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「発想の転換」 メグミ

1:「発想の転換」 メグミ
ebara 12/30 20:43
「発想の転換」  メグミ

機関紙「コモンズ」新年号に注目すべき記事が有りましたので紹介させていただきます。

沖縄における「発想の転換」と主体の自己革新

――その主体の問題は、沖縄ではどういうかたちで模索されているのでしょうか。
新崎 実は、ささやかな試みの一つなのですが、去年の四月に、大学の教員やOBが「いまこそ発想の転換!実行委員会」なるものを立ち上げて、押し付けられた常識を覆すシンポジウムなどというのを何回かやっている。ぼくも参加していた「対外問題研究会」という日米の政策を勉強してきた会がその母体になっているのですが、県民が思考停止に陥っているかに見える閉塞状況を打開するためには、われわれも単なる勉強会の枠を超えた社会的発言をして、沖縄の人々を萎縮させ、思考停止させてきた思い込みや常識を問い直し、誇りと自立心を取り戻す活動に参加する必要があるのではないか、と考えたのです。

――具体的には、どんな発想の転換なのですか。
新崎 「押しつけられた常識を覆す」を主題として、第1回は「安保・開発・環境の視点から」、第2回は「経済の視点から」としてやりました。そこでは、「国防とは国の専権事項」「沖縄は基地がないと食っていけない」「北朝鮮のミサイルが飛んで来たらどうする」とか。そういう言わば、選挙のときに保守派がよく使うような常識。「基地に反対しても結局は造られるのだから、せめて金(振興策)だけでも取っておこう」のような常識をどう覆すかというので、具体的なデータを挙げながら、環境問題・経済問題・政治問題の一つ一つについて、例えば「アメリカ軍部の観点に立っても米軍再編というのは必要不可欠のものなのか」とか、「基地がなければ沖縄経済は成り立たないのか」とか、「独立、自立して沖縄経済はやっていけるか」とか「豊かさとは何か」など、論議を公開で積み重ねている。

>沖縄の人々を萎縮させ、思考停止させてきた思い込みや常識を問い直し

――というのですから、社会生活のなかで自ずと押し付けられる、生み出される概念・思考を問い直して新しい主体形成をしようという文化運動が行われ盛況であるとのことです。
 『直接的生産過程の諸結果』を読んでいましたらこんな文章を見つけました。
 「註139・・たとえば「資本、または労働を使用する手段」(すなわち「労働によって使用される手段」ではなくて「労働を使用する手段」・・・・。同様に、現代のドイツ語でも、労働を受取るものの人格化である資本家を労働を与えるものと呼び、労働を与える現実の労働者を労働を受取るものと呼んでいる。)(国民文庫P64)
 労働者は労働を受け取るもの――と言う転倒が社会常識としてあるのですね。
 マルクスの提起した物象化と物神性にはこんな平易な主張があるのですが、文化知として、このことを主張するのが榎原さんのみと言うさびしい次第で残念です。
 沖縄の「いまこそ発想の転換!実行委員会」が各地に広まれば、自分の常識・社会意識の転倒を自覚する人々が増えてきて、労働過程を生産過程としてのみ理解する人や、労働生産過程とする人のマルクス経済学の常識が覆されると思います。



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