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当分冷却期間、理想について

1:当分冷却期間、理想について
森 真澄 03/09 06:00
当分の間、時間と距離を置きたく思います。
真理探究への想いや、社会が良くなってほしいと
人類の幸福を願う想いが、お互いに十分あるならば、
いつの日か、また創造的な対話が出来る日が来るかも
知れません。
その日が来る事を願っております。
●社会探究にどんな方法を取るかという点で、
大きな違いがある為、話が勘違いされるのかも
知れません。
今の人は、あまりにも今日明日に実行出来る事しか
見なさすぎる傾向にあると思います。
西欧では、ひとつの建物ですら、何百年もかけて
建築する事があります。
社会の事なら、少なくとも100年〜500年位の
展望は必要でしょう。
また、根源から考え直す必要がある様に思います。
例えば、人類にとって法政治存在する意味、必然性は
一体何だったんだろうか?と人類が太古の昔、はじめて
規則を作り、人類初の規則が出来た瞬間に想像力を
働かせると言う様な。
●また私は、何が一体あるべき事、健全な社会なのだろうか?
と言う事がわからなければ、まず理想をはっきりしなければ、
すなわち可能な限り見える範囲の遠くを見て、どこが目的地か
時々確認しなければ、ならないと思います。
10歩先しか見なければ、道に迷いやすいでしょうし、何の
為にどこへ行こうとしているのか、目先の事にとらわれて
しまいます。
それから、次の一歩をどうするか考えればいいと思います。
そうすれば、他の迂回路もある事、全体と個の関連性も
見出せます。
他の視点、他の人の鏡は、自分の鏡では映し出せないものを
映し出す事が出来ます。ですから、はじめは自分の鏡では、
全然間違った道に見えても、沢山の角度からの鏡を
自分のものにすれば、同じ山頂に続く別のルートだという
事に気づくかも知れません。
●もし、あるべき健全な社会とはどんな社会かと問い、その
答えがどんなに現実からかけ離れた空想的なものに見えても、
あるべき事はあるべき事のはずです。もしあるべき事が
あるべき様になった社会があったとしたら、その社会の住民
からすれば、私達の社会こそ、空想に陥っていると思うに
違いありません。
●また理想が実現すると考えている訳ではなく、
理想に向かって継続的に健全な正しい努力をする人の妨害をし、
ねじまげない様な社会を実現しようとしているのです。
その為の道標として理想とか理念はある訳です。
かけ離れて居れば居るほど、理想が空想的に
見えれば見えるほど、何とかしなければならない危機的状況
だと言う事です。
私達の心の奥底にある理想と、現実とがつながっていなければ、
その通路が絶たれていたら、また全然違う方向へ向かっていたら、
人々は生き生きと生きる事が出来ないに違いありません。
また、人類は、皆の考えや方法が一致する事はないだろう
けれども、理想はおおよそ一致する事が出来るものです。
その意味でも共感の為に理想や願いは役立ちます。
●さらに、人間は近くばかり見て日常に埋没し、無限に向かっ
て絶えず心を開いていないと、
今の自分にすぐに硬化し、すぐにドグマ化してしまいます。
ですから、ドグマ化に陥らない為に、絶えず今見える一番遠くや、
宇宙全体を心の目で探究する必要があります。
●また、万能の社会改善案などあり得ず、人間が不完全なもので
ある限り、次々と新しく社会問題は起こるものです。
ですから、私達は、未来の人が継続してより良い社会の実現の
為に努力を継続する事をさまたげない、ねじまげない、その
様な社会を実現する事しか出来ない訳です。
●また自由、平等、友愛と言う言葉を使うとすぐ、理念や理想の
押し付けを拒絶する感情から、ひとつの理念を押し付けている
と勘違いする人がいるのですが、それは違います。
人々の自由を守る為に必要とされる社会条件について、
シュタイナーは語っているのです。それをも、理念の押し付け
だというならば、時代の逆行もしくは同じ悲劇の繰り返し
しか残されないでしょう。私達は自由意志の尊重をしても、
共同体ですから、自由意志の尊重と社会全体の公益との何らか
の両立の形を選択しなければならないのです。理念や理想は
いやだと言った所で、無理念と混乱に陥るだけでしょう。
シュタイナーを理解する為に役立つと思われる点について、
余計な事かと思いつつも、ついでに書きました。
願わくば世界中に相互の理解が生じますように。
それではまた機会がありましたら。
それまでお元気にてご活躍下さい。


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