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「世界恐慌分析のための原理」(バラキン雑記)を読んで 田中一弘

4:メグミさんへの回答 田中一弘
ebara 11/09 12:16
 メグミさんへの回答 田中一弘

 長いあいだ回答しなくてすいませんでした。日々の仕事や雑事に追われるとともに、紹介してくださったサイトや資本論の読解に時間がかかり、なかなか考えがまとまりません。とりあえず、過剰な貨幣資本形成の必然性については資本論の論理で原理的な部分は理解できました。しかしまだそれが投機に向かう必然性は判然としません。マルクスを読んでも、信用制度の発展とともに投機の余地が増大する傾向の指摘はありますが、その根拠は明示していないようですが、どうでしょう。もしかしたら問い自体が意味のないものかもしれませんね。過剰性は現実資本へ転化する場面にたいしてのものであるから、という理由なのでしょうか。
 実体経済との関係という点、あるいは金融資本概念の克服という点についてですが、私の引用が片手落ちであったかもしれません。4の文章の前に次のように書いてあります。
 「ところで、ここで注意しておきたいのは、一九八〇年代のアメリカで株主重視経営への転換がなされた理由として、上述のように、機関投資家からの圧力が重要な役割を果たしたことは事実であるが、それだけでこの転換がなされたわけではないということである。むしろその背後では、すでに実体経済のあり方自体に変化が進んでいたという点が重要である。」(『情況』2008・7月号、p.214)
 この文章に続いて、4の引用文があります。再度引用しておきます。
 「そもそも株式の発行体である自動車、家電などの耐久消費型重化学工業は、・・・・もはや十分な収益を上げられなくなっていたのである。・・・・これら企業はM&Aなどを利用して事業の再構築に取り組まざるを得ないことになったが、この動きに機関投資家の積極的株主活動が重なったことから、事業再構築による収益性の重視という目標は、具体的にROEの重視など株主の利益を重視する、株主重視経営とか株価至上主義という形に結びついていったのである。」(『情況』2008・7月号、p.214)
 実体経済の変化のほうを重要と見るか、機関投資家の圧力を重要と見るか、この点で見解が相違すると思います。メグミさんは後者を重視していると思います。私も信用制度の展開が重要だと思いますが、架空資本と現実資本との関連という点で、実体経済の変化をも考慮することは必要ではないでしょうか。不況から脱出するための事業再構築の方法として、合併・買収による規模の経済の追及が、金融市場の変化に乗じる形で行われ、その仲介役として信用資本が自らの蓄積を行ったのではないでしょうか。もちろん信用資本の活動は仲介なしの株式売買が中心かもしれませんが、実体経済との関係ではこのように言っても間違いではないと思います。
 新自由主義についてですが、階級闘争と資本蓄積あるいは経済過程という二つの観点を総合的に把握したいというのが、私の考えです。この二つの観点について、戦後の福祉国家体制、あるいは国家独占資本主義の成立をどのように捉えるか、という問題を考えてみます。
 支配階級の労働者階級への譲歩という側面から見ると「福祉国家体制」と規定できますが、国家の経済過程への介入による資本蓄積の維持・向上という面から見れば、いわゆる「国家独占資本主義」とも規定することができると思います。ケインズ主義による有効需要の創出とは、資本投下場面の創出という面と、失業対策という面の両面があるのではないでしょうか。この二つの側面とは、資本主義経済の変化の原因を、資本蓄積の危機・変化という面と階級闘争による影響という面に区別すると同時に、両者の関連を考察しなければならないということを意味していると思うのです。どちらか一方だけの理解では不十分ではないかと思われるのです。この点に関して、「福祉国家体制」への移行に関する以下の二つの見解を検討してみます。
 階級闘争を重視するものとして、ネグリ『さらば、“近代民主主義”』より
 「『労働』は長いあいだ、物質的な財の生産活動に還元されてきた。しかし現在、『労働』は、社会的活動の全領域を意味するものになっている。この変化を理解するためには、一九一七年のロシア革命からはじまった労働の組織化にかかわる闘争と変革のサイクルを考察しなければならない。
 それは、組織化された労働全体を、長期にわたって(これを『短い世紀』と呼ぶものがいるほどの期間)持続的に危機に陥れた労働者の反逆的挑戦によるものだった。資本主義システムに対する生きた労働の側からのこの攻撃への最初の応答は、まず『ニューディール』というかたちで提示され、ついで、地球上の中心的地域における『福祉国家』の創設の展開というかたちをとるところとなった。つまり、国家や社会が、生政治的な組織化と搾取の形態を課すという方向に向かったのである。」(p.31〜2) 
