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農業講座開講にあたって


農業講座開講にあたって


1)サポートセンターの講座の意味


講座に価値はあるか。


 「資格を与えられない、という意味では無価値。」
 農業学校の講義に「価値があるか」という問題が提起されています。講師としては、講義にはなんの価値もないと考えています。というのは卒業してもなんの資格も与えられないからです。サポートセンターで企画している他の講座も今の所資格を与えられませんから、この意味では、講座の価値はゼロです。

無価値なものを何故企画するか。


 「参加者にとっての価値が資格ではないから。」では資格を与えられない講座を何故企画するのでしょうか。それは参加者(受講生)にとっては資格を得る事が目的ではないからです。他の企画はまた別ですが農業講座はニュースタートの皆さんを対象に参加者を募りました。皆さんの要求は、外に出て社会参加がしたい、対人恐怖を克服したい、人間関係を旨く作りたい、親友を持ちたい、充実した時間を過ごしたい、といったものではないかと私は想像しています。このような要求を解決できるような資格はありません。

講座は社会参加の場である。


 「講座の価値は参加者の講座との関わり、あるいは参加者相互の関係の作り方によって決定される。」
 この講座の価値は参加者の皆さんがその都度その場で創り出すものではないかと私は考えました。社会参加という事に注目してみましょう。社会参加が出来ていない自分がいる、と考える時の社会は自分の外によそよそしく存在している事になりますね。そしてこの社会に自分はなじめない。私はこのような意味での社会への参加を呼びかけている訳ではありません。個人と個人とが関係する時そこには社会が形成されています。このようないわばミニ社会を念頭においてください。よそよそしい方の社会は個人の力ではなんともなりませんが、日々創られるミニ社会の方は個人の参加の仕方でその中身が決まります。

教えてもらう、から学ぶへ。


 「価値が資格にあるなら、参加者は教えてもらう側となる。価値が参加者の社会参加にあるなら、それぞれの学ぶ力が問われる。農業労働の体験は、身体にとって価値があり、作物を育てる、という目的があり、協業をする事でのコミュニケーションづくり、という効果もある。講座も社会参加としてとしてみれば、学ぶ事の体験と参加者相互のコミュニケーションづくりが問われる事になる。」
 講座は有償です。お金を払えば消費者でありお客様です。でもこの考えをちょっと再検討してほしい。この講座をワーカーズコレクテイブの原理で運営したいのです。その原理に従えば、お金を払った人が事業の主体になるのです。つまり参加者の共同事業として講座を運営したいのです。本当は事前に事業計画と予算案を提示して参加者に事業への参加を呼びかけるべきだったのでしょうね。でも最初の取り組みでしたので、この点での配慮が十分ではありませんでした。次回からはこの点にも注意していきたいですね。学校という事業がお金を払って参加する人たちの主体的参加によって運営される、これはサポートセンターの趣旨にも合致しています。農業労働を体験し、農業の現状とその未来について学ぶだけでなく、ワーカーズコレクテイブの運営についても体験する、これを実現させましょう。

2)講座の持ち方


講義について。


 「講義のテーマと副読本は用意されている。」
 但し最初の計画は変更し、守田志郎の本の読み合わせを続けます。テーマを欲張るよりもじっくりと取り組みたい。

学級経営。


 「講座は参加者の全員で運営するという方向を追求する。講義の分担、学級新聞(メールや壁新聞)。」
 講座を事業として運営するといってもその事業は参加者以外の人たちに働きかけるものではなく、参加者に対するサービスの事です。だから参加者相互のサービスを事業の内容と捉えこれを運営する主体が参加者によって担われる、というイメージです。もちろん参加者が他のメンバーに参加を呼びかける事もありますね。でも学級経営が一番大事だと思います。

人との関わり方を学ぶ。


 人との関わり方もいろいろありますが、協働する事でお互いの新しい面を発見してほしい。そのうえにワーカーズコレクテイブでの働き方についても学んでほしい。これが講師の願いです。
(この文書は4月27日の講座のレジュメに補足したものです。「」内がレジュメです。)




Date:  2006/1/5
Section: 現場から3
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