその内容を紹介していきましょう。

 日本にはリサイクル関係の法律が三つあります。一つ目は、91年の再生資源利用促進法(リサイクル法)二つ目は、95年の容器包装リサイクル法、三つ目が、98年の家電リサイクル法です。

 熊本さんは三つの法律に共通した欠陥として次の三点をあげています。
(1)再生利用(リサイクル)ばかり強調していて、再生利用よりも再利用(リユース)の方を優先する、さらには再利用よりも発生抑制(リデュース)を優先するという優先順位がないこと(10頁)。
(2)再生資源の供給を増やすことばかり考え、再生資源の需要拡大策がないこと(103頁)。
(3)再使用や再生利用のコストが新しい資源からの生産よりも安くなるよな経済政策がないこと(104頁)。

 次に容器包装リサイクル法については、ペットボトルのリサイクルが実施されていながら、ペットボトルからビンのリユースへの動きがつくれず、逆にリサイクルが進まないままペットボトルが増え続けているという現実があります。熊本さんはこの失敗の原因を生産者の負担が軽すぎることに求めています。「費用の一番かかる回収と保管は自治体負担で、その後のリサイクルのみが事業者負担。ドイツは回収からすべて事業者負担ですからずいぶんちがいます」(105頁)。

 また、家電リサイクル法は2001年からテレビ、エアコン、洗濯機、冷蔵庫の四品目が対象とされていますが、通産省はリサイクル率50%でテレビ2500円、冷蔵庫5000円などと消費者負担の全額を算定しています(114頁)。これでは消費者が不法投棄に走ることがさけられないし、また、メーカーの生産を変えていく力にはならないと熊本さんは見ています。

 ではどうすればいいのか。熊本さんの提案は非常に簡単です。
「問題は、廃家電のリサイクル費用を消費者が排出する段階で徴収しようとしていることです。排出時にリサイクル費用の実費を消費者から徴収するようなやり方では生産自体は全く変わらない。やはり、購入時に費用を価格に上乗せするような方式にする必要があります。価格に上乗せされたら、上乗せ額が大きければ大きいほど需要が減りますから、生産者は一生懸命リサイクル費用の少ないものを生産しようとします。」(114頁)

 価格に上乗せしても結局は消費者の負担になります。しかし、価格に上乗せすることで生産を変えていける、これが熊本さんの根本主張です。実際ドイツではペットボトルに処理費用を上乗せすることで、生産者はコストの上で不利となったペットボトルを避け、ビンのリユースを増やしたのでした。

4)「市場革命」の時代


 90年代に入るまで、日本の経済は廃棄物を市場で処理することなど考慮していませんでした。廃棄物を処理する費用は、外部不経済とみなされ、税金で処理されてきたのです。
 90年代に入って、リサイクル三法が制定されたことで、この外部不経済をどのようにして市場に内部化するかが試みはじめられました。廃棄物の処理及び清掃に関する法律が1970年に制定され、何度も改正されて現在に至っていますが、熊本さんは産廃の不法投棄を例にあげて、日本の廃棄処理が市場原理にまかされていることを批判しています。

 今日のシステムでは廃棄物を出す事業者は中間処理業者に処理費用を払って産業廃棄物を引き取ってもらいますが、熊本さんはこれは商品の売買ではなく「負の財」の引き渡しだから、処理の品質を事業者が問わないところに不法投棄が生まれると見ているのです。日本では産廃業者が1万もあって一つの市場になっていますが、これは市場原理にまかせず、公共で処理して処理費用を事業者から徴収すべきだというのです。

 家電のリサイクルの場合に、消費者から処理費用を徴収するのではなく、価格に上乗せするというのも、廃棄物が「負の財」であるとこととかかわっています。消費者は処理費用を負担してもそれがどのように処理されるかに関心を持てないのです。

 ところが価格に上乗せすれば、生産者が廃棄物の処理費用に関心をもたざるを得ず、そして政府がうまく誘導すれば、生産をリサイクルからリユースへさらにはリデュースへと変えていくことが可能になるというのです。税金で負担したり、消費者が処理費用を払う、それによって市場の性格が変わります。いままで廃棄の要素を外部においていた、生産と消費までの範囲しか含んでいなかった市場が、廃棄まで含んだ市場に変わるわけです。ヨーロッパでは『市場革命』とさえ呼ばれています。」(95~6頁)
「ごみ問題から見ると、外部費用、つまり、ごみ処理費用の内部化は、それによって生産を変える、市場そのものの性格を変える、廃棄のことを考慮した生産や市場に変えるという意義をもっていることになります。」

 この「市場革命」の考え方が日本のごみ行政に欠落しているという指摘は全く正しいと思われます。逆に「市場革命」の見地から、日本のごみ行政をただしていくことが問われています。私たちもごみ問題に対する協同組合としての政策を熊本さんの提起を手がかりに具体化していきましょう。




Date:  2006/1/5
Section: 協同組合のごみ政策
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