 このような把握の仕方は資本の蓄積様式の変化という客観的構造を理解しない一面的なものである、という批判が、小松聰からなされています。なお、小松の批判はネグリを対象にしたものではなく、大内力などのマル経学者を直接の対象としています。少し長いですが、まず、小松自身の見解を紹介しておきます
 「以上みたように第一次世界大戦後に特有な具体的諸条件のなかで、世界的規模で金融資本が経済的過程として蓄積展開できなくなったのであるが、今一度まとめてみると次のとおりである。
?戦後アメリカは、第一次大戦の戦時利得でカサ上げされた高国民所得水準による広大な国内市場を基盤にして、耐久消費財と大量生産方式を導入して、生産力を一挙的・飛躍的に高めた。そのアメリカの量産型重化学工業が、戦後資本主義世界の支配的な産業構造と生産力水準になった。
?資本主義の牙城であったヨーロッパの工業がアメリカの工業生産力によって圧迫され、ヨーロッパ諸国は経済停滞に陥り大量失業を累積した。そのためにヨーロッパ諸国が国内に農業を抱え込むという異常な事態が起こった。
?その結果、伝統的な農工国際分業関係の崩壊と世界的な農産物を中心とする第一次産品不況が発生した。
?しかも戦前における対後進地域・鉄道部門投資のばあいのように、広範な未開発地域にたいして戦後に機軸産業になった耐久消費財関連産業投資をして、新規に世界市場を創出することもできなかった。後進・未開発地域では現地民の所得・消費水準がきょくどに低く、比較的高価な耐久消費財市場が全く存在しなかったからである。・・・・
こうして、世界的規模で金融資本は経済的自立的に蓄積拡大する条件を喪失してしまった。」(小松聰『世界経済の構造』p.27〜8)
 1929年の世界恐慌が端的に現しているように、第一次大戦後においては、「対内的にはもちろん対外的にも資本家的にいかんとも処理しえなくなった結果として発生した、文字通り構造的な大量の過剰資本・過剰人口が現実的に累積した。・・・こうして資本主義は、自らの経済形態を通して社会成員を包摂・扶養できなくなって、経済過程からハミ出る膨大な過剰人口を排出し、かつ世界農業恐慌を引き起こしたのであるが、それは社会体制としての物的な存立根拠の喪失を意味した。二十九年世界恐慌の勃発に伴う未曾有な社会的・政治的動揺と体制崩壊の危機の高まりは、その政治的反映にほかならなかった。」(小松聰『世界経済の構造』p29).
 小松さんが言いたいのは、つぎのようなことでしょう。階級闘争が高まる背景には経済過程に根拠を持つ社会不安があるということ。そして階級闘争の高まりに対応して資本主義の構造が変化するとしても、その変化の仕方は経済過程における危機に対応したものである。世界恐慌以降の資本主義を小松さんは「国家による組織化」としてとらえているが、それは国家の介入による過剰資本の解消、すなわち有効需要創出政策に基づく経済運営のことでしょう。
 ネグリのような把握を「現代資本主義化の根拠を、資本主義経済過程にとって外的な政治的要因に求めている」(小松聰『世界経済の構造』p.38)理論としたうえで、それを「第一次大戦後の経済過程の変化が無視され、現代資本主義化の経済根拠が全く看過されてしまっている」(同)と、小松さんは批判します。このような小松さんの批判は、ネグリの一面性の指摘としては正当なものでしょう。しかし、階級闘争の高まりなどの社会不安を「資本主義経済過程にとって外的な政治的要因」というのはいきすぎでしょう。資本とは資本−賃労働関係の物象化されたものだからです。経済構造の変化が階級構成などの主体的要因にどのような影響をおよぼしているのか、という問題は小松からは感じられません。経済構造の分析であり、政治的分析は私の研究対象ではないと言われればそのとおりではあるが、それでは政治経済学批判としては不十分でしょう。
信用資本主義への移行についても、同様なことがいえると思うのです。支配階級の側からなされた階級闘争として新自由主義を捉えることは重要ですが、そのような階級闘争がなされなければならない経済的根拠とは何か―70年代のスタグフレーション―、その打開策としての新自由主義はなぜ信用資本主義へと展開したのか、この点を考えてみたいのです。国家の介入が嫌われ、その結果として市場万能主義としての新自由主義が展開したというのはわかりますが、信用資本主義との関係がはっきりしないということです。




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