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社会的総労働の配分論としての商品論(4)

1:社会的総労働の配分論としての商品論(4)
田中 03/20 18:00
(4)「単純な平均労働」としての抽象的人間労働
 前回の投稿では、抽象的人間労働が諸商品の交換関係の内部でのみ成立する社会的実体であり、商品生産社会に特有な労働の社会的性格であり、したがってそれが歴史的な規定であることを見てきました。今回はその具体的な内容を見ていきましょう。
 「諸価値の実体をなす労働は、同等な人間的労働であり、同じ人間的労働力の支出である。商品世界の諸価値に表わされる社会の総労働力は、確かに無数の個人的労働力から成り立っているけれども、ここでは同一の人間的労働力として通用する。これらの個人的労働力のそれぞれは、それが一つの社会的平均労働力という性格をもち、そのような社会的平均労働力として作用し、したがって、一商品の生産に平均的に必要な、または社会的に必要な、労働時間だけを必要とする限り、他の労働力と同じ人間的労働力である。社会的に必要な労働時間とは、現存の社会的・標準的な生産諸条件と、労働の熟練および強度の社会的平均度をもって、なんらかの使用価値を生産するのに必要な労働時間である。」(新日本新書『資本論』1、p.66)
 「同等な人間的労働」としての抽象的人間労働とは、まず第一に「社会的平均労働」であることが述べられています。価値量とは、このような抽象的人間労働が凝固している量にほかならず、労働の量とは時間的継続によって測られるので、それは抽象的人間労働時間ということになります。そして、価値量としての抽象的人間労働時間それ自体が、生産条件と労働の社会的平均化を通じて規定されているのです。
 「社会的に必要な労働時間」がある特定の一商品における社会的平均時間であるということから、一商品を生産する現実の生きた労働の平均量として価値実体量を規定する置塩モデルのような解釈が存在します。しかし、それは具体的有用労働の量的規定であり、価値実体としての抽象的人間労働量ではありません。なぜならば、具体的有用労働そのものは「同等な人間労働」ではなく、さまざまな異なった質的規定性を持つ諸労働だからです。では「同等な人間労働」とはどのようなものなのでしょうか。
 「それは、平均的に、普通の人間ならだれでも、特殊な発達なしに、その肉体のうちにもっている単純な労働力の支出である。・・・・より複雑な労働は、単純労働の何乗かされたもの、またはむしろ何倍かされたものとしてのみ通用し、そのために、より小さい分量の複雑労働がより大きい分量の単純労働に等しいことになる。・・・・さまざまな種類の労働がその度量単位である単純労働に還元されるさまざまな比率は、生産者たちの背後で一つの社会的過程によって確定され、したがって生産者たちにとっては慣習によって与えられるかのように見える。」(同、p.75〜76)
抽象的人間労働とは単純労働=平均的な「単純労働力の支出」であり、そのようなものとしてさまざまな現実の生きた労働の社会的な度量単位として機能しているのです。それは質的な規定性を捨象されたものであり、単なる「人間の脳髄、筋肉、神経、手などの生産的支出」(同、p.75)であり、したがって「生理学的意味での人間的労働力の支出」(同、p.79)なのです。
現実の生きた私的諸労働は、その質的規定性に応じたさまざまな熟練度と強度をもつ労働力の「生産的支出」です。そのような生きた労働が交換関係において社会的な度量単位としての抽象的人間労働=「単純労働力の支出」へと還元されるのです。ある労働は2単位の抽象的人間労働として、またある労働は10単位の抽象的人間労働として還元され、お互いに同等なものとして量的関係が成立するのです。還元の量的比率はそれぞれの諸労働の熟練度と強度に応じて決定されると考えられます。
榎原さんは『価値形態・物象化・物神性』のなかで次のように述べています。
「私的労働の社会的性格を示す抽象的人間労働は、もちろん、私的労働がもっている抽象的人間労働という属性、労働生産物に含まれている私的労働の時間的表示と無関係ではない。しかし、社会的実体としての抽象的人間労働は、物象相互の社会的関係において成立するものであり、他方の私的労働の抽象的人間労働という属性は、価値を創造する実体であり、この関係において成立している抽象的人間労働の量の形成に関与するのである。」(『価値形態・物象化・物神性』p.73〜74)
私的労働の時間量が価値実体量の形成にどのように関与するかについては、これまで見てきたように「生理学的支出」として抽象的人間労働を把握することによって解明できるのではないでしょうか。
諸商品は、交換関係において他の商品を自らに関係させることにより価値形態を獲得し、そのような物象的形態において、自分を生産した私的労働としての現実の労働を抽象的人間労働へと還元し、それによって私的労働は初めて社会的性格を獲得し、社会的に通用する労働=社会的労働の生産物となるのです。ものすごく端折った言い方ですが、価値形態論において展開されているのは、この還元の具体的なあり方、つまり事態抽象として抽象的人間労働が成立することの解明であるといえます。価値形態論は今回のテーマではないので、このように簡単に触れるにとどめておきます。


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